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恋する金曜日のおつまみごはん~心ときめく三色餃子~  作者: 栗栖ひよ子
メニュー5 お家クリスマスと二種類のタンドリーチキン
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(1)

 十二月になったとたん、世間の関心がクリスマス一色になるのはいかがなものか。テレビをつけるとイルミネーションの紹介、雑誌でもクリスマスデートコーデやら勝負メイクやらの特集ばかりになる。


 もとは宗教行事なのに、なぜ日本では恋人同士のイベントになったのか理解に苦しむ。毎年『クリスチャンでもないのにここまで騒がなくても……』とげんなりするけれど、それがおひとりさまの妬みだということはわかっている。私だって彼氏がいたら、イベントに全力で乗っかるに決まっている。


 まあ、クリスマスが盛り上がってくれていいこともある。そのひとつが、クリスマスコフレが売れることだ。メイクのコフレセットなんていつ出してもいいはずなのに、どこのブランドもこぞってクリスマスに出すということは、この時期が一番メイクに対する関心が高まるとわかっているからだろう。


 そして今日、十二月一日は、わが社のクリスマスコフレの発売日でもある。もちろん、私の企画したミニリップとグロスのコフレもラインナップに入っている。他は、アイシャドウとマスカラ、アイライナーをセットにしたアイメイクコフレと、ファンデーションと下地、フェイスパウダーがセットになったベースメイクコフレだ。どれもパッケージが限定のキラキラしたデザインになっていて、オリジナルのポーチがつく。


 この、持ち歩くだけで女子力が上がった気持ちになるデザインも、クリスマスコフレが女子に愛されている理由だと思う。


「先輩、今日は一段と仕事に熱が入ってますね」


 パソコンと真剣な顔でにらめっこしていたら、隣の席から久保田の声が飛んできた。


「コフレの発売日だからね。今日の仕事終わらせたら、早めに帰らせてほしいって部長にお願いしてるの。百貨店に市場調査に行きたくて」


 私は、画面から目を逸らさずに答える。

 いくら私たちがコフレを企画して発売させても、実際に売っているのはコスメカウンターだ。会社の箱の中にいては、お客さまの生の反応がわからない。


「発売日当日の現場、チェックしたいですよねー。どこの百貨店ですか?」

「銀座に行く予定。顔なじみの美容部員さんもいるし」

「いいなあ。私も帰りに寄ってみようかな。お店、閉まっちゃうかもしれないけど。そのときは明日、報告してくださいね!」


 自分が企画したコフレがどんなふうに売れているのか知りたい。ちゃんとお客さまに喜んでもらえているのかも。いいものを作れた自信があると言っても、やはり不安なのだ。


「もちろん。しっかりチェックしてくるわ」

「よろしくですー」


 社員旅行のあとから、モヤモヤした気持ちを吹き飛ばすように仕事に打ち込んできた。何度か迎えた金曜日では、態度がぎこちなくなって、以前みたいに素の姿でくつろげなくなった。部屋着とすっぴんをやめて、飲む量も控えめになった私に塩見くんはなにも言わない。声に緊張が混じっているのにも、気づいているのかわからない。


 なんでも塩見くんが先回りして気遣ってくれると思っていたけれど、それは甘えだった。


 こうなってみてやっと、いろんなことが塩見くん主導で回っていたんだなと気づく。塩見くんがさりげなく引っ張ってくれていたから、私はそれに乗っかるだけでよかったんだ。お膳立てしてくれた居心地のいい空間の中で弱音を吐いて、心地いい言葉をもらって満足していた。


 自分からアクションを起こさないといけない状況になったら、なんにも進まなくなるなんて。


 いまだに告白の返事のことも訊けていないし、私が塩見くんを好きなことだって、まったく伝えられていない。


 恋愛上手な女子だったら、自然なスキンシップや会話の駆け引きでさりげなく匂わせたりできるんだろうけれど、私には無理だ。意識すればするほど、笑顔も会話も硬くなってしまう。


「仕事終わった~! じゃあ、お先に失礼します」


 部署のみんなに挨拶して、退勤する。

 オフィスを出ると、冬のビル風がびゅう、と吹きつけてきて、コートの前をあわせた。


「うう、さむ」


 流行のチェスターコートはくすみピンクを選び、トレンドのキレイ色を取り入れている。裾からは光沢感のあるプリーツスカートを覗かせて、格好だけは『愛され冬コーデ』だけど、心は暖かくない。


