かつての罪人4
町に飛び出し、人混みを抜けて駆けていく。ごおん、ごおんと鐘が鳴っていた。石畳を震わせるような、荘厳な鐘の音。
いったい何の鐘だろう。誰かが泣いている。様子がおかしい。
城に行き、どうにか見張りを説得し、玉座の間に飛び込んだ。
そこには虚ろな目をした王女が、ぽつんと座っていた。
息を切らした俺は、尋ねた。
「……あなたは王女様ですね? この鐘の音は一体なんです」
「まあ、知らないの」
王女は悲しげに笑った。壊れた彫像みたいな笑みだった。
「お父様が、亡くなられたの。これはお葬式の鐘よ。もう終わったのに、まだ誰かが鳴らしているのね」
俺は眉根を寄せた。そのまま立ち尽くす。
「初めて見る顔ね。あなたは一体誰? どうしてここに来たの?」
その言葉に導かれるように、俺はふらふらと彼女の御前に跪いた。
「俺はペドロ。――賢者の石を盗んだ者です」
はっと、息を呑む声が聞こえる。それに構わず続けた。
「これはお返しします。どうぞ俺を、縛り首にして下さい」
俺が差し出した手から、王女は石を受け取った。それはやっぱり、血のようにどろりと輝いている。
「まったく、大それたことをするのね。賢者の石を盗んで、返すなんて。一体なぜ、こんなことを?」
俺が口を開こうとしたその瞬間、背後の扉からバルバトスが飛び込んできた。いつもと目つきは変わらないが、少し息が上がっている。
「姫君。ここにおいででしたか」
俺は思わず顔を上げる。奴は続けた。
「近頃入った夜盗が、とうとう自首したようですな」
俺が何かを言う前に、彼はつかつかとこちらへ歩んできた。俺の肩に手を置き、耳元でささやいた。
「私の事を告げ口すれば、お前の命はないと思え」
ぎろりと蛇みたいな目に睨まれる。
は、は、と俺の息は荒くなる。
「どうしたの? ペドロ」
「お――俺、俺は、おれ」
なんだ、俺は何を言ってる? 何が言いたいんだ? 駄目だ頭が回らない。ただひたすら、キーラに蹴られた瞬間の痛みが、頭をよぎった。
「バルバトス、彼に何を言ったの?」
「何も。姫君、彼のような小物に時間を割くのは無駄ですよ」
「ええ、そのようね。――バルバトス、あなたは父に仕えた要人よ。疑いたくはないわ。けれどこの青年と繋がりがあるのは見ての通り。――バルバトス、わたしの代では、あなたを三騎士から外します。そしてこの正直者のペドロを、新たな一人とします。あなただけじゃないわ、既にスペンサーとも話をつけてあります。それから騎士の一人はもう決めてあるの。ペドロは二人目よ」
ぎょっとしたように、バルバトスが目を見開く。俺も驚いて王女を見上げた。
「バルバトス、あなたの領主としての手腕は見事なものだわ。失うにはあまりにも惜しい。だからこそ、これからも貴族の一人として接したい。本当は今回のことを追求したいところだけれど――友人であるキーラ・サーペンティンに免じて、控えます。その代わり、これ以上この件に口を挟まないこと。いいわね?」
バルバトスは何か言おうとしたが、諦めたのか静かに瞼を下ろすと、丁寧に一礼し、去って行った。
「さて、ペドロ。――今言った通りよ、あなたを三騎士の一人に任命します」
「しかし――」
「何もあなたが正直者だからというだけじゃないわ。その盗みの腕を買ったからよ」
それじゃあまるでバルバトスと同じではないか、と俺はわずかに眉をひそめる。
「王女様、俺に盗みを働けって言うんですか。そんなのごめんですよ」
「いいこと、ペドロ」
彼女は微笑んだ。そこにはキーラのような邪気は一切なく、ただただ女神のようなやさしさがあるだけだった。
「わたしはあなたに守ってほしいだけよ。盗みを頼むことは絶対にないわ。――本音を言うとね、あなたが勇気を出して、賢者の石を返しにきたこと、評価しているのよ。そこにどんな理由があったのか、わたしは聞かないわ」
彼女の言葉に目を伏せる。俺はバルバトスの提案に、一度乗ったのだ。ナターシャを蘇らせたいと願い、石を盗んだ。こんなやさしい王女に仕えるべき人間ではない。
「第一、俺は身分が低いのです。俺なんかを騎士にしたら、他の者がなんと思うか――」
「それについては大丈夫よ。――来なさい、ヴィヴィ」
ぱんぱん、と王女が手を叩くと、壁際に控えていた一人の少女が、斧を肩に担いでやってきた。どう見てもまだ子どもだ。
「この子はヴィヴィ。わたしの護衛の一人よ」
「ヴィヴィアンよ。ヴィヴィでいいわ。よろしく」
彼女は手を差し出すこともなく、つんとした雰囲気を放ち、音もなくこちらを見下ろしていた。
呆気に取られる俺に、王女が微笑む。
「ヴィヴィは七年前、ヘーゲル処刑場事件の時に、盗まれた賢者の石を王家に返しに来てくれたの。その時から、わたしは彼女を気に入っていたのよ。――わたしは三騎士を一新しようと思うの。愚かなことだと言う人もいるわ。でも賛同する者も少なからずいる。なんにせよ、メリーウェザー家の人々は亡くなってしまったし、バルバトスもあの通りよ。スペンサーも、賢者の石を狙っていると言う噂があるの。彼には悪いけれど、話し合って降りてもらったわ。――だからわたしはヴィヴィアンを選んだ。そして二人目があなたよ、ペドロ」
「随分と細腕ね。姫様、こいつ、あたしが鍛えても?」
「もちろんよ」
そうして俺は、三騎士と呼ばれる、王女の護衛の一人となった。
王女とヴィヴィとの日々は、今までとは違って、なんだか賑やかで、それでいて責任感の必要な、どこか張った空気の中にあった。
それでも俺は多分、幸せだったと思う。「ナターシャにまた会いたい」という気持ちは残っていたかもしれない。けれど、彼女を蘇らせようなんて愚かな真似、二度としたいとは思わなかった。
そうして日々は過ぎ、ある日三騎士の最後の一人が決まった。麗しい銀髪の伯爵で、名をジルウェスタ―と言った。彼も何やら話せない過去があるようだったが、俺にそうしたように、王女は何も気にしなかった。
問題は俺の記憶障害だった。大抵の記憶はあるものの、バルバトスの屋敷で過ごした日々が、一部抜け落ちていた。俺は時折おかしくなり、ヴィヴィやジルウェスタ―に介抱されることがあった。情けなかった。こんなことではいけないと、過去を振り切ろうとした。
けれども俺の心はすでにひび割れていたようで、この症状は時折現れた。
舞踏会で、リゲルに再会した時などもそうだった。俺はあいつが死なない体になった原因を知っていた。五年ぶりに会った彼は背格好も変わらず、まるであの時のままだ。
あの底知れぬ青い瞳を見た瞬間、どうやって息をしたらいいのか分からなくなった。こいつは賢者の石の影響を受けた。あの時石を盗んで、バルバトスに差し出したのは俺だ。
この少年は俺を憎んでいるはずだ。そんな思考が俺を絡みとった。
極めつけにあの唄だった。彼は恐らく俺の存在に刺激され――あの唄を歌ったのだろう。
それは賢者の石と、それを取り巻く醜い人間の唄だった。あいつが俺やバルバトスに、現実を突きつけようとして歌っているのだと、嫌でも分かった。ああ、その日も俺はおかしくなって、ヴィヴィに嗜められたのだ。




