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少年の紡ぐ唄


夜会に呼ばれた貴族は何人かいた。私の父、アダムス・メリーウェザー、公爵バルバトス・サーペンティンに、ゴードン男爵。そしてもう一人。


「こんにちは可愛らしいお嬢さん」

夜会のはじまる少し前、広間の入り口で私は呼び止められた。

私を呼び止めた男は、背が高く、シルクハットをかぶっていた。巻き毛がかった黒髪をしている。一目で本に出て来た仕立て屋だと分かったが、名前を思い出せない。なにせ、私の頭は今日一日だけで、たくさんの情報を詰め込んだために、いっぱいいっぱいだったのだ。彼は私を一目見ると、貴婦人に会ったかのように一礼した。


「メリーウェザー殿のご令嬢ですね? 今日はたくさんの貴族にあいさつをされたでしょう。私の名も、あなたの知人リストに加えていただけますか?」

「ええ、覚えていられたなら」

「はは、正直で結構。私はスペンサー。いや、仕立て屋と覚えてもらえれば結構です。私は侯爵であり、服職人なのですよ。あなたのその服は、わたしが伯爵に依頼され、デザインしたものなのです」

「これが?」

私は驚いて顔を上げる。今日の私は水色のドレスを着ていた。この淡く美しい服を、彼が用意したというのだろうか。

「かわいらしい令嬢に着ていただけて、光栄ですよ。白銀の髪に、淡い色がよく似合っている。ああ、この色で正解だった」

彼がにこやかに微笑む。あまりに直接的な誉め言葉に、私は少しだけ赤くなった。

「素敵なドレスを、ありがとうございます」

「お礼などいいのですよ。これが私の喜びなのですから。では、良い夜を」

そう言って彼は去って行く。これが本物の紳士なのかと、私は少し感心したのだった。


夜会はすぐにやってきた。真ん中に空間をあけるようにして、四方に長机が並べられている。

国王は主賓の席に座り、その隣に王女が並んでいる。王女の隣にはキーラがいたが、ぎくしゃくした笑みを浮かべていた。うまいこと隠しているが、泣きはらしたような目をしていることに私は気づいた。声をかけたいが、私達の席は反対側だ。

「浮かない顔をするんじゃないよ」

右隣に座っていた兄が言った。

「キーラがうろたえている今、僕らが場を持たせなけりゃ」

その時、左隣に座っていたゴードン男爵が声をかけてきた。

「あの娘は何かあったのかね?」

「さ、さあ」

私は咄嗟に堪える。彼は太った男で、茶色い口髭をはやしている。赤い服は妙に似合っていて、いかにも貴族ですという風体だ。

「あんな顔で公の場に出られては困るよ。サーペンティンはあの娘をどこかで拾ったそうだが……どうせろくでもない出自だぞ」

この人は失礼だ。私はむっとして目を向けたが、彼は既にこちらを見ていなかった。その視線は出入り口の扉に注がれている。

「さて、私の自慢の子の登場だ。同じ拾い子でも、芸のある人間こそ、価値があるというものだ」

広間に美しい服をまとったリゲルが入って来た。

私ははっとしてそちらに目を向ける。美しい光景に目が釘付けになった。彼の喉からまろび出るのは小鳥のようなソプラノだ。


星の降る夜 あの森で

どうか私を 待っていてください

結ばれた 小さな約束を

宝石のように 握りしめ

両手に星の花束を 唇には愛の歌を載せ


君よ 君よ 愛し君よ

どうか 私に 笑っておくれ



不思議な歌だが、どうにも惹きこまれる。私がじっと聞いてると、ゆっくりと歌は止んだ。

隣で男爵が、「二番はどうも縁起が悪いのでな」と私にだけ聞こえるように言う。その中身が気になったが、それよりも今はリゲルだ。彼の唄は素晴らしいものだった。

歌い終わったリゲルが所在なさげに辺りを見回しているので、私はじっと彼を見つめた。かち合った目は、少し怯えたような色をしていたが、私が微笑むと、彼がはにかむように微笑み返すのが見えた。

