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思わぬ侵入者



次の日目を覚ますと、もう日は高くのぼっていた。僕は慌てて階下に降りる。

テーブルのある部屋に行くと、伯爵は考え込むように椅子に座っていた。

おはよう、と僕は声を掛ける。


「ああ……お、はよう。朝食だが、もうとっくに冷めてしまったよ」

長いテーブルには、僕の食事だけがそのまま置いてある。パンとスープ、それから小さなサラダ。最初の頃、伯爵との席は遠かったが、いつしか応接間のソファに座った時のように、直角に置かれるようになった。


自分の分はとっくに食べ終わっただろうに、彼は律儀に待っていたらしい。

僕が朝食、というより昼食を食べ始めると、彼はじいっとこちらを見つめてきた。そんなに見つめられると食べにくい。僕はパンをちぎりなが、いつしか耳まで赤くなっていた。それを見た伯爵も、つられたのか赤くなる。

「き、のうは、済まなかった」

僕が顔を上げれば、伯爵が目を逸らし、しかしまたこちらを見つめて言った。

「昨日は酔っていた。朝起きて、反省したんだ。――悪いことをした。お前があんまり……違う、ちがう、そうじゃなくて」

ぶつぶつと彼は一人呟いている。僕は少し落ち着いてきた。といのも、余裕がない伯爵など、あまり見慣れなかったからだ。

「昨日のこと、どれくらい覚えている?」

「少しあやふやだが、君に何をしたか、ぐらいは」

「覚えてるならいいよ」

僕は言った。

「覚えてるだけでいいんだ。……忘れないでね、伯爵」

「……、ジールだ」

僕は顔を上げる。伯爵が、少しだけ唇を震わせながら告げた。

「昨日は、君にそう呼ぶよう、言ったと思う。ち、違ったかな?」

「違わないよ、ジール」

答えれば、伯爵――ジールの目元が、少し和らぐ。僕はそれに気を良くした。なぜか胸の奥が温かくなって、冷たいスープなど気にならなかった。


「キーリングを殺せ」と、僕はあの人に言われている。だからなんだと言うのだろう。僕にはやっぱり、彼は殺せない。殺せるはずもない。ならば僕は、運命に抗えばいいだけだ。この呪われた不死の身体も、そのためなら役に立つだろうなどと、そんなことまで考えた。





舞踏会から帰った夜、私とリゲルの間には、ちょっとした事件があった。酒に酔った私は、リゲルに手を出しそうになったのだ。いや、半分出してしまったと言った方が正しいかもしれない。

私の酒癖の悪さはスペンサーのお墨付きだ。彼によると、酔っ払った私は剣を突きつけ、「死にたいのか?」などと嗤うそうだ。足癖も悪くなるらしい。


だからいつもの酔い方と、リゲルに対するやり方は、全く違うものだ。なぜ彼にはあんなことをしてしまえたのか、今思い出しても恥ずかしくなる。

勿論、誘われて抗えなかったと言うのもあるだろう。私は周りから経験豊富だと思われている節があるが、実の所そういったことに耐性はない。また誘惑されたら断れる気がしない。恐ろしいものだ。


仮にこのことがスペンサーに漏れたら、笑いの種にされるのは明白だ。絶対に知られてはならない。そうは言っても、彼の酔い方もまたひときわ悪く、巻き込まれた方はたまったものではないのだが。

私は幼い時、何度か酔ったスペンサーに絡まれたことがある。彼は酔うと私の服を無理矢理脱がし、別の服を着せる。それも無駄に豪奢な装飾のついた女物だ。そして歓喜に満ちた顔でたらたらと感想を言い、また脱がせては別のドレスを着せるの繰り返しだ。

小さかった私は、彼の着せ替え人形にされ、恥ずかしさから泣いてしまったことがある。彼はと言うとやめることもなく、笑いながらヘッドドレスや靴を着せようとしてくるのだから大人げない。


そんなことを考えながら、あの夜見たリゲルの顔をぼんやり思い出した。記憶はところどころ飛んでいるが、ベッドの上の彼が潤んだ瞳で見上げてきたことを覚えている。


私は最初、馬鹿にされているのかと思った。それと言うのも、彼がワインの瓶で私を殴り殺そうとした事実があるからだ。その後「抱いて」などと言うものだから、私は相当頭にきた。

彼の出自をとやかく言うつもりはない。ないが、自ら体を差し出すような、そのやり方はやめてほしい。

呆れと怒りに支配された私は、リゲルをベッドに縫いつけた。

ふざけたことばかり言う少年に、身の程を思い知らせてやるつもりだった。

だがどうだろう。「キスして」と言われた時、何かが違うと私は気づいた。

見下ろした彼の目には涙の膜が張っていた。

真っ赤になって見上げてくる彼を見た時、その本心は、私が思っているのと違うのかもしれないと、ようやく気づいたのだ。

彼はもしかしたら、真剣に言っているのかもしれない。――なぜ? どうして今さら? そんなことが頭を駆け巡った。ああ、今になっても分からない。他人を殺そうとして、挙句にキスをねだる人間の心理など、私には理解できない。


「伯爵」

隣にいたヴィヴィアンがじっと見上げてくる。私は今任務中だった。慌てて雑念を振り払う。

「なんだい、ヴィヴィアン」

「やっぱり、何か悩みがあるんじゃない? この前から、少し変よ」

近くに立っていたペドロも、にやにやしながら口を開く。

「そうさ、ジルウェスター。まるで恋でもしているみたいだ」

いつもの私だったら笑い飛ばしたかもしれない。だがどうにも顔が熱くなってしまって、歯切れも悪く返すしかない。

「……別に、そんなんじゃない」

ペドロとヴィヴィアンが顔を見合わせる。私は素知らぬふりをした。そうでもないと、胸の奥でぐらぐらと煮え立つ青い目に、呑み込まれてしまいそうだったから。



その事件が起こったのは、とある夜のことだった。

夜間の姫君の護衛は、三騎士のうち二人で交代で行うことになっている。交代の時間は真夜中で、私がその場に行くと、なぜか誰もいなかった。

ぞっとしてあたりを見回したが、怪我をして倒れている者もいない。

どうにも様子がおかしい。

私は思い切って、姫君の部屋の扉に触れた。今頃寝ているだろう姫君を起こさないよう、ゆっくりと開く。

そこではっとした。誰かがベッドの脇に立っている。奥の窓、カーテンの隙間から差し込む光で、その影がシルエットになっていた。短く結ばれた髪に、振り上げられた槍。ペドロだ。

ペドロの目は暗闇の中らんらんと光り、しかし焦点が合っていない。ぶつぶつと何かを呟いている。

「おれ、俺は、命令を――俺は、」

その槍が、今まさに振り下ろされようとする。

「ペドロ!」

私が叫んだ瞬間、唐突に彼は手を止めた。からん、と槍が落ちる。

彼は正気を取り戻したようだった。そのままがくりと膝をつき、その目に姫君と私を映す。やがて自分のしでかした事に気づいたのか、その瞳が、ぐしゃりと歪んだ。

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