 自分に自信が持てれば違うのかな、と思って自炊にチャレンジしてみたけれど、結果は悲惨なものだった。前回のようにボヤ騒ぎを起こさなかっただけマシなレベル。


 もういっそ告白なんてしないで、塩見くんとはいい飲み友達でいたほうがいいんじゃ、とも思えてきた。そうすれば傷つくこともないし、金曜日の大事な時間が失われることもない。


 でももし、塩見くんが後輩の子と付き合うことになったら。その子とは恋人にならなくても、そのうちだれかと付き合うことになったら。私はそのとき、なにもしなかった自分を後悔したりしないかな。


 気持ちが堂々巡りして、ずっと同じ場所をぐるぐる歩いている気分になる。


 地下鉄に乗って銀座に着くと、目的の百貨店は目の前だ。中に入って地下一階を目指すと、乗ったエスカレーターの先に見慣れた後頭部を見つけた。


 サラサラの黒髪ストレート、姿勢のいい立ち姿、スーツの上に着た、上品なグレーのウールコート。顔を見なくてもわかる。間違いなく、塩見くんだった。


 どうしてここに、塩見くんが?


 エスカレーターを下りたあと小走りになって、「塩見くん!」と肩を叩く。振り返った塩見くんは、意表をつかれたような表情を浮かべていた。


「先輩……。どうしてここに?」


 私は塩見くんがここにいることが意外だったのに、塩見くんのほうが私と会ったことに驚いているみたいだった。

 ほかのお客さんの邪魔にならないよう壁際に寄りつつ、質問に答える。


「私は、クリスマスコフレの発売日だから、市場調査に。塩見くんこそ、どうしたの?」

「実は僕も、コフレの売れ行きが気になって……」


 そう告げてコスメコーナーの方向に視線を向けながら、きちっと巻かれたバーバリーチェックのマフラーに手をかける。定番のキャメルではなくベージュのチョイスが塩見くんにぴったり似合っていた。


「あ、営業の仕事で来てくれたのね? まだ、仕事が終わるには早い時間だものね」


 塩見くんの部屋で飲んでいるときはあんなに緊張していたのに、外では普通に話せる。笑顔が自然に作れる自分にびっくりした。


 そりゃあ、そうか。異性の部屋でふたりきりだなんて、塩見くんじゃなかったら警戒するようなシチュエーションを、彼の人柄のよさで落ち着く空間に変えていたようなものなんだから。


「そうじゃなくて……。仕事を早く終わらせて、プライベートで来ました。先輩の企画したコフレだから、気になっていたんです」

「えっ……」


 それは、どういう意味?

 言葉に詰まった私を見て、塩見くんは微笑みを浮かべた。


「ほら、餃子の話を聞いてアイディアが固まったって言ってたじゃないですか。勝手ながら、自分もお手伝いしたような気持ちになっていて」

「あ、そっか。そうだったわよね」


 ホッとしたような、残念なような。


「……それだけなわけ、ないじゃないですか」

「えっ、ごめん、なんて言った?」


 塩見くんから、穏やかな笑顔に似合わない低い声が聞こえた気がするんだけど、返ってきたのはいつもの塩見くんの声色だった。


「同じ百貨店に来るなんて偶然ですね、って言ったんです」

「ほんとにそうね。都内にはほかにもうちのコスメブランドが入ってる百貨店があるのに」

「先輩はどうしてここに?」

「私は、ここの美容部員さんが顔なじみだから……。塩見くんはなんで?」

「前にお話しした、姉のコンシーラーを買った百貨店が、ここなんですよ」

「えっ、そうだったの? 銀座の百貨店とは聞いていたけれど、ここだったのね」


 ちょっとの偶然が運命みたいに感じられて舞い上がりそうになるけれど、『いや、偶然は偶然だから』と自分に言い聞かせる。


 私たちは、お客さんを装ってコスメカウンターに近づくことにした。塩見くんも営業として顏が割れているらしいので、こっそりと。本社の人間が来ているとわかったら、お客さんが遠慮して生の声が聞けないかもしれないから。


