Act.05 ―Here I am ここにいるよ― ③
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ハハハ……ハ……」
浅間が顔をくしゃくしゃにして、少し自嘲気味な薄ら笑いをする。
もう戻れない時間、ライオンから顔を背けるように横を向くと、零れた涙が下に敷いてあるタオルケットを濡らした。
啜り泣きが聞こえなくなった頃、浅間が思い出を懐かしむように、少し安らかな表情を浮かべて泣き寝入っていた。
これから彼は夢を見る――それは、一秒に満たない刹那で、高次な虚構の悪夢――
――――真っ暗闇。
目を閉じて眠っていた浅間が眼を開けた――しかし、視界には何も映らない。
閉じたままの視界と同じ――厳密には、浅間の眼には暗闇が見えていたのだが――
【…………ン、んんぅ……】
何もない空間で眠っていた浅間が夢の中?で目を覚まして、うつ伏せ状態で悶えるように体を震わせた。
得体の知れない何か、に圧されるような寝苦しさから逃れるべく――
何も映らない視界、目を擦ろうと手を動かそうとしたが、手が、指が動かない。
手が痺れているのか、首を振ってもみたが、まったく感覚がなかった。
いや、振ったつもりなだけで、首を動かせているのかさえわからなかった。
【……うぅっ、ナ……ナンだコレ……? ツブレるっ……!】
見えない何かが、浅間の身体に圧し掛かっている。
それに身動きを封じられていて、身体が、手が動かせない状況にあった。
何かに上から圧し潰されるような圧力によって、浅間は真っ暗で地上と地面の境界がわからない暗闇世界で、地よりもさらに下の奈落へと沈もうとしていた。
境界がわからない地面は、まるで底なし沼になりかけているかのように、浅間の体を少しずつ呑みこんでいき、それは人を支える足場としては、ひどく頼りないものだった。
【……ダレだ? キ……キガ……なのか?】
瞼を開いた先には、ぼんやりと暗闇に溶け込むように立っている人影があった。
目を開いた後も真っ暗で、明かりもなく何も見えなかったが、不思議とぼんやり浮かんで見えるその人影は――
目が慣れてきたせいもあってか、その輪郭が徐々に憂のようなものの姿を映し出す。
見えない重圧、こちらは依然、見えないままで浅間に圧し掛かっていた。
――というのは、実は眠っていたという夢から目を覚ました――――というそんな奇妙な夢。
浅間は自分が、夢から目を覚ましたつもりでいたが、夢は未だ続いていたのだった。
【オイ、たすけてく……?? キガがダブってみえて……!?】
そこには浅間ともう一人、憂の姿が在るにはあったが、その憂はとても曖昧で、その輪郭は定まっていなかった。
浅間が夢の中で、心の中で呟いた。※夢の中なので、浅間の台詞は【 】で表現する。
曖昧な存在の憂の肌は、真っ暗な景色に溶け込んでいたが、それは比喩的な表現などでなく、本当に溶け込んでいたのだった。
まるで子供の塗り絵のように彩色がはみ出していて、人というより、まず固形物としてさえ定まっていないようだった。
それは憂と暗闇、人と景色が混沌として、全てが不安定な形で存在しているように映った。
浅間には、そのような実体のない憂がぶれて二重に見えていた。
≪まだコイツに希望がのこってたか……≫
【……ダ、ダレだ?】
何処からともなく聞こえた声は、本当に何処からともなく聞こえて来た。
その何者かの声は近くからなのか、遠くからなのかの判断が付かず、声が遠ざかったり近づいたり、大きくなったり小さくなったりしていた。
何もない世界は、その不可思議な憂と、聞き馴染みのある声を浅間の脳に反響させていた。
耳元で囁くよりも近い、頭の中で囁いているかのような距離を感じない距離で――
≪でも堕ちるんだよ……≫
【……ダッ……ダレだってんだよ?】
≪オレ、オレだよオレオレ……オ~レ~エ~≫
先ほども、浅間の脳裏に響いた無気質で冷たい感じの音声。
浅間が聞いているのは、自分をおちょくる自分自身の声といった感じで、それよりさらに自らの肉声から、自身の感情を取り除いたような声だった。
喋っていないのに聞こえた自分の声のような不気味さに、うろたえながら声の主に問うが、返ってきた返事は、一人称の『オレ』を繰り返すだけで、質問の回答ではなかった。
少なくとも、普通は誰もがそう解釈するだろう。
