血に濡れたおとぎばなし
「…………はっ」
茨に覆われた城の中、私は目を覚ました。
「はっ、はあ、はあ、……リゲル、」
ぐっと胸を抑える。その痛みが怪我によるものか、それとも別の理由によるものなのか分からない。ただ少年を想い、ふらふらと立ち上がった。包帯には血が滲んでいたが、出血自体は止まっているようだ。このまま動けば傷が開いてしまうかもしれない。けれど私は行かねばならなかった。私を待っている彼を、見つけ出さねばならなかった。
襲い来る茨を切り落としながら、とうとう玉座の間にたどり着く。半開きの扉から、眩しい光が溢れている。どういうことだ。扉に絡みつく茨を切り払い、中に足を踏み入れる。
辺りには薔薇が咲き乱れていた。
寝台のように置かれたテーブルに、少年が横たわっていた。その上には、賢者の石が浮かび上がり、紅く輝いている。
テーブルの傍に、一人の男が立っていた。彼は蛇のような目で私を見据える。
「騎士を命名する習慣は、愚かだと思わないか? 称号は戴くべきではなく、自ら名乗るべきだ。戦に勝利した王のように」
「私はそうは思いません。サーペンティン公」
「見目麗しい騎士よ。お前はキャンディスの護衛ではなかったか? 姫の騎士が、一介の唄い手に何の用だ? 拝命を尊重するのなら、ここよりも姫の傍にいるべきではないかね?」
「お言葉ですが公爵。私は騎士の称号を誇りに思っています。その上で自らの意志で、ここへ来たのです。リゲルは私の大切な仲間の一人です。あなたの好きにはさせません」
はっ、とバルバトスは笑った。わずかに歪んだ唇が弧を描く。
「キーリング、よくこの少年を飼いならしたものだ。彼はすっかり使い物にならなくなってしまった。だがこいつの命が尽きるのも、もう時間の問題だ。――お前はいつも、邪魔ばかりする。ゴードン男爵を殺したのもお前だったな」
バルバトスは緑の目で、冷たい表情でこちらを見た。
「今なら見逃してやろう。私の邪魔をせず、城の敷石をまたいで姫の元に帰るのだ」
幸か不幸か、私の救いたい人はそこに居た。それは姫でもなく、他の誰でもなく、たった一人の少年だった。そして行く先を阻む男は、私の一番の敵だった。
「帰れ。後悔するぞ」
「後悔するのはあなたの方だ、バルバトス」
私はまっすぐに男を見据えた。
「キーリングは仮の名だ。私の本当の名は、ジェシカ・メリーウェザー。父と母の名誉にかけて、あなたを――お前を討ち果たす」
彼は目を細めた。
「――ほう、面白い。」
言うが早いか、彼は剣を引き抜いた。あっという間に刃が重なり、金属の鳴る音が響く。カン、カンと打ち合う音が玉座の間に響く。リゲルは目を閉じたままだ。赤い石は頭上で煌々と光っている。その中で、ただ私達は剣を振るった。
この真剣な空気に麻痺しているが、私は自分の身がどこかおかしいことに気づいていた。傷口が開きかけているのだ。何かが胸から流れている。今頃包帯にさらに血が滲んでいるだろう。構わなかった。ただ目の前の男を倒さねばと思った。
そうだ。私は生まれ変わってここへ来た。それは一体なんのためだったのだろう。前世で飛び込んだ海は塩辛かった。子どもを岸へ上げ、私はそのまま溺れて死んだ。
だが今世では違った。私は崖から落ちて、水の中でリゲルを憎んだ。憎んで憎んで、殺してやろうと思った。でも今は、あれが誤解だったと知っている。リゲルは自ら手を離したのではない。矢に打たれて指を離してしまったけれど、本当は私を助けようとしていたのだ。
