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恋する金曜日のおつまみごはん~心ときめく三色餃子~  作者: 栗栖ひよ子
メニュー3 ハレの日のパエリアとクラッカーパーティー
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(1)

 よく晴れた日曜日。秋晴れの空に映える真っ白なウエディングドレスを着て、結婚式場の大階段を新郎に手を引かれ下りてくる花嫁――はもちろん、私ではなく学生時代の友達・千鶴だ。


 私はこっち、フラワーシャワーを新郎新婦に投げつけているその他大勢のほう。

 瞳をうるませながら、「千鶴、きれいだね」なんて隣にいる女友達と目配せし合っている脇役。


 今さっき、式場備え付けの教会で誓いの儀式をすませたばかりの友人の顔は幸せそうだ。デコルテのあいた、プリンセスラインの華やかなドレスも花嫁の笑顔の前ではかすむ。


 フラワーシャワーが終わったあと、階段下の広場でブーケトスを行うらしいので、参列者はぞろぞろと大階段を下りていく。ヒールが細いパーティー用パンプスを履いてきたけれど、エスコートしてくれる新郎がいないから気をつけて下りるしかない。ここで転んで階段を転げ落ちようものなら、友達の結婚式を台無しにしてしまう。


 しかし、友達の結婚式には何度か出席しているが、毎回感動して泣いてしまうのはなぜだろうか。教会の誓いのシーンで一回、プロフィールDVDで一回、花嫁の手紙で一回。いつものパターンだとすると、今日もあと二回泣かされることになる。学生時代から知っていて、恋愛がうまくいっていないときもうまくいっているときも愚痴やのろけを聞かされてきた仲間なので、『あの子もついに幸せをつかんだのね』という親心もあるのかしらと思う。


「では、独身の女性は前に出てきてください」


 司会の音頭で、もうすでに子持ちの友人以外は前に進み出る。新婦側の友人にはもちろん知らない人もいるわけだが、ほとんどの人が前に出たことにホッとする。これで独身が数人だったら落ち込むところだ。新郎新婦の親族からも、ちらほらと何人か。


 そして、階段中ほどで待機していた花嫁が後ろ向きになり、ブーケをぽーんと空高く放った。しかしそれは、私たちが集まっている場所からずれた方角へ飛んでいく。


 千鶴ったら、暴投! このままでは誰にも受け取られないまま、ブーケがむなしく地面に落ちてしまう。


 隣にいた友人から「充希、行け!」と肘でつつかれると同時に、私はヒールの靴で駆け出していた。上体を低く落として、地面すれすれのところでブーケをキャッチ。


 その瞬間、「おおー」という歓声とともに拍手が湧き上がった。


 なにが起こったのか察した千鶴も、「充希、さすが! ありがとう!」と声をかけてくれる。私はブーケごと手を振ってそれに応えた。

 式の最中にお礼を言ってもらえて、照れくさくもちょっと誇らしい気持ちだ。


 勇者の凱旋のように友人たちのもとに戻ると、


「私がつつくより先に飛び出してたよね」

「こういうときにやってくれるのはやっぱり充希だよね」


 と褒め称えられ、ますます鼻高々になっていた。ここで目立ったことが、のちのち面倒な事態を引き起こすなんて、露ほども思わずに。


 二次会の会場は、式場の隣にあるレストランだった。バーカウンターがあるオシャレな雰囲気のフロアに、立食形式で軽食が並べてある。集まったのは、新郎友人と新婦友人が二グループずつくらい。遠方から出席した子もいたので、グループの中で二次会まで残ったのは私を含め三人だ。私たちは高校の友人なので、もうひとつの女子グループは小中か大学の友人だろうか。


 食事は披露宴でしっかりおいしいものをいただいたからお腹はすいていないけれど、お酒はセーブしていたので飲みたい気分だ。


 バーカウンターでカクテルを作ってもらい、『お腹はすいていないけど、まあいちおう……』と、ワゴンに軽食を取りに行く。サーモンとクリームチーズのサンドイッチやプチスイーツなど、『ちょっとだけ』のつもりがお皿の上は満席になっていた。


