第1話
パンッパンッと、市街に乾いた破裂音のような銃声が鳴り響く。
市街地故に音が反響し、方向や距離が判別しづらいのが厄介だった。
悠人率いる小隊は敵と銃撃戦を繰り広げていた。
いや、「陥った」というべきか。
「こっちが減音器をつけていても、向こうが派手に音を鳴らしたら意味がないか」
「クソ共に集られてもいいことなんて一つもないんですがね。困ったもんです」
悠人の呟きに部下の一人が反応する。
「松井、そりゃクソに対して失礼ってもんだ。連中は文字通りクソの役にも立たん。害悪なだけだ」
「ははっ、違いないですね准尉」
銃弾が飛び交う状況であるにもかかわらず、気安い言葉のやり取りが散発的に行われる。
冗談交じりの会話は精神の安定に有効、と彼等はわかっているのだろう。
下品な方向に走りがちなのはご愛嬌というものだ。
正確に狙われていないだけに、悠人もその部下もまだまだ余裕がある。
ドンッ、パン、と絶え間なく響く音はその証左だ。
銃弾が通過する音から、相手は自分たちを正確に狙えていないと判断できる。
とはいえ、ここは市街地だ。
予期せぬ跳弾があるかもしれないだけに、油断はできない。
(ったく、奴ら自分たちが優勢だと思っている内は強気なだけに性質が悪い)
さてどうしたものか、と悠人は周囲に気を配りつつ、次の行動を思案する。
彼らが戦闘に陥ってからまだ5分と経っていない。
しかし、悠人以下彼らの対応速度は速かった。
それは、彼ら一人一人が兵士として優秀でもあり、部隊として余計な枷を嵌められておらず、自主裁量の余地が大きいからこその結果であった。
脅威発見の報告、自己の安全確保、敵の確認……反撃はしていない。
不要な弾薬の損耗を避けるのはもちろん、自己の能力を秘匿するためでもある。
普通の部隊であれば、状況の確認、上級部隊への報告だけで結構な時間を要していただろう。
あるいは、練度の低い者や経験の浅い者が錯乱して反射的に発砲していたかもしれない。
十分に訓練され、悠人以下全員が状況に応じてとるべき行動を身体で覚えているが、それでも人間に完璧はあり得ない。
その瞬間、悠人は壁に「近づきすぎて」いた。
「よし准尉、り……ッ!」
今見ていた方向とは別の方向を向こうと身を翻した瞬間、上半身に衝撃が走り、声が止まる。
体を揺さぶる激しい衝撃に、悠人は一瞬意識を失いかけ、膝を地面についた。
数瞬遅れて、プレートキャリアに着弾したのだと理解する。
通常銃弾は地面などに当たれば、入射角と反射角はおおよそ同じように跳ね返る。
だが、コンクリートやアスファルトのような硬い地面や壁に当たった場合は反射角が大きくなり、跳弾が地面や壁に沿うように進む。
身を隠すとはいえ、壁に近づきすぎてはいけないのだが、運悪く不規則な跳弾が自分に命中してしまったようだ。
「ぐっ…!」
膝をついた悠人は、続いてうめき声とともに糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
「小隊長っ!」
近くにいた一人、松井2曹が駆け寄ってくる。
駆け寄った松井2曹が素早く悠人に取り付く。
松井はIFAKポーチからタンカラーのニトリル手袋を取り出し、二次感染防止のために手袋をはめ、プレートキャリアの隙間から手を差し込んだ。
どんな負傷か、どの程度か、初期評価は急がなければならない。
悠人の反応から察するに、四肢の銃創ではない。
首から上には傷が見られない。
ならば残りは体幹部だ。
素早く状況判断した松井は、プレートキャリアの隙間に手を差し込むと同時に、プレートキャリアを含む体幹部の正面を迅速に探索する。
「松井……くっ……」
悠人は苦しさに顔を歪めながらも部下に声を掛ける。
即死を免れ、しかもまだ意識を保てている運の良さに悠人は感謝をする。
と同時に、苦しさから負傷具合をなんとなく悟る……おそらく自分は助からないであろうと。
「これは……無理……か……。准尉を呼んでくれ……」
胸部外傷は速やかな判別と救急処置・応急処置が必要な外傷であり、現場の処置で稼げる時間も短い。
決定的治療には医師による外科手術が必要である。
