第九十九話 最後の試練を受けたのが間違いだった
コロポークルの試練を突破した数日後の昼。俺はまたまた亜人の森を訪問していた。
今回やってきたのは先の試練で手に入れた地図に示されていた座標。
そこにはコーンウォールの街の住宅と同じ黄色い煉瓦で造られた円柱形の塔がそびえていた。
周囲の森の樹々よりも明らかに背が高い。にも関わらず市販の地図に載っていないのは、この地区担当の[地図作成官]がサボっているからではないだろう。
「たぶん魔術師マーリアがいた静寂の森のあの館みたいに、理由がなければ近づけないようになっているんだろうな」
うんうん、と一人で納得すると塔の高さを目算で確認して、連れたちの方を振り返る。詳細不明のこの最後の試練に案内人はいない。代わりにというわけではないが、今回はシエナに同行を願っていた。
前回、前々回の時点で気づくべきだったのだが、試練には二人で挑めと言われているものの、試練が終わった後については何も制限されていなかった。回復魔法のエキスパートを近くに待機させておくのも、もちろん問題がないということである。
すでに二回の蘇生実績を持つシエナがいてくれれば、死ぬようなダメージも安心して受けられるというもの。
いや、ホントは安心なんかできるわけないし、ダメージを受けたくもないが。
森の女神アールディアへ祈りを捧げて俺たちの無事を願っていたシエナは、困り顔で念を押してきた。
「……あ、あの、主さま。くれぐれも死なないでくださいね?」
「努力はする。けど、何が待ち構えてるかも分からないからなぁ」
「その、時には引き返す勇気も大事ですよ。別に試練を乗り越えられなくてもペナルティはないんですから」
正論である。これは別に円卓の騎士の責務ではないのだから失敗しても島が滅ぶとかはない。
ただリクサが妙に気合を入れているので、俺もついつい達成したいと真剣に考えてしまうのだ。
「ま、とりあえず少し調べてみるか」
まず塔の外周をぐるりと一周回ってみる。内部の広さはたぶん王城にある鍛錬場くらい、つまりは複数人での戦闘が悠々できるくらいだろう。
窓のようなものは一つも見えず、出入口も重々しい両開きの扉がたった一つあるだけ。そこは大きな錠前で封じられていたのだが。
「ここで使うんだよな、やっぱり」
と、エルフの試練で手に入れた鍵を使ってみると、あっさりと外れた。
念のためラヴィの【聞き耳】を借りて中から音がしないのを確認してから、そっと扉を開けてみる。塔の中は遥か上まで吹き抜けになっており、内壁に沿うようにして上へと向かう螺旋状の階段が延々と続いているだけで、他には何もなかった。
「……試練場は階段の先ってことかな」
「では参りましょう。ミレウス様」
そう促してきたリクサの顔は、やはり真剣そのものだった。
露骨に不安げなシエナに見送られ、二人で薄暗い塔の中に足を踏み入れる。すると訪問者の気配に反応したのか、階段のすべての段に魔術の白い明かりが灯った。
まるで誰かに見られているかのような感覚がある。それを裏付けるように、階段を登り始めるとすぐに入ってきた両開きの扉が音を立ててひとりでに閉じてしまった。
戻ってぐいぐいと力を込めて引いてみるが、びくともしない。
「ははーん、閉じこめられたな?」
「試練が終わるまでは外に出るなということでしょう」
何も問題はない、という感じのリクサ。
要するに先ほどシエナが話していた引き返すという選択肢を主催者側が潰してきたということなのだが。
「ま、最悪【剣閃】かなんかで壁をぶち抜いて逃げればいいけどね」
気を取り直して再び階段を登っていく。
上で何をさせる気なのか知らないが、わざわざこんな塔を作る意味があったのかと考えながら足を動かすこと、しばらく。
恐らく塔の最上部付近と思われるところで階段は終わり、平坦なフロアに出た。
塔と同じ面積を持つ円形の部屋。
殺風景で家具も装飾品もない。
ただ奥の方の床に、一本の直剣が突き立っていた。
どこかで見たような美しい剣だ。その曇り一つない銀の刃は薄っすら輝きを帯びている。
「あれは……まさか! 地剣アスターです! こんなところにあるなんて!」
絶句するリクサ。
一方俺はというと、やはりかと納得していた。この勇者の試練に報酬があるとすれば二百年前から行方知れずとなっているというその剣しかないだろうと思っていた。