 テスターを試すふりをしながら、お客さんと美容部員さんが話しているカウンターを横目で見る。美容部員さんはふたりとも接客中で、そのうちひとりのお客さまはクリスマスコフレのタッチアップをしていた。


「塩見くん、見て。左のお客さまのほう」

「コフレ、試してますね。しかもアイメイクとリップ、両方」


 こそこそと会話を交わしていたら、コフレの接客をしていた顔なじみの美容部員さんに気づかれる。「あ」という顔をされたので、塩見くんとふたりで「しーっ」と、人差し指を口に当てた。


 それでこちらの目的はわかってもらえたようで、無言で目配せされたあと、再びお客さんの接客に戻る。


「いかがですか? アイメイクとリップ、どちらもコフレで仕上げてみたんですが」

「シャドウがキラキラしててかわいいです。ボルドーのアイラインとマスカラも、思ったより自然で使いやすそう。でも、リップが、ふだんは落ち着いた色しかつけないから、普段使いできなそうで迷ってます。色は素敵なんですけど……」


 美容部員さんは、その言葉を聞いてにっこり笑った。あえて、グロスを付けない状態を先に見せたのだと、その笑顔でわかる。


「トレンドのくっきりした色だと、そう思われる方は多いんですよ。なのでこのコフレでは、なじみ色のグロスがセットになっているんです。重ねるので、よく見ていてくださいね」


 とろみのある、シャンパンベージュのグロスを赤リップの塗られた唇に重ねる。すると、ミルキーな落ち着いた赤に変化した。


「わあっ……!」


 鏡を見ていたお客さまは、魔法にかかったような驚きの表情に変わる。


「いかがですか?」

「こっちのほうが好みです。こういう色、あまりほかでは見ないし」

「重ね付けだから複雑な色のニュアンスが出せるんです。グロスにゴールドパールが入っているので、派手すぎない艶っぽさがありますよね」

「確かに。ぎらぎらしすぎていないから仕事でも使えそうですね」


 さっきまでと同じメイクでリップの色を変えただけなのに、お客さまの顔がちがう。いきいきして、華やかなキラキラメイクもなじんでいる。これが、メイクの魔法。


 自分に似合うメイクをすると、表情も変わるし、自信が出ると雰囲気も変わる。そうなると自然に、選ぶ服や髪形も変わってきて……。


 新しいリップに変えただけで『今日、雰囲気違う?』と訊かれるのは、こういう理由だと思っている。


「コフレのどのリップの色にも合うし、お手持ちのリップにも使えますよ。カジュアルなメイクだったら、これ一本で艶を出すのもアリですし」


 お客さんは「うーん」と言いながら、目の前に並んだコフレたちを見つめる。私達から見える横顔はうれしそうに紅潮していて、もう心は決まっているように思えた。


「これなら、ほかの色も普段使いできそうですね。コフレ両方とも、お願いします」

「ありがとうございます」


 その言葉を聞いた瞬間、塩見くんと目を見合わせる。手が触れるだけでドキドキすることも忘れて、小さくハイタッチしていた。きっと私は、喜びがあふれるのを隠しきれない笑顔をしていただろう。