≪オマエの中で、絶望と希望が混在していて、ソレが存在となり具象化した。生まれたのは一つはゆーちゃんで、もう一つ生まれたのもゆーちゃんって……オマエにとっては絶望も希望も、どっちもゆーちゃんだったってのかよ……ゆーちゃんで一喜一憂。オイオイ、こんなにゆーちゅんに依存して、ドコまで甘ったれたクソッタレだってんだよ≫
【……ナンなんだ? テメー、オレにケンカつってんのか? ダレだよ、コラ? でてこいよブッコロ…………クソ、ナニがのってやがる……?】
自分の声で卑下されるような不快感と、何者かわからない不可解さを同時に感じながらも、浅間が必死に身体を起こそうとするが、見えない何かは圧し掛かったまま浅間を放さなかった。
【シンちゃん……】
【アハ、アハハ……アハハハハ……】
その様子を指を指して笑って見下ろす憂と、その憂の影から浅間を心配そうに見ている憂、曖昧でぶれて映っていた憂が、二重身のように暗闇に浮かんでいた。
夢なので驚くことでもないが、驚くことに憂は二人いた。
もう一つの不審な存在、浅間と酷似した声の主は未だにその姿を現していない。
【キガ……がふたりに……なんてユメだ! ウソ、だろ……?】
≪ああ、ウソだよ。オレがイタズラで創ったウソの夢、夢のウソ……≫
浅間がみている夢は明晰夢――それは、自分自身で夢だという自覚がある夢のこと。
これから浅間は、その明晰夢の異様な世界で、現実をはるかに超越した夢を体験することになるのだった。
【……ナンだと? テメーが……】
≪ゆーちゃんは無能。もう一人足してもオマエを引っ張り出せない。わかってるだろ? 甘ったれのオマエは地獄に一人でイクのがヤ(嫌)で、ゆーちゃんを道連れにしようとしてる≫
≪ ≫の中の言葉は、浅間の脳裏に地声のような低音と、機械音声のような高音が入り乱れて響く自分自身?の『声』――
【…………オ……オチ、る……】
【シ……シンちゃん!】
浅間が夢の中で尋常ではない脱力感に襲われて、さらに自分自身が消えかけていくような消失感に捕らわれていくと――
憂の陰に隠れているもう一人の憂が、心配そうに浅間の名を呼んだ。
≪ン? 宙が……≫
近くにあった『声』の音声が遠ざかって、呟いているように感じた。
背景の暗闇、その空間に断続的な破壊音と共に、白い亀裂が稲妻のように縦に走った。
遠ざかっていた『声』は音漏れするように、その空間の亀裂の中から響いた。
【……ナニが、おきて……?】
≪オマエが創ったオレが壊れ始めたんだよ≫
【テメーをオレが……つくった、だ?? テメーいつまでかくれてる? ツラをみせろ!】
≪オマエがいー加減に気付けよ。オレがとっくに姿見せてるってコトに……≫
そんな意味のわからないことを『声』はすぐ近くに戻ってきてそう告げるが、その姿はやはり何処にもなく、空間の亀裂を近くで見て来て、また浅間のところに戻って来たようだった。
≪オマエの無意識が創った星一つない宙……この世界を自由に書き換えられるその無意識ってソース(発信元)から、次は壁って閉鎖的なコード(略号)を創った。壁で仕切られた匣の檻を……つまりココはオマエが夢の中で創った世界で、この世界はオレ……だからオレはオマエで、オマエがオレ……≫
何やら頭の悪そうなことを、良さげな頭で言う姿なき姿の『声』の主。
【オレがテメーだあ?】
≪そう。ココはオマエの妄想の世界で、一切の色がない世界……色なんてないから真っ暗闇ってゆーのに、稚拙なオマエは、闇の色を勝手に黒だと妄信した。だから世界は夜で塗りつぶされた。『見えない』に色はないし、輪郭もないってのにな……≫
『声』は自分が浅間で、浅間は自分で、この真っ暗な世界を創ったと説明した。
広義では夢は自分自身、極論というわけでもないのかもしれないが――
≪その真っ黒な匣(世界)の中で、ポコポコ生まれる幻ってゆー本物……夢ってゆー現実……嘘ってゆー真実のゆーちゃん達……この黒い宙も、ゆーちゃんもオマエも、オレさえも全部オマエってコトだよ≫
【ナニ、ゆって……?】
ちっぽけな世界の壮大な存在、見えないのに、見えてはいた――見えていたのに、見失っていた――壮大すぎて――それが『声』の正体。
そして、浅間の知らない知識をもつ『声』の存在。
普通はいくら夢であっても、潜在的にすらないこと、つまり知らないことは知り得ない。
その無茶苦茶な夢の設定は、幼児レベルと言えなくもないが、幼児の夢にしては夢がない。
【テメエ……マジで、ナニモンだよ?】
