第百一話 確約したのが間違いだった
勇者の最後の試練を突破した次の日の夜、バートリ家の屋敷では盛大な立食パーティが開かれていた。
その名目は翌朝、王都への帰路に就く予定の俺たちを送る会である。
会場となった大広間にはバートリ家およびコーンウォール家に連なる者たちやバートリ商会の重役たち、この街の有力者など百名以上の参加者がいたが、空間にはまだまだ余裕があった。
主賓であるところの円卓の騎士の面々は慣れぬ正装に身を包み、思い思いの方法でパーティを楽しんでいる。
テーブルに並んだ豪華な料理に舌鼓を打っているのはヂャギーとイスカ。
金持ちたちとコネを作ろうとおしゃべりに勤しんでいるのはヤルーとラヴィ。
ナガレやシエナはこういう華やかな場は苦手なのか、ひとけの少ないバルコニーに出てくつろいでいる。
そしてブータは弟子であるアザレアさんと共に、この街の魔術師ギルドの人たちに囲まれて談笑していた。
俺とリクサは主賓の中の主賓のようなものなので彼らのように自由には動けない。色々な人が代わる代わる挨拶に来るのでその応対に忙殺される。
社交界にデビューしてから長いリクサはもちろん、俺もこの一年ほどでこういう席に慣れてきてはいたが、疲れるものは疲れる。
挨拶してきた者の中にはリクサと見合いをする候補だった男もいたらしく、彼女は相手が気の毒になるくらい不愛想な顔で素っ気ない対応をしていた。
コーンウォール公のエドワードとリクサの母親のソフィアが揃ってやってきたのは、そんな挨拶者たちがようやく途切れた頃である。
「勇者の試練のご達成、まことにおめでとうございます、陛下」
「ああ、ありがとう。いや、しんどかったよ。……本当に」
恭しく頭を下げてきた二人に、苦笑いを浮かべてグラスを掲げて応える。
主にしんどかったのはリクサの【剣閃】による全身火傷の治療だったのだが、あまりにも情けない話なので言いたくはない。
勇者によって負わされたダメージで苦しむというのは、なるほど、確かに勇者の試練の名称どおりではある。
「ミレウス様。ロイス様はどのような御方でしたか? リクサに聞いても教えてくれなくて」
尋ねてきたのは胸元が大きく開いたパーティドレスを身にまとったソフィアである。会ったときから気づいていたが、リクサのその豊かな胸はどうやら母親譲りらしい。
目のやり場に困った俺は近場にいた女中さんを手招きして飲み物のおかわりをもらい誤魔化した。
「うーん、一方的に事務的なこと言われただけだからなぁ。真面目そうな雰囲気は伝わってきたけど」
「やはり手ごわかったですか?」
「凄まじくね。でも逆に、あれくらいの傑物が十三人いなきゃ国なんて作れないんだろうなと納得もしたよ」
その初代の連中でさえ倒せなかったというのだから、滅亡級危険種の恐ろしさが分かるというものだ。
今度はエドワードの方が尋ねてくる。
「陛下。事務的なことしかと仰りましたが、ロイスの話の中に何か変わった点はありませんでしたかな」
「変わった点? 変わった点ねぇ……」
曖昧過ぎてピンとはこない。
「どうだったかな……。『最も深き絶望に挑む覚悟があるか』とか『来るべき時のために備えよ』とか、そんな感じに堅苦しく言われたけど。円卓の騎士の責務をしっかりやれって意味だろ、たぶん」
「ふむ。なるほど、そうですか。いえ、くだらないことをお聞きしてしまい申し訳ありません。お気になさらないでください」
エドワードはその立派な顎鬚を撫でるとリクサの方に向き直り、目を細めた。
「君もよく頑張りましたね、リクサ。これからも陛下に真心を持ってお仕えするように」
「は、はい。お爺様」
剣の師でもあるというその老人に褒められたことがよほど嬉しいのか、リクサは満面に朱を注いで頭を下げると、持っていたシャンパングラスから中身を一気にあおった。照れ隠しだろう。
実は先ほどからかなりのハイペースで酒を飲んでいるので、頬が赤くなったのはそのせいかもしれないが。
「やっぱりこの子、お酒好きになってしまいましたね。亭主もそうなんです。好きな癖に弱いところまで似るなんて」
笑いながらそう教えてくれたソフィアは、どうやら強い方らしい。
雑談をしながら何度かグラスを空けておかわりをもらっているが、顔には一切出ていない。
「そうそう、陛下。人づてに聞いたのですが陛下のご実家は宿泊施設の経営をなさっているとか」
