再会
*
「歌え、ひひ、そうだ、高らかに」
ベッドの上で、下卑た貴族の声がする。暗闇の中で、下半身を打ちつけ、僕の叫び声を聞いている。
「リゲル、いいぞ。お前はなんて、美しくて、醜いんだろう」
太った髭面のゴードンが笑う。ゴードンは僕の持ち主であり、主人だ。
彼は気づいていない。僕の上げている声は、営業だって言うことを。彼は僕を、売り物にした。本当の歌も、夜伽の叫びも、全部全部。商売相手は主に貴族で、彼らは惜しみなく金を出した。あちこちにたらい回しにされ、そして屋敷に戻され、終わらない夜が続いた。その結果、僕は何も感じなくなった。ただ誰かに買われた夜は、その体の交わりと共に、痛みが鈍く押し寄せるだけ。そしてゴードンや彼の客に、それらしき声をあげてみせるだけ。そうしないとぶたれるから、仕方ないのだ。
夜伽の中、ゴードンが嗤う。
「お前のように醜い人間は、他にいない。美とは、醜悪な精神と共に在るものだ」
ああ、ある時からおかしくなってしまったこの身体。僕の「時」はとっくに奪われていた。存在も、何もかもが歪んでいる。
ばたん、と唐突に部屋の扉が開いた。
「何事だ!」
ゴードンが叫ぶ。僕はうっそりと身を起こす。
扉を開いたのは、銀髪を一つに束ねた、美しい青年だった。その後ろに二、三人の男達がいる。城の兵士に見えるがどうしたのだろう。
あの青年もゴードンに文句を言いに来たのだろうか。それにしても兵士を連れてくるなんて頂けない。これは闇の取引なのだから。
僕を貸し借りした貴族の間には、ゴードンと喧嘩になるものもいる。主に金額と、借用の期間について。ああ下らない。
あんな男、相手にしたっけ。したかもしれない。そんなことを考えていると、青年はずかずかと中に入ってきて、それから僕を見て、悲痛そうに顔を歪めた。
――ああ、意外とマトモ?
彼は怒りに駆られたように口を開いた。
「ゴードン・ボルドー! 私は伯爵、ジルウェスター・キーリング。王家に仕えるものとして、メリーウェザー家滅亡の原因を探している」
ふうん、どうでもいいやと僕は瞬きする。メリーウェザー家には友達がいた。だが懐かしい彼女は、もうとっくに殺されてしまったのだ。
「お前が十二年前、雇っていた男を捕まえた。彼は証言した、お前があの時、鹿肉に毒を仕込むよう指示をしたと」
「な、何を突然。十二年も前の事件など、私が知る由もないだろう!」
「だが彼は私に脅され、白状したのだ。ほら」
彼が視線をやると、後ろにいた兵士達が、一人の男を差し出した。顎の尖った男は、服のあちこちが切れ、ふらついている。男が部屋に入ったと見るや否や、伯爵は後ろからその背を蹴飛ばした。
どたりと音を立てて、前屈みに男は倒れる。
ぎょっとして僕は身じろぎする。ゴードン男爵なんて顔が白くなっている。
伯爵は剣を引き抜き、男の首元に当てた。
「どうだ、何か言いたいことはあるか?」
「や、やった! やったんだ。俺が、毒を、仕込んだ」
「誰に言われて?」
「ゴードンに! そ、そこにいる男に、命だけはぁあっ!」
ぐさりと身を刺され、男はぐはっと口から血を吐き、無惨に床に身を投げ出した。
僕は無意識にシーツを手繰り寄せる。
「――と、言うことだ」
にっこりと、冷たい目で伯爵が笑う。
「聞いていただろう男爵、お前はメリーウェザー家の人間を殺そうとした」
「ち、違う! 奴らはそもそも鹿の肉なんて食べなかった!」
「じゃあ入れたことは認めるね?」
「っ……! バルバトスに言われたんだ! だから私はやっただけで……! そうだ私は悪くない!」
「悪くない? 奥方を殺したのに?」
「な……っ」
じわりとゴードンの額に汗が受かぶ。
「動揺しているようだが。なぜ?」
「わた、私が……殺したなどと……! 誰がそんなことを……!」
「さあ、誰が証言したと思う?」
「あ、あそこには……! 誰もいなかったはずだ!」
ぎらりと伯爵の目が光った。
「自白したね、男爵」
