冷たい屋敷
伯爵の屋敷は、近づくにつれ随分立派なものだと分かった。黒いコートに帽子をかぶった伯爵と、白い服の僕はなんだか対照的だ。だが二人とも返り血を浴びて物騒なことこの上なかった。伯爵が扉を開けると、老執事が出てきて、顔色一つ変えず僕らを中へ通した。
伯爵は男の召使いを二人呼ばせ、僕を風呂に入れるように言った。
僕は逃げる気もなかったので、大人しくそれに従った。
血を洗い流したら今度は伯爵と寝なければいけないのだろう。疲れるが仕方ない。もう一仕事だと思いながら、身を綺麗にした。
新しく渡された服は少し大きかった。僕よりも彼は背が高いのだ。僕は十八だが、彼は年上だろう。とにかく白い服に袖を通し、召使いに聞いて彼の部屋を尋ねた。
伯爵の部屋の扉は大きく、中は広かった。大きな縦長の窓から、めいいっぱい月の光が差し込んでいる。青い部屋に白い光の柱がこぼれ落ち、神秘的な光景だった。
伯爵は窓から外を眺めていた。郷愁に満ちた後ろ姿を、僕は眺める。
裸足でひたひたと中に入れば、気配に気付いたのか彼は振り返った。
「何か用?」
彼は不思議そうにこちらを見た。体のいい文句だ。
「用かだって? することなんて一つだろう?」
僕が嘲笑うと、彼は瞬きした。
「君、そういうことがしたいの?」
カッとなる。照れたんじゃない。腹が立ったのだ。この場にきてしらばっくれる男に。彼は僕を物にしようとして引き取ったのだ。そうに決まっている。
「いい加減にしてよ。あんたは僕をそのために引き取ったんでしょう? やるならやって、早く終わらせてよ」
す、と彼の目が細められた。そこには静かな怒りが滲んでいた。
「私を見くびるな」
伯爵の瞳が僕を捉える。
「私はお前を殺したいとは思っているが、抱こうとなんて思っていない」
むっとして、僕はわずかに彼を睨んだ。なんだか自尊心を傷つけられた気分だった。
「嘘ばっかり。第一、殺せもしないくせに」
「ああ、そうかもしれない。……とにかく、今のお前の言葉は何一つ聞きたくない。疲れてるんだ、部屋に帰ってくれ」
眉間に皺を寄せる彼に、どうやら本当にその気がないらしいことを見て取ると、僕は急に居心地が悪くなった。
「わ、分かった、帰るよ」
「おやすみリゲル」
僕は一つ瞬きした。
僕にそんな挨拶をしてくれる人は誰一人いなかったからだ。
「……おやすみ、伯爵」
何か胸の底に、じんわりと温かさが染みる。それに気がつかないふりをして、僕は静かに部屋を出た。
次の日は快晴だった。
階下に降りると、召使いが待っていて、僕を食事の席に案内してくれた。細長いテーブルに、座席が二つ。遠い。
ただ、今まで貴族と同じ机で食べることがほとんどなかったから、新鮮だ。
伯爵はもう食事を始めていた。僕が反対側の席に座ると、おはようと声がかかる。
「どうしてこんなに遠いの?」
僕が声をかけると、伯爵が言う。
「理由は二つ。何かの拍子に君を殺したくなると困るから。二つ目は、まだ君を信用していないから」
「何かの拍子に殺したくなるだなんて、あんたやっぱりおかしいよ」
「そうだな。それに関しては、友人のお墨付きだ」
「友人?」
「そうさ。君もいずれ会うことになる。もっとも彼は、ここへはあまり顔を出さないが」
「ふうん」
僕は食事を口へ運ぶ。その美味しさに内心で驚いた。ゴードンの家でも食事はとっていたが、それにしてもここの料理はおいしかった。
「おいしいだろう。ここの食事や掃除は、六人の召使いが担当している。後で彼らにお礼を言いたまえ」
「う、うん」
召使いにお礼を言うだなんて、変な人だ。僕はちらりと伯爵を見る。彼の食事を摂る手つきは優雅なものだ。僕も教え込まれているが、彼に恥ずかしいところを見せたくないと、気をつけて手を動かした。
その日も、次の日も、伯爵は城へ出かけていった。帰ってきた伯爵は大抵機嫌が良くて、僕はなぜだか、それが面白くなかった。けれども顔を出すと、彼が「おやすみ」を必ず言ってくれるものだから、不思議と足は彼の部屋へ向いた。
それから、伯爵は一週間のうち、五日ほど出掛けていることが分かってきた。彼は王女に仕えているのだと言う。僕はその王女を知っていた。不敬にも、過去に一度だけ一緒に遊んだことがあるのだ。メリーウェザー家の兄妹と、キーラという令嬢と共に、おままごとの結婚式まで執り行ったのだ。
僕はそのことを思い出し、なんだか複雑な気持ちになった。王女は誇り高き人だ。今もそうだろう。そんな人の元で働いて、帰ってきてから僕を見て――伯爵は一体何を思うのだろう。
伯爵は時折、酔っ払い、僕を射殺すような目で眺めることがあった。まるで焼けつくような視線だ。召使いに聞けば、そんな瞳は僕にしかしないのだという。彼にとって、僕は憎い相手なのだ。そして彼が、メリーウェザー家と確執があるのも確かだった。いったい彼が、なぜそこまでして僕を殺したいと願うのか、僕には分からない。分からなくて、知りたいと願った。でも絶対、伯爵は口を割らなかった。




