飛び立った小鳥
フレドリックは少し緊張した声音だ。一体何を言い出すのだろうか。
「今日この会に出席したのは理由がある。僕は長いこと、姫君と文通させていただいている。顔を合わせたのは少しだが――彼女の人となりを知っているつもりだ。彼女は聡明でやさしく、人を惹きつける魅力がある」
いつもなら誰かが茶々を入れるところだが、どうも真摯な様子で続けるので、口を挟む者は誰もいなかった。フレドリックは静かに仮面を外す。半分焼けただれた顔が露わになった。
「僕は――僕の顔は、見ての通りだ。昔バルバトスが襲ってきた時、家が燃やされた。この火傷はその時のものだ。僕は自分の顔を呪い、暗闇で生きると決めて来た。――でもそんな僕に寄り添ってくれる人がいた。ジェシーはもちろん、僕と文通をしてくれる姫君だ。――僕は今日、勇気を出すことに決めた」
そうして彼は、姫君の方へと向き直る。
「キャンディス王女、僕はあなたを愛している。――ですがこの顔がどれだけ醜いか、知っています。僕はあなたの隣に立つべき人間ではないことも。あなたには僕を拒む権利があるんだ。――ただ一つ伝えたいのは、あなたの存在こそが、僕にこうして想いを伝える勇気をくださったということです。あなたの眩しさは、僕の希望だ。――どうか僕と、結婚してほしい。そうしてもしも拒むなら、どうか僕のことを、思い切り振ってほしい」
「フレドリック!」
姫君ががたりと立ち上がる。ドレスを翻し、フレドリックの傍に歩み寄った。
「ええ、ええ――あなたの申し出を受け入れます」
フレドリックは、少しだけ動揺したようだった。
「姫君、」
「まさかあなたから願い下げることなどしないわよね? そうしたらわたしは笑いものだわ」
「まさか。僕は覚悟をしてきましたから。……ただ、」
「ただ?」
「僕でいいのですか? この醜い男で」
「あら、あなたは美しいわ、フレドリック」
皆はもう、ただただ二人を見つめていた。ろうそくに照らされた部屋の中、フレドリックの目がどこか泣きそうに王女を見つめる。その真摯な視線は、確かにどこか神聖で、見る者の心を打った。
姫君の白い指先が、醜く焼けただれた頬に寄せられる。
「わたしはあなたの心の美しさを知っている。だからこそあなたを受け入れるのよ。」
彼女の言葉こそが真理だった。フレドリックの顔は、確かに恐ろしい火傷でただれていたが、それ以上に二人の愛には、何物にも代えがたい美しさがあった。
「では姫君、僕はあなたの剣となり、盾となりましょう」
「ふふ、頼もしいわフレドリック。でもそれは騎士の言葉よ。――あなたにはもっとふさわしい言葉がある。わたしと結婚するということは、すなわち、この国の王になるということよ」
手を取った男女は確かに幸福そうだった。だがそこに、申し訳なさそうに言葉をかけるものがあった。ペドロだ。
「ああ、水を差すようで言い辛いのですが――三騎士の一人として言わせてください。……フレドリック伯、その顔を、民にさらすつもりですか? 俺はその顔をなんとも思わない。だが国の民は? 彼らは俺達が守るべき相手だが、全員が分別のある人間という訳でもない。――つまり、あー、顔の半分が焼けただれた男を、国王と認めてもらえるかというと、それはまた別の話では?」
「彼に同意です」
告げたのはスペンサーだ。
「この夕食の席には、あなたの傷を嫌がるものはいないでしょう。なぜなら皆、恐ろしいものを見慣れているからだ。けれど民は違う。言い辛いですが、仮面をつけるべきですよ。そして外交の際には、別の者を――」
そこで私は、がたりと立ち上がった。
「私が兄上の顔になろう」
スペンサーがこちらを見て、納得したように微笑んだ。
「ほほう、それはどういう意味ですか」
「文字通りさ。――姫君、兄上。私は必要ならば、王の顔として動きましょう。兄上は恐れずに王を名乗ればいいのです。そして私は、外交で必要な際、あなたの忠実な使者となります。三騎士としてだけでなく、国を繋げるものとして、自身の役目を果たすでしょう」
「それ、いい考えね!」
声を上げたのはヴィヴィアンだ。既にデザートに手をつけている。
「あたし達、きっと姫君と新しい王様を支えるわ。――ねえ、これで心配ないでしょう、ペドロ。あたし達、今まで通り、きっとうまくやっていけるわ」
「――ああ、そうだな」