 会計に移ったお客さまが、「あの」と遠慮がちに声をかける。


「この色のグロスだけ、別売りで出たりしないんですか? コフレのぶんが終わっても、また使いたくなりそうで」


 思わず、横にいる塩見くんを見つめながらバンバンとその腕を叩いていた。


「大丈夫です、僕にも聞こえてました。よかったですね」


 無言で何度も首を縦に振る。塩見くんは苦笑しながら、私の荒ぶる手をそっと掴んだ。


「要望が多ければ、新色で出ることもありますよ。本社の人がいらっしゃったら、お伝えしておきますね」


 美容部員さんはそう返しながら私をちらっと見て、いたずらっぽい笑みを浮かべる。私もそれに、親指を立てたポーズで応えた。


 今日のお客さまの笑顔も、美容部員さんのやりきった満足げな顔も、私は忘れないだろう。


 それから私たちは、美容部員さんに挨拶して、百貨店をあとにした。


「先輩、あそこの店長さんとすごく仲がいいんですね。しょっちゅう会っているような口ぶりでしたし」


 とっぷり日が暮れて、クリスマス用の装飾がまぶしい銀座の道を、塩見くんと歩く。会社を出たときより気温は下がったはずなのに、私の身体は興奮でぽかぽかしていた。


「うん。新色が発売するたびにリサーチに来てたら、いつの間にか常連みたいになっちゃって。それ以外にも、銀座に出ることがあったら立ち寄って差し入れしたりしてたから」

「……本当に、仕事熱心ですね」


 そう褒める塩見くんのことも、店長さんはよく知っていた。入社二年目で顔と名前を覚えられているということは、それだけ頻繁に実店舗に足を運んでいる証だ。


「今日は本当によかった。自分の企画したコフレでお客さまが笑顔になって、売れていく瞬間が見られたんだもの」


 はーっと大きく息を吐くと、塩見くんがちらりと私を見て、また前を向いた。


「ここだけじゃないし、あのお客さまだけじゃないですよ。全国のいろんな場所で、先輩の企画したコフレは女性を幸せにしているんです。先輩は本当に、すごい人です」


 横を歩く塩見くんは、清々しい瞳でまっすぐ前を見ている。急に火照った頬を、十二月の冷たい風が撫でて、通り過ぎていった。


「私だけの力じゃないわ。お客さまが雑誌を見て買いに来てくれるのも、塩見くんたち営業ががんばってくれているからだし。だから……、いつもありがとう」


 雑踏の中を歩きながらだから、照れずに言えたのかもしれない。塩見くんはまぶしそうに目を細めて「いいえ、こちらこそ」と返してくれた。


 駅が目の前に見えてきて、つかの間の邂逅も終わりを告げる。なんだか、このまま帰るのが名残惜しい気持ちになっていた。今だったら普通に話せるのだから、もう少し一緒にいたい。


「先輩、今日の夕飯はどうするつもりですか?」


 塩見くんは駅の改札前で、ぴたりと立ち止まって私を振り返った。


「うーん。どうしようか、悩んでいるところなんだけど……」

「だったら、これから飲みに行きませんか? 外で一緒に飲んだことって、なかったですよね」


 まるで思いが通じたような、塩見くんからのお誘い。うれしいけれど、『うん』と頷いてついていくだけでいいのか、悩む自分がいる。


 今までずっと、自分から動かなくても、塩見くんが引っ張って、居心地のいい場所に連れていってくれた。でも今日は、私も少しだけ、素直になってみよう。


「……実は私も、塩見くんを誘おうと思ってたの。その、もう少し話がしたくて」


 ドキドキしながら伝えると、塩見くんは一瞬だけ目を見開いて「そうなんですか、同じですね」と微笑んでくれた。


「お店、どうしましょうか」

「そうね……。お酒とおつまみがおいしくて、気取らない店があればいいんだけど」


 女子っぽく、イタリアンやビストロでも挙げておけばよかったのかもしれないが、ぱっと口から出たのは実に私らしい答えだった。塩見くんは「先輩はそう言うと思ってました」と楽しそうにしているから、まあいいか。


「それじゃ、新橋の駅前ビルはどうですか? 入る店はむこうで決めればいいし」

「いいわね。私も何度か行ったことあるの。小さいお店がいっぱいあって楽しいわよね」


 確かにあそこなら気取った店はないし、どこに入ってもだいたいおいしい。


「駅まで来ちゃいましたけど、どうします? 歩いても行ける距離ですけど」

「歩きたい気分かな。なんかまだ、気分が高揚してて」

「わかります、僕もです」


 同じ興奮を共有した者同士の一体感がここにはあった。たとえば、超大作の映画を見たあとのカップルのような。


 私たちは弾む足取りで白い息を吐きながら、銀座の街を通り抜ける。新橋に入ると、街並みもオフィス街に変わってきた。


 新橋駅前ビルは、地下が丸ごと大きな飲み屋街になっている。いつ来ても仕事帰りのサラリーマンでにぎわっている場所だ。昭和っぽいレトロな店構えの店が多く、タイムスリップしたような気持ちが味わえる。


