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09.

「あの、兄さん……ごめん、本当は、兄さんの前に姿を現わすつもりなんて、なかったんだけど……」

「ごめんなさい、エリオット。私が、行こうと言ったのよ。あなたの前から姿を消したのだって、私が。だから、責めるなら私を――」

「……そういうことは、聞いていない。どうして、ここにいるんだ、と言ったんだ。俺は」


 なんてうつくしいのだろう。これが二流映画で、エリオットが敵――それも主人公たちを亡き者にしようとしているという、悲劇的な場面――なら、完璧だった。視聴者はドキドキしただろうし、敵であるエリオットに大層腹をたて、おおいに主人公たちに同情したに違いない。

 けれど。ここは現実だ。

 エリオットは敵でなければ、目の前に立つ二人は、主人公なんかじゃない――いや。それは間違っているか。今までのことを思えば、二人はまごうことない主人公だと言えるだろう。

 そうしてエリオットだって。二人の恋路を邪魔する、敵だったとしてもおかしくはない。

 他の誰でもないエリオット自身を嘲るように浮かんだ笑みに、しかし二人とも気づくことはなく。揃って、視線を彷徨わせながら言い淀むように口を閉じたり、開いたり、させている。


「……それは」

「ステラが。ステラがあなたの様子がおかしくなったって、言っていたから……おこがましいとは分かっていたのだけれど、私も、ヴィンスも心配でいてもたっても、いられなくて」


 ようやくヴィンスが口を開きかけた時。それを遮るようにして、リタが言った。

 身を乗り出して、訴えかけるように言葉を並べ立てていく。エリオットは静かに耳を傾ける。

 本当だったら、喜ばしいことだ。なにせ、姿を消した二人が向こうから現れてくれたのだから。

 同時に、憎くもあっただろう。いっそ殺してやりたいほどの激情に駆られたって、おかしくなかったかもしれない。

 二人揃って、エリオットの前に姿を現したのだから。

 けれど――どの面下げて、と思う気持ちはある。だが、それだけだ。怒りも、悲しみも、何もかも。どんな感情だって、湧き上がることはなかった。

 そのことがどうしようもなく不思議で、眉間に皺を寄せて僅かに首を傾ける。けれどすぐに、ああ、そうか。と納得したようにエリオットは笑う。

 考えるまでもない。簡単なことだ。

 いつもエリオットの周りをうろつく小さな影。追い出そうとしても、辛く当たっても、ずっと変わらぬ笑顔を向けてくれた少女。あの少女の存在があって、エリオットの心の氷が溶かされたから――だから、エリオットはもう何も思わないのだ。何かを思うほどに、目の前の二人に心を割いていない。

 失恋には新しい恋を、とはよく言ったものだ。

 なんて馬鹿馬鹿しい。もう恋など二度とごめんだ、と確かにエリオットは思っていたはずなのに。今この瞬間、先人たちの言葉の正しさを身をもって知った。いや、知らされたという方が正しいか。


「心配してくれたのは有り難いが、それを気にかける権利がお前たちにあるのか?」

「た、たしかにそうだけれど、でもっ……!」

「いい。別に、聞きたくはない」


 リタの言葉に、言葉を重ねた。するとリタが傷ついたように顔を歪める。僅かに罪悪感が芽生えるが、間違ったことを言ってはいないはずだ。 ――ああ、でも、とエリオットは思い直す。


「言い方は悪かったが俺を捨てたのなら、そのまま捨てておいてくれ。ただそれだけだ」


 それと、と思い出したように言葉を続ける。


「ステラ・ウォーレンに謝っておいてくれ。あの時は悪かった、と。ただ、だからと言って、二度と顔をみせるなという前言は撤回するつもりはない、とも」


 まあ、今更あちらも俺の顔など見たくはないだろうがな。とエリオットは肩を竦めて見せた。

 避けたとはいえ、顔面に向かってインク瓶を投げつけられたのだ。百年の恋だって冷めるというもの。

 リタとヴィンスは何を言うでもなく、揃って目を瞬かせながらエリオットを見ている。

 エリオットは片方の眉尻を釣り上げた。そうして「いったいなんだ」と少し低くなった声で問う。


「いや、兄さん随分と丸くなったな、と思って」

「丸く……? どういうことだ」

「そのままの意味だよ。ちょっとだけど、人を思いやれるようになってる」

「……ああ、それはたぶん――」

「もーあるじさま遅いですよ、遅いですー! わたしはぷんぷんです!」


 ヴィンスの言葉にエリオットが表情を崩した、ちょうどその時。エリオットの真向かい――つまりリタとヴィンスの後ろから歩いてくる、一人の少女の姿が目に映る。

 纏った黒と白のメイド服の裾を揺らしながら、怒ったように大きな声を上げた少女を、エリオットはよく知っていた。


「念押ししなくたって、早くいくからっていったのは誰ですか、あるじさまですよ!」

「……いや、まあそうなんだが」

「もう。いいのですけれどね、わたしは別に。ちょっぴり、あるじさまを待つ間寂しかったくらいですから」


 少女は二人の横を通り抜けて、詰め寄るようにエリオットに近づく。しかし起こっているというよりは、どちらかというと心配している様子だ。

 その理由が分からないエリオットは僅かに首を傾ける。


「あるじさま?」

「ああ、いや、なんでもない。少し考え事をしていただけだ」

「そうですか……それなら、良いのですが」

「……いったい、お前は」


 揺れた少女の瞳に、思わず問いかけた。けれどすぐに「いや、なんでもない」と頭を振って、かわりに少女の手を取り。


「もう温めてくれたのだろう。なら、また冷める前に行こう」

「誰のせいだと……」

「まあ、俺のせいだな。だから早く行こうと言っている」


 ほんの少しだけ口元を緩めると、少女は観念したようにエリオットの手を引っ張る。そのせいでつんのめりそうになりながら歩き出し、そして。


「……ああ、まだいたのか。悪いが朝食はおろか、お茶の一つも出してやるつもりはないぞ」


 先ほどよりも距離が近くなった二人の前で、一旦立ち止まって言った。

 もう話すこともなければ、構うつもりもない。けれど垣間見えた二人の顔に、どうにも不安が沸き起こる。


「もう用がないなら――」


 その不安が的中してしまわないうちに、追い返そうと言葉を重ねた瞬間。揃って変な顔をしていたリタとヴィンス、二人ともが我に返ったように、口を開く。

 兄さん、エリオット、とそれぞれが違う呼び名でエリオットの名を呼んだ。その声に、沸き上がった不安が吹き出したかのように全身を駆け巡る。

 聞きたくない。聞きたくなかった。聞いてしまえばもう、後戻りが出来ないような――何もかもが、足元から崩れ去ってしまうような。そんな気が、して。

 けれど、耳を塞ぐために手は動いてくれない。心臓が嫌な音を立てて軋む。耳のすぐそばに移動していたみたいに、やけに鮮明に聞こえた。


「いったい、誰と話してるの?」


――ああ、ほら。

 エリオットの中で、何かが壊れていく音がした。

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