ペドロが肩の力を少しだけ抜いた。姫君は嬉しそうに、皆を見回して微笑んだ。
「ああ、ありがとうみんな。わたし達は幸せ者だわ。ねえフレドリック、そう思わない?」
「ええ、姫君」
「それじゃだめよ」
どこかいたずらっぽそうに姫君は告げた。
「あなたはわたしの夫となるのだから。――どうかキャンディスと呼んでちょうだい」
「それではキャンディス、どうぞよろしく」
「ええ、こちらこそ」
食卓から拍手が起こる。可憐な姫君と、真摯な男は、確かに皆に祝福されていた。
それは新たな歴史の、誕生の宴だった。
*
さやさやと、静かな風が木の葉を揺らしていく。
木々が腕を広げ、その枝葉を伸ばしている。森の中はやさしい静寂に満ちていた。時折小鳥の羽音が聴こえ、その羽根が差し込む日差しを遮っては、またどこかへと消えていく。
茂みの先の開けた場所に、大きな湖はあった。
幼い頃、秘密で出会っていた思い出の場所。そのほとりに、私とリゲルは並んで立っていた。
「僕も夜会に行きたかったな」
リゲルが水面を見つめながら言う。鏡のような水面に、木々が映り込んでいる。そこで二羽の小鳥が水浴びをしていた。小さな翼が水を掻くたびに、映り込んだ木々はぐにゃぐにゃと溶けていく。
「お前は城が好きではないだろう」
「前はそうだった。でも今は、嫌いじゃないよ」
どこか朗らかに、彼は言うのだった。
私は時折、彼がどこか遠くへ消えてしまわないかと、恐ろしくなる。幻影の中で見た湖が思い出された。リゲルには誰もが知ることのできない、深い絶望を抱えていた。それはあまりにも暗く悲しく、彼を蝕み、終わりの待つ深淵へと導くほどだった。
私はその悲しみの奥底に触れ、彼の孤独に胸を痛めたのだ。
「お前は、私といて幸せか?」
ふと、そんなことを聞いてしまう。リゲルは驚いたように振り返って、ふっと笑った。どこかあどけない、子どもみたいな微笑みだった。
「幸せだよ、ジェシカ」
今はあの時のような満月ではなく、明るい太陽が輝いて、その光が彼を照らしている。白い髪は日に明るく煌めいていた。
「あんたは僕を迎えに来てくれた。だから僕は、ここにいるんだ」
「お前がまた、道に迷ったら?」
私はふと彼を見る。夜はまたやって来る。孤独の謳う霧に呑まれ、彼が誘われてしまったら?
「その時は、また迎えに来てよ」
なんと無邪気に、彼は言うのだろう。いいや、彼の瞳の奥には、やっぱり一抹の孤独が見て取れた。私はその不安を取り除いてやりたいと思った。例えそれが、どんなに傲慢なことだとしても、私にはその資格があると思えた。なぜなら彼を愛しているから。
「迎えに行くよ」
私は告げる。
「どこへだって、何度だって、迎えに行く。――お前が――お前のことが、好きだから」
最後の方は、緊張からかすかに掠れてしまった。けれどもそれを聞きとったのか、リゲルはわずかに目を見開いて、それからどこか泣きそうに笑ってみせた。
「ありがとう、ジェシカ」
水面から、小鳥達が飛び立つ音がした。
「僕も――僕もあんたが、大好きだ」
ばさばさと羽音は遠ざかっていく。
私達はちぐはぐな人生を送って来た。お姫様になりたがった彼と、彼の王子様になりたかった私。そんなおかしな生き方があってもいいのではないかと、今なら思えた。
なぜなら私達は、確かに満足していたから。今この瞬間、やさしい日の光の下で、満たされていたから。
「ねえ、歌ってもいい?」
彼が自らそんなことを言い出すのは、初めてだった。悲しみを唄に乗せたことはあれど、こんな風に、ただそれを楽しむように尋ねたことは、かつてなかった。
「歌うのに、理由が必要かい?」
私が目を細めれば、彼は微笑み返し、湖を眺めた。かくして、その唇は開かれた。
雲の切れ間から 空を覗き込んだ
井戸が謳うように 真実が映り込む
木の葉は唄を その身に乗せて
風は祝福を 纏って踊る
小鳥はとうとう 飛び立った
白き翼は 空をもつかみ
恐れを切り裂いて 光にその身を貫かれ
飛び立つ覚悟を 胸に宿し
どこまでも どこまでも
君が迎えに来てくれると 知っているから
少年の声は、光を紡ぎ上げたようだった。
ソプラノよりも低く、テノールよりも高いあの声が、遥かな音を連ねていく。
それはやっぱり、小鳥のさえずりに似ていて、この世の何よりも美しい色をしていた。
終わり




