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前世の記憶を思い出しました


さやさやと風が吹いている。

屋敷から離れた、森の奥深く。そこが私達の秘密の庭だった。

日差しが幾重にも差し込み、森は大層美しかった。


少年リゲルは、私の大切な友達だった。私達は追いかけっこやかくれんぼをして、たくさん、たくさん遊んだのだ。


「リゲル! こっちよ!」

私が手を振ると、少年が駆けてくる。

「待ってよジェシカ!」

そんなに一生懸命走らなくとも、どこへも行かないのに。

それなのに彼は、まるで失うのを恐れるかのように、私の元へ走ってくるのだ。

「あっ」

伸びた木の根につまづいて、彼は転ぶ。私は慌てて駆け寄った。

「大丈夫? ――ほら、お手をどうぞ」

少しふざけて、わざとらしく手を伸ばす。私の背後から日が差していた。リゲルはどこか眩しそうに目を細めると、手を取って立ち上がった。その白い頬が赤くなる。

「君って、――君ってまるで」

王子様みたいだ。

彼はそう呟いて、どこか恥ずかしがるような目で私を見た。

その瑠璃色の瞳は、確かにどこまでも澄んでいたのだ。



私が過去の記憶を思い出したのは、五歳の頃だった。伯爵令嬢ジェシカもとい私は、割れたグラスで指を切った瞬間、前世の記憶を思い出したのだ。

ひび割れたグラスは転がり、指から赤い血が流れ出た。その鮮やかな色を見た瞬間、私の中に鮮明な光景が浮かんだ。


私は前世で、日本の大学生だった。孤児院で育った私は、バイトと奨学金でやりくりし、なんとか大学に通っていた。ある時お土産を持って孤児院に顔を出すと、小さかった仲間は温かく出迎えてくれて、その日行く予定だと言う海に誘ってくれた。


事件はその日起こった。海で遊んでいる最中、一番小さな子が波にさらわれたのだ。私は水着でもなんでもなかったが、私服のまま海に飛び込んだ。泳ぎは一番得意だという自負があった。

荒れ狂う水の中、その子を岸まで運んだはいいが、私は再び波にさらわれた。ああ良かった、あの子は助かったんだ、そう思った時には、体力は限界だった。

身体は水中深くへと溺れていった。耳元で深く浅くくすぶる泡の音。離れていく水面から、日差しが差し込んでいる。

私は光の方へ手を伸ばした。けれど何も掴めなかった。それが最後の記憶だ。


「ジェシカ、どうしたの」

廊下で突っ立ったままの私の目の前に、母が立っている。かつての世界ではいなかった、私の母だ。

そして私は、別の情報を思い出していた。ここが前世で読んでいた、本の中の世界だってこと。題名は『シャンディオール物語』。王女が主人公の物語だ。

私ジェシカ・メリーウェザーは伯爵令嬢だ。白銀のふわふわとした長い髪に、空色の瞳をしており、母と父、やさしい兄フレドリックと四人で仲良く暮らしている。これは本の筋書き通りだ。物語には王女の友人として登場する。問題はその筋書きだ。十歳のある日、私は家族ともども家の中で惨殺されるのである。小説に書かれていた、家族の死体が転がる光景を思い出し、私の目から静かに涙が流れた。


母がおろおろとしながら口を開く。

「ああ、どうしたというの。まあ手を切ったのね。声も出さずに泣いて。余程痛かったのね」

よく分からない勘違いをして、母は私の手を握る。私としてはこんなかすり傷どうってことないのだが、母は取り出したハンカチーフを手に巻き付けて結んでくれた。

棒立ちしたまま私がぼうっとしていると、廊下に接する扉が開き、父が顔を出した。

「ジェシカ、呼ぼうと思っていたんだ。どうしたんだねそんなところに突っ立って」

「なんでもありません、父上」

「あなた、この子、手を怪我したようなの。グラスを持つときは気をつけろと言ったのに」

母がやさしく私を諭す。前世でいなかった両親が、今の私には存在する。その事実が、私にはどこか奇跡のように思えた。当たり前だったはずの光景が、どこか眩しく思えてくる。