≪だからオレはオマエだよ。精神的なトコのオマエ。この世界のすべてが、オレでオマエだ……バカだね? 地面なんてないのに……創っちゃったんだ。地獄なんて知らないクセに、生意気に、オマエがイメージで……≫
【バカはテメーだ! テメーがオレなワケねーだろ? ショバ(場所)がイキモン(生き物)になるかよ! オレはオレだけだ! ビビらせよーとしてドコかにかくれてんのか?】
≪生き物は生き物でも、生き物の心は生き物じゃないだろ? オレは、オマエのコトが大嫌いなオマエの味方……オマエのどんな望みでも叶えてやる『ill will、オマエへの悪意』で、だけど……≫
生き物の心は、生き物の肉体と対になって生き物、単独では生き物として成り立たない。
『声』は浅間の心――生き物ではない意思だけで構成された存在、だとでもいいようだ。
【アクだァ? ……フザケんな!】
【……シン……ちゃ……ん……】
≪あ~あ、せっかくオレの悪意で希望の方のゆーちゃんをオカルト(覆い隠すものの意)で見えなくしてたのに……≫
【見えなくした……だ?】
自らを『浅間への悪意』と名乗る『声』、その実態である暗闇に亀裂が上から地面にめがけて入り、半分同化したように暗闇に埋もれていた『希望のゆーちゃん』と呼ばれた存在が――憂に隠れていて世界と二重身だった憂が――完全に二つに分離された。
上限の見えない世界が、見上げる限り縦に真っ二つに裂けたのと同時に、二重身だった二つの憂が、憂と憂が乖離した――
≪オカルトってのはこの真っ暗な闇のコト……オレが創った見えなくて形状や材質、重量のない物で、例えると厚みのない布で膜(幕)みたいモン。厚みがないから色がない。『色がない』は透明ってワケじゃなくて、限りなく『ない』に近い『ある』存在……見えないソレは何でも隠して『見えない』を侵食出来る……≫
闇の暗幕を憂の前でパタパタとチラつかせたかのように、憂の顔半分が見え隠れしていた。
【キガはソコからでてきたから、ゼンブみえるよーになったってのか?】
≪そっ、何も見えない暗闇を創って、オマエの『希望の方のゆーちゃん』を隠した……心が見えてないオマエには見つからなかったのに……引っ込み思案で、出しゃばりなゆーちゃんの方から出て来たってワケだ≫
引っ込み思案なのに出しゃばりな憂、お節介要素が強いということなのだろう。
【こんなトコに、オレをとじこめたのはオマエか?!】
≪それもオレの親切、大きなお世話を焼いてやった……オマエが隠れんぼしてたから、もっと見つかりにくいよーに隠してやった≫
『声』が言う隠れんぼとは、浅間の潜在意識の中で、自らの殻に閉じこもる引き籠りの状態を差しているのだろうか。
【だせェ! カンキンしてんじゃねー!】
≪出れば? 監禁なんてしてない……せーぜー錠のかけてない軟禁? オレはオマエだから、オマエの意思で何時でもオレって世界をブチ破って還れる……≫
夢なのだから監禁された夢を見ても、目が覚めれば解放されているのは至極当然のこと。
【……だったらオレはかえる! ドコから、でれんだ(出られる)?】
≪ドコからでも出れるし……出口はないから、別に穴空けたトコが出口でいいんじゃね?≫
【ココをブチぬいてでてやる! …………はあ(波)っ!】
空気を吸い込んだつもりで頬を膨らませて、そして一気に吐き出すつもりで、手から波動砲でも飛ばように、両手を勢いよく前に突き出した。
【………………】
10秒?が経過した――――
【…………かえれねーぞ!】
バツが悪そうに浅間が怒鳴る。
少し格好つけた身振り手振りをしていたので、やはり気恥ずかしい。
浅間が帰りたいと願っても状況は変わらず、夢から解放されないでいた。
≪ココから出れないのは、オマエにその気がないから……ワザと見つかり易いトコ(自宅)に隠れて実は見つけて欲しかったんじゃね?ってハナシ。隠れんぼしてるタダのガキかよ≫
姿は見えないが、『声』が浅間の心の底を見透かすような態度をとった。
【……オレが? かくれんぼ?】
≪ダレにも会いたくない……ってオマエそー思(想)ってただろ? オレ、親切じゃね?≫
【テ、テメーはイヤガラセってしって……フザケ……んぶ!】
闇の空間の一部を撓ませて、浅間の顔を押し上げると、口から言葉を発している浅間はその言葉を遮られた。
≪ソレに出てどーすんの? オマエであるオレですら、オマエのコトがキライなのに……オマエのコトが好きなヤツがドコにいる?≫
