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03.

 エリオットはしばらく開いた口が塞がらず、ただ呆然としていた。現実を受け入れられなかったともいう。

 ようやく思考が戻ってきたのは、ふつふつと怒りが湧き上がってきたから。

 天蓋を掴んでいた手に、力が入る。高い布だというのに、今にも破りちぎらんばかり。

 怒りのまま叫ぼうとした。けれど出るはずだった言葉は、声とともに喉の奥でひっかかる。

 だって、その少女はまるで死体のようだと気づいてしまったから。

 きっちりと閉じられた足。お腹の上で祈るように組まれた両手。ぴったりと閉じられた両の瞼。

 息をしているのか、血が通っているのか。途端不安に襲われる。今の今まで、怒ろうとしていたのに。

 恐る恐る、といった様子で空いていた手を伸ばす。その手には未だ血がついたままであったが、もうすでに出血は止まっていた。

 指先が少女の身体に触れたが、驚くほどに冷たい。やっぱり――と嫌な予感が過ったところで、少女から慌てたように手を離す。

 かわりに、まじまじと少女を見た。これから何が起こるのかという、期待と不安が入り混じる瞳で。


「あるじさま?」


 少女は少しだけ身じろぎした後。閉じられていた瞼を、ゆっくりと持ち上げた。目を瞬かせ、それからわずかに顔を横に向ける。

 エリオットと少女の視線が交わった。薄暗いせいで瞳の色は、はっきりと認識できない。

 ただ。どうしようもなく、その瞳に吸い込まれそうだと思った。

 純粋に、ただひたむきに。エリオットだけしか映さない、その瞳に。

 けれど、いつまでもその瞳に囚われてはいられなかった。

 静かな空間を裂くように、発せられた音。その声は当然、エリオットのものではない。

 やわらかく、やさしく、心を落ち着かせるような声。甲高くもなく、かといって低すぎもしない。エリオットにとっては、ちょうど良い聞き心地。

 だから、うっかりと聞き逃すところだった。少女が、なんといったのか。


「主人様、だって? 誰が、誰の?」


 何度か目を瞬かせてから、疑うような声色で聞き返す。

 その質問に、少女はわずかに戸惑うような様子を見せる。


「あるじさまが」


 と、小さな声で言った。


「あるじさまは、あるじさまではないのですか?」


 それから少しの間をあけて、震える声で紡がれた言葉。

 どうにもそれは、縋り付かれているような印象を受けた。

 不安で揺れる瞳が、その印象を際立たせているのかもしれない。

 エリオットは一瞬言葉に詰まる。ばっさりと切り捨ててしまうことに、なぜだか罪悪感を抱いてしまったのだ。

 しかし、答えは決まりきっている。


「俺は、あんたの主人様とやらじゃない。この屋敷の持ち主ではあるが」


 肺に取り込んだ空気を吐き出すのと同じ時に、言葉も吐き出した。いつもより声が低く、語調が強い。


「それで。あんたは人の家で何をしているんだ」


 困惑している少女に対して、こんな風に畳み掛けるなんて大人気ないと思う。気遣いの一つや二つ、普通ならするはずだ。けれどエリオットが、特にさっきの今でそんな気遣いが出来るわけもなく。

 むしろ睨みつけなかっただけ良いだろうと結論付ける。なにせエリオットの目つきは、生まれつき悪いのだ。

 睨みつけてしまえば、さながら極悪人。配慮した方だと言われてしまえば、納得せざるを得ない。

 そんな生まれつき悪い目つきのまま、エリオットは少女の動向を観察する。困惑は抜けきらないが、怯えているような様子はなかった。


「でも、あるじさまは、あるじさまなのです」


 少女はぎゅっと胸元で両の手を握り締める。

 祈るような姿に、崇拝の色が見え隠れする瞳。

 背筋を、何か良くないものが撫でた。掌にじんわりと汗が滲む。掴んでいた天蓋が少し、湿る。

 息が、苦しい。


「……お前が、俺を誰と重ねているのかは知らない。だから、だからこそ――」


 続くはずだった言葉は、他の誰でもないエリオットの心を抉った。そのせいで言葉は音にならず、喉に引っかかってエリオットを苦しめる。


「はやく此処から去れ。必要なら、馬車は呼んでやる」


 詰まった言葉を外に出すように、息を吐いてから。掴んでいた天蓋から手を離し、少女に背中を向けてエリオットは言った。馬車を呼ぶ、と言ったのはせめてもの情けか。

 絨毯を介しても靴音が響くくらい、力強く床を蹴る。

 いや、蹴ろうとした。けれど足を上げた状態で、エリオットの行動は止まってしまう。


「……何をしている」


 それもこれも、少女がエリオットの手を握ったからだ。怪訝さを隠そうともせず、少女を見る。

 今度は睨みつけるような形になったが、少女に怯えた様子も、気にした様子はない。


「わたしのあるじさまは、あるじさまだけなのです。ですから」


 どこにもいきません。

 続いたその言葉にエリオットは目眩がした。それは余りにも盲目的であったからか、それとも話の通じなさにか――多分、そのどちらもだろうが。

 頭痛がするとでも言いたげに、こめかみを押さえる。


「俺は、お前の主人様じゃない」

「いいえ。わたしのあるじさまは、あるじさまなのです」


 駄目だ。本格的に頭痛が止まらない。米神を押さえる指に、一層力が入っていく。

 このやり取りは二度目だ。ということはつまり、三度目、四度目と重ねても同じやり取りしか出来ないだろう。予想は簡単に出来る。

 ならば、無理矢理追い出すしかない。しかし頭では分かっていても、そうすることに躊躇してしまう。

 多少危険なことをしてでもステラは追い出した。だから躊躇すること自体間違っている。

 けれど、違うのだ。少女とステラとでは。決定的に。

 だってそうだろう。少女は――少女はなにもしていない。

 話の通じなさは一種の恐怖を抱く。だが、それだけだ。エリオットに対しての実害は、今のところないのである。

 それに、とエリオットは親指と人差し指、中指を擦り合わせた。指先には未だ冷たさが残っているような気がしてしまう。

 少女は生きている。今まさにエリオットの目の前で動き、話しているのだから間違いはない。

 けれどどうしたって、嫌な予感が拭えないのだ。少女が動いている今が幻想ではないか。あるいは、外に出してしまえばそのまま――と。


「お前は、なんだ。人間か? 人形か? それとも、幽霊だとでもいうか」


 少女を睨みつけながら、問うた。

 一体それを聞いて、どうしたいというのだろう。人間なら追い出し、それ以外であればここに居ることを容認するとでも言うつもりか。

 エリオット自身にも、よく分からなかった。どうしてこんな質問をしたのかなんて。

 当然少女にも分かるまい。その証拠に、不思議そうに目を瞬かせている。

 我に返り、なんでもないと言おうと口を開こうとして。


「お好きなように。あるじさまの、お好きなようにお考えください」


 けれどエリオットが言葉を紡ぐより先に、少女から言葉が紡がれる。

 答えとしては不適切だろう。なにせ判断はエリオットに委ねる、と言っているのと同義で答えになっていないのだから。

 だが不思議とエリオットは悪くない、と思った。人間でないのなら、何かあった時に追い出すのに罪悪感も湧かない。

 いや、今すぐ追い出したって、良いはずだ。けれど最初にその選択肢が出てこなかった段階で、エリオットの次の言葉は決まっているようなものだった。


「いいだろう。お前をこの家に置いてやる。ただし――俺には、関わるな。俺に存在を悟らせるな。分かったな」

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