「でも塩見くん、新橋なんて来るのね。なんだか意外」


 駅前ビルの扉をくぐりながら、塩見くんに話しかける。

 新橋といえばサラリーマンの聖地だし、彼の上品なイメージに合わない。創作料理を出してくれるオシャレな居酒屋で飲んでいるイメージなのに。


「社会人になったばかりのころ、先輩がよく連れてきてくれたんです。サラリーマンになったんだから新橋で飲まないとダメだろって。まあ自分は飲めないから、いつもウーロン茶だったんですけど」


 その感覚はよくわからないけれど、都内でOLになった女子が表参道での女子会に憧れるようなものだろうか。


「そこからいろいろお店を開拓していって、すっかりハマっちゃって。食べものがおいしければ、立地とか店構えはあまり気にしないほうです」

「そこはすごく同感! 一見さびれたようなお店のお酒とおつまみがおいしかったときなんて、すごく得した気分になるのよね」


 赤ちょうちんや個人ラーメン店に臆して入らないよりは、どんな場所でも楽しめるほうが絶対いい。塩見くんも同じ考えだと知って、うれしくなる。


「あー、わかります」

「行きつけの居酒屋の一件があってから、すっかり外飲みには遠ざかっていたけれど、やっぱり楽しいわね」


 こうして飲み屋街をぶらぶら歩いてお店を吟味するのは、テーマパークを歩いているみたいでわくわくする。


「宅飲みもいいですけど、たまには外で飲みたいですよね。お店で食べておいしかったおつまみをマネして作ったりするので」

「そっか。お酒が飲めなくても、料理ができる人はそういう楽しみ方があるのね」


 ぶらぶらしながら、ここの店はどうだろう、あっちの店も見てみよう、と吟味を重ねていると、塩見くんが突然ぽつりとつぶやいた。


「また、いろんなお店を開拓していけばいいじゃないですか。僕、付き合いますよ」

「えっ?」


「女性ひとりで飲んでいて絡まれたんですよね。だったらふたりで飲んだほうがいいじゃないですか」


 大げさに反応してしまったけれど、そういう意味だったのかと納得する。彼にとっては人助けみたいなもので、特に大きな意味はないのだろう。


「そ、そうね。外で飲みたくなったらお願いするかも……」

「はい。お誘い、待ってます」


 でも、少しだけ期待してしまう。こんなふうに言ってもらえるなんて、『憧れの先輩』や『気の置けない飲み友達』よりは親しい位置にいるのかなって。


 私たちは結局、カウンター席のある、小料理屋ふうの居酒屋に腰を落ち着けることになった。


「ここ、大将が渋くてかっこいいわね」

「ほんとですね、古い日本映画の俳優さんみたいで」


 紺色の板前服を着たロマンスグレーの店主は、いかにもおいしいおつまみを出してくれそうな雰囲気がある。


「塩見くんって、昔の映画を観るの?」

「父が好きだったんです。白黒時代の日本映画とか、外国映画も。ほかにも、単館上映のマイナー映画とか、自主製作映画も好きな人だったので、よく一緒に観てました。サブカル好きだったんだと思います」


 家族写真で見る限りでは、ステレオタイプの『いいご家庭』という感じの塩見家だったのに、実はサブカル好きだとは。


「家庭も人も、外から見ただけじゃわからないのね、やっぱり」

「だからおもしろいんじゃないですか。先輩だってそうでしょう? 外から見てるだけじゃわからないことだらけの人なんですから」

「それは、私がおもしろいって言いたいの?」

「うーん、どうでしょう」


 懐かしい軽口を叩いていると、雰囲気のいいお盆に載ったお通しと、江戸切子に注がれた日本酒が運ばれてきた。


 ビールやレモンサワーも捨てがたいが、ここはお店の雰囲気に合わせて日本酒チョイスだ。

 塩見くんのウーロン茶と軽くグラスを合わせて乾杯する。


「お通しもおいしいし、食器にもこだわってるし、いいお店ね、ここ」

「迷っていた先輩が急に、絶対ここ!って決めましたもんね。さすがです」

「長年飲み歩いてきた嗅覚が備わっているから、いいお店はだいたい雰囲気でわかるのよ」


 日本酒もフルーティーで、クセがなくて飲みやすかった。ふたりで思いつくまま注文したカウンターの上には、どんどんおつまみが載せられていく。


 マグロの稀少部位のお刺身、カツオのたたき、若鶏のおろしポン酢、ほやの塩辛。


「ヤバい……。どれもおいしいわ。メニュー、全制覇したくなっちゃう」

「本当ですね。次、手羽先の塩焼きいっていいですか?」

「あ、じゃあ、明太オムレツも!」


 塩見くんと、カウンター席で隣り合って飲むというのは新鮮で、悪くなかった。塩見くんが料理をする音を聞いて待っているのも好きだけど、最初からずっと隣にいておしゃべりしていられるのは楽しい。


