31:英雄の帰還 2
部屋に入ってきて早々、驚愕の声を出したアリシアに対して春人は少しだけ申し訳なさそうな顔をしながら部屋の中に迎え入れた。
「ただいまアリシア。ゴメン、心配かけたね」
それを聞いたアリシアは怒っているのか、泣きそうなのか分からない複雑な表情をしながら春人に詰め寄った。
「何が心配かけたね、よ! 私がどれだけ心配したと思っているのよ! あれから父様に助けてもらってからハルトさんを助けに一緒に行ったらハルトさんは右目から血を流しながら立ったまま気を失っているし、辺りには敵の兵士の死体の山だし、もう何が何だか私には分からないわよ! 無事に帰って来るって約束したのにハルトさんは……」
アリシアはそう叫びながらいつの間にか春人の両肩を掴んでいた。強化外骨格越しに掴んでいるせいかアリシアは春人の体温を感じることは無く、その冷たい装甲の感触しか伝わらない。
それに対して春人は謝罪するだけだった。
「本当にゴメン……」
「みんな死んじゃって、ハルトさんも大怪我を負ってそれから今までずっと目を覚まさなくて……もしそのままハルトさんも死んじゃったら私……」
そこから先はアリシアの小さくすすり泣く声だけが室内に響き、春人はそんなアリシアの頭を撫でた。
それから少ししてアリシアも落ち着いた頃に先に静寂を破ったのはハインツだった。
「私の知らないところで随分と二人は仲良くなったようだね」
ハインツの表情はなんとも言い難い、複雑な表情をしていた。ただ眉間に皺が寄って、青筋を立てていることからあまりいい感情を持っているとは思えない。
「いや、ハインツさん、これはその……違うんです! 落ち着いてください!」
目は笑っているが明らかに怒りの感情を持っているハインツに対して春人は狼狽える。
「私はいつでも落ち着いているさ。なに、ハルト君にはこうなった経緯を説明してもらえればそれで満足だよ」
今にでも腰に下げている剣を抜きそうな勢いで春人を問い詰める。
そんな春人を救うかのようないいタイミングでドアが開き、そこから妙齢の女性の声がした。
「そこまでにしておき、ハインツ坊よ」
現れたのは頭部をすっぽり覆う大きなフードを被り、全身をローブで覆っている魔術師風の格好の人物だった。彼女は身の丈ほどもある大きな杖を手にしている。
ハインツを坊と呼ぶあたり、その声よりも実年齢はずっと高いのだろう。
「ベアトリスさん、止めないでください」
自分を止めないでくれと言ったハインツに対し、ベアトリスと呼ばれたこの女性はため息交じりに言葉を返す。
「はあ……まったくお前は娘の事になると周りが見えなくなるのは昔から変わらんね。いい加減に娘離れしたらどうだい? その娘もいい歳なんだし……さて、そこを通してもらうよ」
ハインツをたしなめつつ、その手に持っているその杖でハインツを脇にどかし、ベアトリスはベッドに腰かけている春人の目の前に立った。
「ようやく目が覚めたようだね。体の調子はどうだい?」
「ええ、この右目以外はなんともないです。それと貴女は?」
春人は自身の閉じた右目を指さしながら答える。その右目は先の戦闘で抉られ、喪失したためもう二度と光を見ることは出来ない。
「おっと自己紹介が遅れたね、私はベアトリス、ベアトリス・エインズワースという一介の魔術師だ。ベアトリスと呼んでくれ。君の治癒を行ったのは私だが、もう起き上がれるとはね……驚いたよ。君も知っていると思うが、右目の破裂に肋骨が数本折れていた。動けるようになるまでもう少し時間が掛かると思ったのだが驚異的な再生能力を持っているね君は。そうだ、まだ君の名前を聞いていなかったね。君の名は?」
このベアトリスと名乗った女性に春人も挨拶を返す。
「俺は船坂春人……いや、こっちではハルト・フナサカと言った方がいいかな。俺の治療を行ってくれたことに感謝します。たぶん動けるようになったのは俺が持っている治療薬を使ったからだと思います。それを使うまでは激痛が酷かったですから。それと、やはりこの目は治せないんですか?」
もう一度春人は自身の右目を指さして治らないかと訊ねる。元に戻る可能性が少しでも有るのならそれにかけてみたかった。
だがベアトリスは首を横に振って答えた。
「すまない、私でも破裂して失った目までは治せない。それにしても……あれだけの傷を一瞬で治せる薬が有るとはね……私も長い間生きてきたが、初めて聞いたよ。私もまだまだ修行が足りないね」
やはりそれだけは治せない様だ。医療用ナノマシンで治せなかったから魔法に頼ろうとしたが、ここまで損傷が激しいと魔法でもどうにも出来ないらしい。
それと春人の右目以外の傷を治した治療薬が異世界のゲーム由来のナノマシンだとは口が裂けても言えない春人だった。
「さてと、私がここに来たのはそこのハインツ坊に用が有ったからだ。彼の見舞いに行くと他の者に聞いて来てみればこれだ。これからウルブス防衛についての会議が始まるのだからほれ、行くぞ!」
そう言ってベアトリスはハインツの首根っこを掴んで部屋の外に連れ出そうとしていた。
「ちょっと待ってください! 俺ももうそんな歳じゃないですよ!」
それにハインツも必死に抵抗していた。この光景を見るとどちらが上下関係で上かが一目で分かる。
「それとハインツ坊よ、あまり娘の恋路を邪魔するのは感心しないぞ?」
ベアトリスがハインツの耳に向かって二人に聞こえないよう小声で話す。
「うっ!」
そう言われるとぐうの音も出ないハインツだった。
そしてハインツとベアトリスの二人が部屋から出る寸前にハインツは足を止めて春人に話しかける。
「そうだ、ハルト君。これを伝えるのを忘れてた。村から生き延びた者達で今日、街の共同墓地で葬儀を行っている。君も動けるなら顔を出してあげてくれ。彼等からもそう頼まれている。それとその後に兵団で行うこの街の防衛についての会議に出席してくれると助かる」
「ほれ、要件は済んだか? もう行くぞ。開始まであまり時間が無いのだからな」
今度こそ二人は部屋を後にした。
それから室内には強化外骨格を纏ったままの春人と、それにしがみついているアリシアだけが残った。
「なんだか色々と凄い人だったな……それとアリシアいつまで俺にしがみついているんだい? そろそろ離れてくれないか?」
春人がハインツやベアトリスと会話している間、ずっとアリシアは春人にしがみついて離れようとはしなかった。
「イヤッ! そう言ってハルトさんはまたどこかに行く気でしょう! そんなの私はイヤだ!」
春人の顔をしっかりと見てアリシアは叫んだ。その目元は赤く染まっていた。
「ねえお願い……聞いて。今なら言えそうな気がするの。ハルトさん聞いて、私の思いを……」
それからアリシアは自分の思いを、春人に対して今まで言いたかったことの全てを春人にぶつける。




