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本棚の奥の隠し事



「スペンサー、私の分をとっておけとあれほど言ったのに」

「すみませんね、つい食指が動いて」

あれからあっという間に七年が経った。十歳だった私は十七になり、スペンサーは――この年齢不詳の男は恐らく三十ほどだが――それにしても見た目はさほど変わりなかった。洒落た風貌に深みが加わり、それがどこか不気味で、しかし彼らしい。

この頃になると、私はうまいこと剣を使えるようになっていた。厳しい稽古の賜物だが、その中で味わった屈辱も交えて、スペンサーに辛辣な口を利くようになっていた。髪を一つに結わえた私は、男物の服を着て過ごしていた。


記憶の中の悪魔は私を見て愉しそうに笑っていた。

――――はははは、なんですかその剣捌きは。

――――おちびさん、顔をあげて。これでも手加減しているんですよ。なんですかその恨めしそうな目は?

――――それで本気で仇がとれると思っているんですか? 先が思いやられますね、ああ、相手をさせられる私がかわいそうだ。この気持ち、敏いあなたならわかりますよね? どうぞ労わってください。


などという数々の言葉を思い出すだけで、はらわたが煮えくり返りそうになる。私は成長するにつれ、彼と一対一の対等な関係を築くことを望んだ。育ててもらっているという恩を差し引いても、彼の私に対する蛮行はあまりあるものだったからだ。剣の稽古の最中、私を傷だらけにして愉しそうに笑う彼の姿は、今でも思い出せる。彼の作る傷はちゃんと浅くて、数日たてば直るようなものばかりだったが、薄く裂かれた肌はひりひりと痛んで血が流れだした。あれは彼にとってはただの遊びだったわけだが、私にとっては重大な問題だった。

そういう訳で、私は傷だらけになりながら剣を手にし、彼に一矢報いようと切りつけるようになった。


やがて彼は、私が一人の若者として、彼に対峙するのを受け入れた。

そして今があるわけだが、どうも私は、彼の食えない性格を今でも呑み込めずにいた。

先ほどもそうだ。彼は村人からもらったクッキーを一人で平らげてしまったのだ。それは以前、彼と私が森に出る狼を退治して、お礼にと渡されたものだった。だから私が食べてもいいはずである。

「ずいぶんと美味しいクッキーでしたよ、ジール君」

ぺろりと指先を舐めながら言う彼に、私はかっとして眉を上げる。彼は私につけた名前、ジルウェスタ―をもじって、ジール君と呼んでくる。だがそんなこと、今はどうでもいい。

「スペンサー、かつてお前に助けてもらったのは感謝している。だがそんな風に尊大な態度をとられる謂れはない」

「何か誤解してますね。別に私は、あなたの優位に立ちたいんじゃないですよ。――からかってるだけです」

この、野郎。と思いながらも私は奥歯を噛みしめる。これが私達の関係の中の、一つの戯れのようなものだと理解はしていた。理解はしても、感情は追いつかないものである。

「まあそんなにカッカしないで。――今日はいい天気ですよ、もっと穏やかな気持ちでいないと」

頓珍漢(とんちんかん)なことを言う男をどつきたくなる。だが私は、彼が何か暗い側面を持っているのを知っていた。


以前、書斎に入った際、隠されたように本の隙間にしまわれた、新聞の記事を見つけたことがあった。そこには『ヘーゲル処刑場事件』と書かれていた。私の家族が惨殺されたのと同じ年で、私達の事件よりも数か月前のものだった。内容はこうだ。辺地のヘーゲル処刑場で働いていた十数人の人々が、ある日何者かに殺された。遺体は燃やされていたため顔の判別ができず、誰が犯人か分からないという。一人だけ生き残った五歳の少女がいたが、彼女は皆の悲鳴を聞いただけで、犯人の顔は見ていない。結局誰が殺し、殺されたのか分からずじまいという話だ。

凄惨な事件だ。なぜこの記事が隠されているように置いてあるのだろう。スペンサーは事件の関係者なのだろうか。

「見つけてしまいましたか」

不意に声をかけられ、私はびくりと肩を揺らした。

「スペンサー、この記事……」

「少し、昔話をしましょうか」

彼は小さく息をつく。怒られるのではないかと思っていた私は、少しだけほっとした。

「昔、やさしい娘がいました。名前はベス。私が仕事で遠出した時、処刑場の隣の町で出会いました」

私はじっとスペンサーを見る。彼が過去を話すなんて非常に珍しいことだ。

「あなたが十歳――私が二十二の時です。ベスは恐らく、十五歳ほどだったでしょう。何度か町に通い、彼女と出会ううちに――私は彼女を愛すようになりました。親愛の延長だったかもしれません、――でもあれはきっと、初恋でした」

私はぱちぱちと瞬きした。彼はどちらかというと遊び人だと思っていた。いや、その気質があるにせよ――これが純粋な恋の物語らしいと、なんとなく分かった。

「私は彼女に、想いを伝えました。しかし彼女は断りました。他に好きな相手がいるのだと」

「相手は誰?」

「分かりませんでした。恐らく、処刑場で働く一人です。名前も教えてもらえませんでした。彼女にとって、それほど大切な相手だったのでしょう」

彼の目に嫉妬は見えない。ただどこか、懐かしむように過去を見ている。

「私は彼女に、首飾りを送りました。せめてこれを受け取ってほしいと。そうしたら諦められるから、と。彼女は美しく微笑んで、受け取ってくれました。――それが彼女を見た最後です」

嫌な予感がした。スペンサーの眼光が鋭くなる。

「あの後事件は起こりました。私は新聞記事を見て、初めて知ったのです。彼女は消息を絶ちました。遺体は燃やされ、判別もできなかったそうですが――その中に彼女はいたのです。彼女が愛した男が犯人か、あるいは彼も殺され、また別の第三者が犯人なのか。――私には分かりません。情報をひたすら漁りました。当時五歳だった生き残りの少女にも、話を聞きにいきました。――けれども彼女は、犯人が誰かも分からなかった。事件は迷宮入りとなった訳です。ただ一つ、事件発生当時、賢者の石が机の上にあったというのです。つまり、賢者の石は犯人を見ていたことになる」

私は手に持った新聞紙を、握り直す。

「――お前の目的が分からない。……犯人を、見つけたいの?」

「ええもちろん。そしてこの世で一番残酷な方法で――罰を与えてやります。――でも私の力では見つけられない。あちこちを探したが、手がかりさえもない。――ならば最後の手段を使うしかないのです」

そう告げる彼は、どこか自分に似ている気がした。家族を殺され、その復讐を誓った自分に。それが傍から見ると、どこか醜いもののように見えて、しかし私の進む道はこれしかないのだと、再び思い起こされるのだ。

だから私は、彼を否定することができなかった。彼が愛した少女は、惨殺され、燃やされたのだから。

「――少し、喋り過ぎましたね。この話は終わりです」

などと言って、彼は新聞記事を私から取り上げた。そしてそれをしまい込むと、いつもと変わらぬあの笑みに戻り、微笑んで告げた。

「さあ、夕食にしましょう」



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