伯爵の正体
屋敷に帰ると、私達を出迎えたリゲルは目を見開いた。
「ジール!!」
「大声を出さないでくれ。大した傷じゃない」
「嘘ばっかり!!」
「君がリゲルか。噂には聞いている。ジェ――ジールを運びたい。彼の寝室まで案内してくれないか」
リゲルはその瞳に怒りのようなものを宿していたが、大人しく寝室まで案内してくれた。
私はベッドにたどり着くと、半ば倒れ込むようにしてシーツに座り込んだ。
「ありがとう。後はいい」
リゲルが訴えるような目をしている。
「でも僕、」
兄が何かを悟ったのか、少年に向かってやさしく口を開く。
「彼はきっと一人になりたいんだ。さあ、外に出よう。僕は帰るよ。君も部屋の外で静かにしているんだ」
やがて二人は外に出て、ぱたんと扉が閉められる。去って行く足音を聞きながら、やはり兄は気が利く男だと思った。だが彼は姫に顔を見られた時、大層傷ついていたようだった。次に会った時は慰めなければ、と思いながらコートを脱ぐ。気が緩んだのか、一気に様々な想いがこみ上げて来た。一番強かったのは、自分のふがいなさへの、やりきれない怒りだった。
私が王子に勝っていれば、こんなことにはならなかったのだ。そもそも、彼の目的は姫君だけではなく、賢者の石であった。そのことに、護衛している自分が気づかなければならなかったのに。どんなに巧妙に隠されていても、彼女を守れるのは自分しかいないのだから――ふと、視界がぐらりと歪む。あれ、と思った瞬間には、天井がひっくり返っていた。
*
「リゲル、邪魔をしては駄目だよ」と、仮面の男は言った。
屋敷の外で響く馬車の音。男が去って行く音を聞きながら、僕はまだジールの部屋の前にいた。
扉の向こうは静かだ。別に男同士だから、着替えを見てしまっても問題はないはずだ。でもなんだかそれすらも憚られたし、彼が一人になりたがっているようだったから、僕はこうして深入りしないように立っていることしかできないのだ。
あの傷はただ事ではなかった。僕が始めて出会った日、ジールは返り血を浴びていたが、今日服を染めていたのは彼の血だ。本当は中に入りたかった。召使いさえ拒んだ彼のことだ、僕が入ったらとんでもなく怒るだろう。諦めて自室に戻ろうかと踵を返した瞬間、背後の扉の向こうで、けたたましい音がした。
「ジール!!」
僕は思い切って部屋の扉を開く。見れば、座っていたジールがベッドから落ちて、床に倒れているところだった。わき腹から血が流れている。
「言わんこっちゃない」
彼は周りの心配はするのに、自分の身のことはおろそかにしがちなのだ。叱ってやれるのは僕ぐらいしかいないと思いながら、ジールをベッドに乗せる。
赤い血が銀髪や白い肌に映えている。それは残酷で美しい光景で、僕はどこかぞっとしながら、彼の傷を見た。わき腹の傷は、恐らく剣に刺されたものだ。このケガの理由は、きっとあの仮面の男が知っているのだろう。あいつは一体何者なのか。ジールの一番の友達はスペンサーだと思っていた。他にもいたなんて知らなかった。ジールはいつも何も教えてくれない。気絶するほど痛みに耐えていたなら、教えてくれれば良かったのだ。
僕は彼の服のボタンを外し始めた。わき腹の傷を、どうにか手当しなければと思ってのことだ。どこか震える指で、それでも懸命にボタンを外していく。半分まで差し掛かったところで、異変に気付いた。
「…………?」
胸がふっくらとしている。まるで、――まるで、女の人みたいに。
そう――この人は、間違いなく、女の人だ。
「っ―――!?」
僕は慌ててボタンを締めようとする。でもやっぱり指が震えてしまって、うまくいかない。
その時、白銀の睫毛が唐突に開かれた。空色の瞳が、僕を射抜く。僕は慌てて両手を離した。
ジールはハッとしたように身を起こし、僕を見て、それから自分の胸元を見て、慌てて襟を合わせた。
「――見たのか」
「ご、ごめんなさい。僕そんなつもりじゃ」
「見たんだな」
僕が何も言えず、ただ口をはくはくさせていると、ジールは、はああとため息をついてもう片方の手で頭を押さえた。それから胸を触り、「サラシを巻き忘れたのか……今日に限って……」などと絶望に浸った声で呟いている。
