体裁と秘密
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翌日城へ行くと、なんだか騒がしかった。
「伯爵、ちょうど良かった、来てちょうだい」
ヴィヴィアンに呼ばれて行くと、廊下の先に王子アズィムが立っていた。
「昨日の今日で会いに来たのよ。姫君を気に入ったみたいなの。従者もついてきたけど、応接間で待たせているわ。人が多いとややこしくなるから」
私が視線をやれば、目があった王子はにっこり笑う。その隣に立っていたペドロが、少し疲れた顔でこちらを見た。
私は笑みを取り繕って前に出る。
「こんにちはアズィム王子。なにか御用ですか」
「私はしばらく、この国に滞在することにしました。宿の方はご心配なく、町の方で抑えてあります。それもこれも、滞在中、彼の姫君と共に過ごしたいがためです。――昨日はあまりお話できなかった。改めてご挨拶させていただいても?」
彼の瞳はまっすぐだった。物怖じしない態度は、どこか自信を滲ませている。彼は生まれながらの王族なのだ。
私はわずかに眉を曲げた。どう断ろうかと考えていた時、品の良い足音が聞こえた。
「通していいわ、ジール。彼と話しましょう」
「姫君」
振り向けば、彼女はいつも通りの顔で立っていた。だが何を考えているのかは分からない。
「彼は王族よ。あまり無下にするのも失礼にあたるわ。そうでしょうヴィヴィ」
「わたしはあの王子、あまり気に入りませんが」
ヴィヴィが言う傍で、ペドロも口を尖らせた。
「姫君に近づく奴に、ろくな人間はいませんよ」
「随分と嫌われてしまったものだ」
アズィムが穏やかに笑う。
「姫君、あなたは私をどう思いますか? 我々はまだ十分に話してもいない。判断なさるのは早いのではないかと存じますが。どうか私に、あなたと共に過ごすチャンスをいただけませんか」
「いいでしょう」
王女キャンディスは美しく微笑んだ。
「みんな、外してちょうだい。そうね――ジール、あなたには護衛として来てもらおうかしら」
「仰せのままに」
「おいジルウェスタ―、そいつをあまり姫君に近づけさせるな」
「そうよ伯爵、あなたにかかってるんだからね」
「分かったから、二人とも持ち場に帰れ」
そんなこんなで、私は姫君と王子と共に、庭の散策についていくことになった。
アズィム王子は紳士らしくふるまった。その色鮮やかな旅の話に、姫君は頷いている。彼の国に対する考えや話し方を聞いているうちに、どうやら思ったよりまともな人間のようだと分かった。だが私は彼を一歩引いた視線で眺めていた。姫君の心の中には、気にかけている相手がいる。手紙をくれる謎の男だ。その正体は私の兄だが、二人が結ばれることは恐らくない。だとしたら、他の男の接近を許した方がいいのだろうか。姫君にとって何が一番良いことなのか、懸命に考える。だが他人が彼女の幸せを定義して良いのだろうか。
やがてアズィム王子は毎日のように城に来るようになった。噂に聞けば、彼が連日泊まっているのは町一番の宿らしい。身持ちが良い上に、大層な金持ちだという噂も流れていた。
姫君といえば、嫌がっている様子はなかった。時たまどこかを見て切ない瞳をするが、王子と話す時は笑顔に戻っている。
彼は弓矢が得意で、王女の前でそれを披露して見せた。庭でりんごを台の上に置き、それを遠くから射るというものだ。彼の弓矢は的確にりんごを射抜いた。見事な腕前だった。またある時は、彼は森で狩ったといううさぎを、爽やかな笑顔で王女に献上した。姫君は一瞬顔を引きつらせていたけれど、笑顔でそれを受け取った。
「姫君は彼のことをどう思っているのですか」
二人きりになった時、私は彼女に尋ねてみた。彼女の反応によっては、王子を牽制することも考えていた。
「アズィムはいい人だわ。狩りもうまいし、話も上手よ。それにわたしを気に掛けてくれる」
姫君は笑顔で言う。その瞳はやっぱり、少しだけ切ない色をしていた。
「あなたは敏いから、気づいているのでしょうけれど。――わたしは確かに、文通の相手を気にかけているわ。だからといって、その人と近づこうとは思っていないの。だって彼は、名前や顔を見せたがらない。無理にそれを暴く気はないわ。末永く手紙のやりとりができれば、それでいいの」
「…………」
「アズィムが何を考えているか分からないけれど、わたしと近づきたいというのであれば、構わないわ。だってわたしは一国の王女よ。必要なことだわ」
