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かつての罪人2

一体なぜばれたのだろう。兵隊のおもちゃは、ナターシャが引き出しにしまったはずだ。一体なぜ? 茫然自失としながら部屋に帰る途中、誰かに呼び止められた。

「おじさまに伝えたのは私よ」

はっとして振り返れば、どこか勝ち誇ったような笑みのキーラが立っていた。

「あなた達がナターシャにばかり構うからいけないのよ。あの子がそんなにいい? 私はそうは思わないわ」

「あの子を悪く言うなっ」

いつもは敬語を使っていたが、かっとなった俺はそれすらもしなかった。


キーラの片眉が吊り上がる。彼女は怒ったようにこちらを見た。

「生意気ね。おじさまに言われたんじゃない? 下賤な出の者はわきまえろって。ねえあなた、わきまえなさい。私はこの家の娘よ。あなたより偉いの。分かる?」

「あんたは拾い子だって噂だ。あんたも俺も同じだろう」

「っ、何を……! 私は貴族よ。昔とはもう違うの。ほら、このドレスを見れば分かるでしょう」


なるほど、彼女は美しい緑のドレスを着ている。だがその心は劣等感の塊だ。彼女もやはり、俺と似たような場所の出なのだろう。そうして懸命に、今の地位に合わせようとしているのだろう。それが俺には滑稽に、そして哀れに見えた。彼女の気持ちがわかるのは、きっとこの屋敷で俺だけだ。

「どんなに綺麗な服を着ていても、あんたは下賤の出だ。俺となんにも変わらない」

「なんですって……!」

彼女の目に、炎のような怒りがちらつく。しまった、言いすぎた、と思った時には遅く、俺は彼女に突き飛ばされていた。

尻もちをついた俺を、彼女は底の高い靴でこれでもかと蹴りつけた。


やり返そうと思えば、力では勝てたかもしれない。でも俺には出来なかった。女性に手を上げるということができなかったし、やったとして、バルバトスに言いつけられるのは目に見えていたからだ。この屋敷から追い出されては、俺はもうナターシャには会えない。そんなのはごめんだった。

キーラはさんざん俺を罵り、炎のような目で見下ろしながら、乱暴を働いた。俺はもう、彼女の怒りが収まるまでやり過ごすしかなかった。


その後も、俺はナターシャに会いに行くのをやめなかった。以前より気をつけて行くようになったし、回数も減ったけれど。彼女は俺が部屋に行くと、時折あの兵隊を嬉しそうに見せてくれた。彼女が兵隊を大事に持ってくれている、俺にはそれだけで十分だった。

一方のキーラはなかなか頭の回る女で、俺の顔に傷を残そうとしなかった。それでもたまに傷がつくと、ナターシャが心配してくれた。俺は決まって、転んでケガしたんだよ、と返した。キーラのことを話したところで、自体が好転するとは思えなかった。ナターシャが巻き込まれるのを、俺は何より恐れた。

ある時、バルバトスの話題になった時、俺はふと気になったことを口にした。


「ナターシャ 、バルバトスが怖くないの?」

「怖い? みんなそう言うけど、わたしはそうは思わないわ。彼はかわいそうな人よ」

「……あなたはバルバトスのこと、好きなの?」

ナターシャは不思議そうに瞬きして、綻ぶような笑みを浮かべた。

「もちろん好きよ。彼はたった一人の父親だもの」

その言葉を聞いて、俺はなんだか面白くない気分になった。この屋敷の人は大抵、バルバトスのことを怖いと思っていると信じていたからだ。俺はあの男が、返り血を浴びて帰って来たのを見たことがある。ナターシャがそれを知っているかいないかなんて分からない。でも俺は、彼らの関係が理解できなかった。

もしかしたら、彼女が自分だけのものにならないことを、歯痒く感じていたのかもしれない。ナターシャと俺の間には、小さな世界があったが、彼女とバルバトスとの合間にも、俺が入り込めない、確かな絆があったのだ。

キーラの嫉妬もまた、似たようなものかもしれない。だとしたら、俺はキーラと同じ、醜い人間ということだ。


キーラの乱暴は続いた。ナターシャをいびればバルバトスに嫌われるのが分かっているのだろう。本物の娘になれない彼女は、すべての感情を俺にぶつけた。

キーラは周りに知られないように、俺を物置部屋へ呼び出し、いたぶるのだ。

使用人の何人かは気づいたようだったが、知らぬふりをした。まあ当然のことだ。お嬢様に逆らって、火の粉が自分にも降りかかっては困るのだろう。

キーラの言葉はまるで、無差別に放たれた刃のようだった。


――どうしてナターシャばかりなの!? あの子はなんでも持ってるわ! それなのにかわいそうなふりをしてる!


――あなたは私を「同じ」だと言ったわね。後悔させてあげるわ。私はあなたと! 違うの! あなたみたいな惨めったらしい生き物と一緒にしないで!


――私は貴族よ! そしていつか王女になるの! この世で一番偉くなってやるわ! あなたはそこで一生、這いつくばりながら、惨めに生きるといいわ!


何かが剥がれる音がした。心を守っていた、壁のようなものだ。それがほろほろと、崩れ落ちて行く。俺は罵られ、蹴られるまま、ナターシャのことを思い出していた。あの子の緑の瞳が、俺の作った兵隊を見て、嬉しそうに細められる。それはきっと俺にとって、世界で一番美しい瞬間だった。

それ以外のことはどうでも良くなった。世界が少しずつ壊れて行く。もうそれも、気にする余裕はなくなった。


だんだんと、彼女の元へ通うこともできなくなった。病気が進行して、バルバトスが傍にいることが増えたのだ。俺は扉の影から、バルバトスが少女に贈り物をするのを、一度だけ見たことがあった。

ナターシャの部屋の窓からは、庭を見ることができた。彼女は庭のピンク色の薔薇が咲くのを見ていたのだ。少女がねだったのは宝石でもなんでもなく、庭の薔薇だった。バルバトスは庭師に命じて一株鉢に植え替えさせ、彼女に持って来たのだ。

「これがお前のわがままか」

バルバトスは鉢植えを渡しながら、しみじみとそう言った。鉢植えにはいくつかの薔薇が咲き乱れ、綺麗なピンクを呈し、美しく咲き誇っていた。

「バルバトス、父親は、娘の言うことを聞くものよ」

「そうか。――それで、次の願いはなんだ?」

「そんな悲しい目をしないで」

「それはできない相談だ」

その時うっすらと、悲しげにバルバトスが笑った。俺はなんだか、見てはいけないものを目にしてしまった気がして、足早にその場を立ち去った。


そうしてまどろみのような、遠い夢のような日々は過ぎて行った。やがて屋敷の誰もが恐れていた日が、とうとう訪れた。

ナターシャが死んだのである。

病気が進行したのだ。死に目には会えなかった。最後の月は部屋の前に見張りがつけられ、遊びに行くことすらできなかったのだ。


しとしとと雨の降る中で葬式は行われた。俺は持っている黒服をかき集めるようにして着込んで、葬儀に参列した。使用人達の後ろからだったけれど、彼女の入った棺が、土の中に埋められるのを見ることができた。

彼女の棺は白かった。まるで彼女自身のように無垢な色。俺はそれを、静かに眺めた。

世界はただただ灰色で、そこに棺の白が、嘘みたいに浮いて見えた。やがて白は黒い土に覆われ、見えなくなった。



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