【ンなっ……?】
≪オマエは、人に会いたくなくて引き籠ってる。ゴローらは、本当はオマエのコトが大嫌いで、いなくなって清々してる……オマエのタメ、オマエのコトが嫌いなオレがオマエのコトを一番想ってる……保育園に、最初からオマエの居場所なんてないんだよ。よえぇクセにエバリやがって、ダレもオマエなんて必要としてねーよってゆーか……ジャマ?≫
浅間のことを自分自身だと言っておきながら、『声』には自己嫌悪した様子もなく、むしろ愉しむように浅間を責め立てている。
【…………そーなのか?】
≪皆の望み叶えてんじゃん、オレすげっ(凄い)…! ヤツらはオマエが要らない。オマエもオマエが要らないから消えちまいたい……なら、消えちまえっ!≫
【…………きえろか? ……そうか?】
『声』に流されるように、浅間が自分の存在意義を見失いかけていく。
≪そうそう、ずっとココから出なきゃいーだけ……死んだように眠ってればいいだけ……≫
先ほどよりも徐々に重くなる見えない圧力、ずっしりと圧し掛かる絶望で、浅間はさらに地面に呑みこまれかけていく。
≪アレェ? ねー『希望のゆーちゃん』、『絶望のゆーちゃん』は?≫
【……あ、あの……ナンかつまんないって、あのなかに……】
≪オカルトの中に…………へええ、そうなんだ≫
『声』が一人になった憂に尋ねると、二者択一で問うなら、本物に近い感じの内向的な憂が、暗闇の亀裂を指さした。
浅間を笑っていたもう一人の憂は、一頻り浅間の苦しむ様を楽しむと、飽きて暗闇の暗幕に引っ込んだようだ。
ここにきて浅間にある疑問が浮かんだ――それは至極当然のことで――
【……キガ、ナンでオマエはしずまない?】
【……シンちゃんこそ、ナンでじめんにしずんでるの?】
【……え?】
浅間の質問に首を傾げながら、逆説の質問で憂が返した。
お互いがこの異常な状況下において、お互いの現象を不思議だと感じていた。
地面は普通に立っていられるのか、それとも底なし沼のように立っていらないのか、どちらが正しくない世界の正しい反応なのか?
≪そーゆー気分のヤツと、そーゆー気分じゃないヤツだからだろ? 気が、心が重いのはオマエで、不幸のドン底にいるのもオマエ……そんなのゆーちゃんは関係ねーし……≫
『声』が言っているのは、浅間に圧し掛かっているそれは彼の気持ちの重みで、浅間が沈んでいるのは、彼自身の気持ちの沈み。
この世界が浅間自身なら、浅間はその不幸のどん底を、奈落の底に落ちる心境としてとらえて、底なし沼を生み出したのかも知れない。
世界に準じない憂は、浅間の創りだしたもの割には、世界について来れていない感があった。
『憂は世界である浅間の心境を理解していないから沈まない』、みたいな感じで――
【……イミわかんねってんだ! ……ン、うごくぞ! よし、ちょーどいい……キガ、チョイとひっぱってくれ……】
【チョッ……! さわらないで!】
暗闇が浅間を抑えつける力には波があるのか、少し圧迫が解かれたようで、腕の自由が利くようになっていた。
『希望のゆーちゃん』と呼ばれる憂が、浅間の助けを求めて伸ばした手が、自分の身体に触れた瞬間、それを激しく振り払って拒絶した。
【オッオイ…! ……ドスぐろいモンが、オレのカラダについてる……ナ、ナンだ?】
≪ソレ、夜だよ。闇だよ……ドン底の闇、真っ暗闇……≫
背景の闇は、二人の憂たちのように浅間の肌に浸透していき、徐々に浅間を呑み込んでいき、闇と同化させていく。
【……ナンで、こんなモンが……?】
≪願っただろ? 消えてなくなりたいって……だからオマエはこの闇の世界を抱くだけじゃ飽き足らず、オレを……闇を重ね着していった……≫
【……ヤ、ヤメロ! はなせクソ……!】
≪ヤだね……いや違うね。ソレはオマエの望みじゃない≫
【た……た、たすけて……】
【……ヤ!】
闇に圧されて瞬時に自由の利かなくなった腕を、浅間が必死にばたつかせるが、またも『希望のゆーちゃん』はその手を拒絶した。
闇の圧力に波があるとしたら、それは浅間の精神の緩急で、憂の姿を見て『この状況から脱せられるかも』と、浅間の闇に少し希望の光が差したから、といった気の緩みからだろう。
しかし、それを憂に拒絶されたことで、再び気持ちが沈んでしまい、闇に囚われて、さらに前より気持ちが沈んで浅間は闇に纏わりつかれた――疲れた心は、闇に憑かれた。
【……ナ……ナンで……?】
