それはまるで童話のような
*
それからも時はあっという間に過ぎて、三度目の舞踏会が訪れた。
スペンサーが用意したのは、真っ白なドレスだ。顔を覆うレースも白い。それらに加えて、例のように髪を結い上げ、銀の髪飾りと、真珠の耳飾りを身に着けている。本当はジールのくれた金の月の耳飾りをつけていきたかったけれど、そんなことをすれば正体がばれてしまう。いつも身に着けているのだから、家に帰ったらまたつけようなどと考えながら会場に入ると、人々がざわりとどよめいた。
僕はこの広間のざわめきに慣れていた。唄い手として会場に入ったときなど、人々は僕を好奇の目で眺めた。しかし今は、どこか羨望するような目で見ている。この視線は三度目だ。そしてそれが、心地良くもあった。
僕は目的の人を探す。いた。彼はまたキーラと踊っていた。彼はいつも、王女様かキーラと踊っている。それを見るたびに僕の胸には醜い嫉妬が渦巻くのだ。
曲が終わり、キーラが離れたのを見て取って、僕は青年の傍へと歩み寄る。ジールは僕にとって、特別な人だった。同時に、遠い少女と重なるような、王子らしい存在感を放つ相手だった。
「――こんばんは。また来てくれたのですね」
彼が僕を見かけ、声を掛ける。シャンデリアの下で見る彼は、いつも以上に格好いい。僕は緊張しながらも口を開く。
「今日も一緒に、踊っていただけますか?」
「もちろんです」
彼はにっこりと笑った。胸が熱くなる。彼の見せる笑顔が、僕は好きだ。酒を飲んだときだけに見せる、あの恐ろしい笑みも忘れられないが、こうして王子様みたいに笑った表情が、いっとう素敵だと思った。
彼の白銀の髪に、黒いコートがよく似合っている。胸元には赤のスカーフ。彼の瞳がよく映えている。スペンサーは言っていた。同じ青でもまったく違う、僕の瞳は瑠璃色で、ジールの瞳は空色だと。
彼の白い指先が、僕の指を掬いあげる。絡められた指先に、確かな幸福を覚えながら、僕は踊る。彼が僕だけのものだったら良かったのに。
くるりと僕が回れば、白いドレスがひらりと揺らいだ。コートを翻して踊るジールは、それはそれは格好良くて、僕はうっかり見惚れてしまう。
「あまり見つめられると、顔に穴があきそうです」
ジールが少し、困ったように笑う。そのどこかはにかんだ様子に、僕の胸はきゅうと締め付けられる。彼が好きだ。そのすべてが、僕は欲しくてたまらない。
僕らは踊る。ワルツに合わせて。彼の冗談に、僕は明るい笑い声を上げる。幸せだと思った。いつかこの幸福がばらばらに砕け散ってしまう気がして、それだけがただ怖かった。
ふと、ジールの瞳が細まる。
「――私の知り合いに、小鳥のように笑う少年がいるのです」
なぜ急に、そんなことを言い始めるのだろう。
「あなたの笑い声は、彼に似ている」
ぎくりとする。一瞬固まった僕を、二つの空色が射抜いた。
「……あなた、まさか……」
僕ははっとして身を翻した。ドレスの裾を持ち上げ、一目散に走っていく。
「待って!」
ジールが追いかけてくる。三度目だ。でも僕は、彼に捕まってはならないのだ。慌てて廊下を走り、階段へ向かう。階下にはスペンサーの馬車が待っていた。僕に気づいた彼が、中から出てきて、扉をあけてくれる。
「待ってください!」
背後から聞こえる声を受け流し、僕は階段を駆け下りる。その拍子に、片方の靴が取れてしまった。真珠のような純白の靴だ。僕がふと足を止めれば、ジールが階段を駆け下りてくるところだった。仕方なく前を向き、スペンサーの馬車へと走り込む。
「さあ、出発しますよ!」
スペンサーの合図により、馬車が走り出した。
ジールが何か叫んでいる。けれどそれも、馬車の車輪の音にかき消された。そうして僕の美しい思い出は終わった。
*
僕が早く舞踏会を出るのには訳がある。今回は正体がバレそうになって、慌てて出てきてしまったけれど、本来は元の服に着替えてばれないようにするためだ。一旦スペンサーの屋敷に行き、そこで着替える。そうしてジールの屋敷まで送ってもらい、何食わぬ顔で家主の帰りを待つのである。ジールは僕を追ってこられない。彼は遅くまで城にいなければならないからだ。
