81:自称勇者
自分を神から啓示を受けた勇者であると名乗ったタチバナ・ユウヤと対面した春人とアリシアは二人だけの時間を邪魔されたことでこの男に憤りを感じていた。特にアリシアの方は何か大切な事を言おうとした矢先に邪魔されたのだから春人以上に怒りを感じていた。
「で? その自称勇者サマとやらが一体俺に何の用だ?」
春人はタチバナを睨みつけたままドスの効いた声で何の用かと訊ねた。
「ちょっとアンタ! ウチの旦那サマに向かってその口の利き方は何なのにゃ! 旦那サマに失礼にゃ!」
するとタチバナという男が答えるよりも先に取り巻きだろう猫耳少女の方が咬みついてきた。その様子は猫が威嚇している時にそっくりである。そしてそれに反論したのは驚いたことにアリシアの方だった。
「失礼なのはそっちでしょ! 人の大事な時間をいきなり割って入って邪魔をして! それにそこの貴方! 自分の連れならしっかり相手に非礼を働かないよう教育しなきゃダメでしょ!」
春人に咬みついてきた猫耳少女にアリシアは珍しく大声を出して怒鳴った。アリシアは猫耳少女だけじゃなくその主であろうタチバナにも怒鳴った。それは彼等に春人との二人っきりの時間を邪魔されたからなのか、それとも何か大切な事を言おうとした事を邪魔されたからなのかその理由は彼女以外には分からない。
「そう言う事だ。今俺はこの娘とバカンスを満喫しているところだ。これ以上邪魔されては敵わん。お引き取り頂こうか?」
春人は自身の内に湧き出る怒りを抑えながらなるべく穏便に済まそうと彼等に引き取ってもらうようお願いした。
「それは出来ない相談だ。僕は君の噂話を耳にして街からはるばるここまで来たんだ。どうやら君は相当な腕の持ち主だそうだね? どうだい? 僕と一緒に世界を救うための旅に出ないかい? 僕は君をスカウトしに来たんだ。よかったらそっちのケモ耳のお嬢さんも一緒にどうだい? もっともそっちのお嬢さんにはぜひとも僕のハーレムの一員に加わって欲しいところだけど……」
この男は言うに事欠いて春人を仲間に加えたいというだけでなく、アリシアを自分のハーレムの一員に加えたいと言ったのだ。流石にこれは聞き流せるはずもなく春人は今まで抑えてきた怒りを一気に解放した。
「どこでどんな噂を聞いたか知らないが、俺はキサマの仲間になる気は毛ほどもない。それにウチのアリシアを自分のハーレムに加えたいだぁ? 人の女を奪おうとはいい度胸してるじゃねぇか。コイツは俺のもんだ。他の誰かに譲るつもりもやるつもりも無い。アリシア、悪いが少し後ろに下がっていな。ここは危なくなるから」
コイツは俺の女だと春人が言った途端アリシアは急に顔を赤らめて下を向いてしまったが春人の後ろに立っていた為春人がそれに気づくことは無かった。春人にここは危なくなるからと言われアリシアは大人しく言う事を聞き、少し離れた所に避難した。
今の春人は完全に頭に血が上っている。そんな事も分からずにこの自称勇者と名乗る男タチバナはまたも春人に喧嘩を売るような言葉を発した。
「そっちがその気じゃないのなら僕は力ずくでも君を仲間にしてみせよう。そして君が僕の仲間になった暁にはそのお嬢さんにも僕のハーレムの一員に加わってもらおう。さあ、決闘だ! 僕に君の力を見せてくれ!」
命知らずにも彼は腰にぶら下げている鞘に装飾がされている西洋剣を抜くとその切っ先を春人に向けてきた。春人の事を少しでも知っていればこんな行動は絶対にしなかっただろうが、残念なことにこの自称勇者タチバナは何一つ春人の事を知らない。
その行動が春人の内で何かが切れた。
「いいだろう命知らずの自称勇者よ! お前が力ずくで俺達をモノにしたいというのであれば相手をしてやろう!」
春人はMTを使い、今までの海パン姿から野戦服姿へと一気に変わった。その両手には黒鉄色と白銀に輝く二対の大型の拳銃が握られている。その大型拳銃はデザートイーグルという、元の世界ではそこそこ有名な中二病患者御用達の大型である。
