第6話
随所で使われるネタですが、真面目にやってみようと思います。
「気をつけえ!」
候補生たちが「気をつけ」と「休め」の練習をし終え、またしばらく待機していたところ、部屋に大きな声が響き渡る。
声がした方を見れば、数人の男女が立って並んでいた。
初めて見る男性が1人先頭に立ち、その後ろに男女数人が横一列で並んでいる。
最初と変わらず全員が揃いの服を着て、背筋をしっかりと伸ばして立っている。
自衛隊でいう「不動の姿勢」だ。
ただし、自衛隊と違って手は握りこぶしの形ではなく、指を伸ばして揃えている。
「どうした?「気をつけ」だ!教えてもらった通りの動作をしろ!」
男性が声を張り上げて指示を出すと、候補生たちは慌てて立ち上がる。
ほとんど寝ていないため、眠気が強いのか全般的に候補生たちの反応は鈍い。
とはいえ、今にも寝そうなほどふらついている者はいない。
大きな声で呼ばれて立ち上がったこともあり、多少は眠気が緩和されたようではある。
候補生たちが「気をつけ」の姿勢をとったことを確認した男性は、部屋の中を歩き始める。
「私は皇国騎士団候補生訓練隊第1区隊先任訓練教官、サンダース2等軍曹だ。話しかけられたとき以外は口を開くな。口から垂れ流す不協和音を少しでも耳障り良いものにするために最後に“サー”を付けろ。女性教官に対しては“マム”だ。分かったか!」
「……」
(おお、そっちの鬼軍曹ですか……って危ない危ない)
教官の名前が某鬼教官と並んで有名な軍曹であったことに、にやりと笑いそうになる悠人だったが、表情に出さないよう我慢する。
他の候補生たちは、突然のことに困惑しつつも、ただ直立不動で立っているだけだ。
「最初に1つ言っておく。我々は理性ある人間だ。貴様らに対して人としての尊厳を損なうことはしないし、手を出すこともしない。貴様らにも同様のことを期待する。だが、同じ人として最低限守るべきことが守れない者にはそれなりの対応をする。分かったか?」
「……」
「分かったら返事をしろ!」
「イ、イエッサー……」
「ふざけるな!その程度の声が戦場で聞こえるとでも思うのか!もっと大きな声を出せ!返事もまともに出来んのかクソガキども!」
「イエッサー!」
(クソガキって言った……)
(今クソガキって言ったよね……)
(クソガキは許容範囲内ってこと!?)
尊重すると言っておきながら、直後にそれを翻すかのような罵声に、候補生たちは大同小異の感想を内心抱く。
そんな内心を抱きつつ、声が小さいと言われた候補生たちは叫ぶように返事をする。
サンダース先任教官はカツカツと足音を立てながら、居並ぶ候補生の前を歩き回りながら話し続ける。
歩き回る際、サンダース先任教官は1人1人の顔をしっかりと見ていく。
サンダース先任教官の表情は睨んでいるわけではないが、力強い意思を宿した目つきをしている。
それは威圧感を与えるに十分なものだった。
目線を向けられた候補生の内気の弱い者はそれだけで身を強張らせ、萎縮してしまう。
「これから貴様ら候補生が騎士団の一員となるための基礎を叩き込む。貴様ら能無しどもがこの訓練を生き残ったならば、貴様らそのものが武器となる。皇国に仇なすモノを討つ剣であり、そしてまた皇国に降りかかる災厄を防ぐ盾でもある。戦場において祈りを捧げる死の司祭だ。だがしかし!騎士団の一員となるその日までは貴様らは無価値だ!国民が額に汗して作った糧を無駄に消費する。文字通り穀潰しでしかない!」
サンダース先任教官の声量は大きいが、叫んでいるわけではない。
叫んではいないのだが、彼の声は実によく通る声であり、広いこの部屋中に響き渡っていた。
(いい声をしている。喧騒の中でもよく通る、軍人たるにふさわしい声だ。服装、姿勢もしっかりしている。流石は先任教官ってところか)
悠人はサンダース先任教官の立ち振る舞いに感心していた。
とはいえ、内心思っただけであり、声や態度には出さない。
悠人は不自然に力むことなく立ち、視線は真っ直ぐ前を向いている。
前を向く視線をあちらこちらへと逸らすことはない。
「マジもんのフルメタきたー」
悠人が喋らないようにしていた一方で、ぼそりと声に出してしまった者がいる。
練習したとはいえ、悠人が当たり前のように行っていた直立不動の立ち振る舞いは、ごく普通の日本人である2人にはまだ慣れないことだった。
それ故、真樹と光はそわそわと体を微動させ、視線もあちこちへと動いている。
そして、真樹はつい声を出してしまった。