はっと、ゴードンが身を揺らす。
「強いて言うなら」
伯爵が剣を構える。僕ははっとして息を呑んだ。にやりと三日月の形に、彼の口が弧を描く。
「あそこには目撃者がいたと言うだけさ」
がはっと、嗚咽のような醜い声が聞こえた。
僕はゴードンの背中に、鋭い剣が生え、あっという間に引き抜かれるのを見た。ばたん、と彼は倒れる。
「は、ゆ、許して」
血を流しながら、醜く唸る彼の側に、伯爵が座り込む。そしてその耳元で、何か呟いた。
その瞬間、ゴードンは目をこれでもかという風に見開いた。そしてその血走った目のまま、動かなくなった。
「ふう……、ひとまず、原因の一つは取り除いたようだ。お前達、悪いが入り口の死体から処理を頼む」
伯爵が振り向いて言うと、兵士達は頷き、それぞれ散らばっていった。
部屋には、僕と伯爵の二人だけになる。とは言っても、辺りには死体が転がったままだが。
こつりこつり、伯爵が歩いてくる。
僕は逃げもしなかった。ただじっと、彼を見据えた。僕はとっくに、堕ちるところまで落ちている。別に今更、どうなったって良かった。
「あんた、どんだけ殺したの?」
僕が口を開けば、伯爵は一瞬身じろぎして、それから少しだけ目を細めた。
「殺したのには理由がある」
「殺しを正当化するつもり? 悪党のやることだよ」
「そうかもしれない」
「それじゃあ、あんたは悪党だね」
「そういうお前は……リゲルだな?」
僕はぱちり、と瞬きする。
「あんたも、僕を買ったことがあるんだ?」
そう言った瞬間、彼はまるで嫌悪するような目でこちらを見た。どうやら間違ったようだ。
「私はただ、城で歌っていたお前の噂を聞いただけだ」
僕は面白くなくなって目を眇める。それはまだ、僕が純粋であった頃の記憶だ。
メリーウェザー家の事件があった後、ゴードンは横領やら何やら罪を重ね、城から追い出された。厳密に言えば、一度捕まり、牢番に賄賂を払って脱走したのだ。
彼と共に、彼の持ち物であった僕も城に出られなくなった。僕が初めて体を奪われたのは十五の時だ。思い出したくもない。かれこれあって、僕の身体はおかしくなっている。死を奪われた存在は、まるで呪いだった。
「私はお前の主人を殺した。この家のほとんどの使用人を殺した。……メリーウェザーの事件と関連があったから。お前もそうじゃないか?」
ハッとして、僕は顔をあげる。
メリーウェザーの人間を、直接傷つけた覚えはない。でも胸に焼きついた、痛々しい思い出があった。
僕はあの日、ああ、あの子の手を離してしまった。それには理由があったのだけれど、そんなことはどうでもいい。僕は、彼女を助けられなかった。川に落ちた少女の生息はそれ以来聞いていない。僕はジェシカを、殺してしまったのだ。
「私が憎いか? リゲル」
剣を構えた彼が、嘲笑うように僕を見る。
この男はあの子の知り合いだったのだろうか。なぜそんな目で僕を見る。
「さっさと殺せばいいだろう」
僕はいつの間にか、そう口走っていた。僕は死ねないのだ。それを知って、僕と共にこいつも絶望すればいいのにと思った。
しかし彼は、ひどく複雑な笑みを浮かべるだけだった。
「さあ、そう簡単に殺せれば、苦労はしないさ」
「よく言うね、こんなに殺っておいて」
ひゅっと、剣の先が僕の喉元に突きつけられる。とうとう本気になったのだろうか。
僕は月明かりの中、音もなく目を細めた。
悲しげに笑った青年の顔が、僕を見つめる。あんまり悲痛な微笑みだった。彼は言った。
「お前、私のところへ来る気はないかい?」
ああ、と僕は心の奥底で嗤う。こいつも結局は同じだった。ゴードンや、彼に金を払った貴族と何も変わらない!
「いいよ、伯爵がその気なら」
僕はそれなりの手練手管を知っていた。この悲哀に満ちて無垢そうな男なら簡単に堕とせると思った。彼が堕ちるところまで落ちて、自身に絶望するのを見たいと思った。
「あんたがどれぐらいで堕ちるか、僕が試してあげる」




