涼しい眼をしたあの人
とても暑い日のエアコンも効いていない部屋だったのに、涼しげな目……、というか寒そうな目をしていたのをよく覚えている。
私には、年の離れた兄がいる。
兄は全寮制の高校に行っていた。高校を卒業すると実家には戻らずに一人暮らしを始めたので、もう7年も離れて暮らしていた事になる。それでも私は兄が大好きだ。
兄はとても優しくて、長い休みの時には帰省して、私をとても可愛がってくれていた。私はいつも、兄が帰って来る日を心待ちにしていた。
あれは中2の夏休み、兄は車で帰ってきた。
車の持ち主は兄の友達の
「佑ちゃん」
兄とは高校の頃からの親友で、同じ大学に進み、同じマンションでそれぞれ一人暮らしをしていた。我が家からはさほど離れた場所ではない。
「佑ちゃん」の話は前からよく聞いていたが、逢うのは初めてだった。
兄は「佑ちゃん」の事を、「読書好きで、人との付き合いがあまり得意じゃないけど、仲良くなると男気があって、面白くて、情に厚くて、凄く信頼出来る奴」と言っていた。私は勝手に熊さんみたいな、ほんわかとした素朴な雰囲気を持った人を想像していた。
でも実際に逢った「佑ちゃん」は、背が高くて顔が小さくてイケメンで、服のセンスも良くて、芸能人みたいで、なんだか雰囲気もクールというか鋭い感じで、あまりにも想像と違っていて、会話はおろか挨拶もまともに出来なかった。
「初めまして、戸倉祐二です。いつも大輔君にはお世話になっています。突然伺ってすみません。」
母はこの、ちゃんと挨拶が出来る、予想外のイケメンの登場にテンションが上がりまくって、その日の夕食は見た事もないような豪華な料理が並んでいた。
緊張して俯きながら食事をしている私の事など気にせず、母も兄も饒舌だった。「佑ちゃん」は、2人の口から語られる幼少期の話を驚いたり笑ったりしながら楽しそうに聞いていた。
話が途切れた瞬間
「ナツコって夏の子?」
という声がした。驚いて顔を上げると、「佑ちゃん」が微笑みながら私を見ていた。
「違うんだよ。奈津子って書くの。今時の名前じゃないよな〜。」
兄が私をからかうように言った。
「佑ちゃん」は私を見たまま、
「それなら納得」
と小声で言って食事を続けた。話題はすぐに、変わった。
それなら納得って、どういう意味?今時じゃないって事!?
確かに私はおしゃれに敏感な方ではないし、クラスで人気者になるような華やかなタイプじゃないけど、
なんだか馬鹿にされたようで、私はその後会話に加わる事が出来なかった。
食事の後、兄と「佑ちゃん」は兄の部屋に行った。今日は泊まるらしい。
母は、スイカを切りながら「思ってたよりイケメンだったわね〜!言葉遣いもちゃんとしてるし、育ちがいいって感じよね。息子が増えたみたいで、なんかいいわねえ。
お兄ちゃんの部屋、エアコンないし暑いかしらね〜?なっちゃん、スイカお兄ちゃんの部屋に持って行ってね。お母さん洗い物しちゃうから」
と上機嫌で一気にまくしたてた。
私は名前の話がひっかかっていて本当は顔を見たくなかったけど、あんな事で拗ねていると思われるのも嫌で、素直に届けに行った。
お兄ちゃんは家に居る事が少ないので、部屋にエアコンはない。ノックして部屋に入るとやっぱり蒸し暑かったけど、全開の窓からは夜風が入ってきて、それはそれで心地よかった。
「佑ちゃん」は1人で腰高の窓際に寄りかかって携帯を見ていた。風にあおられるレースのカーテンを気にもしないで座っている「佑ちゃん」はとても涼しげ、というか少し寒そうにさえ見えた。
私に気付いて顔をあげて
「あれ、スイカ!?ありがとな。なんか色々気を遣わせちゃって悪いね」
と微笑みながら言った。とたんにパーッと明るい空気が部屋を満たした。
華があるってこういう感じなのかな……と思いながら
「いえ、あの…お母さんも喜んでるので気にしないで下さい。お兄ちゃんは?」「風呂入りに行ったよ。奈津子も一緒に食べようよ」
家族や友達は、私の事を「なっちゃん」とか「なつ」と呼ぶ。
笑顔で「ナツコ」と呼び捨てにされてドキッとした。
なんとなく気まずいのに、隣に座った。「佑ちゃん」はニコニコしてスイカを食べている。
私は勇気を出して
「なんで奈津子なら納得なんですか?」
と聞いてみた。
少し問い詰めるような口調になってしまって自分でも戸惑ったけど、「佑ちゃん」は笑顔のままで答えてくれた。
「なんか、夏〜!って感じじゃなかったから。う〜ん、もっと落ち着いてるっていうか、涼しげなイメージっていうのかな?だから奈津子なら少しクールな感じで納得」
と言った。
「涼しげ」という言葉を使われて驚いた。私が「佑ちゃん」を見た時に同じように思ったから。
「大輔はどっちかっていうと夏〜!ってかんじだもんな。あ、お母さんも。ああいう太陽みたいな感じ楽しいしうらやましいなって思うけど、俺は奈津子みたいな風が吹き抜ける感じって心地いいよ」
同級生なら到底使わないような言い回しをされて戸惑ったけど、心地いいって言葉が嬉しくて頬が赤くなるのが自分でもわかった。
多分気付いただろう「佑ちゃん」は、赤いほっぺの事をからかいもせずに、フッと笑うと、私の頭をポンポンとして
「よろしくな、奈津子」と言った。
私の頬は益々赤くなったに違いない。
その時、兄がタオルで濡れた頭をふきながら部屋に帰ってきた。
「お、ナツ〜!スイカ持って来てくれたのか?ありがとな〜。ん?ほっぺ赤いぞ。暑いか?やっぱりこの部屋暑いよな〜!」
兄は大きな声でいいながら、扇風機を全開にした。
「佑ちゃん」は悪戯っぽく私を見て笑った。
うん、確かにお兄ちゃんは夏だ。
その後、スイカを食べながら少し話しをして、私も部屋に戻った。
部屋に戻っても、私は笑顔のままだった。なんでかは、わかってる。
私は「佑ちゃん」を好きになったんだ。
嬉しいような、困ったような、なんとも言えない恋の始まりの気分に戸惑いながら、窓を開けて風を部屋に入れた。
隣の部屋からは、お兄ちゃんの大きな声と佑ちゃんの笑い声が聞こえる。明るい声。楽しそうな声がする。それが近くにある事に幸せな気持ちになる。
この時にはまだ、なぜあの時「佑ちゃん」が寒そうに見えたのか、私にはまるでわかっていなかった。