「……今喋った奴は誰だ?誰が話していいと言った!?」
「やべっ」
サンダース先任教官が声の聞こえた方へ向かう。
「ん?貴様だな?貴様は言われたことが分からない赤ん坊か!あ!?」
真樹はサンダース先任教官が向かってきたことで動揺し、内心の動揺が態度に出てしまう。
その不審な態度により、真樹が言葉を発してしまったのだとばれてしまった。
サンダース先任教官の、軍人の一面を有り体に言ってしまえば、「人殺し」である。
軍事力とは、国という人が作った最大の共同体が保有する公式暴力だ。
軍人はそれを具現化し、実行する者である。
現代日本ではまずお目にかかれない「本物」からの威圧を平均的日本人が受ければどうなるか。
「は、はひっ……」
真樹はサンダース先任教官の迫力に気圧されて、硬直してしまう。
「顔はいいが体はひ弱そうだな。どうして貴様のような弱虫がここにいる?男娼の方がお似合いではないか?」
「あ、う……」
「返事はどうした?いる場所を間違えていないか?男娼館に行くならそこのカービィ教官が案内するぞ?その手のことにも詳しいからな」
サンダース先任教官が後ろ指を指す先には、先程から変わらず立っている数人の男女がいる。
男性の1人はカービィという名前らしい。
彼らは表情を変えることなく立ったままである。
よくよく見ると彼らの頬がほんの僅か震えているのだが、候補生たちには気付けるはずもなかった。
「い、いえ、違いま」
「聞こえん!」
否定をしようとした真樹だが、サンダース先任教官に気圧されて大きい声で答えられない。
そこに間髪入れずに大きな声をサンダース先任教官は被せてくる。
「だ、男娼ではありません!サー!」
「そうか、ボーイ。ではこれから身をもってそれを証明して見せろ!分かったか!」
「イエッサー!」
真樹は泣き叫ぶように声を絞り出す。
真樹は「ボーイ」と呼ばれたことに子供扱いされたとしか思っていなかったが、その実ボーイは男娼の別称である。
サンダース先任教官は真樹の前を離れ、隣の光の前で立ち止まる。
「なんだその覇気のない顔は!そんなもので敵を倒せるとでも思っているのか!?」
「イ、イエッ」
「聞こえん!貴様も声が小さい!そこのボーイと同じだ!なよなよしい!ゆるふわ男子か!あ!?」
「ち、違います、サー!」
「だったら少しはましな顔をしてみろ!」
「イ、イエッサー!」
光は怖い顔をしようと、眉間に力を入れてみる。
自分では睨みつけるような顔をしたつもりだったが、第3者からは眩しそうに目を細めたように見えるだけで、残念ながら迫力に欠けていた。
「それで睨んでいるつもりか!ただ目を細めただけではないか!やる気あるのか!?」
「あ、あります、サー!」
「全く迫力がない!そこらのチンピラの方がまだましな目をしているぞ、ゆるふわ!」
「イエッサー!」
「目の輝き不備だ!これからしごいてやるから覚悟しておけ!」
「イエッサー!」
光を散々にこき下ろしたサンダース先任教官は、光の前を離れる。
思ったよりも短い時間で済んだことを光は内心安堵していた。
光の前から歩を進めたサンダース先任教官は、悠人を見下ろす。
「ここは子供の集まる孤児院ではないぞ、チビスケ!」
「イ、イエッサー!」
まさか自分にも来るとは思っていなかった悠人は、少しだけ返事に詰まりながらも返答する。
「そんな形でこの訓練を乗り越えられるとでも思うのか?」
「イエッサー!」
「本当にそう思うのか!?体格差はそのまま体力差に繋がるぞ!」
「最大限努力します、サー!」
わざとなのだろう。
サンダース先任教官は悠人に否定の圧力をかけてくる。
悠人は負けじと返答する。
「努力は結構だが、ここでは結果が全てだ!そのことを忘れるな!」
「イエッサー!」
サンダース先任教官はそう言って悠人の前を離れていく。
「何か言いたそうな顔だな」
サンダース先任教官はがっしりとした体型の青年の前で立ち止まる。
青年は1人周りの若者と違って、不遜な表情をしている。
「役立たずは言い過ぎだと思います、サー!」
「ほう、そうか。誰だ貴様は?」
「ベルトナー伯爵が次男、ユリウス・ベルトナーだ、です、サー!」
態度と一致するかのように、言葉遣いもやや不自然な感じだ。
サンダース先任教官は青年に対してわざと誰何した。
さすがに貴族の子弟となれば、検査結果に追加して個人情報の確認が行われる。
「……いい度胸だ。貴様は役立たずではないというのか?」
「イエッサー!」
サンダース先任教官はユリウスと名乗った青年に話しかける。