 背の高いテーブルのまわりに集まっている友人たちのもとに戻る。ほかの人たちも、グループごとに固まっていた。こういうとき、誰かが促さないと他のグループに話しに行けないのはよく見る光景だ。新郎新婦はまだ合流していないが、みんなそれぞれ勝手に飲み始めている。


「充希、今日のメイクかわいいね。まつ毛もこれ、よく見ると赤入ってる?」


 グループの中でも特にオシャレな銀行員の祐子が、目ざとくメイクに気づいてくれる。


「ありがと。秋の新色でまとめてみたんだ。マスカラの色も、ドレスにあわせてボルドーにして。一見茶色だけど、光が当たるとボルドーに見えて、さりげなくていいでしょ?」


 ドレスは今日のためにあわてて買いに行った代物だ。二十代前半に買ったドレスが似合わなくなっていたのだから仕方ない。なんとなくショールは羽織りたくなかったので、袖がレースになっているタイプのボルドーのドレスを選んだ。暗めのボルドーだから結婚式でも派手すぎないし、タイトなシルエットで甘すぎず、私好みだ。


 友達のドレスは、サーモンピンクや緑、紺など色とりどり。その子のキャラに合った色を選ぶと誰ともかぶらない、という奇跡が起きている。


「はー、さすが化粧品会社の出世株。私が美容院でやってもらったメイクより、プロっぽい。髪形も自分でやったの?」

「まさか。美容院でやってもらったよ」


 ドレスの雰囲気に合わせて、アップではなく編み下ろしにしてもらった。編み込みが駆使された三つ編みアレンジは、大人かわいくて普段でもマネしたい。


「充希のとこの会社の新色、予約しよっかな。見てたらほしくなっちゃった。よそいきメイクなんてめったにしないけど」


 主婦の京香も会話に入ってくる。お世辞は言わない友人たちに、こんなふうに興味を持ってもらえるのはうれしいことだ。


「えー、うれしい。ほかの色も自信作だからホームページ見てみて!」


 と言いつつ自分のスマホを操作して、新色一覧のページを見せる。このリップ、発色がクリアだから主婦にもオススメだよとセールストークを繰り出していると、祐子がため息をついた。


「充希はほんと、今の仕事が天職だよね。楽しそうでうらやましい」

「祐子のほうは、銀行どうなの? 就職したばかりのころは、けっこう自分に合ってるって言ってたじゃない」

「最近は窓口業務じゃなくて資産運用の営業に回されてさー……。どうも私、営業には向いてなかったみたいで、毎日ストレスがやばい」

「営業かー……。大変って聞くよね」


 塩見くんはソツなくこなしているけれど、化粧品会社の営業と、お金を扱う銀行員ではまた事情も違うのだろう。


「うちも、年子で子ども産んじゃったから、ワンオペ育児で死にそう……。今日はさすがに旦那が面倒みてくれてるけど、ふだんなにもやってくれないから不安だもん」


 私たちの中で一番にゴールインした勝ち組の京香も、いろいろあるようだ。主婦なんてうらやましいと羨望の的だったけれど、「外に出られないとかえってストレス。子どもが保育園に入ったらパートでいいから外に出たい」と言われ、いい面だけじゃないんだなあと暗い気持ちになる。


「ああ~、知りたくないこと聞いちゃった。私、まだ彼氏もいないんだから、結婚生活には夢を持っていたいよ。しかも今日、千鶴の結婚式なのに!」

「充希、ごめんごめん。でも、こういうのは相手によるからさ。充希は大丈夫だよ、結婚しなくても生きていけるくらい、しっかりしてるんだから。それにモテるんだから、選びたい放題でしょ」


 ずきり。褒められているのに、なぜか胸が痛くなる。実はみんなが思っているほどしっかりもしていないし、モテてもいない。恋人なんていらないから、ひとりで生きていく!って割り切れるほど、強くもない。


