磁石
海の帰り道は渋滞、起きているのは運転手のみ。三人の寝息を聞きながら、物思いに耽る……。
運転手以外は爆睡、静かな車内。楽しんだ後の帰りの車は大抵こうなる。道は渋滞、沢山のテールランプが光っている。
俺は、みんなの寝息を聞きながら運転するこの状況が嫌いではない。静かなのに孤独じゃなくて、眠りを守っているような温かい充実感すら感じている。
助手席では真由美が、吸い込まれるように美しい寝顔で眠っている。
運転している間はバカ騒ぎをしていた大輔も、運転を変わった途端に後部座席で奈津子と一緒にすやすやと眠っている。
大輔は豪快に見えるが、実は繊細で人一倍周りに気を遣っているのを、俺は知っている。普段はそんな部分を見せないようにしている事も。
今もそうだが、大輔は寝相がいい。寝乱れたり、大きな鼾をかいたりする事もない。綺麗な寝姿を見ると、友人達は「らしくない」と笑うが、本当はそういう奴なんだと思う。
周りに気を遣わせないようにする優しさが、気遣いという言葉とは縁遠いような振る舞いをさせているだけなのだ。
俺はそれをあえて指摘しないが、大輔はきっと俺がそれに気付いている事を知っている。
俺達の間には、いつもその無言の信頼感が心地よく漂っている。
だからこそ、この長い期間を密接に過ごす事が出来てきたのだと思う。
共通の遊び友達、飲み友達はたくさん居る。でもお互いにそいつらとは別の絆が明らかにある。
大輔と初めて逢ったのは、高校に入学した時、正確に言うと入寮した時だ。
全寮制の高校とはいえ、簡単に親元に戻れない関西から入学した俺のような奴は珍しかった。
大輔のように、自宅から通学出来るような距離の者が多く、比較的遠方でも関東地方の出身がほとんどだった。
不躾に「なんでわざわざうちの学校に来たんだよ?」と質問してくる奴が多いなか、偶々部屋が同室になった大輔は開口一番
「お前、大人だな」
と言った。
返答に困った俺の顔を見て「普通、興味本位に質問された時って顔に不快感が出るもんだろ?お前、笑顔じゃん。凄いよ。」
と笑って言った。
「別に凄くねーよ。笑顔は単なる癖だ。」
と背中を向けて返したが、内心グサリときた。
デリカシーのない質問は、ただの雑音として笑って聞き流せる。お前ら低俗だな、俺は同類ではないぞ、という侮蔑の意味も込めて。そんな高慢な自分を見透かされたような気がした。
そんな俺の背中に大輔は言った。
「俺、おまえの事なんか好きだ。仲良くやろうぜ。」驚いて振り返ると、そんな恥ずかしいセリフを言ったにも関わらず、照れもせずにニコニコ笑って大輔が座って居た。
「……もしかして、お前、そっち系なのか?」
聞かずには居られなかった。
「はぁ!?そんなんじゃねーよ!!俺は可愛くてナイスバディな女が好きだ!…まさかお前こそ…?」
「俺は、華奢で落ち着いてる女が好みだよ。」
2人で顔を見合わせてゲラゲラ笑った。
男にいきなり「好きだ」と言われたのも、お互いの名前より先に好みの女のタイプを告白しあったのも初めてだった。
それからお互いに、好きな女は何人か変わったが、俺達は、ずっと一緒に居る。
奈津子は、考え方や感じ方が大輔にそっくりだ。ただ表現の仕方は正反対で、思ったままに素直に表情や態度に出る。俺としては、それがとても心地いい。
普段大輔から感じる解りづらい心遣いの俺なりの解釈は、やっぱり正解なんだなと奈津子を見てると改めて思う。
これはきっと、育った環境で培われたモノなのだろう。羨ましくないと言われれば嘘になる。だが、それ以上にその暖かさに触れられる事が、嬉しく心地いいのだ。
俺は温かい家庭というモノで育った記憶がない。真由美もそうだ。俺達は育った環境が似ている。だから共感しあえる部分も多い。けれど俺と真由美の決定的に違う所は、他責の念の強さだ。
