差出人の正体
馬車に揺られて辿り着いた屋敷は、どこか潔癖そうな雰囲気で、大理石のような色をしていた。
黒く尖った柵がぎぎぎと開く。馬車はその間を進んでいった。随分立派な屋敷だ。ここは以前まで、王家の領地の一角だったはずだ。姫君から拝領したのだろうか。
屋敷の入り口の前に降り立つと、使用人らしき人が扉を開けてくれる。デズモンドは「それではまた後ほど」と言ってどこかへ去ってしまう。
中には上まで続く螺旋階段があり、また左右に続く廊下があった。
使用人に左の廊下へと導かれる。細長いそこは紺の闇に包まれ、四角い窓が庭に面して均等に並んでいる。月明かりが差し込み、どこか不気味な光景だ。廊下の真ん中には扉が一つあり、使用人がその扉を開いた。
私が中に入ると、背後でぱたんと扉は閉められる。
なんとも広い部屋だ。奥の椅子に誰かが座っている。
「やあ、よく来たね。君がジルウェスタ―・キーリングだね」
「お会いできて光栄です。ミスター」
私はうやうやしく一礼する。差し込む月光にうっすらと照らされた彼の顔は、仮面で隠されていた。何を考えているのか分からない相手だ。
「キーリング、君の剣の腕は聞いている。良ければ僕と手合わせをしてくれないか?」
「それが私をここに呼んだ理由ですか?」
「そうだ」
彼の口元がどこか上品に弧を描く。
「是非とも僕と剣を交えて欲しい」
私は目を細めた。既にこの広間には、私と彼しかいない。もしここで殺されたら、証拠も消されてしまうだろう。だが彼の放つ雰囲気は、極悪人のそれではなかった。どこか悲しみに似た静謐だけが、目前を支配している。
私が引けば彼も諦めるだろうということはなんとなく分かった。同時に彼が寂しい男であることも。
私が静かに剣を鞘から引き抜けば、男は嬉しそうに笑った。
「ありがとうキーリング。君ならきっと、相手をしてくれると思っていたんだ。――始めてもいいかな?」
彼もまた剣を引き抜き、切先をこちらへと向ける。
「いつでもどうぞ」
私が口の端を上げれば、たんっと地を蹴る音がした。次の瞬間彼はすぐそばまで接近し、慣れた手つきで攻撃を繰り出した。私はすかさずそれを防ぐ。ガキン! と金属の鳴る音。続け様に来る攻撃を防ぎ、こちらも反撃を繰り出す。金属の重なる音は高く響き、私たちは一進一退を繰り返していた。
――――互角だ。
それが私の認識だった。私と彼の攻撃は似ている。踏み込むタイミングも、その剣捌きも。キン、キンと火花が散り、広間の空気はいつしか張り詰めていた。
彼が一歩踏み込む。私はそれをかわし、相手の隙をついて思い切り剣を振った。
乾いた手応えがあった。ハッとする。彼の仮面が弾き飛ばされたのだ。仮面は吹っ飛び、カタン、と音を立てて床に転がった。
しまったと私は動きを止める。そんなつもりはなかったのだ。
彼は呆然とした様子で顔を上げた。
「…………」
青い部屋の中、白い月明かりに照らされ、彼の顔が浮かび上がる。その半分は美しく、もう半分は醜く焼けただれていた。
じっとふたつの瞳が、こちらを見た。彼と視線がかち合う。彼はどこか絶望したように告げた。
「醜いだろう」
「……あなたは、」
私の視界は、溢れ出る感情でかすかに揺らいだ。顔が半分焼けていても、私には誰だか分かるのだった。
「――兄上」
「なんだって?」
「顔の傷なんてどうだっていい。あなたはフレドリック・メリーウェザーでしょう?」
その二つの瞳が見開かれる。
「まさか」
「ジェシカです」
私の手から剣が落ちる。私は兄にかけ寄り、跪きそうな勢いでその懐かしい顔を眺めた。
彼の瞳がかすかに揺らぐ。
「ジェシー。小さなジェシー?」
「そうです、兄上」
彼の手が伸びてきて、ゆっくりと私を抱きしめる。
「……そうか、そうか。ジェシー。僕の家族が生き残っていたなんて」
「今はジールです、兄上」
「どちらにしても、僕のかわいい妹だ」
