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「フレイア様、傷痕が残ってしまいましたね」
学園のいつもの噴水で、私とアシェルは縁に腰掛けて話している。
今日のアシェルは本を持っておらず、私の手をじっとつかんだまま感情の読み取れない顔をしていた。
「成長したら綺麗になるかしら」
「完治は無理ではないですか」
以前は励ましてくれたのに、アシェルはばっさりとそう言った。確かに、引き攣れてしまったこの腕の痕は完全には治りそうもない。
公爵家があんなことになって、以前のようにお抱えの医師を雇うことも出来なくなったので、治療のグレードも落ちて余計に治りづらいだろう。
アシェルは私の手の火傷痕をじっと見た後、なぜか顔の前に持っていって愛おしそうに頬ずりしてきた。
「急にどうしたの」
「いいえ、お気の毒だと思って。もう王太子妃にはなれませんね」
アシェルは気の毒だと言う割に、どこか弾んだ声で言う。
王太子妃になれないのは確かだけど、それは傷痕どころの理由ではない。
私自身は一応は罪を免れたものの、そもそも血縁者が反逆罪を起こした人間だ。当然王子殿下の婚約者になれるはずもなく、とっくに婚約者候補からは外されている。
私が望んでいたことではないので、そのことに関してはどうでもいい。
王太子殿下が悲しそうにしていたのは申し訳ないけれど、むしろ気が楽になってよかったと思っている。
「そうね。アシェルのせいよ。アシェルがおかしな提案をするから傷痕も残っちゃったし、公爵家もなくなっちゃったの」
「ひどいな。フレイア様のためにやったのに」
アシェルは全然ひどいと思っていなそうにくすくす笑いながら首を傾げる。
「だから、責任取って私をもらってくれないかしら。なるべく早くに。叔父様一家は悪い人たちじゃないけど居心地悪いのよ」
そう言ったら、アシェルは私の手を離さないまま、あっさりうなずいた。
「いいですよ」
「え、本当に?」
「はい。フレイア様がそれでいいなら」
「意味わかってる? 大きくなったら結婚してって言ってるのよ」
「当然わかってますよ。フレイア様のお望みなら何でも叶えます」
アシェルは照れもせず、真面目な顔でそう言った。
相変わらずのアシェルがおかしくて、ついくすくす笑いが零れてしまう。
「ねぇ、アシェル。ずっと気になっていたんだけど、ブリジットは王宮の庭にある倉庫が宝飾品の隠し場所だなんてどこで知ったのかしら」
「さぁ。ご友人からでも聞いたのではないですか」
「それと、爆発物なんてどこで手に入れたのか不思議だわ。あんな危険なもの、普通の貴族令嬢が手に入れられるなんておかしいと思うの」
「フレイア様は知らないかもしれませんが、そういう危険なものを取り扱っている商人がいるんですよ。ブリジット様もそういう商人を見つけたのでしょう」
アシェルは澄ました顔で答える。
箱入り娘のブリジットがそういう商人とどうして知り合ったのか気になると言っているのに、アシェルはとぼけるつもりなのだろう。
アシェルがこれ以上答えたくなさそうにそっぽを向いてしまったので、私は話を切り上げてあげることにした。
「空がきれいね。もう公爵令嬢のふりをしなくていいと思ったら、景色が明るく見える気がするわ」
「正真正銘公爵令嬢だったではないですか。お父様とは血が繋がっていたんだから」
「気分的にはずっと庶民だったのよ。ああ、肩の荷が下りた。みんなには私がこんな風に思っているなんて一生わからないのでしょうね」
学園の女王様だった公爵令嬢フレイアは、あれだけみんなから羨望の目で見られて崇められていたというのに、今ではすっかり腫れ物扱いされている。
ラズウェル家が起こした事件ももちろん理由の一つだけれど、その捜査の過程で私の母が平民の元メイドだったことが知れ渡ってしまったのも原因みたいだ。
みんな表面上は労わってくれるけれど、その目には同情とも蔑みとも言えない色が浮かんでいる。
それはまあ理解できる。人から見たら、王子の婚約者候補でもあった大金持ちのご令嬢が正体を暴かれて落ちぶれたようにしか見えないだろうから。
「フレイア様、何にやにや笑ってるんですか」
アシェルが冷めた顔で言う。
今さっき結婚の約束までしたというのに、素っ気ない態度は変わらない。もう少し甘い言葉でもかけてくれないかしら。
いや、やっぱりアシェルに甘い言葉なんてかけられたら吹き出してしまいそうなので、このままでいいかもしれない。
「幸せでつい笑ってしまうの」
「それはよかったですね」
アシェルはあっさりそう言った。
偽物令嬢の哀れな末路。
人から見たら哀れむべき末路なのだろう。
でも、傍から見たって実態なんてわからないもので、私は以前よりもずっと幸福なのだ。
終わり
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