そうして、彼の仕事は無事終わったらしかった。その後下がった彼は出てくることはなく、私は来賓たちと食事をとった。

父と王、そしてバルバトスや仕立て屋は時折言葉を交わしていたが、その会話にゴードン男爵は入ることができなかった。私は隣の男爵がいらいらしているのに気づかないふりをして、すべてをやり過ごさねばならなかった。けれども食事がおいしいのであまり気にならなかったし、何よりもリゲルの歌が、私の中の何かを燃やすように、くっきりと頭の中に残っていた。



城から帰った後は、滞りなく日々が過ぎた。今のところ周りに不穏な動きはなく、私は少しだけ安堵していた。

それから時々父親に、兄と共に城へ駆り出され、王女に挨拶をすることが増えた。キーラに会うことはほとんどなかった。兄に尋ねれば難しい顔をして首をふるばかりだった。どうやらキーラは、王女様とは遊んでいるようだが、バルバトスが意図して訪ねる時間をずらしているようだ。貴族の世界は難しいものだと私は思う。

城へ行くことが無い日は、広い屋敷の庭を駆け回って遊んだ。淑女は木に登るものではないと兄に注意されたが、私は気にしなかった。遊べるときに遊ぶべきだ。これは持論だが。

そういう訳で、ある日私は一人、伯爵家の館を抜け出し、森へ探検に出かけることにした。そうは言っても遠くへ行くつもりはない。きちんと帰らないと家族に心配をかけるからだ。

森は緑の濃い匂いがした。小鳥達の鳴く声が聴こえ、さわさわと風に葉がそよいでいる。木々の隙間から差し込む光が、辺りに幾本もの柱を作っていた。

どれくらい歩いただろうか。木にナイフで×印をつけながら進んでいると、美しい湖に出た。青く澄み渡る湖に、やはり日差しが降り注ぎ、絵のように美しい光景だった。


ぽちゃん、と水の滴る音がする。私ははっとして足を止めた。

そこにはリゲルがいた。最後に見てから二週間は経っているはずだ。彼は湖の淵に座っていて、両の手で水を掬いあげたかと思うと、こくこくとそれを飲み干した。音もなく立ち上がった彼が、右手を伸ばす。降り注いだ日差しを浴び、白い手が輝いて見えた。風が静かに吹き抜け、真っ白な髪を揺らす。その青い瞳は今、湖のように澄んでいた。一羽の白い小鳥が飛んできて、彼の伸ばした指先に留まる。

彼は唄い出した。それはあの歌の、まだ私が知らない二番の歌詞だった。



月の泣く夜 あの場所で

どうか 私を見つけてください


血に濡れた男の 亡骸を

娘はひたすら 抱くばかり

両手に白きたむけの花を 唇には青き鎮魂歌


君よ 君よ 愛し君よ

どうか どうか 泣かないで


がさり、と音を立ててしまう。彼ははっとして振り向いた。

「……ジェシカ?」

ばさばさと小鳥が飛んでいく。私は今しがた目にした光景の美しさと、自分がそこに足を踏み入れてしまったというちぐはぐさに、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

「ごめんなさい、盗み聞きするつもりじゃなかったの」

「そんなことはいいんだよ。ジェシカ、君だよね?」

彼の嬉しそうな様子に、私はほっとして歩き出す。傍へ行くと、彼は分かりやすく目を細めた。

「君とまた会えて……嬉しいよ」


それから私達は、湖の淵にしゃがみこんで話し出した。あれから彼は、ゴードンのところで毎晩歌わされているそうだ。私は何となく心配したが、仕事だから問題ない、と彼は言う。今日はこっそり抜け出して来たらしい。そういえば、ゴードン男爵の領地は、うちの領地の隣なのだ。

「僕はもともと、なんの身分も持たないんだ。それが王様が芸術好きとあって、城に出入りすることができている」

「お城に来てるの?」

「うん。噂には聞くけど、君達ほどじゃないよ。もともとは男爵に仕えている身分だし、男爵があまり、王に呼ばれなくなったからね」

「それって……」

あまり良くないことじゃないか、と思った。リゲルは困ったように笑う。

「ジェシカ、そんな顔をしないで。お城に出入りできること自体、僕には過ぎたことなんだ」

彼が寂しそうに微笑むので、私は尋ねる。何かできることはないか、と。それじゃあ、と彼は唇を開く。

「僕の唄を、聴いて」

そうして彼は、また唄うのだ。そよ風が私達の髪を揺らしていく。

私は目を細めた。なんて美しい瞬間(とき)だろうと、そんなことを思った。


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