「おぉ! それはデザートイーグルじゃないか! 僕もそれは好きだ。大好きだ! という事は君も僕と同じで――」
春人がデザートイーグルを取り出すと勇者タチバナは興奮した様子で何か叫んでるが、春人はそれら一切全てを無視していた。それでも喧しいタチバナの叫び声は嫌でも春人の耳に入ってきてしまう。
「煩い、喧しい、黙れ。ピーピー騒ぐな迷惑だ」
淡々とそう言いながらデザートイーグルのスライドを動かし初弾を装填すると、その銃口の先を自称勇者タチバナの方へと向けた。
「おい……ちょっと……それをどうする気だ……?」
今だ握っている剣の切っ先を春人に向けたまま狼狽え始めた。
「どうする気だぁ? そんなの一つに決まっているだろ? さあ歌え踊れ自称勇者よ! その無様な姿を俺に見せてくれ!」
まるで悪役が吐くようなセリフを吐きながら春人はタチバナの足元へ、弾が当たらないように細心の注意をしながら何度も何度も撃ち込んだ。
ドカンドカンと他のどの拳銃よりも大きくそして重い音が何度も砂浜に響く。
タチバナは自分の足元に弾が着弾する度に片足ずつ上げて避けようと努力している。勿論そう動くだろうと春人は既に予測済みで、それを踏まえて射撃している。避けながらもタチバナは「ちょっと、待て、止めてくれ」と何度も連呼していたが春人はそれに一切耳を貸さなかった。
「さあさあ、さっきまでの威勢はどうした!? 俺に挑むんじゃなかったのか? ほら来いよ。さあ、ハリー、ハリー!」
この姿は誰から見ても悪人そのものである。この姿を見てアリシアは少々引いている。「ハルトさんはどこの物語に登場する悪役なのよ」とアリシアは引きながらそう思っていたそうだ。
そうこうしている間に両手のデザートイーグルの残弾が尽き、銃声が止んだ。
「お……終わり……か?」
「そんな訳あるか愚か者が。勇者だと言うのなら勇者らしく挑んでたらどうだ? 勇者の名が泣くぞ?」
ことも有ろうに春人は更にタチバナを煽る。だが今は両手のデザートイーグルは残弾ゼロ。これを転機と思ったタチバナは勝機を感じ、果敢に春人に挑んできた。もしここで彼が挑んでこなければ春人はすぐさま両手のデザートイーグルをリロードし、再度撃つつもりでいた。
「う、うおぉぉぉぉぉぉっ!」
「そうだ、それでいい。だがな……お前の剣は俺には届かない」
もう少しで剣の間合いに入る寸でのところで春人は予想外の行動に出た。両手に持っていたデザートイーグルの片方をあろうことか果敢に挑んできたタチバナに投げつけたのだ。それも顔面目掛けて。
「え?」
反応したのもつかの間、避けようと思ったところで時既に遅かった。顔面目掛けて飛んできたデザートイーグルは見事にタチバナの顔面へと命中した。それはそれはとても痛そうな光景だった。重量ある金属の塊が顔面へと当たったのだから仕方がないだろう。
タチバナは握っていた剣を手放すと空いた両手で顔を押さえていた。その押さえた掌の隙間から血が流れ落ちていくのが見える。きっと額かどこかを切ったのだろう。
「キサマっ! 卑怯だぞ! 正々堂々と戦えないのか!?」
この自称勇者の取り巻きだろうさっきの猫耳少女とは別のラフな格好をした女性が遠くから叫んでいる。それにいちいち反応するまでも無く春人はタチバナが手から離した剣を拾い上げていた。
「随分とあいつ等に好かれているのだなお前は。自分の女の前でいい恰好をしたかったのか? だとしたら残念だったな。見せられたのはお前が負ける無様な格好だ」
「くっ……卑怯だぞ。それにその剣は僕のだ。返せ……」
「お前も卑怯だと言うか。戦いに卑怯もクソもない。有るのは殺すか殺されるかだけだ。使える物は何でも使え。それと一度自分の手から離れた武器はもう二度と使えないものと思え」
顔を抑える手の隙間から春人を睨みつけているタチバナ相手に春人は説教を始めた。そしてあろうことか拾い上げたその剣を海へと思いきり放り投げてしまった。
「あぁ……僕のっ! 僕の聖剣エクスカリバーがぁっ!」