今自分たちの部隊が置かれている状況と任務を鑑みれば、外科手術を受けられる所まで許容される時間内に退避できる見込みは……ない。
松井は、プレートキャリアの内側にプレートが膨らんだ感触と、プレートキャリアの中央に弾痕を発見した。
プレートキャリアの弾痕位置はおよそ心臓の直上、という事実に松井は顔を顰める。
体外への出血なし、胸骨付近に打撲、プレートの弾痕、これらから考えられるのは心筋挫傷、心タンポナーデ、他の可能性として肺挫傷、外傷性大動脈損傷……いずれにせよ命に関わる。
戦闘外傷としてはこの場合、心タンポナーデが疑われるが、心筋と心嚢膜の間に溜まった血を抜くためには心嚢膜穿刺が必要となる。
松井は心嚢膜穿刺やハイラーツイストまでは訓練仕切れていない。
流石に自分の手に余る。
「っ!わ、わかりました!」
初期評価のあたりをつけた松井は、悠人の呼びかけに応える。
数瞬の逡巡があったものの、打てば響く返答に悠人は思わず笑みを零した。
アメリカ人の将軍、ドイツ人の幕僚、日本人の下士官……最強の軍隊の人種構成という小話が悠人の頭の片隅をよぎる。
それに違うことなく悠人の部下達は優秀であり、松井は悠人の呼びかけに反応して杉本准尉を呼ぶ。
松井は、悠人の言葉と負傷の具合から思わず引きそうになったプレートキャリアのクイックリリースハンドルから手を離す。
「准尉……離脱だ、ゴホッゴホッ」
「了解です。小隊、離脱するぞ、急げ!」
杉本が離脱の指示を出すと、他の隊員はすぐさま反応した。
敵との間合いを切るには反撃せざるを得ないため、何人かが射撃をする。
隊形を整え直し、敵よりもずっと正確な照準の射撃で一時的に火力を増す。
悠人は杉本と松井に支えられながら移動する。
意識が途切れそうになりながらも必死に自分を鼓舞しつつ、悠人は杉本に必要な情報とじ後の指示を伝えていく。
アフガニスタンにおける米海軍の某作戦、事切れるその時まで戦い続けたという彼等はこんな気持ちだったのかもしれない、とかつて読んだ本の内容が頭を過ぎる。
離脱を始めてから10分もしない内に、悠人の小隊はとある建物の中に到着した。
「ふう……とりあえず、連中を撒けたか」
杉本准尉は周囲の安全化―罠や敵、それらの痕跡がないかの確認作業―を終えた後、安堵のため息をつく。
傍らでは松井2曹が悠人を横にして処置にあたっている。
「敵はどうだ?追いついてきてはいないだろうな?」
「大丈夫です。上手いこと撒けたようです、准尉」
杉本准尉の問いかけに、外を警戒している2人のうち1人が最小限の声量で応えた。
「小隊長、わかりますか?痛みはどうです?」
松井は悠人の意識レベルを確認しながら、背負っていたメディックパックを下ろした。
松井はせめて鎮痛処置をと、麻酔を取り出そうとする。
「……いや、もういい。それよりも……今の状況は?」
「離脱成功、大丈夫です。これからまた態勢を立て直して行動に移れます」
「そうか……」
松井の返答に安心したことで緊張の糸が切れたのか、悠人は急に脱力感が強くなるのを感じた。
それほど時間は経っていないはずが、悠人には負傷してから今までが数時間のように感じていた。
脱力感とともに目が霞んでくるのをこらえ、悠人は話し続ける。
「杉本准尉……後を頼む。必ず……任務を達成……してくれ」
「了解です、小隊長。少しの間、休んでいて下さい」
「それと……私の遺体は隠してくれ。……わかるな?」
「……はい」
遺体であってもがおいそれと放っておくことはできない。
墓は暴き、死体に鞭打つのが連中の文化だ。
奴らの手に落ちたらどんな扱いを受けることか……。
最早痛みは感じない。
任務を完遂できなかった悔しさに勝る脱力感と眠気のような意識の低下が悠人を支配する。
杉本准尉が静かに応えたいくばくか後、悠人は意識を手放した。
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「え?」
意識が戻ると、そこは何もない空間だった。
見渡す限り白い空間、浮かんでいるのか、地面に立っているのか、それすら曖昧な状態だ。
「ようこそ。名前はユート、だったかしら?」
「……ここは?」
