第三話《剣は語り、心は黙す》
カッサーノが彼女と最後に剣を交えたのは、東部戦線の前哨地だった。
夜明け前の霧の中、双方の斥候部隊が偶発的に交戦し、戦場は混乱に満ちていた。
その中で、彼は見た。
――あの盾と剣。
――あの構え。
――あの、気配。
「……アレッサ」
名を呼んだ瞬間、霧を割って飛び込んできたのは、ためらいのない斬撃だった。
鍔迫り合いの音が、霧の中に鋭く響いた。
「まだ、教団にいるのね」
「おまえは、……なぜ、こんなことを」
「こんなこと? あのとき、助けた子たちは、いま、この戦場で敵になってる。
でも、私は、あのとき、殺せなかった。それが間違いだったとしても、私は選んだのよ、ルドヴィコ」
「名を呼ぶな」
「じゃあ、“枢機卿殿”とでも呼ぶ?」
彼は怒鳴らなかった。ただ静かに、剣を押し返した。
それが彼の答えだった。
再び剣が交差する。
風が舞い、霧が裂ける。
ふたりの世界だけが、そこにあった。
――本気で斬らなければ、斬られる。
――だが、心が斬れない。
彼女は言った。
「あなたの肩……、まだ痛むの?」
剣を交えながら、彼女は彼の利き腕の一瞬の動きの鈍さを見抜いていた。
「……まだ、あのときのままだよ」
そのとき、砲声が轟き、霧が一気に吹き飛んだ。
互いに引くタイミングは、剣ではなく、空から与えられた。
「次は、情けはかけない。私は、“敵”よ」
「敵なら、何度でも会えるな」
彼女は一瞬だけ笑った。
その笑みが、カッサーノの胸に焼き付いた。
そして、二人は霧の向こうへと離れていった。
次回、第4話《赤と紫のはざまで》