求婚と真実
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私の頭の中を、リゲルが占めている。舞踏会で踊った少女が彼だったことには驚いた。その一方で、何かが自分の中で腑に落ちた。私が惹かれていたのは、彼女が彼だったからかもしれない。
舞踏会で見た品のある口元や、靴を履かせた時の、真っ赤になった顔を思い出す。なぜだかぐっと胸が苦しくなる。けれど今は仕事中だ。内心で首を振り、私は前を見る。
今日も今日とて、アズィム王子とキャンディス王女は庭を散策していた。いつしか王子は、旅の話だけでなく、この国の出来事について語るようになっていた。彼がここに滞在して三週間になる。その間に、彼は姫君とそれなりの時間を共にしていた。
にこやかに話していた王子は、ふと足を止める。彼は振り返り、まっすぐな目で姫君を見た。
「実はお話があります」
「なにかしら」
ピチュピチュと呑気に小鳥が鳴いている。光が差し込む中庭で、彼は静けさと自信に満ちた目で微笑んでいた。
「私はこの国に三週間ほど滞在しました。あなたにとっては短い期間かもしれません。ですが、私にとってはとても長い時間でした。私がひとところに留まるのは、せいぜい長くて一週間です。ここへ来てから、たくさんのことがあった。あなたは何度か、私と踊ってくれましたね」
私は目を細める。確かに姫君は彼と何度か踊った。三騎士は交代で姫君の傍についていたが、リゲルが帰った後、私が傍に居た時、姫君は言ったのだ。「彼と踊るわ」と。その瞳はどこか諦めに似た色をしていた。「三度も舞踏会を開いておいて、王子と踊らないのは失礼にあたるもの」
彼女は仮面の男を待っていたのだ。正体を隠した、私の兄を。醜く焼けただれた顔を見られるのを、兄は嫌った。例え仮面をしていてもだ。来るはずのない男を、姫君は待ち続け、とうとう彼を諦めたらしかった。私にはそれがやりきれない。やりきれないけれど、どうしようもないことだった。
王子は姫君の手を取った。
「あなたと踊った時、私はとても幸せだった。あなたのような美しい方と共に過ごせただけでも、光栄だというのに。――この国で過ごしているうちに、あなたが人々に慕われていることを知り、またその理由を知りました。あなたは聡明な方だ。一人の王族として、あなたを尊敬します」
王子はどこか妖艶な唇で、とうとう姫君の名を口にした。
「美しいキャンディス王女。どうか私と結婚してください」
姫君が小さく身じろぎする。彼女のことだ、その可能性は予測していたはずだ。けれどもやはり驚いたのか、動揺が隠しきれていない。それは私も同じだったが、どうにか気持ちを抑え、ひたりと王子を見据えていた。美しい王女は、長いまつげを瞬かせ、静かに相手を見つめる。
「わたしは……」
「私と結婚すれば、必ずやこの国を幸福にすると誓いましょう。これはあなた一人の問題ではない、国益にもなることなのです」
彼は姫君の性格をよく理解しているらしかった。そう言われては彼女は断れないのだ。
「キャンディス王女。あなたは聡明だ。この婚約がいかに素晴らしい結果をもたらすか、敏いあなたなら分かるでしょう? 私の祖国とは、いくつかの国を隔てますが、貿易に難はないはずです。それだけではない、もし周辺国があなたに牙を剥いたら、私の部下がこの国の民たちを守るでしょう。私がもたらすのはあなたへの愛だけではない。この国の民の、幸福なのです」
「――分かりました」
ハッと私は顔を上げる。王女の瞳はもう、決心に染まっていた。
「王子。あなたの求婚を受け入れましょう」
「ああやはり、あなたは聡明だ。それでは――」
「ちょっと待ってください」
私は一歩前に出た。
「あなたが姫君を本当に幸せにできるのか、証明していただきたい」
王子が片眉を上げる。構わず私は口を開いた。
「決闘を申し込みます」
辺りには場違いにやさしい日差しが降り注いでいる。その最中、ばさばさと小鳥の飛び立つ音が聞こえた。
決闘は二日後の夕方、城の中庭で行われることになった。
中庭には姫君だけでなく、ペドロやヴィヴィアンも駆けつけ、私と王子を見守っている。
