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深淵の少女


私とスペンサーは馬を駆り、城の前まで辿り着いた。

城は姫君の言った通り、恐ろしいありさまだった。見上げると、白亜の塔の先までが、茨に覆われていた。蔓にはピンクの薔薇が咲き乱れ、おぞましい美しさを呈していた。静寂がどこか恐ろしい。

「馬では入れそうにありませんね」

「置いていこう。進めればなんでもいい」

私と彼は馬を傍の木に繋ぐと、剣を引き抜き歩き出した。途端に茨が襲い掛かってくる。

「そら、見たことか!」

私は剣を振るいながら叫ぶ。ちぎれた茨が地に落ちた。

「今についてきたのを後悔するぞ!」

「承知の上ですよ。こんな茨、反抗期のあなたに比べればかわいいものです」

などと言い合いながら、私達は奥へ進んでいく。


先へ進むにつれ、ところどころに死体が転がっているのが見えた。こんな恐ろしい場所にリゲルが捕まっているのだと思うとぞっとした。

時々襲ってくる茨を切り落としながら、私達は廊下へと進んでいく。私の慣れ親しんだ長い廊下は、荒れ果てた廃墟のようだった。ところどころに死体が転がり、赤い血しぶきの後がある。もしも息がある者がいたら助け起こそうと思ったが、皆既に死んでいた。

「あれを見てください!」

不意にスペンサーが声を上げる。見れば、廊下のはずれに倒れているペドロの姿があった。包帯を胸に巻いた彼は、気絶しているように見える。包帯には赤く血が滲んでいた。

「ペドロ!」

私は声を掛ける。襲い掛かって来た茨を、スペンサーが切り落とす音が聞こえた。

私は気絶したままの青年の肩を揺さぶる。

「ペドロ! 目を開けろ!」



俺は、どこにいるんだろう。茨の城で倒れたまま、ヴィヴィアン達の背中を見送り、そうして気絶したはずだ。

辺りは日差しが降り注いでいた。広い草原のような場所だ。そこに立っている俺の身体は、傷一つなかった。これは夢だろうか?


さく、さく、と草を踏み分け歩いていく。傍に生えた木々から、木漏れ日が差し込んでいる。チチチ、と鳥の鳴く声がした。

向こうに、見覚えのある家があった。あれはサーペンティンの屋敷だ。

がっしゃん、がっしゃんと音を立てて、見知らぬ兵隊が何人か歩いている。その姿を俺は見知っていた。俺がずっと昔、ナターシャに作ってあげたおもちゃだ。あの小さなおもちゃが人間の大きさになって、そのまま辺りをうろついているようだった。がしゃん、がしゃん、兵隊たちは俺に目もくれずに歩いている。


彼らの間を抜けて、俺は大きな屋敷にたどり着く。ああ、どうして日差しがこんなに眩しいのだろう。

扉に手を掛ける。鍵はかかっていなかった。ぎいいと開けば、中は薄暗い。窓から差し込む日差しが、家具を照らし出している。おかしなことだ。あまりに静かすぎる。

俺は中に足を踏み入れた。ここは昔、俺が仕えていた家だった。どこに何があるか、ある程度覚えている。こんなところに今更用はないはずなのに、妙な胸騒ぎがして、脚を速めた。

二階への階段を登り、廊下を抜ける。ぎしりぎしりと床板が懐かしい音を立てる。

そうして――俺は、ああ、あれから一度たりとも開いていなかった扉に、手を掛けたのだ。

きい、と音がして扉は開いた。


果たして、中に少女はいた。

ミルクティー色の長い髪に、サーペンティンの証である、緑の瞳。彼女は小さいままだった。棺に入った時と同じ、六歳のまま。彼女は積み木を重ねて遊んでいる。

俺は崩れ落ちそうになる足を動かし、どうにか中に進んだ。

「――ナターシャ」

少女は静かにこちらを振り向いた。そうして俺を見つけると、にっこりと、俺が大好きだったあの笑みを浮かべた。

「ペドロ、まさかあなたに会えるなんて」

「俺、俺は――夢でも見ているのか?」

「そうね、ここは夢の中よ。でも構わないわ。一緒に遊びましょう?」

俺はゆっくりと、彼女の傍に座りこんだ。昔は背の高さも同じだった。でも俺だけが大きくなってしまって、見下ろした先には、彼女のつむじがあるのだった。

「お城を作っているのよ」

ナターシャはそう言って、赤い三角形の積み木を、一番上に積み上げた。

「ナターシャ、あの外の兵隊は、俺が君にあげたおもちゃだ。そうだろう」

「そうよ」

言いながら、ナターシャは兵隊のおもちゃを取り出した。それは彼女の手に収まるほど小さい。俺が木を彫って作ったのだ。

「これをここに置くとね、ほら、城を守っているみたいに見えるわ。あの兵隊さんたちは、賢者の石に反応してしまった、わたしの思い出よ。あなたを傷つけることはないわ。安心して」