水に落ちた私はスペンサーに助けられ、姫君に騎士と認められ、フレドリックと再会し、ここにいる。今の私を作っているのは様々な人たちとの出会いだ。あの襲撃の晩から、私は長いこと、両親の仇を討ちたいと願っていた。だが今の私を動かしているのはそれだけではない。リゲルを救いたいという想いが、私をここへ導いたのだ。
ならばきっと、私は生きねばならない。前世のように、誰かのために死ぬのではなく、誰かを救い、そしてまた自分も救うためにここにいるのだ。私は生きて、リゲルと共に平穏な日々を過ごすのだ。そこにきっと、私がジェシカとして生まれて来た理由があるのだ。
重なる刃が激しい音を立てる。火花が散りそうな勢いだ。私が繰り出した攻撃をバルバトスは避ける。私達のマントはなびいていることだろう。
続けざまに繰り出される攻撃。それらをすべて防ぎ、避け、しかし開きかけた傷口を悟られないようにただ奥歯を食いしばる。
「はぁ……はぁ、はあっ」
「まるで手負いの獣だな。――ジェシカ・メリーウェザー。お前がこんな猛々しい女だとは知らなかった。リゲルでさえ、こんなお前は知らないだろう」
「だったら、なんだ」
「ああ、お前のことなどどうでもいい。――サーペンティンの渾名を、知っているだろう。私の一族は呪われている。関わったお前は、今ここで死ぬのだ」
私はぎっと彼を睨んだ。呪われているのは彼の方だ。自分の血統に苦しみ、嘆き、すべてを捨てているのは彼自身ではないか。
彼はこの世界を憎んだのだ。世界があまりにも彼に冷たく、そっぽを向いて見せたから、彼はすべてを滅ぼすことに決めたのだ。それがどんなに悲しいことか、今の私には分かる。
バルバトスがすべてを破滅させるというのなら、私はそれを防いでみせる。私はリゲルを救うためにここに来た。大切なものを守るためにここにいるのだ。
目の前にバルバトスが迫る。振り下ろされた剣先を私は見切る。その切っ先を避けたかと思うと、次の瞬間に相手の懐に入り込んだ。そのまま刃をまっすぐに突き出す。
「ぐっ……あ、が……っ!」
私の剣は、正確に彼のわき腹を貫いた。
「そんな……、なぜ……」
彼の口から血が零れ落ちる。私が剣を引き抜けば、その身体がどさりと倒れる。
「簡単なことだ」
剣についた血を振り払い、傷だらけの私は告げた。
「憎しみで人は救えない」
ガシャン!と背後で大きな音がする。振り返れば、賢者の石が割れるところだった。石に宿っていた力は散らばり、消えていく。そのうち一つが、薔薇についた水滴のような、小さな光となって、バルバトスの額に降り注いだ。まるでやさしく口づけするように。
蛇のような瞳に光が映る。
「……ター、シャ、」
そうして男は、こと切れた。
辺りは静かだ。頭上にあったまがまがしい賢者の石も、もうただの小さな欠片の粒となって、転がっているばかり。
私はそっと、中央のテーブルに近づいた。
そこにはたくさんの茨が絡みつき、咲き誇る薔薇達が、物語に出てくる王女にそうするように、リゲルを彩っていた。
私はそっと、彼の傍に立った。彼の白い睫毛は伏せられたままだ。その寝顔を見ていると、不意に胸が強く締め付けられた。包帯にはやっぱり血が滲んでいるようだったが、その痛みも忘れ、ただ私は静かに、彼の唇に口づけした。
そっと身を離せば、やがて彼のまぶたがぴくりと動き、星のように青い二つの瞳が、私を射抜いた。
なんだか泣きたくなって、ただひたすらに嬉しくて、私は彼に笑いかける。
「おはよう、私のお姫様」
「――迎えに来てくれたんだね、ジェシカ」
彼が私の首元に抱き着いた。私はその背に、やさしく腕を回す。
「あんたはやっぱり、僕の王子様だ」
リゲルの小鳥みたいな笑い声が聞こえた。世界で一番美しい音だと思った。




