01:ようこそ異世界へ
「うぅ~超痛ぇ」
どうやら落ちた衝撃で気絶していたようだ。倒れた体をゆっくり起こしながら体に異常がないか確認する。本来あの高さから落ちれば即ゲームオーバーしていてもいいのに、まだ意識がある。
「ん? CFに痛覚の設定ははずだぞ。それにここは一体どこだ?」
ついさっきまでは山岳部に居たのに、今は深い森の中にいる。急に他のマップに転送されるなんて話は今まで聞いたことがない。MTでマップを見てみるがエラーと表示されるだけで位置情報が確認出来ない。
「おいおい、ゲームの中で迷子とか洒落にならねえぞ。」
今までプレイヤーの間で他のマップに飛ばされたという噂話は聞いたことがない。
状況が分からないから一旦ログアウトしよう。そう考えMTを起動してメニューリストを表示した。しかし、そこに本来表示されるべき項目が消えていた。そこにあるのは武器、弾薬そして各種消耗品が収納されているアイテムリストとショップの2つ、それと今まで貯めてきたBP――バトルポイントだけが表示されている。だが、ショップの文字には赤く横線が引かれていて、その下に「現在使用できません」と書かれていた。実質今使えるのはアイテムリストだけになる。
「気づいたら知らない場所にいて、マップは使えない。ゲームで再現されていない筈の痛みを感じる。それにログアウトも出来ないとか。これじゃまるで漫画や小説で最近よく見る異世界転移ものみたいじゃないか」
だが完全に異世界に転移した確証がない。森を出れば何か分かるだろう。そしてこの森を出るべく歩き始める。
数時間ほどさ迷っているが未だに森を出れないでいる。それに日が沈んできているようで、段々暗くなってくる。夜道を進むのは得策ではない。
「仕方ない。今日はここで野宿か」
マップさえ使えればこんな森すぐにでも抜け出せたかもしれないが、無い物ねだりをしても始まらない。そんなことを考えながらMTのアイテムリストからサイリウムを数本取り出す。本当なら薪を集めて焚き火を起こすところだが、面倒なのでやらない。
サイリウムの光を見ながらぼーっと座っていたが、突如腹の虫が鳴った。
「腹へったなあ。空腹感まで有るとか完全に異世界に飛ばされてるみたいだな」
などと呟きながらアイテムリストからレーションと飲み水を選択する。すると、目の前に何もない空間からレーションとペットボトルに入った水が現れた。ゲーム中では見慣れた光景だが、何もない空間にアイテムが現れるのは未だに慣れない。
「今回はロシア軍のか」
今晩のメニューはクラッカー数枚にリンゴジャム、それと牛肉の塩茹での缶詰だ。飲み物で粉末状の紅茶が付いてくる。
何でFPSの世界にレーションが有ったかというと、世界中の軍隊の戦闘糧食を知ってもらいという開発陣営の考えらしい。もっともCFの世界では食事は必要なく、戦闘で消費したスタミナを回復するための消費アイテムであった。ちなみにどの国のレーションが出るかは毎回ランダムで決まる。
CFのプレイヤーの間でどの国の戦闘糧食が美味いかという議論が何度も行われてきた。その度に一番マズイと槍玉に上げられるのがアメリカ軍のMREレーションである。
量が少ない事もあってかすぐに食べ終え、空になった容器は光の粒子を出しながら消えてしまう。そして一度アイテムリストを開きタバコを取り出す。個人的に食後の一服は欠かせない。戦場にタバコは付き物だと俺は思う。それが例えゲームという偽物の戦場でも……
