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おままごとの結婚式

一人執務室から帰って来た兄は目を丸くした。まだ父たちは話し込んでいるらしい。

この子を王女様たちの元へ連れて行きたい、私がそう訴えると、兄は難しい顔をした。


「この子、恐らくどこかの貴族お抱えの芸術家だよ。着ている服が独特だもの。多分王にお披露目するにあたって、飾り立てたんだ。僕らとは、また違う世界の人間なんだよ」

兄は諭すように続ける。

「ジェシー、いけないよ。勝手にこの子を連れ出してきて。きっとご主人が困ってるよ」

でも、と私は口ごもる。この子はどう見ても怯えていたし、少しぐらい気分転換をさせてあげてもいいのではないか。


「あの」

私達の横で、手をつないだままの少年が口を開いた。

「ぼ、僕、この子と、遊びたいです」

一緒に、と彼は懸命に口を開く。兄は仕方ないなあと眉をひそめてこういった。

「こんなに真剣に言われちゃ、断る方が失礼と言うものさ」

そんな訳で私達は、王女様とのお遊戯に、彼を連れていくことになった。話しているうちに、彼は少しずつ自分のことを教えてくれた。今は五歳で、ゴードン男爵に仕えていること。いつも男爵に言われ、唄を歌っていること。五歳といえば、私より四つ年下だ。男爵に怯えている様子はあったけれど、それにしては落ち着いた子だ、なんて思った。



昼下がり、私達は城の中庭へと出た。中庭と言っても城の中央にあるわけではない。外の森へと繋がっている。

そこでは王女様とキーラが待っていて、私達を出迎えてくれた。少年リゲルは最初は俯いてぼそぼそと喋っていたが、王女様がにっこり笑うと、ほっとしたように肩の力を抜いたようだった。

最初に始まったのは追い駆けっこだった。リゲルが遊びを知らないというので、一番簡単なものを皆で選んだ。そして、「追われるよりは追う方がいい」という本人の意見により、彼が鬼になった。

リゲルの足は速かった。彼は軽やかに、燕のように走るのだ。その美しいさまに、皆が少しの間あっけにとられるほどだった。


最初に捕まったのは兄だ。兄が捕まったのを見た時、王女様が叫んだ。

「フレドリック! 私達に対して遠慮したのかしら? 手を抜くのは失礼にあたるわよ!」

それは怒っている風ではなく、たしなめるように笑って放たれた言葉だった。

「とんでもない!」

兄は答えた。

「彼の走りが、あまりに素早かったから、逃げきれなかったのです」

リゲルがわずかに赤面する。けれども次の瞬間、彼がぱっと真剣な目つきで顔をあげたので。残った私達はわっと蟻の子を散らしたように駆け出した。

それからキーラが捕まった。

「あなた、私の背中に触れたわね? 淑女に対する礼儀も知らないなんて、失礼よ」

「ご、ごめんなさい」

「あら、冗談よ。本当は気にしてないわ。あなたって生真面目ね」

キーラは表情も変えずに言う。リゲルは少し動揺していたが、また気を取り直したように走り出し、今度は王女様を捕まえた。王女キャンディスはにっこり笑って「あなたって本当に足が速いのね、城の兵士も名折れだわ」などと言うのでここでも彼は口ごもった。


最後に追いかけられたのは私だ。

私はかつて孤児院で追いかけっこを何度も経験している。今の身体が追い付かない部分はあるが、それでも走るのには慣れている自負があった。そんな訳で、あの燕のような少年と私は全力の鬼ごっこを繰り広げていた。

私は出来るだけ向かい風を避け、それでいて走りやすい場所を選んで逃げ回る。木の周りをぐるぐるしたり、彼がまごついた隙を見て距離をとったりして、どうにか走り回っていた。