真由美は他責の念が以上に強い。何か気にいらない事は、全て周りが悪いと感じて攻撃的になる。そんな性格には正直うんざりしているのだが、何故か放っておけない。心がひねくれた理由がなんとなくわかるから。俺だって、ちょっと違う道を選んでいたら、真由美みたいになっていたかもしれない。そう考えるともう1人の自分のような気さえしてくる。
それに真由美も気付いているのだろう、俺の前では取り繕わない。逆に言えば、俺以外の前では嫌な部分の心を出さないのだ。
正直、久し振りに再開した時には、街を歩けば多くの人が振り返るような、申し分のない外見に惹かれて、特別な関係にあった時期もある。でも、すぐに破綻した。お互いに疲れてしまったのだ。
それから暫くして、大輔と真由美が付き合う事になった。2人が連絡を取り合っていた事には驚いたが、嫉妬はなかった。
俺の心中は安心と心配が半分ずつ。安心は、大輔ならもしかしたら真由美を受け入れていい方に心持ちを向けられるかもしれない。心配は、大輔が傷つけられるかもしれない。真由美は「異性にどれだけ愛されているか」で自分の価値を判断している。但し、愛の基準は見栄や物欲をいかに満たしてくれるかで計る。それを満たしてくれないイコール自分が価値がないと判断されたと思い、プライドを守る為に攻撃に転じる。攻撃の手段は様々だが、人の心の痛い所をつく才能は天下一品だ。大輔のよさに気付かず、傷つけるかもしれない。
結果的に、大輔は俺の予想以上に大物だった。溢れる程の包容力と明るさで、真由美は少しずつ変わってきた。まるで大輔が育て直しているみたいに。真由美は大輔の前では、とても無邪気で可愛い普通の女の子になる。魔法のようだ。
俺が付き合っていた頃、真由美に何か注意をすれば、ふてくされるか逆ギレして攻撃してくるかのどちらかだった。でも、大輔にダメ出しをされても笑顔で「ごめんね、気をつける」と謝る。
ただ、大輔に対してだけなのだ。それ以外の人には、何も変わらない。
特別な対応は2人だけ。大輔に対しては天使、俺に対しては悪魔。それ以外には、人形。
もしかしたら、大輔と同じ空気を持つ奈津子なら、違うかもしれない…そう思って、今日は一緒に海に連れて行った。大輔もそう思ったのかもしれない。
しかし奈津子は、どうやら真由美の嫉妬の対象になってしまったようだ。
異性である大輔の好ましい部分を、同性である奈津子が持っている事は、真由美に敗北感を与えたのかもしれない。
真由美に対する戸惑いや嫌悪感が現れた奈津子の顔を思い出す。
奈津子は真由美の嫌な部分をストレートに感じとってしまった。さすが大輔の妹だ。しかし、そこに自責の念が生まれる事が奈津子らしく、俺が好ましいと思う部分だ。
これからきっと、真由美と奈津子の関係は一筋縄では行かないだろう。
いつか真由美は奈津子を攻撃するかもしれない。奈津子は最後には自分を責めるだろう。
大輔と真由美、そして奈津子。この三人を引き合わせてしまったのは俺だ。
少なくとも奈津子の事は、守ってやらなければいけないと強く思う。
信号待ちで、真由美の寝顔を見る。
性格的には最悪の敵キャラである真由美が哀れに思える。
俺と真由美は磁石のN極、大輔と奈津子はS極のようだ。互いに引き寄せあう。けれど、N極同士を合わせようとしても見えない力で跳ね返される、あの感触は嫌ではないのだ。
奈津子に嫌な思いをさせたくないと想うと、何故か真由美に対する罪悪感がわいてくる。Nの俺がSの味方をする事が、あの感触を手放してしまう事が、互いに対する裏切りであるかのように…
信号が変わり、アクセルを踏む。沢山の車の流れにのりながら、俺は車を走らせ続けた。