紡いではならない唄
曲は美しく響き渡り、私はゆっくりとステップを踏む。それに合わせてキャンディス王女は優雅に動いた。彼女がくるりと回ると、そのドレスが花のように踊る。私のコートの裾も翻り、周囲から感嘆の声が漏れた。人々が自分達を見ているのが分かる。
悪くはない気分だが、その中に敵意に似た視線も混じっていることは確かだ。どこからか、殺意に似た熱い視線を感じた。その主が誰なのかまでは分からない。私は素知らぬふりをしてキャンディス王女に笑いかけた。彼女は綻ぶような笑みをこぼす。本当に綺麗な人だ。
やがて踊りが終わると、私達は一息ついた。私は王女を待たせ、二つの小さなグラスに入ったジュースを取ってきた。
「どうですか、喉が渇いたでしょう」
「ありがとう、あなたは気が効くわね」
そうして二人で喉を潤していると、急に曲調の違う調べが流れ始めた。人々がだんだんと静まり返る。それが誰かの歌う前触れだと分かったからだ。私はハッとして広間の中央を眺めた。
そこに一人の少年がいた。純白に身を包んだリゲルは、ソプラノよりも低い、しかしテノールよりも少しだけ高い声で歌い出した。
麗しき 白亜の城
人形芝居が 今始まる
踊れ 踊れ 探求者よ
己が真実を 目にするまで
回り出した糸車
織りなすは 鮮やかなる歴史
煌々たる絵画の中
宵を知らせる鐘が鳴る
紡げ 紡げ 冒険者よ
最果ての紅を 手にするまで
歌が終わると同時に、ざわ、と辺りがざわついた。美しいが、場に削ぐわない歌詞だ。
すべての者が気づいた訳ではなさそうだが、一部の人々は顔を寄せあい、こそこそと何やら耳打ちしている。
これは賢者の石と、それを取り巻く参謀者を謳った歌だ。
演奏者達もまさかこんな歌詞がつくとは思わなかったらしく、手を止めたまま呆然と少年を眺めている。
リゲルはちらりと誰かに視線を向けた。その視線の先を辿ると――壁際で蒼白な顔をしているペドロがいた。よくわからないが面倒なことが起こっている。ヴィヴィアンがペドロに話しかけているのが見えた。きっとまた落ち着かせているのだろう。
そうこうしているうちに、再びワルツが始まった。人々の中にまたにぎやかな空気が流れ始める。彼らが踊り出すのを眺めながら、私と姫君は静かにグラスを傾けていた。
「わたし、あの子を知ってるわ。――ねえ、あなたもよね? 分かってて引き取ったの?」
私が静かに頷くと、彼女は少しだけ、悲しそうな目をして言った。
「あの子、なんだか他の人と違うように見えるわ。なぜかは分からないけど」
「どうも、何か事情があるようです」
彼が「不死身」だと告げたことを思い出しながら、私は返す。
「彼、ペドロと知り合いのようですが、何か知りませんか?」
「残念ながら知らないわ。ペドロの過去に介入する権利なんて、わたしには無いもの」
それを言うなら私にも無い。小さく息をつき、視線を会場に戻すと、リゲルと視線がかち合った。私はジュースを飲み干した。彼と話をしなければならない。
「姫君、ちょっと失礼しても?」
「どうぞ。あなたは十分、今夜の務めを果たしたわ」
微笑む彼女に一礼し、私は人混みを縫って少年の元へ行こうとした。給仕のトレイにグラスを置き、急ぐ私の目の前に、ぬっと誰かが現れる。
「あなた、キーリング伯爵ですね?」
「……そうだが?」
相手は暗い色の服に身をつつんだ若い男だった。巻毛の髪が特徴的だ。
「お会い出来て光栄です。俺はデズモンド、どうぞお見知り置きを」
差し出された手に、私は急いで握手を返す。
「こちらこそよろしく。ところで私は用があるんだが、道をあけてくれないかな」
「そう忙なくとも。実は俺は商人でして、あなたに是非とも買って頂きたいものがあるのですが」
「悪いがまたの機会にしてくれ」
「……仕方ありません。ではこれだけお預かり頂けませんか?」
彼は懐から一通の手紙を取り出した。
「主人から預かったものです。あなたは王女様とお知り合いでしたよね? 渡して頂けませんか?」
商人の主人ということは、彼の後援者だろうか。断る理由もないので私はそれを受け取った。
「渡しておこう」
「ありがとうございます」
リゲルのいた方を見ると、彼はとっくに、人混みに紛れて消えていた。私は小さく息を吐き出すと、男と別れた。
王女の元へ帰り、手紙を渡すと、彼女は不思議そうな顔で受け取った。そのまま私の目の前で開く。中にはこう書いてあった。
親愛なる高嶺の花へ
手紙を送るご無礼をお許しください。
私は訳あって、社交の場に出ることが叶いません。
ですがあなたの美しさは知っています。
聡明なあなたへ。この手紙は個人的なものであり、しかし私の心です。
あなたを思い出すたびに、胸の奥に温かな花が咲きます。
あなたの眩しい存在が、私の心に一抹の救いを与えます。
もしも慈悲を下さるのなら。
想いに応えずとも結構です。
ただあなたからの返事を、待っていても良いでしょうか?
あなたの忠実な友より
「素敵、もしかしてあの人かしら」
「あの人?」
「以前、拝領を願う貴族から手紙が来たのよ。直接顔を合わせてないけど、真摯な内容だったわ。本名を明かしてはくれなかったけれどね」
「それにしても、まるで恋文ではないですか。どうやら、私が見ていいものではなかったようですね。――それ、部屋に持ち帰りますか? それとも、処分するというならこちらで」
「あらやだ、ジール。こんな素敵な手紙、捨てるなんてもったいないわ」
そう告げる王女の瞳は、どこか健康そうな色をして煌めいていた。




