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蛇の目を持つ男1


バルバトス・サーペンティン。それが私の呪われた名であった。

(てい)のいい貴族は口には出さないが、影でサーペンティンは呪われた血と称されていたのだ。

曰く、サーペンティンは周りの人間を破滅させると。実際その通りだった。サーペンティンは長く続く家系だが、歴史上この家の人物に関わったものは、皆不幸になったり、悲惨な死を遂げたりしていた。


両親は幼い時に亡くなり、私は若くして家を継がねばならなかった。自然と精神は周りより大人びて、子どもらしくない子どもだと揶揄されることもあった。だがすべては私にとってどうでも良かった。

年頃になると、婚約が決まった。いわゆる政略結婚だ。相手は子爵家の娘であり、名をエレオノーラと言った。

エレオノーラはミルクティー色の髪をした、お団子頭の娘だ。出会って一月も経たないうちに、私達は結婚式に臨んだ。そこにはなんの感慨もなかった。

寝室は別だった。彼女が共に寝ることを望まなかったからだ。合意の無い女を無理矢理抱く趣味などない。私は彼女に関係を迫ることはなかった。ただ夫婦という体裁さえあればそれでいいと考えていた。

私は浮気もしなかった。そもそも人間というものに興味がなかった。

妻はそんな私をつまらない男だと罵った。政略的に必要だったから、仕方なく結婚したのだと、彼女は言う。本当はアダムス・メリーウェザー伯爵を愛していたのだと、どこか得意げに言うのだ。伯爵はあなたより地位は下だけど、ずっと良い男だと告げては笑う。

私はそれに対して、そうか、とだけ答えた気がする。

どうすれば良かったのか、今となっても分からない。何かが時たま彼女の逆鱗に触れ、ヒステリックに怒鳴らせる。私は彼女を叱るべきだったのかもしれないし、彼女はそれを望んでいたのかもしれない。けれど私は、すべてを諦めていた。この結婚はそもそも破綻していたのだ。


虚無に満ちた日々が続いた。すべては平坦な日常で、日々は冷たい灰色をしていた。

ある静寂に満ちた夜のこと、酔っ払ったエレオノーラが私の部屋を訪ねて来た。彼女は酷く泥酔していて、淀んだ目で私に両の腕を伸ばした。とうとう、私を受け入れる気になったらしい。そう私は解釈した。拒む理由などなかった。

そうして私達は寝台に倒れ込み、夜を明かしたのだ。彼女は激しく私を求め、酔っ払った口で、何か世迷言を呟いていた。その正体を知る前に、私は彼女の唇を塞いでしまった。それが正しいと、信じたかったからかもしれない。

翌朝、私の寝台で目覚めた彼女は、悲鳴を上げた。乱れた衣服を見て、私を罵り、また自分の過ちに気づいたらしく、絶望した目で現実を眺めていた。

彼女はヒステリックに私を怒鳴りつけ、泣きわめいてみせた。愛していたのはメリーウェザー伯だけだったのだと、こんな男を愛した覚えはないと、繰り返し口にした。

泣きながら部屋を飛び出した彼女は、二度と私の部屋を訪れることはなかった。

だがそのたった一夜の過ちで、彼女は妊娠してしまったのだ。これほど不幸な出来事はなかった。


彼女はその事実を呪った。私を憎み、自らに絶望し、子どもを呪った。

しかし赤子は生まれて来た。忘れもしない、千五百二年のことだ。赤子は女だった。後継ぎにもなれない、つまらない性。ナターシャと名付けられた彼女は、なんの期待も抱かれないまま、育てられることとなった。


妻は赤子を嫌った。特に私の血を継いだ緑色の瞳を。呪われたサーペンティンの証だと、ひどく罵り、遠ざけた。赤子は暗い屋敷の中で、すくすくと育った。陰鬱な静寂に、彼女の無邪気な笑い声は、ひどくちぐはぐに響いた。

母親譲りのミルクティー色の髪を腰まで伸ばし、無垢な瞳で世界を映す。ナターシャは母親のことをエレオノーラと、私のことをバルバトスと呼ぶようになった。それは私達が、彼女に父と母という概念を教えることがなかったからだったが、エレオノーラはひどく彼女を気味悪がった。

