承の章
朝。
「ホーホー、ホッホー」みたいな鳴き声で起こされる。
布団から手を伸ばしスマホを見ると朝の6時05分だった。
昨日お酒飲んだし頭痛い、まだ寝たい。
そのまま布団に潜るが、それを貫通して聞こえる鳴き声。
うるさくてしょうがない。
仕方なく怠い身体を起こす。
あれ鳥の鳴き声だよね、鳩かなんかかな。
覚醒しきっていない頭でそんな事を思う。
その時部屋の外からお母さんが呼びかけてきた。
「咲恵ー、起きてる?」
無視して寝てもいいんだろうけど、
起きちゃったしな。
酒焼けしたガラガラ声で返事をした。
「起きてるよー」
「あら、早いわね。
まだ寝てるかと思ってたけど。
朝ごはん出来てるけど食べられそう?」
「……うん、食べるー」
「じゃあ顔洗ってらっしゃい」
そうしてお母さんの声は遠ざかる。
私は這いずりだし、布団もそのままに洗面所に向かった。
蛇口を捻り、
夏とは思えない程に冷えた水を顔にかける。
少しスッキリしたみたいだが、鏡を見ると案の定顔が浮腫んでいた。
だいぶ飲んだからだけど恥ずかしい、実家でよかった。
どうでもいい事を思いながら二度三度と顔を洗う。
歯磨きは……ご飯の後でいいや。
軽く顔を拭き化粧水を薄く付けて土間に向かう。
そこには、もうすっかり朝ごはんの準備が終わっていた。
ご飯に味噌汁、目玉焼きにほうれん草のおひたし。それと沢庵。
昔はよく食べていた、いつもの朝ごはんだ。
「おはようお母さん。 お父さんは?」
「おはよう。
お父さんまだ寝てるわよ、昨日散々飲んでたから。
咲恵も起きるの早かったじゃない」
「あー、なんか鳥?の変な鳴き声で起きちゃって」
「あら、それキジバトよ。
ホント変な声よねぇ、東京には居ないのかしら」
そんな他愛もない会話をしながらご飯を食べていく。
ゆっくり食べ終えて麦茶で一息ついた所に、お父さんがやってきた。
だけど半分目瞑ってるようで寝ぼけているみたい。
「おはようお父さん」
「あぁ、おはよう咲恵、母さん」
その声は私よりガラガラで息も酒臭い。
だけど朝ごはんは食べられるみたいで沢庵にかぶりついた。
「あー、頭痛い」
「昨日あれだけ飲むからよ!
お漏らしもして恥ずかしくないの?」
「うわ、しょんべん出ちゃってたか。
通りで股がベトベトしてるわ」
そんな両親の会話。
私が出て行った後でも変わらない砕けた雰囲気に、「あぁ、やっぱり実家なんだな」と嬉しくなる。
「そうだ咲恵」
不意にお父さんが話しかけてきた。
「お前どれくらいこっちに居られるんだ?」
「んー、あと2日くらいかな。
仕事の休みが4日間だから、それまでには戻らなきゃ」
「そうか。
都会からしたら何も無いだろうけど、それでもゆっくりしていけよ。
そうだ、昨日の牡丹美味かったろ?
また取ってこようか?」
「もう、お父さんたらはしゃいじゃって」
「咲恵が帰って来てるんだ、そりゃはしゃぐよ。
母さんだってそうだろう?」
「そうだけどぉ」
久しぶりに家族を堪能してる。
幸せだなぁ、私。
◇◆◇◆◇◆
ずっと家に居てもテレビを見るくらいしかなく、
娯楽の無さに辟易しながら外に出た。
長閑な畦道を歩いて軽い散歩する。
夏の暑さはあるものの、都会のような照り返しがないから散歩も苦じゃない。
顔合わせる人は全員が顔見知り、狭い村だしね。
畑仕事している人なんか「咲恵ちゃん、これ持っていきな」って、
ナスとかキュウリをくれる。
純粋に嬉しい。
田舎特有のめんどくささは昨日堪能したけど、それとこれとは別だ。
現金だけどね。
「あ……」
キュウリを囓りながら歩いているとお寺の前に着いた。
深真柧寺、この村で唯一のお寺さん。
お祭りもこのお寺でやってたんだよね。
紫龕様の事、何か知ってるかも。
私は石段を登り、境内に向かう。
誰もおらず静けさだけが支配する寺は、別世界に紛れ込んだよう。
昨日までの疲労が緩められ、不思議と心も落ち着く。
そのまま本堂に歩いて行くと、やはり誰もいない。
安置された仏像だけが異彩を放っていた。
でもこの仏像、見た事ない。
お寺さんと言えば、詳しくないけど如来様とかのはず。
けれどここにあるのは、顔を隠された立派な男性の裸体像だった。
「もし」
急に背後から声をかけられて、飛び上がりそうなくらいビックリする。
恐る恐る振り返ると、住職の安田 雲廉さんが居た。
「やはり、花岡さんの所の。
お久しぶりですね」
「お久しぶりです。
すいません、勝手に上がってしまって」
「構いませんよ。
そも、寺は何時誰にでも開かれているもの。
敬意さえ忘れていなければ、それを一体誰が咎めましょう」
静かにそう言われホッと胸を撫で下ろす。
それにいい機会だ、聞いてみよう。
