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二話

 「祈りを貴方に、手紙を君に」の三章です。

  強い衝撃と共に私は目を覚ました。


 それまで静寂が周りを満たし、穏やかだった空間にいきなり亀裂が走ったと思ったらガンッと鈍い痛みが頭に響いた。ジ~ンと痛みが頭の中へと沁み込んでいく。


「~ッ。イッタァ~」


 今の自分が床の上でおかしな体勢をとっているということに気がついて、ようやく私はベッドから落ちて目が覚めたのだということがわかった。目元にわずかな涙を溜めながら、痛みの治まらない頭を優しくなでる。


 あ~もう。せっかく人が気持ちよく寝ていたのに、なんでこんな起こされ方をしなくちゃいけないの!?


 そもそも、気持ちよく寝ていたのも、その眠りを阻害したのも自分なのだが、こういうときは自分に原因があっても怒りたくなるもので、どこにぶつけたらいいか分からないイライラを私はちょうど手が届く位置にあった枕にぶつけた。


「この! この!」


 バンバンと枕をつかみ、ベッドに何度も勢いよくぶつける。そうしていると、ベッドから落ちて床に頭をぶつけたことの怒りは収まってきたが、それとは別の苛立ちがお腹の底から顔を覗かせてきた。


 涙を流していた兄。電話で私に謝る香織さん。そして、二人をそんな風にした元凶である兄の友人。


「だ~。思い出したらまたムカついてきた! いったいお兄ちゃんがなにしたっていうのよ!」


 徐々に怒りのレベルが上がりだし、それまでただベッドにぶつけていた枕を殴りつけ始めた。しばらくの間、呼吸をするのも忘れてただひたすら枕を殴りつけた。殴っても殴っても元の形に戻ろうとする枕に苛立ちは頂点に達し、私は枕を壁に投げつけた。


「……はぁ、はぁ、はぁ。……なにやってるんだろ私」


 こんなことをしてもまったく意味のないことは分かっている。これがただの八つ当たりで、世の中はなんでも都合よく行くものじゃないということも。


「ああいう人もいるんだよね……」


 怒りを吐き出し、少しだけ冷静になった頭で考える。兄の友人について、私は詳しく知らない。彼らに会ったのは一度だけで、その姿を見たのは兄の葬儀の時に香織さんと他の人々が涙を流して葬儀に参列している時だけだ。兄のために涙を流してくれている。その姿を見て兄はいい友人に恵まれていたんだなと当時は思っていた。


 だけど、私が見たのはそれだけで、その人たちのことを詳しく知っていたわけじゃない。知っているのは友人って言う二文字の単語だけ。彼らと兄がどういう経緯で友人になったのか。どんな交流を今までしてきたのか。仲良くしながらも意見をぶつけあったりしたのか。本当のところお互いをどう思っていたのか。何も知らない。


 言い方は悪いが、誰だって本音と建前はそれぞれ持っている。

 

 私だってそうだ。ただのクラスメイトや近所の知り合い。先生をはじめ、それこそ仲のいい友人たちに対してだって。


 今回、お兄ちゃんの友人が拒絶する際に言ったことはきっと今まで隠していた本音の部分だろう。お兄ちゃんが生きていなければもしかしたら一生言わなかったかもしれないと思う。……そうだと信じたい。


 本当なら今すぐにでもお兄ちゃんを拒絶した友人のところにいって文句の一つや二つでも言ってやりたい。でも、そんなことをしてもお兄ちゃんも香織さんも喜ばないし、逆に状況をややこしくしてしまって二人に迷惑をかけてしまうからそんなことをしない。


 だから、今はお兄ちゃんの傍にいてお兄ちゃんを支えるんだ。三年前、いつも私を心配してくれて意味もなく反抗していた私を影ながら支えていてくれたお兄ちゃんみたいに。


 今度は私の番。


 それまでのイライラや鬱屈が溜まった暗い部屋のカーテンを思いっきり開き、明るい日差しを招き入れる。澄み切った青空は心をきれいに洗い流し、暖かい光が体に活力を与えてくれる。気分は一新。さっきまでの苛立ちが嘘みたい。


 時計を見ると時刻は七時半より少し前。昨日のこともあるだろうし、お兄ちゃんはまだ寝てるかな?


 今日一日をどんなものにしようか頭の中で考えながら私はお兄ちゃんを起こすために部屋の扉を開けたのだった。




「なんで起きてるの?」


 お兄ちゃんの部屋に行ったのだが、姿が見えなかったのでリビングに向かった私はそこで朝食を作っているお兄ちゃんに向かって呟いた。


「いや、それはむしろ俺が言いたいんだが。お前朝早く起きるの駄目だったんじゃなかったのか?」


 心底意外だと言うかのようにお兄ちゃんは私を見ていた。この時間帯に私が起きているのがよっぽど不思議らしい。……そりゃあ今でも朝は苦手だけどさぁ。


「私だって早く起きるときもあるよ。昔とは違うんだから」


 まさかベッドから落ちたともいえなかった私は羞恥心からつい口を滑らしてしまった。


「……そうだよな。千春も、もう子供じゃないもんな」


 しまった! と思ったときにはもう遅かった。気づいたときにはお兄ちゃんは見るからに痛々しい笑みを浮かべていた。


「あ……お兄ちゃん。……ごめんなさい」


 ついさっき決意したばかりなのに、ほんの数分も経たないうちにさっそく失敗してしまった。後悔しない為に行動しているのに、私がやることはどうしても空回りしてしまう。


 どうして上手くいかないんだろう。やっぱり私じゃ駄目なのかな? お兄ちゃんに迷惑をかけることしかできないのかな?


