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「ああ、いいのよ。お姉様。正直に言ってくれて。殿下は私一人なら呼んではくれないでしょうね。だから当日まではお姉様も行くということにしておいて、直前でやめにしてほしいの」
ブリジットは歌うように言う。
彼女がそんなことを言うのは意外な気もしたが、当日キャンセルするくらいならそう負担でもないので、承諾することにした。
「わかったわ。私は急に具合が悪くなったとでも言い訳することにするわね」
「お姉様は話が早くて助かるわ」
ブリジットはにっこり笑って言う。
「でも、体調不良だと言うのはやめて。当日迷子になってちょうだい」
「……迷子?」
「そう。王宮って広いじゃない? だから殿下との約束の日に、間違った場所に行って欲しいのよ。王宮のお庭の端に倉庫があるのを見たことがあるでしょう? 間違ってあそこへ入ってしまったことにして、出られなくなったって後から説明して欲しいの」
「それは……無理があるんじゃないかしら」
いくら王宮が広いとはいえ、私は何度も訪れているし、そもそも王宮に入る際には案内がつくので、迷うのには無理がある。
ブリジットでもそこまでわからないわけではないだろうに、なぜそんなことを頼んでくるのか理解できない。
「無理ならいいわよ。その代わりお姉様が実はメイドの娘だって学園中に言いふらしてやるんだから」
ブリジットはケタケタ笑いながら言った。
別に言いふらされてもよかった。
ブリジットは平民の血が流れていることをいかにも恥ずべきことだと考えているようだけれど、私は公爵令嬢の身分こそ偽物で本来はただの庶民の娘だと思っているので、知られて困ることでもない。
困るとしたら、王子の婚約者にしたい娘の血統にけちがついてしまう公爵様の方ではないか。
しかし、ここで断ったら、ブリジットが癇癪を起こすであろうことは目に見えている。
きっと学園で私の出自を言いふらすだけでは済まない。その後も延々と嫌がらせをしてくるだろう。
それを考えたら、少々の無理をして「迷子」になるほうがましなのではないかと思えてきた。
「……わかったわ。当日、お庭の倉庫に隠れていればいいのね」
「ええ、お願いね、お姉様!」
ブリジットは明るい声で答えた。
ブリジットの笑みは、悪感情に満ちている。空っぽの私の笑みとどちらが醜いのだろう。
私は去って行くブリジットの背中を、虚しい気持ちで眺めていた。
***
「これ、どうしたんですか」
ある日の午後、教室移動で廊下を歩いていたら、後ろからアシェルに腕を掴まれた。
アシェルの方から話しかけてくることなんて滅多にないので私は一瞬ぽかんとしてしまった。
一緒に廊下を歩いていた友人たちも驚いた様子でアシェルを見ている。
私はもう随分長いことアシェルに付き纏っているけれど、それは噴水やら人のいない時間帯の教室やらが多いので、彼女たちが不思議がるのも無理はない。
アシェルの握っている私の手、制服のブラウスの下には、昨日奥様につけられた傷を隠すための包帯が巻かれている。
「ちょっと来てください」
「え、あ、待ってアシェル!」
アシェルは掴む手を包帯の巻かれていないほうに持ち替えると、有無を言わさず引っ張った。
私はぽかんとしている友人たちに「先に行っておいてくれるかしら」とだけ告げて、アシェルに引っ張られながら早足で歩く。
アシェルは歩いている間中、何も言ってくれなかった。
校舎の奥の、ほとんど使われていない教室までやって来ると、アシェルはようやく足を止めた。
「その手、どうしたんですか?」
アシェルは先ほどと同じことを再び尋ねてきた。
「これ? ちょっと転んじゃったの。学園の庭に岩ででこぼこしてる場所あるでしょう? 考え事しながら歩いてたらうっかり。あの辺ちゃんと舗装し直して欲しいわよね」
私は奥様が眉を吊り上げ、顔を赤くして私の腕にフォークを突き立てた光景を思い出しながら、すらすら嘘を吐く。
しかし、アシェルは疑わしそうに私を見るだけだった。