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私、フレイア・ラズウェルは、一応ラズウェル公爵家の娘ということになっている。
なってはいるけれど今でもあまり実感がない。
それというのも公爵家に来たのがもうすっかり物心もついた六歳の頃だったからだ。その頃には自分のことを王都の端でひっそりと暮らす一般庶民なのだと自覚していた。
六歳になるまでの私は、王都の隅の小さな酒場で働くお母さんと、部屋が一つしかない集合住宅で暮らしていた。貧しいけれどそれなりに楽しい暮らしだった。
お母さんは職場である酒場から帰ると、毎回私を抱きしめて、膝の上に乗せて髪を梳いたり、ベッドで私が眠るまで歌を歌ってくれたりした。
私は愛されていると思っていた。
しかし、六歳の誕生日から少し経った頃、私はあっさりと売られた。
どうやら私の父親は、お母さんが十代の頃にメイドとして働いていた公爵家の当主様だったらしい。その当主様が、この国の第一王子の婚約者候補にするために娘を必要としているのだそうだ。
この国に王子殿下というものがいるのを知ってはいた。
だけど町の隅の小さな借り家で暮らす私にとって、それは物語の中に出てくる登場人物と同じくらい現実味のない存在だった。
全く現実味がわかないまま、私は慌ただしく荷物をまとめられ、お母さんにちっとも悲しくなさそうな笑顔で「幸せになりなさいね」と送り出され、公爵家の馬鹿みたいに広いお屋敷に連れて来られた。
お屋敷は綺麗だったけれど、公爵も奥様も、その娘も私を汚らわしいもののように見て嫌だった。
その上使用人たちまで蔑みの目で見て来るので、絶対ここには馴染めないなと足を踏み入れた瞬間から感じた。
それと、すでに娘がいるなら私なんか連れて来なくていいじゃないかとも思った。
こうして私のたった六年間の短い平穏の時はあっさり終わりを告げ、地獄の日々が幕を開けたのでした。終わり。
そういう生い立ちなので、私は今でも自分が町の小さな家で暮らす庶民の娘のような気がしてならない。
本当はドレスよりもお母さんの縫ってくれた麻のワンピースの方が動きやすくて好きだし、豪華絢爛な食事よりもマナーなんて気遣わず食べられる近所のパン屋で買った白パンの方が好き。
でも、そんなことを言っていてはたちまちお屋敷を追い出されてしまう。
追い出されたら、私には帰る場所などないのだ。
だから私はいつでも公爵令嬢フレイア・ラズウェルを演じている。
美しく、気品があり、公爵家にふさわしい令嬢フレイア様。
正真正銘公爵令嬢である妹のブリジットがそんなに完璧なご令嬢かといえばそうは見えないのだけれど、偽物こそ本物らしく見せかけなければならないのだから仕方ない。
今日も私はおかしくもないのに口の端を上げ、笑顔を作る。
偽物にしてはうまくやれているんじゃないかな。
私は端から蔑んでくる公爵家の使用人たちに時には媚びを売り、時には適度な威圧をして、どうにか公爵家の娘としての地位を確立した。
学園の方は誰も私が庶子なんて知らないからもっと簡単で、公爵令嬢でありながら気取らず、それでいて威厳を保ちっていう態度を続けていたら、いつの間にか女王様みたいな扱いをされるようになっていた。
何も持っていない六歳の女の子だったにしては、よく頑張ったと思う。
でも、ときどき息苦しくて、誰もいない場所に取り残されたみたいに心細くなって、泣きたくなった。
助けてくれる人なんて誰もいないのに、助けてって叫びたくなる。
そんな時、アシェルの無関心な顔を見るとなぜか落ち着いた。
アシェルは助けてくれるどころか、気の利いた言葉の一つもかけてくれないのに。不愛想で冷たいやつなのに。
アシェルは伯爵家の長男で、やたらと成績のいい生意気なクラスメイトだ。私は出来ればテストで一位を取りたいのに、アシェルのせいで何度阻まれたかわからない。
成績優秀で、割と由緒ある伯爵家の令息で、その上怖いくらいに綺麗な顔をしているから、最初はみんなアシェルに近づきたがった。
しかしアシェルがあまりにも素っ気なくて取り付く島もないので、しだいに人が引いていった。
今でも遠目からアシェルに熱い視線を送っている女子生徒はよく見かけるけれど、正面から絡みにいっているのは私くらいじゃないだろうか。
「アシェル、構ってよ」
「嫌です。今勉強中なのがわかりませんか?」
図書館で見つけたアシェルの肩をつついて構ってと頼んだら、心底嫌そうな顔で断られた。
私はなぜだか楽しくなって、ふふっと声を漏らして笑ってしまう。意味不明に笑いだした私を見てアシェルは怪訝な顔をした。
私が作り笑顔じゃなくて本当の笑顔になれるのは、アシェルの前でだけだ。