少女の決闘
*
向かったのはもちろんスペンサーの家だった。彼はいつものように悠々と椅子に座って本を読んでいた。私は少しだけ気おくれしたものの、意を決して口を開いた。
「――つまりあなたは、私ではなく、王女に仕えたいと」
「そういうことになるね」
「ふうん」
ぱたん、と彼は本を閉じた。
「七年育てた結果がこれですか」
それから立ち上がるなり、剣を引き抜いて私につきつけた。
「表へ出てください」
何事だと眉をひそめるものの、私は大人しく外へと出た。何度も剣の稽古をしたその場所で、彼が本気で私を仕留めにかかるのだろうことが、なんとなく察せられた。
外はもう日が落ちていて、夕焼けが空を染めていた。私はやはり剣を引き抜き、紫の外套を着た男の前に立った。
「お前の意に介せなかったのは謝る。だが私は私の意志で動く。傀儡にはならない」
「王女と私の下で働くことの、何が違うと?」
「全然違う。私は心からの忠義によって、あの方に仕える。父上がそうしたように」
「つまらないことを」
スペンサーの持つ剣の先が、日暮れの色を浴びてきらりと煌めく。
いつもの戯れだろうと、私は高を括っていた。だが彼の目がぎらついていることで、すぐに異変に気が付いた。
「私はあなたを、忠実な私の駒にしようと育てていたのですよ」
はっと、私は身じろぎする。
「最初のうちは、食事も手ずから食べさせました。新しい服にてこずっていましたから、着替えも少し、手伝いましたねえ」
「その話はいいっ」
「それもこれも、あなたを懐柔させて、私のスパイにするためだったのですよ。簡単なことです。私は自らの手を染めるという危険を冒したくなかった。賢者の石に近づくには、私は王に近すぎたし、王女からは遠すぎた。誰かの手を借りる必要があったのですよ。――川から流れて来たあなたは、大層みずぼらしくて、哀れでした。あなたがあの日『殺してやる』とわめいた時、私は歓喜したのですよ。『いい駒が見つかった』とね」
「っ……」
なぜか胸の奥に、熱い感情が渦巻いている。これはきっと、怒りだ。私はこの男をまた、家族のように思っていたのだと、今更ながらに気づいた。そして彼にとって、自分がただの道具にしかすぎなかったのだと知り、絶望しているのだと。
「ああその顔、――もうお分かりのようですが」
シュッと、剣の切っ先がこちらへ向けられる。
「私があなたをスパイとして雇おうとしただなんて、誰かに知られては困ります。賢者の石を探していることもね。――死んでもらいますよ、ジール君。いえ、ジェシカお嬢さん」
次の瞬間、彼の剣が閃いた。その流れ方を、私は知っている。受け止めれば、がきんと耳鳴りのように音がする。力を振り絞り押し離すと、今度は私が、彼めがけて剣を突き出す。
カン、カン、カン。金属の高い音が響き渡る。
一緒に食べた食事のことを思い出した。
――――いいですか、ジール君。食器は鳴らさないように。両親に教わりませんでしたか?
――――教わったけど、うまくいかなくて。
――――では私の食べ方を見ていてください。
くそっ、と口の中で呟く。なぜ私はこんなに悲しくて悔しいのだろう。かつて家族は殺された。荒れ狂う水の中から、私を拾い上げた男が、今度は私を殺そうとしている。その事実が、耐えがたく辛いのだ。
「スペンサー!!」
叫び、私は切り込む。ざっと彼の服が裂け、血が飛び散った。次の瞬間、彼も負けじと剣を振る。同じように、わき腹が裂けた。これはいつもの遊びではなかった。真剣な殺し合いだった。私は殺されないために戦うはずが、いつしか彼を殺そうと腕を動かしているのだった。
剣の音が響く。オレンジの夕焼けはいつしか紫に染まり、やがて空に濃紺が満ちた。
はあ、はあ、と肩を揺らす。いつの間にか、二人とも傷だらけだった。私達の足元には血の染みがいくつもあり、それでもなお戦い続けているのだった。
「はぁ!」
どちらの声とも分からない。私は空気を吐き出し、思い切り地を蹴った。あの男の紫のコートが揺れるさまが見えて、彼もまた私にとどめを刺そうと動いているのだと分かった。
ガキン! と音がした。私の手から剣が吹っ飛ぶ。まずい、と思った時には、剣は地に落ちた。カラン、と音がする。はっとして彼を見やれば、彼はいつになく目を見開いてこちらを見ていた。彼の剣もまた、吹っ飛び、地に落ちていたのだ。
「……クク、」
彼が笑った。
「ククク、ハハ、ははははははは!」
「っ……、何がおかしいっ」
「はは、笑えますよ……私が自分で育てた子に、ここまでやられるなんて……!」
「私は――っ」
ふ、と息を吐き、スペンサーは笑顔でこちらを見た。それはさっきまでの、どこかぞっとするようなものではなく、遠い昔に見たような、温かなものだった。
「いいでしょう、あなたの気概に免じて。この戦いは終わりにします」
私は小さく息をつく。スペンサーは剣を拾い上げ、腰の鞘に戻した。
「あなたはきっと、私があなたを『駒』だと言ったことに、怒ってるんでしょう」
「…………」
「あなたが『駒』であったのは事実です。でも私も、何も思わなかったわけじゃあない」
はっとして私は彼を見た。
「あなたは七年、苦楽を共にした仲間だ。――私はね、あなたに家族と思ってもらえるような人間じゃありませんよ。でもまあ、友人だと思ってくれるのは構いません。今の私はあなたを、そのように感じているのですから」
「っ!」
「『駒』の話はもうおしまいです。私はあなたの邪魔をしない。石を取って来いとも命令しない。――その代わりあなたも、私のすることに口を出さないこと」
彼の目が一瞬ぎらつく。そこで私は、彼が一つの区切りをつけたものの、その根底にある野望を持ち続けているのだと悟った。
「さあ、今日はこれぐらいにしましょう。――どうです、夕食を一緒に食べませんか?」
私は剣を拾い、それをまた鞘に収めながら、静かに口を開いた。
「私はもう、お前の家で何かを食べる資格はない。馬も返す。お前にもらったこの服だって、」
「ふは、こんな外で脱ぐつもりですか?」
「何もそんなことは言ってな、」
「いいですか、ジール君」
人差し指を私の目の前に突きつけ、彼は言った。
「私はあなたを友人として認めていると言ったはずです。あなたは友人の贈り物を返却するのですか? それに夕食も断ると?」
「……それじゃあ、私は何を返せば」
「そうですね、今度私の服のデザインを、一緒に考えてくれませんか」
「……うん、そうだね。それはいい」
そうして夜に染まりゆく寒空の下、私は彼と共に、家族ではなく友人として、屋敷の扉をくぐったのだった。




