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05.

 目の前には、大量の本が積まれている。種類は様々で、古典文学から伝承を纏めた本まで。兎に角、系統にまとまりがない。

 エリオットはそんな本の山に埋もれて、ただ黙々と本を読んでいた。

 目的はたった一つ。少女の正体、あるいはそれに関した何かを掴むこと。

 けれど明確な答えを持たないエリオットには、砂漠の中から一粒の砂を見つけ出すようなもの。

 別に、そこまでの思いをして探すほど知りたい訳じゃない。知らないなら知らないままで、困らないだろう。なんなら、本人に直接聞けばいいだけの話でもある。

 それでもなぜか、エリオットはページをめくることを、本に目を通すことをやめない。どうせ時間だけはあるのだから、暇を持て余していたのだし、と自分自身に言い訳しながら。


「あるじさま、もう日も変わりましたよ?」

「……ん。ああ。もうそんな時間か」

「まだお続けになられるなら、お夜食のご用意しますけれど」

「いや。必要ない。きりのいいところで切り上げる」


 本に落としていた視線をあげると、扉から少しだけ顔を出した少女の姿が。

 ノックは、と言いかけて、多分したのだろうと思った。そういう気づかいが出来ないエリオットと違い、少女は律儀だから。

 指摘されて、後ろにある窓の外を見た。月はだいぶ東に傾いていて、夜も遅いことがはっきりとわかる。

 どうやら、集中し過ぎていたらしい。少女と出会ってからの数週間の中でも、特にここ数日はこういうことが増えた。

 焦っているのだろうか。確かに、探しているというのに、一向に見つかる気配はない。これだけ探しても見つからないということで、焦燥感のようなものを感じていてもおかしくはないだろう。あるいは、苛立ちとも呼べるかもしれないが。

 開いたままであった本を、膝で抱える。あいた両の手を握ったり、開いたりした。座りっぱなしであったが、身体も特に痛くはない。もう少しくらいなら、続けられるだろう。

 そう判断すると、膝で抱えていた本を持ち直す。視線はすでに、本へと落ちている。少女の気配は、感じなかった。






「――ごめんな、兄さん」

「――ごめんなさい。エリオット」


 ああ、どうしてこの二人は謝るのだろう。謝るくらいなら、最初からしなければ良かっただけの話じゃないか。

 そんな悲しそうに笑うな。笑うならいっそ笑い飛ばせ。

 でなければ――でなければ。他意はなくとも、まるで責められている気分になる。

 俺は、悪くないのに。

――いや、本当にそうだろうか。本当に、エリオットは悪くないのか? 何も?

 ああ。悪くない。俺は何一つ、悪くないんだ。

 だから、やめろ。やめてくれ。お願いだから、俺の眼の前で幸せそうに、仲睦まじく寄り添うな――


「……さま、あるじさま!」

「――っ……!」


 エリオットは目を瞬かせる。今どこにいて、何をしていたのだろう。分からない。なにも、分からなかった。

 ただ一つ分かったことは、ああ、また見てしまったのだということ。

 エリオットにとっての悪夢。一人になってからずっと、ずっと、寝るたびに繰り返し見る夢。

 寝る前に、もう見ることはありませんようにと何度も願った夢。

 心の準備もなく見せられたそれは、普段より重くエリオットにのしかかる。

 どうしてだろう。なぜなんだ。ただその言葉を心の中で繰り返す。

 今のエリオットは、放心状態に近かった。それ故に、周囲のことは勿論、自分のことすら正しく把握できていない。


「あるじさま!」


 そんなエリオットを気遣う様子など皆無な、大きな音が部屋に響く。

 目の前で鳴った音にエリオットは驚き、息を吸った。今の今まで呼吸を忘れていたのでは、と思うほど吸い込んで、それからゆっくりと吐き出す。

 どうやら、もう夢からは目覚めていたらしい。未だ夢の続きにいたような気分であったエリオットは、僅かに困惑する。

 だが現実に引き戻され、真っ先に目に入った光景に、ここは現実なのだという安堵感を覚えた。

 未だエリオットに向かって、差し向けられている少女の手。両の手は合わさった状態で、それが音の発生源だったことをはっきりと知ることができる。

 いつもなら、この手を無言で押し除けたところだ。邪魔だ、とかなんとかいって。

 けれどエリオットはそうしなかった。それだけの気力がなかったのだ。


「……なんだ、お前まだ寝ていなかったのか」


 額から滲む汗を手で拭いながら言う。せめてもと、言葉くらいは普段通りでいようとしたが、しかしその声に覇気はない。

 かわりに疲労感が見え隠れして、誰が聞いても強がっているようにしか聞こえなかった。


「はい。あるじさまがまだ起きていらっしゃるのであれば、何かお飲み物でも、と」


 色々、聞きたいことはあるだろう。自主的に手が引っ込められたがゆえに、見えるようになった顔にははっきりと書いてある。

――どうしたのだろう、と。

 けれどエリオットが話すことはない。今も、これからも。

 それは少女に限らず、他の誰であっても同じこと。

 心配が色濃い顔でエリオットを伺う少女から、隠すことなく視線を外す。


「いい。必要ない」

「と言われましても……」


 少女の困った声とともに陶器が擦れ、触れ合う音がした。つまり、少女が飲み物を用意して戻ってきてみれば、エリオットが寝落ちていた、ということか。

 思わず苦虫を噛み潰したような顔になる。なんて迂闊だったんだろう。あの時、まだいけるなどと判断したばかりに。

 エリオットは少し前の自分を、恨まずにはいられなかった。

 けれど同時に、心のどこかで安堵している自分がいることに気づく。

 いったい、何に。何に安堵しているというのだ。

――いいや。知っている。自問自答なんてしなくても、答えはもうとっくに出ているのだから。

 ただ、認めたくないだけ。

 少女が悪夢から引き起こしてくれたことに、安堵しているということを。

 悪夢は一本のフィルムだ。最初から最後まで、ずっと見せられ続ける。見たくないというエリオットの意思に反して。

 だからこそもう二度と見たくないと願い、朝起きた時に絶望する。何もかも、やる気力ごと根こそぎ奪っていく。

 ゆえに日がな一日、なにもせずにぼうっとしているしか出来ない。

 そこでふと、気づいた。ここ最近――正確には、エリオットの前に少女が姿を現してから。以前と比べると、いたく精力的に動いていたことを。

 さらには少女が現れてからのここ数週間、悪夢を見ていなかったことに。

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