7 休日
日曜日の坂元家。2階から階段を駆け下りてきたのは結衣だった。
「お母さん、お兄ちゃんがおかしい」
「どうしたの?」
「朝から本を読んでた。病院関係のまじめな本」
「優は昔から勉強をするほうでしょう?」
結衣は何度も首を大きく横に振った。
「でもお兄ちゃんは昔っから、この時間は窓のそばでぼおっとして。1時間くらい光合……日光浴をしてたじゃない」
「社会人になったから、やることが多いんじゃないの?」
「だからよ。ずっと仕事のことで張りつめて。きっと倒れちゃう」
結衣は階段を駆けのぼった。
「お兄ちゃん、外に行くよ!」
「はい?」
結衣にうながされて、優は結衣と自宅を出てバスに乗った。誘ったはずの結衣は、車内でずっと押し黙って車窓を眺めていた。
「買い物をしたいの?」
優はたずねた。
「うん」
結衣は優に顔を向けず答えた。
「僕もちょうど欲しい本があったんだ。街の大きな書店にしか置いていない本だから」
結衣は、ぼそっと言葉を口にした。
「マンガだったら購入可」
「はい?」
目的地の街中、駅前のバスターミナルに到着した。料金箱に硬貨を入れようとした優に運転手が声をかけた。
「妹さんの分は半額で良いよ」
「二人とも中学生以上です」
「あ、ごめんね」
駅に併設された商業ビルに入った。優は結衣にひっぱられて、女性物の洋服店に入店した。
「ねえ、お兄ちゃん。これ似合う?」
結衣はいろいろな服を試して優に見せた。女性物は身長135センチの結衣でもサイズがそろっていた。一方で男性物はサイズが限られて、優が着る私服はキッズコーナーの150センチだった。
「お兄さんえらいね。妹さんの買い物につきあって」
店員が優に微笑みを見せた。おそらく店員は優より年下だった。優は笑顔と低頭だけを店員に返した。
洋服店のあとは雑貨店に行き、結衣は髪留めのゴムを買った。雑貨店を出ると、時刻は正午をまわっていた。
「二人で買い物にきたの、ひさしぶりだね」
フードコートで優が言った。
「本当に。半年ぶり」
結衣はオレンジジュースを口にしながら答えた。
「どうしたの、結衣?」
結衣は答えなかった。
「急に僕を連れ出して」
結衣はSサイズのポテトを1本、口に入れた。食べ終えてから、結衣は小さく口を開いた。
「お兄ちゃん。仕事、大変じゃないの?」
「どうして?」
「お兄ちゃんが光合、ぼおっとしていないで勉強している時って、自信のない時だよね」
優は結衣の鋭さを知っていた。だから優は正直に答えた。
「確かに覚えることが多くて、仕事の時間だけでは覚えきれなくて。でも社会人になったばかりだから、当たり前かなと思っているけど」
結衣はもう1本ポテトを口にした。優に視線を向けず、結衣は言った。
「店長さん。戻ってきて良いって今でも言ってるよ」
4年間続けた書店のアルバイト。慣れた仕事で企業も大きく、正社員で雇うと店長は言ってくれた。
「ありがとう」
優は感謝の気持ちだけを伝えた。結衣は視線を落とした。
「碧依、見てはダメ。フードコートの右奥を見てはダメ」
「なに? ああ、坂元だ」
「一緒にいる子を見てはダメよ」
「ちっこい女の子」
翠は碧依に視線を向けた。
「きっと彼女よ。優君はもしかしたら、ある意味正しいのかもしれないけど。でも日本の法律では禁止されていて……」
「妹さんじゃないの?」
「お疲れさまです。先輩方」
一人で買い物にきていた荒田が現れた。
「荒田君、いいとこにきた。あれを見て」
「はい?」
荒田はフードコートの右奥を見た。荒田は目を見開いて、買い物袋を落とした。
「わかりやすいリアクションをありがとう。荒田君、二人の会話聞こえる?」
荒田は病棟内で小さな異音に反応できる、優秀な聴覚をそなえていた。
「聞こえます」
「能力の無駄づかい」
碧依はつぶやいた。荒田は優と少女の会話に意識を集中させた。
「僕のことを心配してくれているんでしょ? ありがとう」
優の言葉に、少女は首を横に振った。
「きっと私のわがままだから。去年はずっと一緒にいて。でも就職してから……。確かに、心配はしているけど」
「どう、荒田君?」
翠の問いかけに荒田は答えなかった。かわりに額に汗をかいていた。
「つきあっているわね」
荒田はうなずいた。翠と荒田は移動をはじめた。
「ちょっと待て。なに行こうとしてるんだよ?」
碧依は二人を止めようとした。翠は碧依に答えた。
「職場の一員として、犯行は未然に防がなきゃいけないの。ていうか手遅れかも知れないけど」
荒田も答えた。
「自分はですね。おと……大人の良さを伝えようと思いまして」
一方で優と結衣。
「大丈夫だよ。職場は良い人ばかりだから」
「……本当に?」
「うん。先輩も丁寧に仕事を教えてくださるし。事務所の方々も、病棟の方々も、いろいろと気にかけてくださって。人に恵まれているって、本当に思っているよ」
優はにこりと微笑んだ。
その背後に、二人の不審者が現れた。結衣は目を見開いた。結衣の様子に気づいた優は後ろを向いた。
「こんにちは優君。あのね、法律ではね、同意があっても同意が認められない年齢もあってね」
翠に続いて荒田が口を開いた。
「坂元君。つつみ込んであげるのも良いことだけど。つつみ込まれる経験も君には必要だと思うよ」
結衣はドン引きしていた。
「だれ、この人たち……」
優は翠と荒田に低頭して、結衣に答えた。
「職場の小山田さんと荒田さん」
優は翠と荒田に伝えた。
「妹の結衣です」
「え?」
翠と荒田がハモった。
「だから言っただろ?」
碧依がやってきた。碧依は結衣に優しい表情を向けた。
「ごめんなさい。兄妹の時間を邪魔してしまって」
「あ、いいえ」
結衣は碧依に小さく頭を下げた。
「お前らも謝れ」
「ごめんなさい」
二人はハモった。
「いやあ。私、わかっていたんだけどね」
「もちろん僕もです。ただ確認作業は業務でも大切ですので。クセと言いますか」
「うそつけ」
碧依たちが言葉を交わす途中。結衣がこぼした小さな声を、優の耳はひろった。
「綺麗な人」
優が結衣に返した声は、みんなの耳がひろった。
「うん。先輩の伊敷さん、とても綺麗だよね」
「は?」
碧依が口を開いた。瞬間見せた碧依の赤面を、結衣の瞳がとらえた。
「なに言ってんだ。先輩には敬意を持った言葉づかいをしろ」
「あ、すみません」
「邪魔したね、じゃあな」
そう言って碧依は場を離れて行った。碧依が耳まで赤くしていたのを結衣は見逃さなかった。
帰りのバスの中。結衣が口を開いた。
「やっぱり私が、お兄ちゃんを守るから」
「はい?」