≪ソリャ、そーだ! オマエの手を掴んだら、ゆーちゃんも闇に呑み込まれる。オマエ独りで逝けってコトだろ……≫
これは半分が正解で半分が間違い――ここが夢の世界であれば、もともと二人の憂も『声』とやらも、浅間が目を覚ませば消滅するものなので、生の執着があって浅間に引っ張られて消滅するのが嫌というわけではないだろう。
『希望のゆーちゃん』が嫌なのは浅間に触れられること。
『声』は狡猾で、すぐにその事を告げるよりも浅間が苦しむ方向にことを運んでいる。
【そ……そんな……?】
≪ジョーダンじゃねーよな? オマエ、ゆーちゃんのコトをイジメてたのわすれたァ? ダレが助けるかってバーカ……ってゆーか早く消えろっての……≫
【……ゆう、オマエ?】
【シッシッ……】
浅間が『希望のゆーちゃん』を『憂』と呼び、訴えるような目を向けるが、当の憂はまるで虫を追い払うような疎ましそうな態度をとっている。
≪オマエはもう消えてなくなるんだ。ゆーちゃんも今なら本音をブチまけれる……トーゼン、そーゆーだろ?≫
【……まさか、オマエまで……オレを……?】
【アタリマエ! シンちゃんがワルイんだからねっ!】
≪ナニ? その『まさか』って、ウケるっ≫
【もうシンちゃんに、エンリョなんてしな~い! いなくなっちゃうんでしょ?】
【……っ…………】
【だから、ゆっちゃう! シンちゃんがボクのコト……もうトモダチじゃないみたいにゆってったけど、ボクはシンちゃんのトモダチだったコトなんて、ゼンゼンないんだからねっ! カンちがいしてた~? おかし(可笑しい)っ!】
【そ……そんなのって……ウソだ? ウソ……だろ?】
憂(『希望のゆーちゃん』)の言葉が信じられないといった表情の浅間を見て、『希望のゆーちゃん』が笑い転げる。
【チョーシにノってるから……ずっと、トモダチのフリをしたげた(してあげた)かったのに……っとホンネが……ゴメン、いまのなし……ずっとトモダチだよシンちゃん……でもシンちゃんはボクのテつかむの?】
【……あ?】
次々と暴露される『希望のゆーちゃん』の本音、本人を前にして今さらオフレコは通じない。
【じぶんがおちそーになったからって……トモダチのテひっぱってミチヅレにしちゃうの? ……いいよ。ボクはトモダチのいないシンちゃんのトモダチだから……】
もっともな質問、人は他人のピンチに直面したとき、自分の身を犠牲にして――という美しい行為が正しいといえるのか――正しいとして、そうしなければならないのか。
≪『友達の一人もいないオマエの友達』……いいね~ その矛盾したフレーズ。ゆーちゃんっていーコだね~ そんなカスの友達を演じてくれてたんだから、今まで……ご苦労さん≫
【そんなぁ……テレちゃう~】
ここで、まさかの一番いい表情。
『希望のゆーちゃん』は、恥じらって頬をピンク色に染めて、首を左右に振っている。
≪くくっ、そんなイイコのゆーちゃんにプレゼント!≫
『声』はそう言って『希望のゆーちゃん』の頭上に、とても歪でいい加減な、一応は浅間を模した?等身大のぬいぐるみ?を創り出す。
落下したぬいぐるみの腕と手の境界のない腕を、『希望のゆーちゃん』がキャッチした。
ぬいぐるみの容姿は、目玉は大きなボタンで、口は裂けたように大きく笑顔のまま縫い付けられており、なぜか裸でパンツすら穿いていないが、ただの肌色の人の形をしているだけで、憂の回想で登場した浅間のように適当な体の作りで、卑猥な感じは微塵もなかった。
【アレ? いつのまにシンちゃんたすかったの? でもよかったあ。ブジで……】
『希望のゆーちゃん』が、本物とは似ても似つかないそれをぎゅっと抱きしめる。
【……え? オイ……ナニゆってんだ? ゆ……ゆう? フザケんのヤメろよ……?】
≪ゆーちゃんにとって、『シンちゃん』ってのはアレなんだよ……薄汚いぬいぐるみ。アレで間に合ってんだよ。いや、アレがいいんだよ。怒らない、喋らない、動かないゴリラのぬいぐるみが……≫
【……うっ、ううぅ…………】
『声』の辛辣な一言、浅間は夢の中で意識が飛んだように呆然としている。
≪実はさ、あのぬいぐるみの中に、本体のゴリラのぬいぐるみが入ってんだわ≫
【いこっ(行こう)、シンちゃん。いっしょにバナナたべよ】
【ちょ……ちょ、ちょ、ちょ……まっ……!】
激しく動揺して制止を求める浅間を無視して、ぬいぐるみの手をぎゅっと掴み、浅間の創った地面にぬいぐるみのお尻と足を引き摺るようにして、背景の闇に向かって歩き出した。