突然、思い出したように話を振ってくるソフィア。
別に隠していることでもないのだけど。
「そうだよ。ド田舎だし、俺と義母さんの二人だけでやってるような小さなところだけど、一応宿泊施設といえば宿泊施設。要するに宿屋だけど」
「あらまぁ。それはむしろ好都合ですわ。ということは経営学にも明るいということですよね」
「……いや、ホントに狭い宿だから経営学も何もないんだけど。けど素人よりかはマシだとは思う」
うんうんと、ご機嫌な様子で頷くソフィア。
「ではご退位なされた後にバートリ商会をお任せしても大丈夫そうですね」
「え!? なんで!? なんでそういう話になるの!?」
脈絡を無視した話の展開に思わず取り乱してしまった。
遠巻きにこちらの会話をうかがっているパーティの参加者たちがざわついたのを見て、声を落として聞きなおす。
「な、何をどうしたら、俺がバートリ商会を継ぐことになるんだ?」
「陛下と初めてお会いした後、わたくし考えたんですの。陛下がうちのリクサと結婚して婿養子に来てくだされば全てが丸く収まるって」
豊満な胸を張り、得意げに語るソフィア。
俺は唖然と口を開けただけだったが、リクサは手にしていたシャンパングラスを危うく取り落としそうになるくらい動揺していた。
「か、かかか母さま! そんな畏れ多いこと、冗談でも言ってはなりません!」
「まぁリクサ。冗談でこんなことを言うはすがないでしょう」
ソフィアは娘の抗議に心外だとばかりに眉をひそめ、俺の方にずいっと寄ってきた。
「陛下にとってもいい話だと思うんですの。この子は美人ですし、気立てもいいですし。それにこの間の様子だと陛下のことをずいぶん慕っているようですし。実は陛下も満更ではないのではありませんか?」
あまりの圧力に返答に窮する。
しかしそれ以上に困っていたのは、やはりリクサだった。
「わ、わわわ私、す、少し呑み過ぎたようなので、部屋に戻っていますね!」
顔を真っ赤にして唐突にそう宣言して、足早に広場を出ていくリクサ。
残された俺たちの間にはしばしの沈黙が漂う。
涼しい顔をしてグラスに口をつけているソフィアに、俺は小声で確認した。
「……あの、ホントは冗談だよね?」
「あら、陛下まで。そうなったらいいなって、わたくし半分くらいは本気で思っているんですよ?」
実に楽しそうにくすくすと笑うソフィア。
エドワードは嘆息してそれを見守っている。
と、ソフィアはふいに真面目な顔つきになった。
膝を曲げ、深々と礼をしてくる。
「陛下。あの子のこと。どうぞよろしくお願いいたしますね。自分のことは何もできない子なので手間はかかるかもしれませんが、愛してあげればきちんとそれに応えるはずですから」
限りない優しさと、十分な強さを持った表情。
母親の顔だ。
リクサはずいぶん愛されてるなと思う。
「分かった。ああ、うん。任せてくれ」
力強く確約する。
試練を受けている間も受け終えた後も、ロイスはなぜこのような試練を残したのだろうかと、ずっと疑問だった。
報酬である地剣を子孫に残すためならあんな回りくどいことをしなくてもいいだろう。
かといって試練を通じて子孫を成長させるためとも思えない。
では何のために、と思っていたのだが、娘の将来を案ずるソフィアの姿を見て、はっきりと分かった。
あのしち面倒だった試練の本当の目的は、自分の子孫がその代の王と上手くやれるように、その仲を取り持つことだったのだろう。
寒中水泳という共に受ける苦難も、冒険の果てに美しい地底湖を見るというイベントも、伝説の双剣士に挑むという試練も、すべてはそれだけのためのものだったのだ。
その証拠にリクサから俺への好感度は試練を通じて上がっている。
それなりの域に達し、最近はあまり上がることがなかった好感度が、だ。
おせっかいというか、親バカならぬ子孫バカというか。
ロイス自身が少し不器用な奴で、解放王を相手に素直に接することができなかったから、自分の子孫のことも憂虞したのかもしれない。
当たりまえだが、このソフィアもまたロイス=コーンウォールの末裔だ。自分の血を分けた存在のことを強く気に掛けるその性格は、あの英雄から受け継がれたものなのだと思う。
彼女に確約したから、というわけでもないけれど。
俺はソフィアとエドワードに挨拶をすると、一人会場を離れてリクサの部屋へ向かった。