タバコを1本咥えマッチで火を着ける。ゆっくり煙を吸い込み、そして吐き出す。ゆっくりと頭にニコチンが巡り、周りの時間が遅く感じる。夜空を見上げれば無数の星が輝いている。夜空が綺麗なのはどこの世界でも変わらない。
「本当にここは異世界なのかもな」
タバコを咥えながらそう呟く。咥えていたタバコもフィルターギリギリまで差し掛かり、地面に先端を押し付けて火を消し吸い殻を指で弾き飛ばした。飛んでいった吸い殻も地面に落ちる前に消えてしまう。
これからどうするか考えながら長い夜は更けていく。
辺りが微かに明るくなり、遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。いつの間にか寝てしまっていたようだ。足下には昨晩着けたサイリウムが徐々に光を弱らせ今にでも消えそうになっている。
「ヤバイな。完全に寝ちまった」
寝込みを襲われたら目も当てられない。だが今回は何も起きなかったから良しとしよう。
大きな欠伸をしながら立ち上がり、軽く体を伸ばす。そして朝食を摂るためにレーションを取り出す。今回は自衛隊の缶飯とたくあんが出てきた。
「ついでに味噌汁があれば最高なんだけどな」
それでも朝食で白米が食べられるだけでもまだましだ。他の国のレーションが出てくるよりは断然いい。正直、米が食べられるのが少し嬉しかったりする。
さっさと食べ終え、またすぐに出発する。今日こそは誰かと会いたいと思いながら……
幾らも歩かずに街道らしき場所に出てきた。森の中で通った獣道と違い明かに人の手が加えられた道だ。この道を左右どっちかに進めばきっと人里に出られる筈だ。
だがどちらに進めば良いのか分からない。こういう時は感に頼ろう。
「……よし、右だ」
そして向かって右の方角へ足を進めた。
幾らか歩いていくと少し先の方に馬車と数人の人影が見える。
やっと人と会える。ようやくこの森から出られる。そう思っていると、自然と足が速くなる。
しかし近づくにつれ、何だか違和感を感じる。やり取りの一部始終が分かる位置まで気づかれないよう慎重に近づき、森の中に隠れる。
「オイ爺さん! ケガしたくなけりゃ積み荷を全部置いてきな」
一人の男が短剣をちらつかせながら、馬車の行く手を阻む。
「ひぃぃ!」
「オラッ! さっさとしろよっ!」
馬車の主であろう初老の男性が乱暴に馬車から引きずり下ろされる。誰がどう見ても盗賊に襲われている。
これは面倒なことになった。道を訪ねようとして近づいていったら、その先で物取りの真っ最中だからだ。だからといってこのまま見過ごす訳にはいかない。どうしたものかと考えてると、
「積み荷は全部差し上げますので、ど、どうかこの老い先短い老人だけは見逃してください」
あの老人が見逃してもらえるよう地面に額を付けながら懇願している。あのままでは確実に殺されるだろう。せっかく見つけたのに殺されては困る。――助けなければ
「あ? なんだテメー。こっちは今取り込み中なんだ、通りたきゃ通行料として有り金全部置いてきな」
こちらが姿を表したことに気づいた一人がガンを飛ばしながら近づいてくる。他の連中を見ると顔をニヤつかせている。つくづく下衆な連中だ。見ているだけで気分が悪くなる。
無言で腰のベルトに吊るしているホルスターに手を伸ばす。連中は俺が無抵抗で金を差し出すと思っているらしく、手を伸ばしてきた。
ホルスターから拳銃を抜き出し、スライドを動かし初弾を装填する。そのまま手前の男の足に向かって発砲。
――バンッ!