 上品な食べ方なのに、いつもより早いペースで一品を片付けて、次々に追加を頼む塩見くんを見るのも新鮮な驚きがあった。さすが、二十四歳男子の食欲。決まった量を作る宅飲みと、いくらでも追加ができる居酒屋では食べっぷりも違うのだろうと思っていたら。


「いつも自炊だから、だれかの作ったおつまみを食べられるのがうれしくて、つい食べ過ぎちゃいますね」


 というからくりだった。


「それで今日はペースが早かったのね」

「はい。あ、いったん僕、お手洗い行ってきていいですか」

「どうぞ。お店を出て、あっちのほうにあったわよ」


 お店にトイレはなく、ビルのお客さま用トイレまで行かないといけない。いない間にばくばく食べているのも悪いし、のんびり飲んで待っていようと日本酒のおかわりを頼んだとき、招かれざる客人はやってきた。


「お姉ちゃん、ひとり?」


 と、訊きつつ、塩見くんの席に赤ら顔のサラリーマンが座ってくる。すでに店をはしごして酔っているのだろう、息が酒臭い。


「ちょっと。そこ、連れの席なんだけど」


 強い口調でたしなめるも、「え? もういないし、帰っちゃってるでしょ」と話を聞かない。嫌だな。せっかくいい気分で飲んでいたのに。


「だから、ひとりじゃないし、連れはまだいるってば」


 酔ったおじさんが私にもたれかかってきた。いつもの私だったら思いっきりどついてやるんだけど、背負い投げ事件が頭によぎって、控えめに肩を押すことしかできなかった。


 私のせいで、塩見くんやお店に迷惑はかけられない。あのときみたいに、なりたくない。


 私の無言の目配せに気づいた大将が、「お客さん、ちょっと」と声をかけてくれたとき。


「すみません。そこ、僕の席なのですが、彼女になにか用ですか」


 丁寧なのに低いトーンの、塩見くんの声が降ってきた。


「塩見くん……」


 いつの間にか私の隣に立って、サラリーマンを見下ろしている。ほのかに笑みを浮かべているのに目は笑っていなくて、なぜか私の背すじがぞくっとした。


「は? お前、だれだよ」

「どいていただけますか? 席を外していただけなので」


 怒りの滲んだ声には、うむを言わさない力があった。サラリーマンは根負けして、無言で店を去っていく。


 なにごともなく終わって、私も大将も、安堵のため息をついた。


「先輩、大丈夫でしたか? すみません、僕が席を外したばっかりに」


 よく見ると塩見くんは、肩で息をしていた。もしかして、私を待たせないように走って戻ってきてくれたのだろうか。


「ううん……。塩見くんのおかげで助かった」

「怖くなかったですか?」


 隣の席に戻った塩見くんが、真剣な表情で私を見つめる。


「……怖い?」


 酔っている男性に強い口調で対応することにためらいはないし、必要だったら背負い投げだってする。そんな私だって、普通の女の子みたいに怖がっていいんだって初めて気づいて、自分の心をがんじがらめにしていた縄がしゅるしゅるとほどけた。


「……あ、あれ?」


 気が緩んだとたんに涙がぽろぽろこぼれて、「おかしいな」と言いながら手の甲で拭う。


「やっぱり怖かったですよね。もう、大丈夫ですよ」


 塩見くんが、私の身体を軽く抱き締めるようにして、「よしよし」と背中を優しく叩いてくれる。


「守れなくて、すみません」

「違う……違うの」


 塩見くんはちゃんと、守ってくれた。酔っ払いからも、過去のトラウマからも。私が自分でかけた呪縛でさえも、解いてくれた。


 私の涙が止まるまで、ほかのお客さんの目からかばうようにして、塩見くんはずっと、広い胸で私を包んでいてくれた。


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