第34話:好意
5年前、学院入学時。
例の事件から8年が経とうとしていたが私の髪、瞳がその事件と一族の歴史を思い出させ、心に刻み込んでくる。
寮から講義棟に向かって歩いていると、同じように向かう生徒たちが噂話を初める。
それは小言だったが、確かに聞こえていた。
「おい、見ろ。卑しいファタールだぞ」
「例の事件で死ねば良かったのに、穢れた者め」
「魔術師の恥晒し、早く死ね」
「金払えばやらしてもらえるらしいぜ」
「マジかよ!」
注がれる矢のような視線、傷付けてくる剣のような言葉の全てが私の体、心をガラスように砕いた。
砕かれた心は、これから先の学院生活で起こるであろう絶望を想起させる。
実の家族が居た時はこんな事を言われても襲われても守ってくれた。
でも、その家族はもう居ない。
引き取ってくれた人も私の事を人として扱うことはなかった。
やっと離れられたのに……
私は俯きながら涙を流した。
「大丈夫かい」
下卑た顔を浮かべた先輩と思われる男子生徒三人が私を囲み、一人は私の肩に無遠慮に手を置いてきた。
「体調悪いなら、そこで休むかい」
肩を掴み、強引に建物の物陰に連れ込もうとする。
「やめて……離して!」
私の抵抗に男子生徒らは興奮し、頬を染め手を掴んでくる。
「抵抗するなよ、ファタールの分際で」
「そんなに焦らして……求めているくせに」
「……助けて! 誰かっ!」
周りの生徒たちは関わりたくないのか聞こえないふりして走り去っていく。
ああ……誰も、私の味方じゃな……敵だ。
私以外に私の味方はない、全員等しく私に刃を向ける敵だ。
誰も私の手を取らない、誰も私に声を掛けない、誰も私を守らない。
絶望が更に深まり、心は少しずつ殺意へと向かう。
その殺意に心が蝕まれ、殺すために魔術を発動しようとした瞬間。
「お前ら、弱い者虐めは楽しいか?」
落ち着いた声色の男声が後ろから聞こえる。
守られた、私が……
「何だよ、邪魔するなよ。こいつは卑しいファタールの人間なんだぞ」
男子生徒らは私から手を離す。
私は緊張が解けたのか俯いた状態で地べたに尻餅をつく。
「何だ? その卑しいファタールってのは?」
ああ、知らないから守ってくれるのか。
この人も、知ったら私を傷付ける敵になるんだ。
「知らないのか? こいつの一族はな……」
言わないで欲しい、教えないで欲しい、知らないで欲しい。
私から味方を奪わないで……
「興味ないから良いよ。俺は噂を聞きにここに来た訳じゃない、誰よりも強くなるために来たんだ……それにお前らが言おうとしている事は第三者の視点だろ、俺は自分で見て判断してこの女子生徒を助けに来た」
「え?」
思わず声が漏れる。
彼は今、何と言った?
顔を挙げ、その人物を見る。
綺麗な黒髪と黒目が特徴的な少年で、どこか覇気を持っていた。
「はぁ! お前、何様だよ。俺たち、先輩だぞ!」
「先輩だから後輩を襲っても良いとでも。どうする、俺と戦うか? 準備はとうに出来てるぞ」
少年は拳を構えた。
その構えは洗練されており、彼のことが戦士に見えた。
「ぷっ、魔術に拳で挑むってのか! 舐めやが——ぐへぇ」
私の肩を掴んでいた男子が前に出た瞬間、彼は盛大に吹っ飛んだ。
「構えた時点で勝負は始まっているんだよ」
「テメェ! 風よ、我が敵を切り裂け、風刃ッ!」
もう一人が魔術で刃を作り出し飛ばす。
「遅ぇよ」
少年は容易く、風の刃を避け術者に拳を繰り出した。
「ぐひゅ……」
「次はどいつだ!ってあれ?」
三人目は一人目が負けた時点で逃げていた。
「本当に体術がなってないな、レベルが低すぎる」
少年は文句を言いながら地べたに膝を付く私に近づてきた。
「お前、名前は?」
名前を尋ねられるなんて、いつぶりだろう。
私は少し感動しながら言った。
「ミア……ミア・ファタール」
「俺は黒曜濡羽。よろしくな」
それが濡羽との出会いだった。
濡羽との出会いがきっかけで私は自分のイメージを払拭することに心血を注ぎ、2年生の時、濡羽と共に勅令に成功したことで私はミアとなった。
それはひとえに、彼と対等に肩を並べるため。
しかし、私のイメージが払拭されたのは学院内だけで外に出れば私にはファタール家の者というイメージが付いて回る。
キングクラウンで優勝し、濡羽が有名になれば私は共にいられなくなる。
それが堪らなく悲しく悔しいのだ。
全てを喋った私にルナは、聖母のような笑みを浮かべながら問うように言った。
「そう……ミアさんって、濡羽くんのこと好きでしょ?」
「はぁ! 私があいつをないない……絶対に!」
ミアは頬を赤めながら手を振るという矛盾した行動を取る。
「じゃ、なんでそんな恥ずかしそうに言ってるの? 頬を赤らめて、ねぇ」
「いやーそれはー」
考えるほどにその分かりきっていた答えが生まれる。
その答えは恥ずかしく、正直で思いを告げても彼は興味を示さないだろう。
私のことを親友として大事に思っている彼の思いには反してしまうが、この抑えられない気持ちに名前を付けるのであれば、私は濡羽の事が……
「私は濡羽の事が誰よりも好き、誰よりも愛してる。この思いだけは絶対に曲げないし負けない」
「それなら簡単じゃない。貴方もキングクラウンに出て、ファタールの人間というイメージを変えれば良い」
「確かにそうね。私、濡羽といられなくなるって慌ててたわ……この思いを成すためにも強くならなくちゃね」
「そう。なら負けられないわね」
「もしかして、ルナさんも濡羽のことを?」
「……ないわね。ミアさん、私たち友達にならない」
「もうとっくに友達でしょ」
「それなら私のことは——」
「ルナたんって呼んでいい? タクオのマネ」
「それなら私はミアたんって呼んで良いのかしら」
「良いけど、濡羽だけ普通だね」
「濡羽……ぬれたん? いえ、言いにくいしおかしいわね」
二人の女子生徒は一人の男子生徒の事を思いながら並んで講義棟に向かった。