【……ナンで、そんなのがオレなんだよ!? オレはココだ! ココにいるのがオレだ! オレはバナナなんかスキじゃねーよ! …………も、もう、たすけてくれなくていい……いーからオレを、そんなふーにみないてくれよ……!】
浅間の悲痛の叫びは、『希望のゆーちゃん』には届かない――どんどん闇へと進んでいく。
≪この世界は、希望だけじゃないんだぜ。むしろ絶望が大半を占めてる……『希望の方のゆーちゃん』がオマエにとってアレじゃ……『絶望の方のゆーちゃん』は、オマエにどんだけコクのある濃くて酷な本音をコクってくれるんだろーな? なァ、『絶望のゆーちゃん』?≫
『声』が傷心の浅間のその心の傷口に塩を塗りたくるように詰った。
【……まってく……た、たの……む……】
≪出て来いよ~ 『絶望のゆーちゃん』……≫
何度も呼び止めようとする浅間に振りかえることなく、『希望の方のゆーちゃん』は闇を暗幕をめくる様に開いて、その闇の中へと姿を消して行った。
そして『声』の呼びかけに『絶望のゆーちゃん』が闇から姿を――――
【どいて!】
≪ァ……ハイハイ……って、え……アレ?≫
『声』に呼ばれた『絶望のゆーちゃん』が、闇を押し退けるようにして浅間に駆け寄った。
【さっきのはキボ~じゃなくって、ゼツボ~のボク! だから、ボクがホントのゆうだよ!】
≪え? ……ウソ?≫
【……きっ、きぼう? ゆ……ゆう……なのか……?】
【うん! ボクはシンちゃんのトモダチだよ! ねっ!】
【……ゆ、ゆう……】
【ずっとトモダチッ!】
【ゆう…………】
浅間は『希望のゆーちゃん』のその一言で、この暗闇の世界で希望の光を見た。
何やら、胸のあたりが暖かくなるような、心地よい光に包まれているような、人の優しさに初めて触れたような、虚栄心という自分自身が剥がれ落ちて、生まれ変わったような、無垢な少年の頃に戻ったような(幼児だけど)子供らしい表情をしていた。
【……オ、オレ……オマエに、あやまらなきゃいけねーと……】
【ダイジョーブだよ。ボクのじめん(足元)はしずまないから、つかまって……】
絶望ではない『希望のゆーちゃん』が、大きな瞳をうるうると潤ませて、優しく微笑みながら、浅間に手を差し伸べた。
『希望のゆーちゃん』に心を開きかけた浅間は、手を伸ばしてその手を掴もうとする。
今までの行いを心から悔い、それでも自分を見捨てないでいてくれた憂に言葉に出来ないほどの感謝をした。
浅間の眼から止め処なく涙が零れた。
それは悲しい涙ではない色々な感情が入り混じった初めての涙だった。
震える手で憂の手を掴もうとして、お互いの指先が触れた――もう少し、あと少しで――
しかし、それも束の間――――
【…………な~んて、ゼツボ~のボクでしたあ! あxhはははははっhははははははははあははははははははっははははははははあああほははっxhはhははあっああああ~!】
【……ぅえ……?】
何が起こったか分からないといった浅間が、間の抜けた声を漏らした。
【おかしっ! おかしすぎて、ナミダでちゃった……ホントはもっとひっぱってやろーかとおもったのにィ……ムリムリッ、ゼンゼ~ン……ムリ!】
『希望の方のゆーちゃん』、と偽った本当は『絶望の方のゆーちゃん』が、狂ったように――いや、狂ったさまを見せつけて笑い出した。
希望が闇に引っ込み、正真正銘?の絶望が闇から登場していた。
今になって気付く違和感、お互いの手を精一杯伸ばして、何とか指と指が触れあう距離。
それは何故――このシチュエーションを愉しんでいたから、心の中の中で嘲笑っていたから。
最初から浅間を救う気がなかった『絶望のゆーちゃん』は、浅間の手を掴む気さえなかった。
≪もうっ、ゆーちゃんてば、ビックリさせないでくれよ~ 一瞬、アレッ?ってなったよ≫
【ゴメン~ オチャメッ……ふふっ、あはははッ……!】
わざとらしく自分の頭をコチンと叩く、最高に可愛らしく、そして憎らしい仕草で――
【……な? ナンだよ? ……ナンなんだよ?】
事態を把握できない浅間が、笑い転げる『絶望のゆーちゃん』と、『希望のゆーちゃん』が消えた方向を、狐につままれたような顔をして何度も交互に見渡している。
【……っもう! シンちゃんはね、じぶんでキボ~をすてたの! キボ~のほーのボクのコトを……キボ~がせっかくトモダチのフリしてあげてたのにナニサマ? すてなきゃ、キボ~のボクはずっとトモダチでいてあげてたよ。きっと……!】
