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冷たいデジャヴ


私は走った。森の中へ入り、闇の中、身を隠しながら進んでいった。

脳裏を青い瞳の少年がよぎった。彼なら助けてくれるかもしれない。けれど夜の森はいつもとは別の場所のように空々しく、木々は私を冷たく見下ろすばかりだった。

逃げながら、いつもの湖を茂みの間からこっそり眺めたが、彼はおらず、私は仕方なく別の方角へと走り出した。


やがてざあざあと、湖とは異なる水音が聞えて来た。

喉が渇いていた私は、音の鳴る方へと歩いていった。月が出ていたはずだが、今は雲に隠れてしまっている。仕方なく歩み続け、茂みを出ると、暗闇の中水音が近くなる。手探りで前に歩いていた私は、がらりと何かが崩れる音を聞き、思わず足を止めた。ひゅっと息を呑む。闇の中でよく見えなかったが、目を凝らしてみればそこは切り立った崖だった。足元が崩れかかっている。底は暗くて見えないが、恐らくかなり高さがある。水音がすぐそばからした。きっと下に川が流れているのだろう。


「こっちだ!」

「音がしたぞ!」

追っ手の声が近づいてくる。動揺した私は、振り返ろうとして重心を崩した。次の瞬間、がらっと嫌な音がした。足元の地面が崩れ落ちたのだ。ジェットコースターで味わうような、あの嫌な浮遊感が身を襲い、けれど私の身は宙にぶら下がった。

誰かが、私の左手を握りしめている。そして必死に落ちるのを食い止めているのだった。

私が顔を上げた瞬間、丁度雲が切れ、月の光が斜めに差し込んできた。夜の闇の中、あの懐かしい少年の顔が浮かび上がる。リゲルだ。彼は崖に這いつくばり、こちらを見ていた。青い瞳はぞっとするほど美しい。

「ジェ、シカ」

彼の声が聴こえた。

「僕――僕、男爵に」

「リゲル」

私は一生懸命口を開いた。

「兄上を、助けなくちゃ。一緒に来てくれる?」

「駄目なんだ、行けないよ」

どこか泣きそうな声が、そう言った。私は耳を疑う。何も屋敷に一緒に来なくたっていい。ただ味方でいてくれるだけで。けれど今の彼の声に、そんなやさしい響きはなかった。ただ彼の声は絶望に満ちていた。

「僕は、一緒には行けないんだ」

「どういう、ことなの」

「……でも、これだけは知っていて――僕は、」

「リゲル?」

ふっと、次の瞬間、左手の感触がなくなった。彼が手を離したのだ。

あっという間に、少年の顔が遠ざかっていく。

リゲル、私はそう叫んだ気がする。それから自分の喉から出ているのが疑わしくなるような、あの高い悲鳴を上げて、水しぶきと共に、冷たい川の中へと落ちた。


暗い。冷たい。寒い。

私は泳ぎ方を知っているはずだった。けれどもあの時と同じ――海へ遊びに行って、子どもを助けた時みたいに、身体はくたくただった。森の中を走ったせいだろう。

泳ごうにも身体はうまく動かない。まるで自分のすべてが鉛になったみたいだった。醜い水音を立てて、意識と共にすべてが溺れていく。きっとこのまま死ぬのだろう。

私は失敗したのだ。

前世であれほど望んで、今世でようやく手にいれた家族を、失った。私は未来を知っていた。一度は回避したはずだ。運命を変えたはずだった。でも違った。

夜盗はゴードンに雇われていた。ゴードンはバルバトスに雇われていた。すべては繋がっていたのだ。

リゲルは鹿肉に毒が入っていることを知っていた。ではゴードンの裏で、バルバトスが手を引いていたことは? リゲルがもしそれを知っていたのなら、なぜ教えてくれなかったのだろう。簡単だ。結局彼は、ゴードンに逆らえなかったから。

そして私の手を離したのもまた、リゲル本人の意志によるものだ。

私は彼に裏切られたのだ。そして自分自身の力で、家族を救うこともできず、水の中で死んでいく。胸が酷く痛い。これは呼吸ができないせいなのか、それとも悲しくてしょうがないからか。

私は憎む。ゴードンを、バルバトスを。裏切り者のリゲルを。無力な私自身を。

肺にあった空気が、口からごぼりと吐き出される。月の光はもう見えない。すべては悲しみと憎悪と共に、冷たい水に呑まれていった。




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