「そうね、ヒトが理解しやすいようにいえば、神の世界とでもいいましょうか」
光をまとい、姿形をはっきりと見ることはできないが、人のような形をした「存在」が話しかけてきた。
「神の世界?」
「とりあえずはそのように思ってくれればいいわ。まずは手短にまとめていいましょう。貴方は現世で命を失ったの。そして今は魂だけの存在で、このままいけば貴方という存在は消え、輪廻転生の輪に戻る。だけど、できればあなたに少し手伝いをして欲しいことがあるのよ」
「はあ。突拍子もない話で。どうしてそんなことを?」
「私たちの世界は非常に不安定なの。かといって、神といっても、世界を全て思いのままにできることではないわ。比較的容易にできることの一つは、異世界からヒトを転移・転生させること。これは、ヒトを媒介としてエネルギーの移動を行うこともできるわ」
「世界の安定?一人の力で?」
「転移・転生者は強い力を得ることができる。よくありがちな勇者といわれるような」
「それで、私でないといけない理由は?」
「資質・適性がある者でないと力を発揮できないの。魔力への適性、精神的な強さ、知識、技能とかね」
「魔力?」
「ニホンジンならお馴染みのはずでは?剣と魔法のファンタジー世界に欠かせない力、貴方の世界には気・マナ・オドといった言葉や概念があったはずだけど」
「……ええ、まあ」
「そうしたことで、貴方には世界の安定に協力して欲しいわけ。とはいえ、貴方に自由意志はあるわ。私が全てを事細かに指示することはできないし、それだと私が直接的に干渉するのと変わらなくなってしまう」
「これを拒否したらどうなるのですか?」
「その時は輪廻転生の輪に戻り、別の誰かに生まれ変わることでしょうね。他にも何人か候補は見つけているから、その方達にお願いするつもり。一人だけでは足りないから、もう少し協力してもらう人が欲しいの」
「どちらにしろ、現世で死んだことは変わらないと?」
「そういうことね」
「……少し考える時間をください」
「いいわよ」
しばしの問答を経て、ようやく悠人は考える時間を得た。
どうやら相手は自分の理解の範疇でいう「神様」らしい。
その神が自己の関与する世界の安定に協力して欲しい、と。
断った場合は輪廻転生、当然、今の「自分」を失うだろう。
さてどうしたものかと悠人は考え込む。
どれくらい考えただろうか。
意識を手放した瞬間のことを思い出せば悔いはあるが、どんな形であれ「自分」を保ったまま二度目の生を得られるなら悪い話ではない。
先ほどの話の遣り取りも踏まえて色々と考えた結果、そのように結論づける。
「その話、受けます。それで、希望を叶えてくれるとはどんなことを?」
「まずは貴方に感謝を。容姿を変えて欲しいとか、強い武器が欲しいとか、特別な力が欲しいとか、そんなことね」
ふむ、と悠人は一拍おいて考える。
「希望なしだと、何もない状態で行くことになるのですか?」
「まさか。最低限の装備と服は用意するわよ?」
本当にゲームみたいだな、と心の中で苦笑いしつつ話を続ける。
「では、時間が許されるのならば、少々お話をしたいのですが、よろしいですか?」
悠人がそう言うと、少し戸惑うような反応を相手は見せた。
「何か?」
「いえ、そのようなことを言うとは思わなかったから」
「そう、ですか」
悠人は相手の返答に納得するが、自分はいつもやってきたことだ。
もっとも、「神様」と「打ち合わせ」なんて人類初だろう。
そんな益体も無いことを思いながら考えを巡らせていく。
「例えば、誰かと一緒に行くとかは?」
「できなくもないけど……」
「可能なら同じ日本人がいいですね。いかにも英雄適正のありそうな青年が望ましいです」
「どうしてかしら?」
「僕は日陰者ですからね。人の前に立つなんて柄じゃないです」
「その割には部下を率いていたようだけど?」
「あれは少人数での行動でしたし、人を率いるといっても英雄的な象徴になるような仕事じゃなかったですから」
「確かにそのようだったわね」
「あとはまともな国や地域に……」
どれくらい話をしていたのか時間の感覚が曖昧だったが、思いつくだけのことは話した。
しばしの話し合いの後、悠人の視界はまた真っ白に染まった。