【………………】
いつの間にか闇から半分だけ身体を出して覗いている『希望のゆーちゃん』が、不機嫌そうな表情で浅間をじっと見つめている。
注視してみると『希望のゆーちゃん』は、先ほどの不細工な浅間のぬいぐるみをぎゅっと胸に抱き抱えていた。
さっきはぞんざいな扱いをしていたそのぬいぐるみを右手で抱え、左手は引き摺られて綻びかけたお尻と足を優しくさすっている。
憂のぬいぐるみを労る仕草に浅間は気付くことはなかった。
見えてはいたのに、視えていただけで、浅間の心には入ってこなかった――
【トモダチでいられたのに……シンちゃんのせい、シンちゃんがワルいんだからねっ】
その『希望のゆーちゃん』と、抱きかかえられたぬいぐるみを一度横目で見てから、『絶望のゆーちゃん』が浅間を責める口調で捲し立てた。
【……でも、フリ……なんだろ?】
【うんっ(はあと)!】
語尾にハ-トマーク、可愛い笑顔の純粋に黒い『絶望のゆーちゃん』。
にこにこぷんぷんと、まったく対照的な表情で浅間を貶す二人の憂。
【でもバレなかった。バラさなかった……バカなシンちゃんにはわからなかった……バカなシンちゃんにイラってきても、キチンとわらってあげてた……ソレって、リッパにトモダチでしょ? ちがう?】
【………………!】
『絶望のゆーちゃん』が浴びせた言葉が悔しくて、悲しくて、情けなくて、言葉にならない浅間が顔を伏せた。
【ね~シンちゃん。かわりにゼツボ~のボクが、シンちゃんをたすけてあげるよ……トモダチの、つづきをしてあげる……】
≪くくっ、有難いと思うベキだ……ゼツボ~のゆーちゃんが、キボ~のゆーちゃんをヤってくれるんだ。普通ないだろ? ゼツボ~がキボ~を与えてくれるなんて……≫
【……こんなの、どっちもゼツボーだろ?! ド……ドコがキボーだ!?】
≪違うね。マジでわからなかったんだな? キボ~のゆーちゃんと、ゼツボ~のゆーちゃんの違いに……≫
何か意味ありげな『声』の言う希望と絶望。
二人の憂の違い、それは――――
実は、それこそがこの悪夢の謎を解く鍵、浅間にその答えを導き出すことが出来なかった。
そのことを考えようとさえしなかった。
自分を見付けて欲しかったのは、『希望のゆーちゃん』の方だった――――
【……ちがわねーよ! ヘラヘラしてるか、イライラしてるかだけでナニもちがわねェ……】
≪違うよ決定的に……だからオマエは、キボ~の方のゆーちゃんに見捨てられたんだ≫
【みすてたもクソも、アイツはハナっからオレのコトなんか……!】
【ボクににてるよね? キボ~のボクって……でも、フツーあんなににるかな? キボ~とゼツボ~って、まるでハンタイなのに……お~かしいね~】
≪お、それ言っちゃう…………なら……≫
この夢の世界は、理屈では説明がつかないおかしなことだらけ。
中でも一番のおかしなことは、希望と絶望が浅間にとってイコールになっていること。
≪……もうオマエ、最期だから教えといてやる。オマエがこの世界を創った。『絶望のゆーちゃん』と『希望のゆーちゃん』を創ったのはオマエだって教えてやった……≫
【……しっ……しらねーよ! そんなの……】
≪『絶望のゆーちゃん』は傑作だ。笑っちまうぐらいに……それに比べて『希望のゆーちゃん』は何て駄作だ。ゆーちゃんを創れてないんだよ。オマエが創ったゆーちゃんは、モノホン(本物)のゆーちゃんに全然っ似てねーよ……希望ってのは欲しい物のハズなのに……なら、自分勝手に理想の憂ちゃんを創ればいいのに、ソレもせず……勝手に拗ねて……本物はこんな弱くないんだよ!≫
【……う、ぅ…………】
『声』に駄作と言われて、しゅんと落ち込み下を向く『希望のゆーちゃん』が可愛い。
【さっきから、ワケわかんねーってゆってんだろ……!】
≪……いい加減に放せよ。いつまで掴んでんだ? 気持ち悪い≫
【…………コレって、テメーだろ? テメーが、オレをおさえつけてんじゃ……?】
【……ふぅん、ヤミ(闇)はオマエ(浅間)がつくったんだから……ソレはオマエ……オマエがオマエをおしてるってコトだね……】
うんうんと頷く『絶望のゆーちゃん』が、『声』と同じくこの世界、闇を浅間自身だと捉える。
悪夢は浅間自身が創ったもの、その内容も、登場する?憂も『声』も浅間自身さえも――