ぎゅ、と腕の力が強くなる。私の生は無駄ではなかった。前世の知識は役に立ったのだ。一人残らず死ぬはずだった私の家族は、生き残っていた。最初に来た夜盗を防がねば、今頃みんな死んでいただろう。あれは私が、父に助言したものだった。そして二度目の襲撃の後、私が助けを呼び、川に落ちたあの日、炎を放たれ燃え尽きた家の中で、兄は自ら生き延びたのだ。
それから私達はたくさんの話をした。懐かしい思い出や、宝物のこと。ただ育って来た道のりは、お互い口にはしなかった。双方が苦労したのだということだけが、なんとなく分かった。兄の火傷は家が焼けた時のものだろう。彼は口にしないが、仮面をしている理由はこの傷のせいに違いなかった。
「兄上、以前と同じように、家族として一緒に暮らせませんか。良ければ私の屋敷に――」
「それはできない、ジェシー」
寂しそうに彼は笑う。
「君が思っている以上に、この顔の傷は厄介なものなんだ。僕はこの傷のせいで、周りから気味悪がられたり、排斥されそうになったりした。――君といることで、迷惑をかけたくないんだ」
「ですが……」
「それに、僕達はもう大人になってしまった」
彼の微笑みには、幼い日と変わらないやさしさと、以前にはなかった深みが滲んでいた。
「君は城での勤めがあるだろう。僕もそう、僕なりにやることがある。――賢者の石は、今どこに?」
私はわずかに目を眇めた。
「……あれを狙っているのですか?」
「まさか」
兄は困ったように笑って見せた。
「姫君が苦しんでいないだろうかと、気がかりなだけさ」
どこか彼方を見るような目で、兄は告げた。私は舞踏会の夜、兄の書いたものだとは知らずに、恋文を読んでしまったのだ。兄にとっての特別な人が誰か、分かってしまった。よりによって、姫君だなんて。兄は転がった仮面を手に取った。
「僕なんかの悩みはどうだっていいのさ。この国では皆一様に秘密を抱えている。キャンディス様もそうだ。彼女は父親から石を賜ったはずだ。あの石は処分もできない。石の力のあまりの大きさゆえに、彼女は悩んでいるに違いない」
私はじっと彼を見た。まさにその通りだと思った。というのも姫君は、自分の弱った姿を他人に見せようとしないのだ。そうしてこの前に起きてしまったペドロの事件――彼が姫君を殺そうとしたこと――は、私やヴィヴィに少なからず衝撃を与えた。姫君はあの日も真摯な対応をしていたが、弱っている顔などちっとも見せなかった。そんな彼女のことを見通すような兄に、私は一抹の希望を見出した気がした。彼が姫君を悩み事からだけではなく、賢者の石から解き放つことができるのではないかと思えたのだ。
「……最近事件が起きたばかりなのです。ペドロという三騎士の一人が、姫君の寝室に入り、彼女を殺そうとしたのです」
「……なんてことだ。彼女は無事か?」
「ええ、無事です。彼は塔に捕らえられました。それから――賢者の石も、未だ姫君が手にしています」
「困ったものだ」
兄は険しい顔をしている。だが静かに私を見て、そっと表情を和らげるのだ。
「噂には聞いているけれど、君は三騎士の一人なんだってね」
「ええ」
「父上の意志を継いだわけだ。君が姫君を守ってくれ。そして僕も、影ながら彼女を見守ろう」
「兄上、」
青い月明かりの中、顔の焼けただれたはずの兄は、醜くもあり、しかし美しく見えた。その懐かしい顔も、再び仮面で隠されてしまう。
「そういうことさ。君と僕では立つ場所が違うんだ。ただ忘れないで。僕達は姫君を見守るものであり――互いに世界に残された、たった一人の家族なんだ」
兄の手がやさしく伸びてきて、私の頭を撫でる。じんわりと温かいものが心に滲む。もう失っていたはずの、家族と共に在る幸せを、思い出せた気がした。
「――君が生き伸びてくれたことを、誇りに思うよ。ジェシー」
そう言って笑った兄は、小さい頃見た時と同じ――いやそれ以上に、酷く大人びて見えた。
そのやさしい時間に私は少しだけ酔っていた。だから誰かが影で盗み聞きしていることにも気がつかなかった。