先ほどよりも一段低いサンダース先任教官の声色が周囲に緊張をもたらす。
「で、何が出来るというんだ?」
「剣の腕には自信があります。魔物を討った経験もある、です!」
青年は自信溢れる顔つきで自分の力を誇示する。
「はあ……それだけか?」
青年の発言に対し、サンダース先任教官はわざとらしくため息をつき、鼻白む。
サンダース先任教官は声だけでなく、身振り手振りでもいかにも落胆したという感情を表した。
「なっ!?」
「討伐するだけなら実力のある冒険者でも出来ることだ。国益、騎士団としての任務の意義、他の魔物への影響、討伐活動に伴う国土への影響、人的資源、物的資源、時間資源、国民への影響、そういった様々な要素を考えられるのか?」
「うっ……」
「魔物と戦ったといっても、お膳立てされた状況で単純に討ったというだけだろう。違うか?」
「ぐっ……」
サンダース先任教官の指摘にユリウスは言葉を詰まらせる。
サンダース先任教官の推察は図星であり、ユリウスは言い返すことが出来なかった。
「鼻っ柱が高いようだが、その腕は確かなものか?私に1発入れてみろ。今なら何の問題にもならないぞ。ん?」
サンダース先任教官はユリウスを煽る。
「このっ!」
煽られたユリウスは、簡単にその誘いに乗ってしまい、拳を振り上げた。
しかし、ユリウスの突きはいとも簡単にサンダース先任教官に止められてしまう。
「ほう、素でこの力、自分で言うだけはあるか」
「なっ!?」
受け止められた方のユリウスは混乱していた。
身体強化をした上で殴りかかったはずなのに、そうではなかったからだ。
「気をつけの姿勢に戻れ」
「あぐっ」
一際低い声で威圧しながらサンダース先任教官は受け止めたユリウスの手首を極める。
「姿勢を正せと言っている」
「うっ、ぐっ……」
渋々といった様子でユリウスは拳を引っ込めて、真っ直ぐに立つ。
まだ反抗的な目つきは変わっていない。
サンダース先任教官は全員に声が聞こえやすい部屋の中央に移動する。
「男子が首に掛けたネックレスは、魔力の行使を制限するネックレスだ!女子のものは多少の身体強化に限って魔力を使えるようになっている!つまり、貴様ら候補生は基本的には魔力に頼ることは出来ん!己の身1つでこの訓練を乗り越えねばならん!」
「マジかよ……」
「えっ……」
(……なるほど)
隣で悠人は真樹と光が上げた困惑の声を聞いた。
真樹と光は声を出してしまったものの、先ほどのことがあっただけにその声量は抑えられている。
魔術の使用、特に身体強化の利便性は、昨日グリッジから習った時に十分実感できたことだ。
2人と同様に周囲も困惑しているのか、部屋の中が若干ざわついた。
「うるさいぞ!静まれ!」
だが、その様子を見たサンダース先任教官の声でざわつきは収まる。
ユリウスはネックレスを外そうともがくが、ネックレスを外すことはできない。
金属片に革紐というだけのものだが、何かの力が働いているのか、外れないようになっている。
「くそっ、こんな……外れない!?」
「おい、脳筋。それを自力で外すことは出来んぞ。外すためには、この特別な鍵が必要だ」
ネックレスを外そうとするユリウスを視界の端に捉えたサンダース先任教官は、ユリウスに対して言葉をかける。
サンダース先任教官の手には1枚のカードがあり、周りに見せるように顔の高さに掲げられている。
「何だと!?おい、外せ!」
ユリウスはサンダースに食って掛かる。
「貴様らがネックレスを外すことができるのは、2つしかない。この訓練から脱落する時か、訓練を修了した時だ。さて脳筋、貴様はこの訓練を諦めるか?」
「くっ!」
「期待をかけていた子息が訓練開始前に帰ってきたら、お父上はどう思うだろうな?」
「むぐっ……」
「貴様のような浅はかで腕っ節しかない者のことを脳みそ筋肉と言うのだ。分かったか脳筋?」
ユリウスは悔しそうな表情を浮かべて目線を下げる。
「分かったかと聞いている!」
「イ、イエッサー」
「聞こえん!」
「イエッサー!」
「一刻も早く脳筋を卒業しろ、いいか!」
「イエッサー!」
ユリウスを黙らせたサンダース先任教官は全体に向き直って話し始めた。
「1つ注意しておく。口の利き方に気をつけろ。貴様らはあくまで候補生であり、騎士団の正式な一員ではない。そして、我々教官が基礎訓練の合否を判定する訓練隊隊長に貴様らの評価を上申する。この意味を足りない頭で良く考えろ」
評価権者は訓練隊長であるが、1人の人間が数多くの候補生を見ることはできない。