≪最期の最後にもう1コ、『希望のゆーちゃん』は、ナンでまた出てきたんだろーな? オマエのコトを笑うタメ? オマエが何かに気付けるようにチャンスを与えたかったんじゃね? 勝手にゆーちゃんを悪者にしてんじゃねーよ≫
【そうそう】
『声』に賛同する『絶望のゆーちゃん』がにこにこしながら首を縦に振った。
【た……たすけっ……!】
【ハイハイ……】
さらに地の底に沈みゆく絶望に瀕した浅間が、必死にもがいて手を泳がす。
『絶望のゆーちゃん』が優しく微笑んで差し伸ばした右手を、浅間が両手で掴んだ。
掴んだ、その瞬間――――
ぎゅっと握られた『絶望のゆーちゃん』五指が、ぼろぼろに砕けた――
【…………え?】
【あ~あ、コワレちゃった……もう、シンちゃんがランボーにつかむから……】
『絶望のゆーちゃん』が、あまりにも傍観者的な反応で、崩れ落ちた自らの手を眺める。
【……な、なあっ!?】
『絶望のゆーちゃん』の手だった残骸は地面に落ちた後、乾いたただの土の塊になった。
曖昧な形の憂の正体は、ただの土くれ人形だった。
テニスボールが入りそうなぐらいに、大きく開いた浅間の口はしばらく塞がらなかった。
【シンちゃんのコトをたすけ(ら)れるのは、ボクじゃなくてキボ~のほーのボク……ザンネンだったね?】
くすっと無邪気に微笑む『絶望のゆーちゃん』は、絶望を感じさせない程に可愛かった。
≪オマエはゆーちゃんのコト……ホントーのゆーちゃんが、見えてねーんだ……そりゃ救われねーよな?≫
【わあああああwっ!! ナンだよ? オレのクセに、オレのしらねーコトバ、しゃべんじゃねーよ!! オレだろ? そのイカレたノーミソのテメーわxt!! オレなあンnだろ!? ……ヘンになっちまった! トチくるったテメーらのせいで、オレがヘンになっちまっtた!! ……ちくしょう! いいよ……もう……どーだって…………】
理性のたがが外れた浅間が、言葉にならない狂気に捕らわれて叫び出した。
精神の崩壊一歩手前――もう、その一線は超えてしまったのかも知れない。
二重身、つまりドッペルゲンガーを見た者は精神的に危険な状態で、命の危険さえあるとされているが、浅間は自分自身ではなく、憂のドッペルゲンガーで精神崩壊に追い込まれていた。
≪何でオマエが暗闇を黒とイメージしてんのかわかるか? オマエは怖いからだよ。独りぼっちの夜が……誰もいない。オマエの心には誰もいてくれないのに、夜は現実にも誰もいないからな……甘えん坊のクソガキは怖いんだ……もういいよ。夜に……塗り潰されれちまえよ。押し潰されちまえよ。磨り潰されてしまえ……よ?≫
【……ち、ち……ちく……しょォ…………】
浅間の家庭事情を知る自身である『声』が貶める。
家に帰っても両親は家におらず、浅間は一人寂しく寝床に就く。
それがいつもの日常で、浅間はそのことに疑問をもたなかった。
それでも、六歳の幼児、孤独が日常であることが心細くないわけはなかった。
浅間は期待をしない、強がって何も望まないようにしていた。
『声』の創り出した悪夢に心を侵されて、会話をすることさえ困難になってきた。
叫び疲れて闇に沈んで行き、生も根も尽きて、その姿が地上から見えなくなったとき――
「【シンちゃん!】」
何処からかこの深淵に憂の声が二重に響いた。
その声に驚いた『希望のゆーちゃん』が、あたふたしながら周りを見回した。
『絶望のゆーちゃん』も驚いたらしく、唖然と定まらない視点を泳がせていた。
二重に響いた憂の声、叫んだ憂は二人――だとしたら叫んだ憂は、「希望」と「絶望」なのか?
それなら、なぜ二人はこんなにも驚いているのか?
「誰?」といった感じの憂、信じられないといった表情の憂、二人の憂は動揺していた。
今まで、自分の腕が砕け落ちても、平然としていたのに――
二人の憂の声、一人が『希望のゆーちゃん』だとしたら、もう一人は――浅間の中に存在する本当の憂の声だったのかも――――
薄れゆく意識の中で、浅間は地面を照らす眩しい日差しを感じていた。
真っ暗闇だったはずの空から降り注ぐ光のシャワーが世界を白く包んだ。
光が薄れて消えゆき、再び目覚めたときは、浅間は自分の部屋のベッドにいた。
この声に呼び戻されるように、浅間はこの奇妙な悪夢から解放されていた。
夢といえど、夢を超越した出来事、それは創造主の悪戯か、悪魔の呪いか――
一生、浅間にはその謎を解明することは出来なかった。