「それじゃ、あの茨は? バルバトスが昔、君にあげた薔薇があっただろう。それと関係しているのか?」

「そうよ。思い出の一部が石の力に反応した。それがたまたま、薔薇の花だったの。でも茨で人を殺すなんて、わたしの本意じゃない。石の力が勝手に働いているの。とても恐ろしいことだわ」

「分からないよ――ああ、俺はやっぱりイカれてるんだ。俺の記憶はいつもめちゃくちゃだ。ここは俺の頭の中なのか?」

「厳密に言えば違うわ。ここは賢者の石の作った世界なの。バルバトスの願いは、わたしを蘇らせることだった。石はわたしの存在に反応して、この思い出を紡ぎ上げた。でもこれは夢でしかないわ。バルバトスさえ、現実にいる限り、中に入ることはできないの」

「どうやったらこの夢は現実になるんだ?」

「どうしてそんなことを聞くの?」

酷く悲しそうにナターシャが言う。どうしてそんな目で俺を見るのだろう。

「だって、君が生き返ったら、俺は嬉しいよ」

「駄目よペドロ」

ナターシャは悲しげに笑った。

「石はバルバトスの願いを叶えようとしている。でもそれは、わたしの望みじゃないの。死者が蘇るなんて、おこがましいことよ」

「君って、馬鹿に律儀で、残酷な奴なんだな」

俺の瞳から、涙が零れ落ちる。ナターシャはしょうがないと言う風に笑って、俺の涙をぬぐった。

「俺は――俺は、君のためなら、いつまでだって傍にいる。またおもちゃを作ってあげる。もう文字も読めるようになったんだ、本だっていくらでも読んであげられる。またりんごを剥いてあげるよ」

やさしく微笑むナターシャが、ひどく眩しく、美しく見えた。涙で歪む視界の中、俺は必死に声を振り絞った。

「俺にやさしくしてくれたのは、君しかいなかった。君が俺の世界だった。どうしてこんな残酷なことをするんだ」

「あなたを大切に思っているからよ」

俺の頬を、またぽたりと雫が伝っていく。

「今のあなたには、帰る場所があるはずでしょう。そこへ行くのよ。大丈夫、もうあなたの友達は、わたしだけじゃない」

「ナターシャ、」

「ほら、お友達が呼んでるわ」


ペドロ、と声がする。あの声は知っている。ジルウェスタ―のものだ。

みるみる視界が白んでいく。ナターシャは溢れる光に掻き消え、俺ははっと我に返る。


気がつけば、俺は城の壁に寄りかかるようにして座っていた。傍にジルウェスタ―がしゃがみこみ、こちらを覗き込んでいる。

俺は頬を伝う涙をぬぐった。ここは現実だ。ジルウェスタ―の背後には、スペンサーが立っていた。こいつらはおかしなことに、仲が良いらしいのだ。


「目を覚ましたのか」

ほっとしたようにジルウェスタ―が言う。

「他の兵士たちは皆手遅れだった。でも君はまだ生きている」

俺はゆっくりと息を吐きだした。傷口が痛む。

「ああ、起こしてくれて、感謝するよ。――俺があそこにいるのを、彼女は望まないだろうから」

「彼女?」

「なんでもない、こっちの話さ」

俺は立ち上がろうとしたが、どうにも力が入らない。

「肩を貸してください」

スペンサーが俺の肩に腕を回し、身を起こそうとする。ふらつきながらも、俺は立ち上がることができた。

「歩けそうですか?」

「なんとかね」

「それは良かった」

俺はこのいけ好かない仕立て屋が好きではなかったが、今だけは、彼の根っこにあるであろうやさしさを評価していた。

「ジール君、見ての通りです。私は彼を連れて帰ります。加勢をするのはここまでですが――本当に行くのですか?」

「ああ、そのつもりだ。――ありがとうスペンサー」

ジルウェスタ―が仕立て屋相手に、素直にお礼を言うのは珍しい。俺が感心していると、スペンサーが傍で笑った。

「さあ、行きましょう。姫君やレディ・ヴィヴィアンがあなたを心配しています。帰りますよ」

ああそうか、と俺は思い至る。俺の帰りを待ってくれる人たちがいるのだ。当たり前のように思えて、それはとても大切なことだった。ナターシャの言った通りだ。張り巡る茨の横で、俺はいつになく、自分の置かれている存在を、客観的に見ることができた。俺には仲間がいる。帰る場所がある。もう昔のように、一人ぼっちじゃないんだ。

俺はそうしてはじめて、心の中でナターシャにさよならを言うことができたのだ。

ちらりと振り返れば、ジルウェスタ―が茨の中へ歩んでいくのが見えた。あいつが夢の世界に呑まれないようにと願いながら、俺は足を動かした。


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