 そんな風に考えていると、私の頭にポンとやさしく手が置かれた。


「そんな辛気臭い顔すんなって。俺なら心配しなくても大丈夫だから。あいつらもあんなこと言いたくて言ったんじゃないだろうし。きっと、間が悪かったんだよ」


 私の考えていることを理解して、それでいて慰めの言葉を与えてくれる。一番つらいのはお兄ちゃんのはずなのに、本当は違うのかもって心のどこかで不安思っているはずなのに。そんな自分は後回しにして私の心配をしてくれている。


 本当に私の兄はいつだってやさしい。だけど、だからこそ今はこのやさしさに甘えちゃいけない。


「お兄ちゃん、ちょっとしゃがんで」


「ん? べつにいいけど」


 そう言って私の頭の上にあった手をどけてお兄ちゃんは膝を曲げ、少しかがんだ体勢になる。そして、頭の位置が下がり、目線が私と同じくらいの位置に来た。


「お兄ちゃんはね、がんばってるよ。いっつも辛い事があっても顔には出さないで人の心配ばっかりして。今だってそう。ホントは辛いはずなのに私がいるから無理して普通に接して」


「いや、俺は別に……」


 私の言葉をお兄ちゃんは否定するが、目が泳いでいた。


「無理……しなくてもいいんだよ? ここにはその友達も香織さんもいないよ。私一人なんだから普通にしなくてもいいんだよ? 私たち“家族”なんだから、もっと……甘えてよ。辛いことがあったら溜めずに吐き出してよ。私にもお兄ちゃんのこと支えさせてよ。もう、後悔はしたくないよ」


 私はそっとお兄ちゃんの頭を抱きしめながら自分の思いを伝えた。お兄ちゃんは私の手を解くこともなく、黙って私の言うことに耳を傾けていた。


 しばらくの沈黙の後、静かにお兄ちゃんが口を開いた。


「……そっか。そうだよな。“家族”だもんな」


 そう言って私の手を解くとまたさっきのようにやさしく頭を撫でた。


「ありがとな、千春。 お前の言葉聞いて元気出てきた」


 わしゃわしゃと少し乱暴に私の髪の毛をいじるお兄ちゃんの顔は先ほどまでの痛々しい笑みではなく、いつも見てきた明るくて人を惹きつける笑みに変わっていた。その笑顔を見て私もまた笑顔になる。


 しかし、しばらくすると私の頭を撫でる手に段々と力が加わり始めた。


「ちょ、お兄ちゃん。イタッ、痛いって」


「うっさい。まだ子供の癖に男に対してあんなませたことしやがって。お前があんなことするにはまだ五年早い」


「えっ!? 何で怒ってるの? 私何も悪いことしてないじゃない。それにさっきもう子供じゃないって言ってたよね」


「そんなことは言ってない。お前はまだまだ子供だ。朝早くに一人で起きられないようなガキだ」


「……なっ! そんなことないよ。現に今一人で起きてるじゃない」


「どうせベッドから落ちて起きたとかそういった理由だろーが。もういい加減一人でも起きられるようになれ」


「なんでそうなるのよ。あ、わかった! お兄ちゃんさっきの私の行動に照れてるんだ。それで急にこんなこと言い出したんだ!」


「違うわ! 何で俺があの程度で照れないといけないんだよ」


「あ~鼻ぴくぴくしてる。やっぱり照れてるんでしょ。もう、そういうとこホント素直じゃないんだから」


「だ~もう。あんまりうっさいと飯食わせないぞ」


 怒るお兄ちゃんをからかいながら、私は思うのだ。


 やっぱりお兄ちゃんは明るいほうがいいな~。


 午前八時。朝食はまだ食べていない。

 「祈りを貴方に、手紙を君に」の三章の二話目です。

 今回のお話では千春が佳祐の力になろうと決意するお話です。「思い出は少しずつ薄れて」の最後にも少しだけ書いたのですが、かつて佳祐のことで一度後悔をしている千春は二度と同じことを繰り返したくないと考えています。なので、佳祐の力になりたいと思うのですが、精神的には断然彼のほうが上なので、なかなか上手くいきません。


 そんな中でも、不器用ながらに必死に自分の思いを伝える千春。今回はそんな千春を描いたほんの少しだけやさしい物語にもなっています。

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