最初は怯えたような目をしていた彼が、今はどこか憎らしそうにこちらを見つめている。それがどうにもかわいらしく思えてしまって、私はふふ、と声を漏らした。

「おいで」

私は走る。景色が流れていく。

「おいで、こっちよ」

空は抜けるように青い。その色が、彼の瞳に映り込んでいるようだった。美しい光景だった。

不意に、何かが腕に触れる。

「捕まえた」

ぜえ、はあ、と息を切らし、彼が食い入るような目でこちらを見た。いつの間にか私も息切れを起こしている。

二人で肩を揺らしていると、どこか呆れたような兄がやってきた。

「二人とも、そんなに全力で走るから」

その言葉に、少しむっとしたように私は視線を向けた。

「それじゃ、兄上はやっぱり手を抜いたというの」

「違う、違うよジェシー」

慌てたように言う彼の元に、王女様とキーラが走ってくる。


「次は何をやるの?」

そう尋ねるキーラを前に、王女様が嬉しそうに口を開いた。

「おままごとをしましょう!」

そういう訳で、今度はおままごとが始まった。王女様に何をするのかと尋ねると「王子様とお姫様の結婚式をやるのよ!」などと言うのだから皆が面食らった。唯一嬉しそうに目を煌めかせたのはキーラだ。

「私、お姫様がいい!」

そう言う彼女を前に、兄と私は口ごもった。これはただの戯れだ。でも王女様を交えた遊びだ。彼女を差し置いて王女をやりたいなどと言うのは不敬だ。不敬である。

けれども王女は王女で、「あら、それは面白そうね」などと言う。

「いいのですか」と兄が困ったように尋ねた。「王女様はあなたですよ」

「あら、いいのよ」と王女も答える。「わたし、何がやりたいか特に決めていなかったもの。――そうだわ! 結婚式を担う神官をわたしがやるわ!」

なんと無邪気なのだろう。私が呆気に取られてみていると、兄がさりげないやさしさで申し出た。

「では王子は僕が――」

「いいえ、王子はジェシカがやるのよ!」

王女様の言葉に、え? 私? と私は混乱する。

「フレドリック、もちろんあなたがぴったりだけど、それじゃあ面白くないわ。ねえジェシカ? これでやってみましょうよ」

などと彼女が言うので、私は混乱しながら頷いた。

そうこうしているうちに、兄は私(王子)につく騎士となり、リゲルはキーラ(姫)につく召使いとなった。


式の準備は滞りなく行われた。まずは花冠を兄が作り、それを私に手渡してくれた。結婚式に際し、指輪の代わりにこれをキーラに被せてあげるらしい。兄はマントをはずし、代わりにキーラの頭につけてあげた。彼女の髪飾りで固定すれば、まるでベールをかぶった花嫁だ。

そうして私達は一堂に会し、結婚式を執り行った。皆なんだかんだ楽しそうであったが、唯一リゲルだけは不満げな様子でキーラを眺めていた。

「それではこれより、キーラ姫とジェシカ王子の結婚を執り行います」

神官となった王女キャンディスの言葉で、結婚式は始まった。騎士となった兄が、私を式場――とは言っても草原の一角だが――にエスコートする。私は王子なので、花嫁であるキーラと腕を組むようにして、前へと歩いていた。


草原の一角は花で飾られ、素敵な式場のようだった。正面にいる神官が二人の上から花を降り注いだ。私とキーラの前に、ぱらぱらと花びらが散る。私がぼうっと立っていると、キーラがささやいた。

「王子様。誓いの言葉を」

はっと私は背筋を伸ばし、キーラをまっすぐに見た。その後ろでは、リゲルが彼女のベールをぐしゃりと握り、俯いている。なにが不満なのだろうと思い、その視線の先を見る。そこにはひらひらのキーラのドレスがあって、私はなんとなく理由を察した。けれども空気を読んで、王子として口を開く。