私と王子は互いに剣を握り、少し距離を置いて、向かい合うように立っていた。
「忠実な騎士殿。あなたの剣の腕前は噂に聞いています。しかし私も負けていませんよ」
「望むところです」
「いざ、参る!」
走り出した彼と共に、私も地面を蹴る。私達は剣を交え、戦った。互いに優雅な剣捌きを見せていたが、その実いがみ合うような戦いだった。事実、私は王子を姫に近づかせたくなかったし、彼にとって私は邪魔者であった。
横からペドロが余計な野次を飛ばすのが聞こえてくる。私はすべてを振り切るようにして、奥歯を噛みしめて踏み込んだ。その刹那、王子はひらりと攻撃をかわした。そうして私の懐に飛び込むようにして、剣を振るった。
ぐさりと嫌な音がして、わき腹に刃の通る感触がした。
「ジール!」
王女が悲鳴に似た声を上げる。目の前で、ふっと王子が笑うのが見えた。
「そこまでよ!」
姫が言い放つ。王子の殺気が静かに消える。彼は剣についた血を振り払い、品の在る所作で身を引いた。
私はわき腹を抑える。その指の間から、血が流れていた。立っていられず、がくりと座り込む。ああ情けない。姫君のためにも勝たなければいけなかったのに。これでは――これでは。
「私の勝ちです。姫君、――婚約してくださいますね」
「ええアズィム」
王子が姫君の傍へ寄る。まるで密着しそうな距離だ。
「それでは、今後の賢者の石の使い方について尋ねておきましょう」
ハッと私は顔を上げる。姫君の顔に、疑念が浮かんだ。
「どういう意味なの、アズィム」
「あなたと結婚することは、ひいては王になることを意味します。この国の王たる者は、賢者の石を持つ運命」
私はぐっと男を睨んだが、つきりと走った痛みに、顔を歪めた。
「あなたはわたしではなく、賢者の石が目的だったの?」
「もちろん両方ですよ、姫君。私の心は偽りなくあなたと共にあると誓いましょう。――そして賢者の石も、私のものだ。――何も犠牲を払ってまで、叶えたい願いがあるという訳ではありません。ただあの石を持っているということが、重要なのです」
王子の瞳に、初めて覗かせる野望がちらついた。
ヴィヴィアンとペドロが前に出る。
「あなたのような人間に、姫君は渡さないわ」
「そうだ、俺達が相手になる」
「二人ともやめなさい」
姫君が厳しい声で言った。
「あなた達がこれ以上傷つくのは、私が許しません。彼相手に戦っても無駄よ。ジールが勝てなかったんだもの。あなた達も傷を負うことになるわ。もうすべて終わったことなの。――そう、終わってしまったのよ」
そこへ別の声が割って入った。
「待ってください」
ふと我々が振り向けば、そこには息を乱した仮面の男が立っていた。兄上だった。
「僕にもチャンスを下さい。王子と戦う権利を」
姫君の目はかすかな歓喜に煌めいたが、彼女はそれを巧妙に隠し、変わらぬ口調で言った。
「それは彼が決めることです。――いかがかしら、アズィム王子」
視線を受けた王子は、野望と自信に満ちた瞳で、口を開いた。
「いいでしょう。誰が来たって同じことです」
そうして、二度目の戦いが始まった。
私のわき腹からは絶えず血が流れていたが、私はそれを片手で抑えながら、二人の戦いを守っていた。今は彼らの戦いの方が重要だった。
金属がぶつかる音が、幾度も響き渡る。王子は強かった。兄は果敢に剣を扱っていたが、攻撃はすべて防がれていた。
「無駄ですよ。私は国一番の使い手と謡われた男です」
笑うアズィムはどこか妖艶だった。褐色の肌に、鋭い目がよく映える。対する兄は一歩も引かず、これもまた王子の攻撃を躱していた。
兄はあまりにも真剣だった。私の脳裏に、母の仇を討とうと戦っていた、幼い彼が蘇る。
「あなたに姫君を渡しはしない」
兄はいつしか口走っていた。
「彼女の幸せは、彼女が決めるべきだ!」
カン! と一際高い音がした。アズィムがハッと目を見開く。彼の剣が吹き飛び、からんと地に落ちた。兄は王子の首元に剣をつきつける。王子は鼻で笑うように言った。
「それではあなたが彼女を幸せにすると?」
兄の口元がわずかに歪む。王子は構わず続けた。
「顔も見せられない卑怯者なのに?」
ぱん、と王女が手を叩いた。
「おやめなさい。試合は終わりよ」