春人が放り投げた剣が波に飲まれると同時にタチバナはデザートイーグルを投げつけられて出来た傷を無視して一目散に海へと走っていった。自分の剣を回収するために。
そうしている間に春人はアリシアの元へ下がっていった。
「待たせたな。そろそろ伯爵の屋敷に帰るぞ、アリシア」
「ええ。でもあの人放っておいていいんですか?」
「構わんさ。勝手にあっちが仕掛けて来たから少し手合わせをしてやっただけだ。その結果が自分の未熟さと覚悟の無さ故のアレだ。それに人の女に手を出そうとしたんだ。多少痛い目にあわないと学習しないだろう」
「そうなんですね……。ハルトさんの事だからてっきりあの人をさくっと殺しちゃうのかと思いました」
「俺をその辺の殺人鬼か何かと勘違いしていないか? まあ殺すのは簡単だが、あれはそこまでの価値がない相手だ。それに俺はむやみやたらに誰これ構わず殺す訳じゃないからな。その辺は勘違いしないでくれよ?」
「勘違いはしてないですよ! ただハルトさんさっき凄く怒っていたから……」
「そりゃあ起こるのは当たり前だ。もし俺が他の誰かに取られそうになったらアリシアだって怒るだろ?」
「まぁ……それはそうですけど……」
「つまりはそう言う事だ」
なんだか春人に上手く言いくるめられているように感じたアリシアだった。そう話しているうちにサンジェルミ伯爵の屋敷から借りてきたパラソルやビーチチェアの片づけが終わり、春人はそれを両手に抱えてアリシアと一緒にサンジェルミ伯爵の屋敷へと帰ろうとしていた。
「そう言えばあの人は何だったんです? 話を横で聞いているとハルトさんと同郷のようにも聞こえたんですが?」
「たぶん俺と同郷だろうが、あれは俺の知り合いでも何でもない」
「そうなんですね。でも変な人でしたね」
「あぁそうだな。きっと危ない薬か何かでもキメて頭が星の海の彼方にでも飛んで行ってしまったんだろう。可哀想にな」
春人がそう言うとアリシアはふと先程の自称勇者、タチバナの方へと目を向けた。その視線はどこか凄く残念な人を見るような目だった。そしてその視線の先に居るのは鎧を纏ったまま自分の剣を探すタチバナとその取り巻きの女の子たちがいた。それらをよそに春人とアリシアは砂浜を後にした。
余談だが、これから約一時間後にタチバナ達は何とか海へ投げ込まれた剣を回収することが出来たそうだ。そして春人へ再戦することを固く決意したそうだ。
それから数時間後、サンジェルミ伯爵の屋敷内、夕食時にて……
「あぁそうだ。伯爵、昼間自分を勇者だとか言ってる奴と出くわしたんだが」
春人は唐突に昼間の出来事を話し始めた。
「ん? あぁあの男のことね。知ってるわよ、自称勇者の痛い奴。名前は確か……」
「タチバナ……だったか。確かそんな名前でしたね」
「そうそう思い出した。タチバナ・ユウヤね。正義感に駆られてアナタ達にちょっかいを出したんでしょ? だいたい想像つくわ。で、アナタは彼をどう見た?」
「どうもなにも未熟な技術に中途半端な覚悟。そして何よりとても痛くて残念な奴。後は人の女に手を出そうとした下郎。あんなのが同郷出身だと考えるととても思いやられる」
「もしかして殺したの?」
「まさか。あんな奴殺す価値もない。まあ多少手合わせをして少々きつめの教育的指導はしたが……」
春人は昼間の出来事を思い出しながらサンジェルミ伯爵に告げた。
「出来れば二度と会いたくはないな。アイツに絡まれると色々とめんどくさい」
そして春人は二度とタチバナと顔を合わせたくないと言った。理由は面倒くさい、というとても単純な理由だった。
「まあその気持ちは同感ね。ワタシも前に会った事はあるけど、出来ればワタシももう会いたくもないし関わりたくもないわね」
サンジェルミ伯爵も春人と同じで自称勇者のタチバナとは関わりたくないと言っていた。だが悲しいことにそういう相手ほど近い将来すぐに再会してしまうだろう。
二人はこの事に少々頭を悩ませていた。