つまり、実質的な訓練の合否判定を下すのは現場の教官たちであるということだ。
「貴様らは厳しい私を嫌うだろう。だが憎めばそれだけ学ぶ。私は厳しいが公平だ。身分・出自による差別や優遇は許さん。一般市民、御用商人の子供、高名な魔術師の子弟、貴族令嬢……全て平等に価値がない!私の使命は貴様らをしごくことはもちろん、役立たずを見つけ出して刈り取ることもそうだ。愛する皇国騎士団の害虫をだ!分かったか、クソガキども!」
「イエッサー!」
「聞こえん!もっと声を出せ!」
「イエッサー!!」
「もう一度言っておく。今この時点において、貴様らは無価値だ。そして、貴様らが騎士団の一員となれるという保証は一切ない!明日から貴様らの努力に期待する」
サンダース先任教官は最初の位置、数人の男女が並ぶ位置へと戻る。
「本日のこの後の予定は、身辺整理と施設の説明だ。リトルジョン教官、マイン教官の指示に従え。以上だ」
サンダース先任教官は後ろに控える教官に対して何やら話した後、部屋を後にする。
その後、サンダース先任教官の言った通り、候補生たちはこれからの生活に必要な施設の説明を受け、身辺整理の続きをしていく。
身辺整理では教官らが巡回し、要領の悪い候補生が指導を受ける。
初めてのことで上手くできない候補生もいれば、それなりにできる候補生もいる、と候補生模様は様々だ。
候補生たちにとって慌しい時間はあっという間に過ぎていった。
――――――――――――
衝撃的初日、実際には徹夜明けの1日半、が終わって後は寝るだけとなる。
夜の点呼も終わり、候補生たちは各々のベッドの上でぐったりしている。
中には、既に寝息を立てている者もいた。
「いやあ、リアルフルメタですよ~!やっぱり本物は緊張感すごいですね!」
悠人は若干興奮気味に2人に話す。
「ゆ、悠人君は凄いね。あんなのがあったのに明るくいられるなんて」
力のない声で答える光は、声色に相応しい疲労が滲んだ顔をしている。
「強がり半分ですけどね。多少無理してでも明るく振舞った方が精神的に楽ですから」
「と言われてもなあ。難しいよ」
「それと、男はいつまでたっても3歳児なんですよ。でも成人してからは子供みたいにはしゃぐことは出来ません。年を重ねるに連れて、容姿と社会的立場と周囲の目がそれを許容しませんから」
「ん?何それ?」
「親しい男友達が集まれば、馬鹿話で盛り上がったり、その場の勢いで馬鹿なことをしたりするじゃないですか。男性の持つ幼児性というものです」
「ああ、そういうことね」
「ちょっと毛色が違いますが、プライベートでは赤ちゃん言葉で女性に甘える、なんて人も中にはいるそうですよ。歴とした成人男性、おじさんが」
「え、何それ怖い」
「あまりいい絵面ではないですよね~」
「そんなおっさんキモいぞ」
「ほら、その「キモい」という感想。それが世間一般の抱く印象じゃないですか。今のはちょっと特異な事例でしたけど。我々男性が感情のままにはしゃいだり、ふざけたりしたいという心理をいつまでも持っている一方で、それを遠慮なく出来るのは子供の特権です」
「なるほど……」
「お2人はこれから社会に出るというところでしたからね。自分のこととして実感出来ないかとは思いますが……」
「社会人になってからの感覚は知らないけど、学生時代のことに照らし合わせれば分かるよ。さっきのおじさんの話はちょっと理解しにくかったけどね」
「小中高と馬鹿なことしたしなあ。まあおっさんの例でも、大人がそんなことおおっぴらに出来ないだろうな」
「と言うわけで、僕はこんな形をしていて幼く見えることだし、はしゃいで楽しもうと思うわけです」
「俺らもまだ若いっちゃ若いんだけどな」
「僕だけじゃなくて、仲間内でふざけることはあっていいと思います。むしろそうしましょう。異世……と、ストレス軽減効果ありますよ」
危うく「異世界に来た」と言いそうになり、悠人は一瞬言葉を詰まらせる。
今の居住環境では、私的空間はないに等しい。
唯一1人になれる時は用便の時だけで、会話は必ず他の誰かの耳に入る。
実際、近くでは3人を物珍しそうに見ている者もいれば、3人の仲を羨ましそうに眺める者もいる。
「うん、そうだね。力を合わせて乗り切ろう」
「ま、とりあえずはもう寝ようや。もうすぐ消灯みたいだしな」
「そうですね。おやすみなさい」
「「おやすみ」」
程なくして消灯時間が訪れる。
既に寝入っている者はもちろん、候補生たちは皆が皆、すぐに夢の世界へと旅立っていった。