「あの、厚かましいかも知れませんが。
紫龕様について、なにか教えてもらえませんか?」
私が言うと住職はほんの少し驚きの表情を見せるがすぐに破顔する。
「そうですね。
貴女が此処に来るのも幼い頃の祭り以来。
御本尊様をご覧になるのも初めてでしょうし、気になるのもわかります。
構いませんよ、お茶を持って参りますので少しお待ち下さい」
そうして住職は本堂を出ていく。
再び静寂に包まれた涼しい本堂に、少し怖さを感じた。
◇◆◇◆◇◆
住職に座布団を用意してもらい、
座りながら濃い緑茶とどら焼きを頂く。
「さて何から話しましょう。
……貴女は『紫龕様がこの村を作り上げた』という話はご存知ですか?」
「はい。
両親から聞いています。
小さい頃、お祭りの時期になると口煩いくらいに、その話をしてきまして」
「そうですか」
住職は笑みを浮かべて、緑茶をひと啜りする。
「ならば成り立ちからお話ししましょう。
江戸時代の始め、慶長18年頃。
此処は村など影も形もないただの草原でした。
水も、資源になりそうな物も何も無い土地。
そこに流れ着いたのが、佐野 喜代乃介。
武家の人間です。
彼は何を考えたのか此処を駐留地と決めて、開墾を始めました。
それが成り立ちとされています」
そうだったんだ。
でもおかしい。作ったのは紫龕様、なんだよね。
「疑問に思う事でしょう。
紫龕様はどうしたのか、とね」
その言葉に、内心が顔に出てたと感じ恥ずかしくなる。
「さて、佐野は武家のため付き添う者達も大勢いました。
当時では珍しい程に、大勢を引き連れていたそうです。
そして佐野は使用人に開墾を命じました。
しかし、何も無い土地に村を作れと言われても、どうする事も出来ません。
仕方なく草木を刈り整えたりはしたようです。
ですが形だけ整えても水が無ければ生きてはいけません。
そこで一番近い──とは言え五里、今で言えば20キロは離れています──川へ向かいその川の主にお願いをしたそうです」
「川の……主?」
「ええ。
現代でも八百万の意識は我々日本人に根付いていますが、それでも形骸化しています。
ですが当時はより信仰も篤く、神々も今より身近でした。
また八百万は禁教令の対象でもなく、信仰しやすいという背景もあったでしょう。
申し訳ありません、脱線しましたね」
住職は軽く咳払いをして、佇まいを直し話を続ける。
「辿り着いた彼らは、主にその身を持って願い奉りました。
『我が髪を捧げんが為、どうか村に水を』と。
そして、髪を切り川に流しました。
当時髪の毛は長く伸ばすのが主流であり、切る事は俗世との決別を表していました。
しかし彼らは仏道を志してもいなければ、パートナーを亡くした訳でもない。
つまり、自らの『生者としての身分』を捨てる覚悟であったのです」
思わず唾を飲み込み、前のめりになる。
ドンドンと話に引き込まれていった。
「主もその願いを聞き取ったのか、彼らが村に帰る頃には川が出来ておりました。
佐野は大層喜びましたが、使用人に不用な覚悟をとらせてしまった事を恥じ、
喪に服しました。
ですが使用人達は生者の身分を捨てていますが、生きてはいるのです。
そのため佐野は黒ではなく、紫の喪服に身を包み彼らの献身に報いたのです。
紫は、生者を捨てながら生きる者への敬意。
龕とは仏像を安置する厨子、ようは納めておく棚の事。
それらと使用人達を結びつけ、
この村の神として祀りました。
それが転じて、
『紫龕様がこの村を作り上げた』
と言う事です」
そこまで話し住職はどら焼きを一口。
私はなにも手をつけずに、
息が止まるかと思うほど、
話に魅入られていた。
果てしなく純粋で果てしなく高徳。
けど、それでも。
「お話しありがとうございます。
その上で聞きたいんですけど、『お髪を貰う』風習って……」
「ああ、それですか」
住職は笑みを絶やさず告げる。
「紫龕様からお髪を貰うのは、
その高潔さを分けていただき恥じない生き方をする表明。
そう思って貰って構いません。
そうだ。
祭りは終わりましたが、お髪はまだございます。
貴女もお持ちなさい」
そうして住職は立ち上がり、取りに向かう。
思いの外すごい話が聞けた。
私って村のこと、知らなかったんだなぁ。
────あれ、おかしくない?
だって北中さんのおばあちゃんは腰に置いてるし、
村の皆は「いつ来るのか」みたいな話してたし。
それって高潔さと関係ない、よね。
それにあの仏像。
あれが紫龕様なら顔を隠す必要はないし、なにより裸じゃなくて良い。
「お待たせしました。
さあ、こちらをどうぞ」
私の疑問も他所に髪の毛の束を渡される。
20本くらいを白い帯で纏めその黒髪は、
ほんのりと温かい気がした。