僕はどうしていいか分からず、一つごくんと唾をのむと、からからに乾いた喉で尋ねた。
「ジール」
「何」
「あんた、女なの?」
「…………そうだ」
僕は自分の服の裾をぎゅっと握りしめる。
「どうして嘘をついていたの?」
「それは言えない」
ぐっとねめつけるようにジールを見た。
「僕……知ってたら、あんなことはしなかった」
「あんなことって、どれだ?」
服を脱がしたことや、彼の――いいや、彼女のベッドに上がり込み、抱いてと迫ったことだ。その他にも、色々と最悪なことをした気がする。彼女が女慣れした男だと思っていたからだ。思い出しただけで羞恥で消えたくなってしまう。
「お前は青くなったり赤くなったり忙しいな」
「仕方ないでしょ!」
「怒らないのか」
「え?」
きょとんと僕は彼を見る。
「私はお前を騙していたんだ。怒っていいんだぞ」
僕はまじまじと彼女を見た。彼女には男装しなければならない理由があったのだろう。それを僕が詮索することはできない。責めることもだ。
「怒らないよ。理由がないもの」
「――お前はお人よしだな」
「ジールにだけは言われたくない」
小さくジールが笑う。僕はそれに、なぜだか酷くほっとした。
「他にあんたが女って、知ってる人いるの」
「ああ。お前が今日出会った仮面の男と、スペンサー。それに姫君だ」
「ふうん」
「いいかい。お前はその事実を知っていていいが、口にしては駄目だ」
「分かったよ」
「ありがとう。さ、分かったら一度一人にしてくれないか? 手当てもしなきゃいけないし、それに着替えるからね」
彼女が僕の目を見て妖艶に笑うので、僕は顔を赤くさせながら、慌てて部屋を出たのだった。
*
ジールが女だった。その事実は、僕にかなりの衝撃を与えた。
けれども次の日部屋から出て来た彼女はいつもと変わらぬ様子で、こちらが拍子抜けするほどだった。問題は怪我だ。王女様は傷を負ったジールに対し、療養を与えた。僕はてっきり、二週間ぐらい休むのかと思ったが、ジールは数日家で過ごしたかと思うと、また城に出かけるようになった。
ある日朝食を食べながら、彼女は言った。
「今日は遅くなるかもしれない。夕食は一人で食べるように」
「どこに行くの」
「……仮面の男がいただろう。彼に用がある。城で働いた後、屋敷に寄るつもりさ」
僕は眉をしかめた。
「危険じゃないの」
「どういう意味だ?」
彼女が片眉を上げる。僕はムキになって声を上げる。
「あの人はジールが女だって知ってるんでしょ。そんな人の家にのこのこ行くなんて、危なくないの?」
「彼が私に手を出すと? 馬鹿馬鹿しい」
「馬鹿馬鹿しくなんかないよ!」
僕は立ち上がる。がたりと食卓が音を立てたが、扉の傍に立った老執事は慣れた様子で、顔色一つ変えなかった。
「ジールはいつも姫君や僕を気遣ってくれる。でも――でも、本当は……本当の性別は……ねえ、少しは自分の身を顧みなよ。スペンサーと会った時だってそうだ。やたらと距離が近いし、警戒心がなさすぎるよ!」
「それはお前の方だろう」
ジールは立ち上がり、僕の方へと歩いてくる。彼女は僕の顎を持ち上げ、まっすぐ見下ろしてきた。ああ、もしも同い年だったら、あるいは彼女より年上だったら、きっと僕の背は彼女より高かった。そうしたら彼女に向かって言ってやれたのに。僕も男だ、警戒しろと。
「お前は綺麗な顔立ちをしている。だが戦う人間ではなく、唄い手だ。身を守る術を持たない。お前こそ自分の身を顧みるべきだ」
「僕はいいんだよ、死なないんだから!」
ぐっと彼女が僕の胸ぐらをつかむ。至近距離で思い切り睨まれた。
「お前が痛みを感じるのは知ってる。二度とそんなことを言うな」
「その言葉、そっくりそのまま、あんたに返すよ」
「私は自分の身を守れる。戦うことだってできる。それともなんだ、私を信じると言うのは嘘だったのか?」
はく、と僕は口を動かす。違う、ただ――僕は彼女に、自分のことをもっと大切にしてほしかっただけだ。上手く伝えられない自分が、もどかしくてしょうがない。
「もういい。帰るまで、家で大人しくしておけよ」
言いながら、ジールはこちらに背を向け、行ってしまう。僕はなんだか悲しくなって、その背を睨んだ。