私は内心で頭を抱えた。姫君は王子を好いている訳でも嫌っている訳でもない、ただ彼女が彼の相手をするのは、義務感からだとなんとなく理解できてしまったのだ。そして彼女がそれを責務だと思っているのなら、私が邪魔するべきではないと思った。騎士が必要以上に感情的になってはならない。今がそのいい例だ。
「ありがとう、ジール」
姫君は笑う。
「あなたやペドロ、それにヴィヴィが気にかけてくれる。わたしはそのことに、とても感謝しているのよ」
やがて今月に入って、二度目の舞踏会が開かれた。庭の木々が風にさやさやと音を立てる中、宴会は華々しく始まった。
始まって早々に、ペドロに声を掛けられる。以前と同じように、キーラが私を見ているというのだ。そこで私は再び、王子をペドロに、姫君をヴィヴィに任せ、キーラと踊ることにした。キーラは品が良く、深入りはしなかったが、切ない瞳で私を見ていた。私はどこか呆れながらも、彼女に同情を覚え、これではいけないと自分を奮い立たせた。二曲踊ると、彼女は静かに身を引いた。
一人、広間の端でグラスを片手に一息ついていると、私に声を掛けてくる男があった。
「こんばんは、いい夜ですね」
スペンサーだった。前回は来ていなかったが、今日は舞踏会に参加しているらしい。私はちろりと視線をやる。
「こんばんはスペンサー。賢者の石に関して、姫君に何か言われなかったか? 私は未だに、お前があれを手放したのが信じられないが」
「皮肉は結構ですよ。姫君は私に、きちんとお礼を言ってくださいました。出来た方ですよ」
私はグラスの中身を飲み干した。
「ならいいんだ。――ここ最近姿を見なかったな。何をしてたんだ」
「おや珍しい、私に興味を持ってくれたんですか?」
「どうしてそうなる」
私は小さく息をつく。
「舞踏会は飽きたと、以前言っていなかったか? お前がここに来るのは珍しいと思って」
「別に飽きたわけじゃありませんよ。それに見るものもありますし」
「見るもの?」
「あなたと……いいえ、なんでもありません」
「何か不穏な言葉が聞こえたが、聞き間違いか?
「ええそうですね。忘れてください――ああほら、それよりあそこの少女を御覧なさい」
彼が私の手からグラスを取り、視線で広間の奥を見やる。
そこには以前見た少女が立っていた。強い視線でこちらを見つめている。今日は黒ではなく、紺色のドレスを着ている。日が沈んだ後、真っ暗になる前の空の色。美しいドレスには星のようなビーズが散りばめられていた。彼女が歩むたび、ドレスの裾がふわりと広がる。
スペンサーが私の肩に手を置き、背後からささやいた。
「美しいと思いませんか?」
「ああ、とても」
「ふふふ」
「一体なんだ。あと耳元でささやくのをやめろ」
「これは失礼を」
スペンサーは笑い、どうぞ楽しい夜を、とかなんとか言いながらシルクハットを持ち上げると、人混みの中に去って行った。
それと入れ替わるようにして、目の前にあの少女がやってくる。少女は勇気を振り絞るように唇を開いた。
「あの。――わたしと、また踊ってくれませんか?」
私はにこりと微笑み返す。
「喜んで」
それから二人で、三曲も踊った。私はどういう訳か、この少女に心惹かれていた。そうはいっても自分は女だ。この感情がどういうものなのか分からない。ただ言い知れぬ懐かしさを覚えるのだ。私は無作法にならないように、けれども真剣に彼女の名前を聞き出そうとした。どこの出身かだけでも良かった。だが彼女は何一つ教えてくれないのだ。
やがて十時の鐘が鳴ると、少女はまたハッとしたように顔を上げ、走り去ってしまう。
人混みの中に消えていく少女を、私は慌てて追いかけた。
廊下を抜け、長い階段を降りた先、誰かが馬車の扉を開けている。少女が中に駆け込むと、その帽子の男が手前に乗り込み、ぱたんと扉を閉めた。
窓から見えた顔に、私は思わず声を上げる。
「スペンサー!」
がらがらと馬車は走り出した。一体なぜあの男が。私は苛立ちのようなものを覚えながら、その場を後にした。
ともあれ、城は私の仕事場でもある。広間に戻ってからはまた真面目に職務を全うした。ペドロやヴィヴィに、踊っていたのは誰かと聞かれたが、私は答えられなかった。
そして次の日の夕方、城での仕事が終わった後、私はスペンサーの家にそのまま向かったのだ。