「あの子、私を名前で呼ぶのよ、気持ち悪い」

確かにおかしな子だと、私は思った。だが気持ち悪いとは思わなかった。そもそも関心がなかったから。

風に髪をなびかせながら、小さな少女は私に問うた。

「ねえバルバトス、綺麗なお花を見つけたの。キンポウゲっていうのよ。エレオノーラにあげたら喜ぶかしら」

「なぜ私に聞く」

「だって召使いが言ってたわ。あなたは私のお父さんで、エレオノーラは私のお母さんだって。それって家族ってことなんでしょう? 家族はお互いを思いやると聞いたわ」

「いいかナターシャ」

私は彼女に教えてやった。

「家族とはそもそも人と人との集まりだ。人間の中にはお互いを思いやれる者もいるが、そうではない者もいる。すべてが理想通りだと思うな。私達は後者だ」

ナターシャは長い睫毛をまたたかせる。

「でも、仲良くしちゃいけない決まりなんてないんでしょう」

彼女は両の手で、キンポウゲの花を大切そうに握りしめる。

「だったらわたしは、エレオノーラにお花をあげるわ」

そうして彼女は、ひたむきに母親の元へ走っていく。ろくなことにならないと、私は思った。


案の定、妻はナターシャを拒んだ。当然のことだ。

ある日、部屋の前を通りかかると中から罵声が聞こえて来た。

「この花――またあなたなのね! 勝手に飾るなと言ってるでしょう!」

「でもエレオノーラ、」

「その呼び方をやめて! 気色悪い!」

ガチャン、と何かが割れる音がする。恐らく花瓶か何かを投げたのだろう。よくあることだ。妻は部屋の物を時々壊すので、すぐに新しい物と取り換える必要があるのだ。今も金切り声が飛んでくる。

「あなたを見ていると寒気がする! 特にその目の色! あの男にそっくりだわ! 近寄らないで!」

つまらぬことだと、私は扉の前を過ぎ去った。その時ばたばたと足音がして、後ろの扉が開け放たれる。振り返れば、飛び出してきたナターシャと目があった。ぎいいと不快な音を立てて扉が閉まる。


「バルバトス、」

ナターシャが泣きそうな目でこちらを見る。

「わたしは呪われた子なの?」

私は目を細め、娘を見た。サーペンティンは呪われている。私の血を受け継ぐ彼女もそうだ。

「――ナターシャ、手を切ったようだな。召使いに見てもらえ。包帯ぐらいなら巻いてもらえるだろう」

「ねえ、教えて。どうすればエレオノーラに好きになってもらえる?」

「無駄なことだ」

私は言った。

「あの女は正しく人を愛せない。過去ばかりを愛している。お前はあの女の『今』だ」

「どうして彼女は今を見ないの」

「恐れているからだろう」

「何を恐れているの?」

「自分の過ちを直視することに」

その過ちとは、私と寝たことであり、その証明であるナターシャそのものだった。だがそんな酷なことを言うほど、私は愚かではなかった。

「さあもう行け。花はまた摘んでくればいいだろう」

「そう――そうね。ありがとうバルバトス」

なぜ礼を言われるのか、私にはさっぱり分からなかった。私は彼女に対して残酷なことばかり言っていたから、感謝される理由が理解できなかったのだ。



結局、キンポウゲが受け取られることは一度もなかった。花瓶は幾度も壊され、屋敷には毎日のように金切り声が響いた。そのうち妻は病気が発覚し、最後は気が触れたようになって、だんだんと弱っていき、そのまま死という眠りについた。


葬式の日、遺体が入った棺桶が土に埋もれていくのを、私とナターシャは静かに眺めていた。少女は穴のあきそうな目で棺桶を眺めながら、口を開いた。

「エレオノーラはどこへ行くの」

「どこでもないところさ」

「わたし、どうしたらそこへ行けるかしら」

無垢な少女が尋ねる。エレオノーラはヒステリックな女だったし、物をよく壊したが、本当の意味での悪事を働いたことはなかった。メリーウェザーを愛していながらも、不貞を働きはしなかったのだ。だから私と違って、天国へ行けるだろう。そして目の前の子どもも、もしいつか旅立つ日が来るとしたら、天国に行くに違いなかった。

「さあ。――だがいつか、お前ならば私と違って、行けるだろう」

少女の髪が、静かな風になびいている。

「バルバトス――遠くへ行くときは、あなたも一緒よ」

私はただ、静かに目を細めた。

この時既に、私はサーペンティン家の確立のために、何人もの貴族を陥れていた。私の行く先は地獄と決まっていた。そもそも彼女らと私では、見ている世界が違った。

「どうしてそんな目をするの」

「『蛇のような目』か?」

「違うわ。とても悲しそうな目よ」

ナターシャは言う。

「わたし達、きっとエレオノーラのところへ行けるわ。大丈夫よ」

ああ、なんと無知な子どもだろう。彼女は何も知らない。私が血を剣で染めていることも。多くの貴族に憎まれていることも。何一つ知らないのだ。

私は彼女を憐れむように見た。久しく憐憫(れんびん)の情を覚えた。


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