「キーラ姫、あなたと結婚できることは、至上の喜びです」

「ジェシー、よくそんな言葉知ってるね」

茶々を入れる兄にしっと、神官が目を向ける。

「これは聖なる結婚です。いかなる邪魔も赦されません」

はっ、と兄はわざとらしく答えて、背筋を正した。リゲルはまだ俯いたままだが、結婚式に夢中な王女様は気づいていないらしい。

「ではジェシカ王子、この姫君に花の冠を」

私は手を持ち上げ、キーラの頭に冠を置こうとした。びゅう、と強い風が吹く。

それはあっという間だった。風にさらわれた花冠が飛んでいく。あっと皆が声をあげる。それはふわりと宙に浮かび、くるくると草の上を転がり、やがて向こうにいる誰かの足元で止まった。その人物は今しがた、ここへやって来たようだった。


「これはこれは」

花冠を拾い上げた男を見て、私達はかすかに固まった。蛇のような鋭い瞳。バルバトス・サーペンティンだ。

「姫君、と聞こえたが……一同に会して、一体どういうことですかな」

「こ、これは」

口を開こうとするキーラを手で制し、バルバトスは私の兄を見た。

「フレドリック・メリーウェザー。この中で君が一番年長だ。王女様を差し置いて、このような不敬な遊びをするとは、一体どういうおつもりかな?」

「ぼ、僕は」

「私がいけないの!」

慌てて私は兄の前に出た。

「王子になったのは私よ。悪いと思いながら止めなかった。花冠を持ったのがまずかったのでしょう。謝ります」

「その通りだ」

さくさくと草を踏みしめ、バルバトスは歩いてくる。そうして正真正銘の王女、キャンディスの頭の上に花冠を載せた。

「すべてわたしが言い出したことです」

王女が冠を抱きながら、静かに言った。金の長い睫毛が、美しく動く。その様子を、キーラがどこか忌々しそうに眺めていた。

「サーペンティン公、お気を悪くされたでしょう。わたしは王女としての自覚が足りませんでした。謝罪します。父上と、わたしに仕える者すべてに」

ふん、とバルバトスは鼻を鳴らす。

「キャンディス王女。これからはこのようなことが無いよう、気をつけていただきたい」

言いながら、隣にいたキーラの首根っこを掴んだ。皆がはっと彼女を見る。

「問題はお前だ! キーラ!」

「ごめんなさい! ごめんなさい、おじさま!」

それはどこか、異常に見える光景だった。首根っこを掴み、バルバトスが鋭い目を向ける。

「あれほど言っただろう。馬鹿な真似をするなと! それをお前は!」

「――やめてください!」

口を挟んだのはリゲルだ。

「止めなかった僕らの責任です」

「僕ら? ほう? お前は唄い手だろう。その穢れた身分でありながら、自分と王女が同じ責を負えるとでも思っているのか?」

「っ」

「ゴードン男爵がお前を探しておいでだ。さっさと戻るがいい。――いいか、お前のような人間と、我々貴族では住む世界が違う。――ずかずかとこちらへ入り込むな。分をわきまえろ!」

ひくりと、リゲルの瞳が揺らいだ。

「そんな、僕はただ」

「まだ言われたりないのか?」

「っ、いえ、」

ぐっと彼は服の裾を掴む。バルバトスはキーラを引き寄せ、そのまま連れて行ってしまった。


冷たい風が四人の間を吹き抜けていく。

しんとした空気の中、最初に口を開いたのは兄だった。

「酷い言いようだったね。そりゃ僕も悪かったけどさ」

「わたしがいけなかったわ。わたしが」

王女キャンディスは自分に言い聞かせるように、ひたすら繰り返している。

「そうよ、冷静に考えれば分かることじゃない。皆を困らせたわ」

「でも僕も、楽しんでしまいました。ですから同罪です」

兄が言う。真っ青だった王女の顔に、少しだけ赤みが戻って来た。

不意に、リゲルが口を開く。

「僕、ゴードン男爵のところへ帰ります」

わたしははっとして彼を振り返った。青い瞳がじっとこちらを射抜く。

「今夜、夜会があるでしょう。そこで男爵は、僕をお披露目する予定なんです。――本当は、こんなきらびやかなところで歌うの、嫌でした。でも、皆さんがいい人だってわかったから――僕、唄います。どうか聴いてくださいね」

そう言って去っていく彼の後ろ姿を、私達は静かな目で眺めた。



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