脅迫と嫉妬
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ここは城の廊下だ。それも柱の影になった死角。舞踏会の会場から連れ出された僕は、今まさにバルバトスから、脅しを受けていた。
廊下に人気はない。
ばん、と僕は壁に押し付けられる。彼の蛇のような目が僕を射抜いた。
「リゲル」
「なんでしょうか、バルバトス公」
「お前の存在を無視することはできない。ゴードンが私の配下にあったと知っていただろう。口封じに殺せたら良かったが、お前相手ではそれもできぬ。――それにお前にはまだ、利用価値がある。――お前、賢者の石を歌にしたな? それは私への挑発と受け取るが」
ぐぐ、と彼が僕の首を絞める。
「ジルウェスタ―・キーリングはメリーウェザー家の事件を嗅ぎまわっている。なんのためかは分からないが――まるで誰かに代わって、罰を下しているようだ」
「そ、れと僕になんの、関係が」
「大ありだ。お前は奴に引き取られた。――あいつは邪魔だ。お前が消せ」
ハッと目を見開いた僕の喉を、彼の骨ばった指が、さらに締め付ける。
「バ、ルバトス公っ」
「お前は私の願いを奪った。お前が奪われたのは『死』だ。そんな都合のいいことがあってたまるか! お前があれから、どんな生活をしていたのか聞いた。あまたの貴族の餌にされたと。それがお前にはお似合いだ」
「は、なしてっ」
苦しい。息ができない。気が遠くなる。ただ僕の奥底にあるのは叫びだけだ。こんな時でさえ死ねない。死ねない。ただ苦しみばかり――僕は死ぬことすら赦されない!
「リゲル。キーリングを殺せ。あいつは私の身辺を嗅ぎまわっている。どんな手を使ってでもいい、殺すんだ。お前がやらなければ、いずれ私の部下が手を下しにいく。分かったな?」
ようやく手が離される。彼の目はひたすら冷たかった。
「はぁっ、はあっ、はあ、はあっ」
「不死身だと? 笑わせる」
言いながら、バルバトスは去って行った。残された僕は肩を揺らしながら、ただ空気を求めて、呼吸を繰り返すだけだった。
締められた首に、まだあの手の感触が残っているようだ。
すべて自業自得。あんな唄を歌ったせいだ。
いいや、元からバルバトスはこうするつもりだったのかもしれない。だが今は忘れよう。伯爵の元へ戻り、何事もなかったように振る舞うのだ。
僕は静かに目を閉じ、再び開く。広間に戻れば、舞踏会はもう終わって、人々が少しずつ帰って行くところだった。
伯爵は王女様と話しているところだった。その光景に僕は今日、何度打ちのめされたか分からない。二人はとてもお似合いだった。金髪の王女と銀髪の伯爵は、あまりにも輝かしく、美しい。
いくら綺麗に着飾っても、僕のこの身は既に汚れたものだ。消えてしまいたくなって、でもそんなこともできなくて、誰にとも分からない腹いせに、僕はあの唄を歌ってしまった。
楽しげに笑う伯爵の顔を、じっと眺める。この舞踏会に来て、僕は気づいてしまった。彼と踊った何人もの女性に――特に彼と仲睦まじげに笑い合う王女様に、僕はひどい嫉妬を覚えた。そうして理解したのだ。この感情が分からないほど、子どもではない。
僕は伯爵が――ジルウェスター・キーリングのことが好きなのだ。
満月の夜、僕を抱きしめてくれた彼。その思ったよりも細くて、しかし確かな腕に、僕はよく分からない安堵を覚えた。月明かりの中、ぽろぽろと流れ落ちた彼の涙が、あまりにも透明で、ひどく美しいと思った。それはきっと、僕を想ってこぼされた涙だからだろう。
彼の性別など、もはや関係ないことだった。男だろうと女だろうと、僕はあの人が好きなのだ。
幸か不幸か、僕は男となら数え切れないほど寝たことがある。伯爵を落とす手練手管なら、おそらく僕は手にしている。でもあの夜、何をやっても彼が堕ちてくれないだろうと、理解してしまったのだ。その事実に、なぜか安堵すると同時に胸がきゅうと締め付けられて、息もできないほど苦しくなるのだ。
「伯爵」
僕が静かに近づくと、彼は分かりやすい笑みを浮かべた。
「ああリゲル。姿が見えないから、どうしたかと思っていたんだよ」
こういうところが卑怯だと思う。彼は誰にでもいい顔をする。僕は彼のそんなところが嫌いだ。でもあの瞳が嬉しそうに細められると、胸がくすぐられるような気持ちになって、どうしようもなくなるのだ。
伯爵は王女に向き直り、口を開いた。
「紹介が遅れました。こちらはリゲル。――リゲル、彼女が姫君だ」
そんなことは見れば分かる。僕は幼い頃、彼女と五人で遊んだことがあるのだ。五人のうち二人は死んでしまったが。
「こんにちは王女様、僕はリゲルです。かつて城で唄い手をしていました」
「リゲル、覚えているわ。あなたの歌声、とっても素敵だった。伸びやかで綺麗だったわ」
その言葉を放つ王女は、あまりにも純粋だった。邪心がなさすぎて、胸がむかむかするほどだ。目の前の二人は、僕のそんな醜い気持ちすら知らず、明るい表情を浮かべている。
僕は自分の存在が場違いな気がして、なぜか痛む心を押し隠し、伯爵を眺めたのだ。