「手を怪我したぐらいで嘆くものじゃないよ。どうせかすり傷だろう」

父は笑って言った。私は彼に頷く。

「ええそうです、父上。こんな傷、どうってことありません」

「それは良かった。――それよりジェシカ、三日後、私は城に行くことになった」

「国王陛下に呼ばれたのですか?」

「そうだよ」

父は言う。父は国王に仕える貴族だった。彼が城へいくため、家をあけるのはよくあることだ。

「そこに、お前も来て欲しいんだ」

私はハッとする。恐らく王女との対面だ。兄が父についていくことは最近増えた。それに伴って、私にも声がかかったのだろう。

「ジェシカにはまだ早いんじゃないかしら」

母が心配したように言う。父は困ったように笑った。

「言っただろう、陛下には、この子と同じ年頃の娘がいると。――ジェシカ、彼女がお前に会いたいと仰っていると、陛下から聞いた。来てくれるかい?」

「ええ、父上」

目元を和らげた父に、私は続ける。

「陛下のご命令とあれば、父上も断れないはずです。むしろ私が断れば無礼にあたるというもの。謁見の必要があるなら――」

ここまで喋ったところで、二人が目を丸くしてこちらを見ていることに気が付いた。私は思わず口を濁す。

「ですから、その――私は、姫君に会いにいくべきだと、そう、言いたかったのです」

「そうだね、ジェシカ。少し疲れているんじゃないかい? もう部屋へお戻り」

「……分かりました」

私が部屋に帰ろうと踵を返すと、後ろから父母の話し声が聞こえた。

「どうだいお前、ジェシカは九歳になるが――普通、あそこまで社交辞令を理解しているものかね? 一体どこで覚えたんだろう」

「フレドリックに教わったのかもしれないわ。彼は物わかりがいいもの」

などと彼らは言っている。あの人たちは知らないのだ。私にはかつての記憶があるのだから、大人のような考え方になるのは当然のことだ。帰ってベッドの上に転がりながら、私は天井を見つめた。

考えろ、考えろと自分に問いかける。

情報を整理しなければならない。この国ではいずれ、殺し合いに近い状態が起こるのだから。

私は寝返りを打つこともせず、本の中の情報を思い出していた。


まず第一に、私だ。伯爵令嬢ジェシカ。

原作ではモブキャラに近い存在だったはずだ。原作でメインに出てくるのはキャンディス王女だ。王女の父親は王様で、たくさんの兵士を連れている。中でも三騎士と言って、護衛に選ばれた三人の騎士が存在するのだが、その一人が、私の父であるアダムス・メリーウェザー伯爵なのだ。アダムスは国王に仕え、忠義に厚い人物だったが、何者かによって屋敷を襲撃されてしまう。

理由の一つと考えられるのが、奇妙な噂だ。メリーウェザー家には抱えきれない財宝があるという噂があった。これが事実か嘘かは定かではない。そしてまた、父をねたみ、あるいは邪魔だと思う者もいた。城で王の直属の部下にあたるから、それは仕方のないことだ。だが誰が私達一家を襲うのか、本には書いていなかった。恐らく後半でその正体が明かされるはずだったのだろうが、私は分厚い本を四分の一ほどしか読めていなかったのだ。

ジェシカは原作では名前が少し出ているだけだ。両親や兄と共に幸福な子ども時代を過ごしたという。しかしこの一家が惨殺され、ジェシカの友人であった王女は、名も知らぬ敵に並みならぬ感情を抱く、という話だった。


第二にこの王女だ。

原作の主人公は、この王女キャンディス・カーネリアン。正体の分からぬ敵に友人一家を殺され、復讐を誓う。彼女が最後にどうなるかまで見届ければよかった、と私は思う。

この王家には、メリーウェザー家の財宝と同じ、いやもっと奇妙な噂があった。お金とは違う、魔力の宿る石を持っているという噂である。魔術はこの国で、とうの昔に廃れたものとされていた。いわばおとぎ話のようなものである。そして国に伝わる宝の一つに、なんでも叶える石というものがあった。本の中では「万能の宝」だとか「賢者の石」だとか呼ばれていた。

原作では石を狙う何者かの存在が描かれていたが、それが誰なのか、謎解きのように隠されていた。途中までしか読んでいない私には、結末は分からない。

ただ覚えていた登場人物はいくつかいる。

斧をふりかざし、罪人を罰する少女。シルクハットをかぶり、そののらりくらりとした話し方で人を惑わす仕立て屋。過去に固執する槍使いの男。それから、それから。幽閉された唄い手がいたはずだ。この国はなんて複雑なのだろう。ジェシカが死んだあと、王女は成長し、その過程で目にすることになる。王族の地位と、賢者の石を巡って争う人々の姿を。


ここまで考えて、私はあーと首を横に振った。先のことより、まずは自分の置かれている状況について、落ち着いて考えるべきだ。

とりあえず自分の年齢と、事件が起こるまでの時間を計算してみる。王女が生まれたのはシャンディオール歴千五百年だ。丁度きりのいい年に生まれた王女は、祝された赤子とされた。わたしは彼女と同じ年に生まれた。そして彼女が十歳――つまり千五百十年に惨殺事件が起こる。今わたしは九歳だから――事件が起こるのが一年後。それまでに、まずは王家の周りがどんな人物で固められているのか、それを知らねば始まらない。




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