笑い声を指摘されるなんて思わなかった。そもそも彼が、そんなことに気を留めていたなんて知らなかったのだ。
僕は傷のなくなった指をさする。ジールに咥えられたことを思い出した。彼はたぶん、機嫌が良くなかった。だから僕をからかったのだ。ちゅうと吸われた時の感覚を思い出し、熱がぶり返しそうになる。いけない、今はそんな時ではないのだ。
馬車は一度スペンサーの家へ辿りつき、そこで服を着替えた後、僕はジールの家に送られた。
靴を忘れてきてしまったことを、スペンサーは怒らなかった。ただうっすらと愉しそうに笑っているばかりである。
「ご武運を」と言い残して、彼は馬車で帰って行った。ジールが彼に怒るのも分かる。調子のいい男なのだ。
僕はどうするべきか考えて、自室にこもることにした。スペンサーと約束したのは三度の舞踏会に行くことだ。おそらく、もう行くことはない。でも十分だ。僕の中に美しい思い出は遺った。あの思い出は、ジェシカと共に、森の中で遊んだ輝きと似ていた。それがあれば、もしもこの先、どんな恐ろしいことが起こっても、耐えられるのではないかと、そんな気さえしたのだ。
やがて帰って来たジールは、そのまま眠りについた――訳ではなく、僕の部屋の扉を叩いた。
「リゲル、話がある」
「…………」
「大事な話だ。応接間に来い」
それだけ言うと、彼の足音は去って行く。僕は座り込んでいたけれど、仕方なく立ち上がり、応接間へと向かった。
部屋に入ると、ジールはただならぬ雰囲気で立っていた。僕は内心ひやりとしながらも、口を開く。
「何の用?」
「座れ」
目を細めて彼が言う。有無を言わせない雰囲気だ。僕が大人しくソファに座れば、彼は傍にしゃがみこんだ。
「……っ、何するつもり」
「いいから」
そう言って、彼は靴を取り出した。僕が忘れた純白の靴だ。ハッとして立ち上がろうとする。
「座っていろと言っただろう」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「いいから大人しくしていろ」
彼のひんやりとした指先が僕の足に触れる。内心どきりとするが、ジールはそのまま、僕の右足に靴を履かせた。やがて、彼は詰めていた息を吐き出すようにつぶやいた。
「……ぴったりだ」
じろりと空色の瞳が僕を見上げる。
「――お前か」
二つの瞳に射抜かれて、僕の身体はじわじわと熱を持つ。隠し通すなんて、ハナから無理だったのだ。
「よくも私を振り回してくれたな。――どう弁解するつもりだ」
「ぼく、僕は」
「うろたえているお前を見るのは悪くないが、弁明してくれなきゃ困る」
「僕は、ただ……」
勇気を出して、懸命に告げる。
「ジールと、踊りたかったんだ」
ジールの頬が、薄っすらと染まる。
「――それだけ?」
「そ、そうだよ。他に理由なんてない」
途端に彼の腕が伸びてきて、僕をぎゅ、と抱きしめる。え、と声を上げる僕の肩に、彼は顔を埋めて、はああとため息を吐いた。耳元でそれをするのは切実にやめてほしい。
彼はそっと顔を離し、まじまじと僕を見た。
「リゲル、お前はその、とてもかわいいやつだ」
「そ、そう? 僕、もう十八なんだよ。分かってる?」
「分かってるよ。そこも含めて、全部かわいらしい」
「あ、あんたのこと、よく分からないよ」
「分からなくていい」
彼の顔が近づいてくる。僕のつむじにちゅ、と彼はキスを落とした。
――――この人たらしめ。
内心で僕は叫ぶ。けれど見上げた彼の頬は、少し紅色に染まっていた。思ったより余裕はなさそうだ。
「この靴は返すよ。あのドレスも似合っていたが――お前はお前のままでも、十分素敵だ」
それだけ言うと、彼はおやすみ、と言って廊下へと去って行った。残された僕は、靴を手に、呆けたまま座り込んでいた。




