「されど才を持っているのも、また事実。」
全く腹の内では何を考えているのか、本当に測りかねる。だが少しでもその考えを引き出すために、この男の話を聞くのだ。そして勘助の話は続いた。
あの信長という男は、噂通りうつけにござります。
「ほう。」
ただ私は相槌を打った。そもそも噂通りなら別に要らぬ話ではないか・・・。だがそれは、この話の入り口に過ぎぬのであろう。この勘助が意味も無い話を持ってくるはずが無いのだから・・・。
「されど才を持っているのも、また事実。」
その続きはあった。勘助は引き締まった面構えであった。やはりこの男の話は聞かなければならない。できうる限りの情報を引き出さなければならない。
「それはどうゆう意味じゃ?」
「信長の才は、まさしく天賦の才でござりまする。」
「なに?」
これは全く自分にはよく分からない。信長の事を<うつけ>と言うかと思えば、今度は偉く持ち上げる。その織田信長とは、一体何者なのであろうか。それともこれは、この山本勘助の企みなのであろうか。勿論、分かっている。そのままの言葉で受け止めるべきでないということを。少なくともこの男は私の腹の中を探っているのだ。この私が利用に値するのか、山本勘助は見定めているのだ。
「此度の尾張への進攻、油断なりませぬ。」
勘助の眼光は真っ直ぐであり、とても鋭かった。この言葉には少なくとも嘘偽りが無いことは、自分には分かっていた。実際に、この織田信長は油断ならぬ人物であろう。
この自分も今川家の重鎮の一人。織田信長の事は独自に調べている。
~~~~~ 「うつけ」という言葉は馬鹿者という意味である。「空ける(からっぽである」から由来する。そこから暗愚・常識から外れた者を指すようになっていった、と言われている。尾張(現在の愛知県西部)で「大うつけ」と噂される若者がいた。それが織田信秀の嫡男、信長である。父・信秀は尾張守護代(しゅごだい、守護の補佐役)に仕える奉行の一人だったが、強い勢力を持ち、他国の大名からも一目置かれていた。しかしその一方で嫡男の信長は子分たちを従え到底、若殿とは見えない伊手達で山野を駆け回り、瓜にかぶりつく悪童ぶりである。才覚のある親にして、この子であった。
そんな信長が19歳の折、信秀が病没。求心力を失った尾張は、必然的に勢力争いが起こる。それまで信秀を黙認してきた守護が、信長に対して攻撃を仕掛けた。また信長の兄弟が、その当主の座を奪おうと画策した。その背後には、隣国美濃(現、岐阜県)の斎藤氏の謀略や、我が主・今川義元公の影響力もあった。それらを相手に信長は、逆境をものともせず尾張統一に至ったのである。 ~~~~~
少なくとも結果は残しているではないか、この織田信長という男は・・・。何故それで<うつけ>なのであろうか。
「そこでございまする。」
「うん・・・。」
まるで私の考えを見透かしている様に、勘助は上目遣いに言った。
「そもそも、うつけ、の意味が違がうのでございます。」
「うむ。」
もはや勘助が言いたいことは、だいたい分かっていた。
「才が過ぎる故の、うつけ、でございまする。」
まさにその通りではなかろうか。信長が、うつけ、と呼ばれるのは、そのような振る舞いをしていたからなのだ。けっして信長自身が、うつけ、なのではない・・・。この織田信長という男は、自らの才を覆い隠すべく、うつけ、を演じていたのだ・・・。
「泰朝様も、ご存じであったのですな。」
「・・・・。」
「では話は本筋に戻すといたしましょう。此度の今川の尾張への侵攻は、大変危険でございます。私の見立てでは、義元様は至極全うな戦を成そうとしておられるご様子・・・。一方の信長も、また戦には長けた将にございます。しかしあの信長は、それだけではなく、類まれない異能の持ち主・・・。強大な戦力をもつ義元公に対して、織田は間違いなく奇策を以てして対抗する事でしょう。」
「うむ、それで。」
どうやらこの勘助は、此度の今川の尾張侵攻に対して協力をする、と言う風に言っている様子なのだが・・・。だがこの今川家を離れて武田に使える身になっている、この男のいう事を鵜呑みにしても良いのであろうか。
「泰朝様は、このままご出陣なされませ。大高城の救出をなされるのでしょう。」
「ぐ・・・。」
やはりこの男は油断ならぬ・・・。この私がどのように動くのか、完全に把握しておる様である。それを以て私は、今できる結論を出したのだった。
「この不肖・山本勘助。かつての恩義に報いるため、奇襲を企てる織田信長を止めて見せまする。」
「・・・・そうか。してその手段は・・・。」
「この勘助に手勢をお預け下さいませ。必ずや信長を止めて見せまする。」
この時の勘助の眼は、とても澄んでいた。それでも信用は出来ぬのであるが。
「うむ。考えておくぞ。」
「一刻の猶予はございませぬ!」
その気迫に私は本物を感じた。
「うむ、あいわかった。雑兵と武具の手配をしよう。任せておけ。」
「おお・・・!この勘助のお任せいただけるのですか・・・。」
勘助の眼は涙が光っていた。・・・・それでもこの男は信用ならぬのだが・・・。
<続く>