04.
少女の存在を確認してから、数日が過ぎた。エリオットの行動は何一つとして変わらない。
朝起きて、いつもの部屋に赴き、日が暮れるまで窓の外を眺める――だが。その過程に、色々と煩わしいものが増えた。いや、自ら増やしてしまったと言った方が正しいか。
「あるじさま、ご朝食の準備ができました!」
「……俺は、朝食はいらないと言ったはずだ」
いやそれ以前に、と眉間に皺を刻み付けながら言葉を続ける。
「俺は最初に言ったはずだ。俺に関わるな、存在を悟らせるな、と」
ここ数日のせいで、眉間に皺を寄せた回数は数知れず。眉間の皺が取れなくなるんじゃないかと、思わず心配してしまうほど。
だが当然少女はどこ吹く風である。むしろ無視してるといっても良い。
それでもエリオットが少女を追い出さず、この家に置いているのには一つの理由がある。
――万能なのだ。少女は。
服、絨毯、壁。エリオットがつけた三つの染みは、驚くことに次の日には消えていた。
流石に割れた窓は一日ではどうにかならなかったようだが、二日目には元通り。
専門の職人を呼んだのか、少女がしたのか。どちらかはわからない。だが他人が家を出入りした気配は感じなかったし、何事もなかった。
おまけに、料理が美味しい。いや、まともな料理を食べるのが久方ぶりなので、そう感じるだけかもしれないが。
しかしこの料理が出来る、というのはエリオットにとって大きかった。
家事全般全くと言っていいほど出来ないので、食事はハムかチーズ、生で食べられる野菜だけ。
いい加減飽きてきていたところに降って湧いた、温かで美味しい食事。どうして、手放せるというのだろう。
とはいえ、少女が少女でなければきっと追い出していたはずだ。存在を許しているのは、少女が少女であるからに他ならない。
確かに少女はエリオットが言った“関わるな、存在を悟らせるな”という二つを破る。それはもう、そんなこと言われた覚えはないぞ、と言わんばかりに。
しかし、限度はわきまえている。エリオットの沸点ぎりぎりを正しく把握し、その一線は絶対に踏み越えない。本当に近づいて欲しくない時などは、普段の自己主張する姿からは想像出来ないほど、その存在感を消す。
それでも食べるものは用意してあるし、家中綺麗に磨いてあり――だからこそ。彼女は人間ではないのだと思え、その存在を許すことが出来た。
つまるところ、エリオットは少女の存在を受け入れ始めていたというべきなのだろう。決してエリオット本人は認めやしないだろうが。
「さあ、あるじさま。折角のご飯が冷めてしまいます。温かいうちにお召し上がりいただけますと、他でもないわたしが喜びます!」
「……お前が喜んだところで、俺には何のメリットもないどころか、喜ばせたくないんだが?」
「まあそう言わず。あるじさまがやさしいのは、よく存じ上げておりますゆえに」
一切の邪気が感じられない笑顔で言われてしまえば、さしものエリオットでも動かざるを得ない。
わざとらしく息を吐き出す。それから、渋々といった様子で重たい腰を上げて、立ち上がる。
「……エインズワース、ねえ」
「どうかされましたか? あるじさま」
首と肩を回しながら、小さく呟いた。その言葉はエリオットにとって最も馴染みがあり、それでいてつい先日初めて聞いたもの。
ここ数日考え込んでみたが、どうにも分からない。その言葉の意味が、ではない。関連性が、分からないのだ。
エリオットと、少女の。
エインズワースとはエリオットの家名であり、また少女があの日、名乗った名前でもあった。
つまるところエインズワース家所有の屋敷に、エインズワースと名乗る少女が眠っていたということ――それも、明確に何らかの意図をもって隠された部屋に、だ――
おまけに、少女は直系のエリオットを“あるじさま”と呼ぶ。
少女の非人間的な部分も含めて、どうにも考えずにはいられなかった。
――本当に、少女は人間ではないのではないか、と。
あいにくと、いまのところそれらを決定付けるような証拠はない。考えにふけるだけでは、限度がある。
だが一体どこを調べれば――と思ったところで、エリオットの瞳に少女が映った。
「いいや。ただ……お前、書斎の場所は知っているか?」
「もちろんです。この屋敷の中で、わたしが知らない場所はありません!」
力強く拳で胸を叩く。どうだ、すごいだろうと言わんばかり。
色々思うことはあった。例えば、どうしてエリオットより屋敷のことを知っているのか、とか。しかしその姿を見せられてしまっては、どうしても呆れが先にきてしまう。
そんなエリオットの心情など知らぬと言わんばかりに、あ、でも、と少女は続ける。
「書斎にご案内するのは、朝食が終わってから、ですよ? 今もこうしている間に、わたし渾身の朝食が冷えていってしまっていますので……」
段々と少女の声は力がなくなっていき、項垂れていく。
今までエリオットの周りにいなかった人種であるため、珍しさはある。だが正直に言うと、こういうところはうっとおしい。
しかしそれでも、なんとなく絆されてしまうのだ。
なにせ少女は一度として言わないのだから。――お前のためにやったのだよ、と。
それがどれほどにエリオットを安心させるのか。きっと少女は知らない。これまでも、これからも。
けれどそれで良かった。知らないからこそ、安心するものもある。
仕方ない。そう言わんばかりの足取りで、いまもなお項垂れたままの少女の隣を通り過ぎた。
いくぞ、とも早くしろ、とも言わない。促すことさえしないけれど、それは知っていたから。
少女がすぐに、エリオットを追い掛けてくるだろうことを。
たった数日。されど数日。
エリオットの中に、確かなほど“エインズワース”と名乗った少女が入り込んでいる証。
「しかしお前、冷えたところで温めなおせばいいだけの話だろうに」
「ち、違うんですっ! 作りたてと温め直したのでは、ぜんぜんっ! これっぽっちも! 違うのです!」
「……すまないが。俺にはその違いが分からん」
またも少女は項垂れる。前を見ずに、真っ直ぐ歩くその姿は、器用そのもの。
下を見ているせいで無防備なつむじを、一瞥した。それからほんのわずかできまぐれとはいえ、思ったのだ。
――違いはわからないが、まあ、できるだけ作りたてを食べてやるか。と。
勿論それを口にして伝えることは、なかったけれど。