嬉々としてリクサが駆け寄ろうとする。
俺は咄嗟にその腕を掴んで止めていた。
「……何か、いるぞ」
地剣アスターのそばに、ぼんやりとした霧のようなものが現れていた。
それは徐々に輪郭をくっきりとさせていき、やがて人の形を取る。
俺には見覚えのある人の姿だ。
リクサもきっと肖像画か何かで見たことがあるのだろう。
二本の直剣を携えた白銀の美形の青年。初代円卓の騎士の次席にして四大公爵家筆頭コーンウォール家の始祖。
双剣士ロイス=コーンウォール。
もはや伝説となった人物がそこにはいた。
思い出すのは俺が王に即位した夜に、聖剣の中から話しかけてきた先代王のこと。
もしもあの人と同じだとすれば。
「残留思念……か?」
「いえ、実体があるようです。しかしアンデッドの波動も感じません。恐らく魔術で再現された疑似人格といったところでしょう」
ロイスから目を離すことなく、リクサが教えてくれた。
俺たちは慎重な足取りで彼の元へ近づいていく。
その表情まではっきりと窺える距離まで来たところで突然、頭の中で声がした。
『汝ら 力を求めるか」
俺たちはぴたりと足を止めた。
若い男の――ロイスの声だ。
地剣のそばに立つ彼の口は動いていない。
しかし声は続く。
『覚悟なき者に 力を掴む資格なし』
『証明せよ 最も深き絶望に挑む 覚悟があると』
ロイスが地剣アスターの柄を左手で握り、床から引き抜く。同時にその右手にはリクサの持つ天剣ローレンティアにそっくりな直剣が出現した。
研ぎ澄まされた殺意が俺とリクサを襲う。
ウィズランド島史上最強の剣士と英雄伝説に謳われる、この男を倒す。
それが最後の試練だというのか。
リクサは天剣ローレンティアを顔の前まで持ち上げて、決闘前の騎士の礼を行う。
「ロイス=コーンウォール、我が始祖よ。貴方と見えることができて光栄です。その上、手合わせまでしていただけるとは」
その表情に緩みはないが、声は弾んでいた。
俺は別に嬉しくないし、手合わせもしたくはないが。
しかしロイスの双剣はそれぞれ俺とリクサに向いていた。
二対一でいいから掛かってこいということだろう。
その端正な顔には涼やかな笑みが貼りついていた。
リクサは天剣を。俺は聖剣を。
それぞれ構えてじわりじわりと距離を詰める。
迎え撃つロイスは両手の剣をゆらゆらと無秩序に動かすだけで構えもしない。
いや、この不定の型こそがこの男の構えなのかもしれないが。
「いきます!」
ロイスに向けたのか、それとも俺に向けたのか、馬鹿正直に宣言してからリクサが左手から斬りかかった。
あらゆる角度から襲いかかる、惚れ惚れするようなキレのある連撃。
ロイスはそれを両手の剣を巧みに操り、易々と受け流した。
同じ流派の使い手なだけあって、身のこなしや剣の振りは確かに似通っている。
しかし単剣と双剣の差なのか、あるいは元々の技量の差なのか。勇者特権などを含めた総合力では分からないが、少なくとも剣術においてはロイスの方が一枚も二枚も上手のようだ。
いや、そもそもこのロイスが本物を完全に再現したものかどうかは分からないのだが。
常人離れした技術の駆け引きに思わず見入ってしまったが、俺もこうしてはいられない。
聖剣の力でリクサの剣術を借りると、二人の凄まじい剣戟の合間に入り込む隙を探し――どうしても見つからなかったので、俺はもうタイミングなどおかまいなしに斬り込んだ。
ほとんど死角から攻撃したにも関わらず、またリクサの猛攻を捌きながらであるにも関わらず、ロイスは俺の打ち込みを軽々と逸らした。
そして一気に攻勢に転じてくる。
荒れ狂う暴風のような一切の切れ間のない連撃。
二つの剣が生きた蛇のように、うねりながら襲ってくる。
完全には捌ききれず、俺もリクサも何度か浅く体を斬りつけられた。
俺たちはたまらず一端距離を取る。
「素晴らしい」
興奮した様子で目を輝かせて始祖を見るリクサ。あちこちに負った裂傷は勇者の血の再生能力であっという間に塞がっていく。
俺も聖剣の鞘の加護のおかげで無傷ではあるのだが、このままではジリ貧である。
剣術を借りたところで、俺の身体能力はあくまで元の凡人のそれだ。
生体兵器とまで言われる勇者の二人とは比べるべくもない。
というわけで躊躇なく反則を使わせてもらおうと思う。
俺は円卓の騎士の仲間たちの姿を思い浮かべ、スキルの借り受けを開始した。