第二話《灰に焼かれた記憶》
かつての教団南方戦線。
荒れ果てた大地、砂混じりの風に、砦の屋根が軋む音だけが響いていた。
「燃やせ。徹底的にだ。異端が潜んでいた可能性があるなら、灰も残すな」
司令官の命令が下った。
その場にいたカッサーノは、黙って焚きつけの油を手に取り、燃えさかる小屋の前に立った。
中には、かつての彼女――アレッサ・ヴォルタが使っていた部屋があった。
机には、戦況を記録した帳面。
窓辺には、砕けた剣の破片。
そして、壁に立てかけられたままの、修理されていない盾。
「これで、良かったのか?」
誰に問うでもなく、彼は呟いた。
彼女は、赤派の一員として敵地深くに潜入していた。
だが、指令に背き、捕虜を逃がし、そのまま姿を消した。
教団は彼女を“裏切り者”と断じた。
「感情に負けた女の末路だ。教団に不要な情けは、災いを呼ぶだけだ」
同僚の若い神官騎士が吐き捨てるように言った。
カッサーノは、その男の胸倉をつかんで壁に叩きつけた。
「……人を救って、何が悪い。
命を繋いだ末に、敵が生まれようと――それは、“選ばなかった誰か”の責任じゃない」
それが、彼の本心だった。
だが、言葉を発した直後に、彼は己の手を離した。
暴力では、何も変えられないとわかっていた。
部屋の奥で火の手が上がる。
乾いた紙が、ぱちぱちと音を立てて燃える。
その中に、一通の封筒があった。
拾い上げることはできなかった。
彼は見ていた――燃え尽きるまで。
中に何が書かれていたのか。
それを知ることは、彼の資格ではなかった。
ただ、その灰が舞い上がったとき、
風が吹いた。
まるで、誰かが微笑んで通り過ぎたように。
次回、第3話《剣は語り、心は黙す》