乾いた発砲音が響く。こんな奴等に89式を使う必要はない。それにこんな近くでは長くて取り回しに困る。
「あぁぁー! 痛ぇーよー!」
大の男が悲鳴を上げながら転げ回っている。撃たれた所からは鮮血が流れ出ている。
「テメーこいつに何しやがった!」
他の連中が各々ナイフや剣を抜きながら襲いかかってくる。
ほらやっぱり面倒なことになった、と思いながら襲いかかる敵を無力化するべく発砲を続ける。
やがてその場で動ける者はいなくなった。盗賊連中は皆うめき声を上げながら地面に倒れ伏している。致命傷にならない部分を狙って撃ったのはせめてもの情けである。それでも運悪く死ぬ奴が出ても知ったことではない。
そんな中で大きく深呼吸をし、叫ぶ。
「盗賊どもよく聞け! 生かしておいたのは俺の情けだ。死にたくなければさっさと失せろ!」
ふと我に帰った彼らは、仲間に肩を貸したり、傷口を庇いながらノロノロとうめき声を上げながら歩き去っていく。そして残ったのは馬車の主の老人だけだった。
拳銃をホルスターに戻し、老人の方へ目を向ける。彼の顔にはまだ恐怖が残っているように見える。
「さて、ご老人。私の言葉が分かりますか? 怪我はないですか?」
「はっはい! 分かります。怪我もないです。積み荷は差し上げますので、この老い先短い老人を見逃してください!」
良かった。少なくとも言葉は通じるようだ。
優しく丁寧に話し掛けるも老人の声が震えている。俺がまた別の物取りだと勘違いしているようだ。まずは誤解を解くとこから始めよう。これは骨が折れそうだな。
「いやぁー本当に申し訳ない。命の恩人をあんな薄汚い盗人どもと勘違いするなんて」
今、彼の馬車に乗せて貰っている。盗賊では無いことと町へ行きたいことを懇切丁寧に説明したら納得してくれた。
「そう言えばまだ恩人の貴方様のお名前をお聞きしていませんでしたね。私はハロルドと言います。この先のウルブスという町でしがない商人をしております」
彼ハロルドは丁寧に挨拶をしてくれた。こちらも挨拶をしなければ失礼に当たってしまう。
「こちらこそ自己紹介をしていませんでしたね。私は船坂春人と言います」
「フナサカハルトさんですね……珍しいお名前のようですがどちらからおいでに?」
なんだか名前を勘違いされてるような気がするけど、気のせいだろう。
「どちらからと言われても……気がついたらあの森の中に居たんですよね」
ゲーム中に崖から落ちて、気づけばあの場所に居たと言ってもたぶん信じてもらえないだろう。
「へぇ不思議なこともあるんですね。それにしてもフナサカハルトさんの珍しい黒い髪に黒い瞳、まるで遥か東の民族の方々と似ていますね。私もその民族の方の特徴を聞いたことが有るだけで、実際に会ったことは無いんですけど」
やはり名前を勘違いされていた。それにゲーム中のアバターは黒髪黒眼ではなかったはずだ。見た目に関しては後で確認しておこう。
「何だか勘違いされてるようですが、船坂は姓で春人が名なんですよ。春人と呼んで頂ければ大丈夫です」
間違いは早めに正しておいた方がいい。
「度々の失礼本当に申し訳ないです。人の名を間違えるなど商人失格です」
「いえ、気にしないで下さい。間違いは誰にでもあります。それにちゃんと説明しなかった私にも落ち度はありますから」
申し訳なさそうにしているハロルドをフォローするようになだめる。多少のことで叱責つもりは毛頭ない。
「そう言ってもらえると助かります。そう言えば姓が名前の前に来るんですね。遥か東の民族も姓が名前の前に来ると聞いたことがあります。この辺りでは名前の後に姓が来るんですよ。ハルトさんの場合ハルト=フナサカになりますね」
成る程。元の世界での海外の名前と同じ法則な訳だ。それにしても遥か東の民族とは何だろう? 特徴を聞いた感じだと日本と変わらない気がする。
「そう言えば、ハロルドさんには姓は無いんですか?」
俺はちょっとした疑問をぶつけてみる。
「いえいえ、私はそんな高貴な人間ではないですよ。姓を名乗れるのは一部の金持ちと貴族の方だけですからね」
その辺は中世のヨーロッパみたいだな。などと、この世界について色々考えているとハロルドから矢継ぎ早に質問が飛んできた。
「ところでハルトさん、貴方が先程使われていた武器は何なんですか? 見たところ魔法の類いでは無いようでしたけど、あれはどういった原理で動いているんですか?あと、貴方の着ている森の一部を切り取った様な模様の服と、一体何で出来ているのか検討もつかないその黒い鎧も気になります」
まるで初めて見るものに興奮する子供のようだ。そんなことを思いながら自分の武器「銃」それと迷彩服、タクティカルベストについて自分の知っている限りを説明をしていく。
そんな会話をダラダラしながら馬車は森を抜けようとしている。
「そろそろ森を抜けますね。ここを抜ければ私達の住むウルブスの町が見えてきます」
森を抜けると目の前に巨大な城壁が聳え立っている。高さもざっと見ても3、40メートル位はあるだろうか。
「さぁ、この壁の先がウルブスの町です」
そう自信に満ち溢れたハロルドの紹介を余所に、本当に異世界に来たんだと確信したハルトであった。