その瞳は、どこか落ち着きを取り戻している。私はほうと息を吐く。その一方で、兄は剣を鞘に戻した。兄と王子の間にどこか冷たい空気が流れている。しかし姫君はあえて気づかないふりをするように、表情を変えずに立っていた。
「アズィム王子、二人と戦ってくれたことに、お礼を言いましょう。この仮面の男が出した結果が、わたしの答えよ。あなたは負けたの。賢者の石は渡さないわ。どうぞお帰りになって」
「……手厳しい方だ。――賢者の石が、私の旅の目的の一つだったのに。ここで出会った、あなたという美しい女性も」
彼は一つ息を吐き、そっと笑った。
「ですがいいでしょう。世界にはまだ宝がある。そして私に合う女性もいるはずだ。あなたとは反りが合わなかったと言うだけ」
王子はわざとらしく丁寧に一礼すると、剣を拾い上げ、去って行った。
彼が見えなくなると同時に、ふっと辺りの緊張が解ける。皆が小さく息を吐いた。最初に口を開いたのは姫君だった。
「ありがとう、助かったわ。あなた……ええと、名前を聞いても?」
彼女は勇気を出して尋ねたらしい。けれども兄はどこか、やりきれない様子で姫を見た。
「僕は――僕は、とうの昔に死んだ男です。名前を持ち合わせておりません」
「そんなはずないわ。今あなたはここにいて、わたしを助けてくれたもの。……どこかで会ったことがあるかしら?」
姫君が目を細める。兄はどこか怯えるように立ち尽くした。やがて彼女の美しい唇が、詩を紡ぐように開かれた。
「……フレドリック?」
ハッと兄は身じろぎする。無邪な姫君の顔は、喜色に満ちて輝いた。
「ああ、あなただったのね!」
その手が仮面に伸びる。
「待ってください、姫君、どうか――」
彼女に悪気はなかった。ただ再会の喜びに心打たれ、兄の声が届かなかったのだろう。白い指が仮面を掴む。姫君の美しい二つの瞳、その瞳孔が真実を映し、ひゅっと縮まった。ぱたりと仮面が地面に落ちる。ペドロとヴィヴィアンが、小さく息を呑むのが見えた。
そこには半分美しく、半分醜く焼けただれた男の顔があった。
「ああ、フレドリック、わたし……」
姫君は後ずさる。兄がかすかに瞳を揺らした。
「思った通りだ。――あなたは僕のこの顔が、恐ろしいのですね」
「違うのよ」
兄が手を伸ばす。姫君が無意識に身を引いた。彼女は自分のしでかしたことに気づいて、泣きそうに首を振る。
「違うの、違う――ごめんなさい」
「いいえ、いいんです、あなたは何も悪くない」
姫君の瞳にわずかに涙が浮かんだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい――あなたを傷つけるつもりじゃ――フレドリック、」
兄は仮面を拾い上げ、無造作に自分の顔につけた。
「どうかご容赦ください。二度とあなたの前に顔を晒しません。これ以上怯えさせることはないと誓いましょう」
「ああ、赦してフレドリック。わたしはただ、」
彼はその言葉を聞かず、つかつかと私の方へ歩いてきた。私にだけ聞こえる声で、彼は言う。
「ジェシー、酷い傷だ。君の屋敷まで送ろう」
確かに酷い傷だった。ずっと抑えていたためか、出血は収まってきていたが、ずきずきと嫌な痛みが走っている。だが私は、これぐらいの傷、何度か受けたことがあった。そして今はそれよりも、兄と姫君の問題の方が、大切な気がしたのだ。
「兄上、いいのですか」
「いいも何も、ここはもとより、僕の来るべき場所じゃないんだ」
「ですが、」
「さあ行くよ。僕のためを思うなら、恥をかかせないでくれ、かわいいジェシー」
窘める声は、彼が自分自身に言い聞かせているようにすら聞こえた。けれども兄の、そんなつらそうな声を聞いてしまうと、私は従うことしかできなかった。彼が肩に腕を回してくれる。私はそんな彼のやさしさに倣って、どうにか立ち上がり、歩き出した。彼があまりにも悲しむならば、私がここから去る口実になったって構わないと思った。
私達は中庭から去り、その後馬車に乗って、屋敷へと辿りついた。帰りの馬車で、座席を血で汚してしまうのを申し訳なく思いながら、私は兄がいつから姫君に恋をしていたのだろうと、静かに考えていた。