 思い切って、打ち明けてみようか。実は私が干物女だって知ったとしても、この子たちは付き合い方を変えたりしないだろうし。


「あのさ……」


 小声でそう切り出すが、私の言葉が聞こえなかったらしい祐子が、「まあ」とまとめにかかった。


「いろいろあるよね、この歳になるとさ。うちらももうアラサーだし。高校生のころから考えると信じられないけど」

「ね。中身は大して変わってないのにねー……」


 せっかく持てた勇気だが、タイミングを逃してしまった。いったん置きにいった話題を蒸し返すのは、気まずい。


 二人は青春時代を思い出しているのか、遠い目でカクテルを傾けていた。みんな揃って言葉少なになり、なんだか私たちのテーブルだけアンニュイな雰囲気が漂っていたとき。


「あの~……、ブーケをキャッチした人ですよね?」


 声がぎりぎり届くくらいの遠さから、ひとりの男性が私たちに話しかけてきた。


「はい、そうですけど……?」


 返事をしながら、この人、新郎側の受付をやっていた人だ、と気づく。対応が丁寧で、常に笑顔だったから覚えている。ふだん接客か営業の仕事をしている人なのかな?と思ったんだ。


 こうして見ると、背も高いし、礼服用のスーツも着こなしているし、見栄えのする人だ。塩見くんと比べるとスポーツマンぽい男らしさはあるが、押しが強そうな感じではない。


「すみません、急に声をかけて。あのとき見ていて、すごくかっこいいなって……。よかったらお話してみたいなと思ったんです」

「えっ。私とですか?」


 意外な申し出に驚いて、成り行きを見守っている祐子と京香の顔をうかがう。ふたりとも私と同じように驚い……てはいなかった。『あらまあ』という表情で口元を手でおおってはいるが、目はにやにやしている。

 これは絶対、面白がっているな。


「はい。むこうのテーブルで、俺たちのグループが集まっているんです。よかったら新郎新婦到着まで、一緒に飲みませんか? さっき友達が連絡したら、まだ時間がかかるらしいので」

「え? えっと……」


 なんと答えたらいいか、私がまごまごしていると。


「そういうことなら、ぜひ~!」

「うんうん。私たちも千鶴の旦那さんの話、聞きたいもんね!」


 後ろから私の肩をガッと掴みながら、ふたりが前のめりで男性の提案にうなずいた。


「あ、もし充希と話したいんだったら、ここどうぞ! 私たち、お友達の人たちと先に合流してますんで~!」


 しかも、私をひとり残していそいそとテーブルを離れようとしている。


「ちょ、ちょっと!」


 いきなり知らない男性とふたりきりだなんて、困る。こっちは五年も彼氏がいないせいで、男性への免疫なんてとっくになくなっているんだから。

 祐子の腕をつかみ、助けを求める目で見たのだが。


「うまくやりなさいよ、チャンスなんだから」


 とひそひそ声で耳打ちされ、さっさとむこうのテーブルに行ってしまった。


「いいお友達ですね」


 あぜん、とその背中を見送っていると、隣に来ていた男性が笑みを浮かべた。


「いや、はあ……。すみません、騒がしくて」

「仲がよさそうで、いいじゃないですか」


 男性は持っていたカクテルをテーブルに置いた。対面の位置に移ってくれたことにほっとする。隣よりは、間にテーブルがあるぶんだけマシだ。


「そういえば、お名前。充希さん、っていうんですね」

「あ、はい。日向充希といいます」

「俺は、高木大地です。新郎とは高校のときの友人で。部活が一緒だったんですよ」

「あ、私たちもです。私たちの場合は、三年時のクラスが一緒だったんですけど」


 聞けば、新郎と高木さんはラグビー部に所属していたらしい。ラグビーなんて、運動部の中でもかなりハードなイメージだ。千鶴は美術部に所属していた文科系の子なので、体育会系の人と結婚したことに驚きを感じる。


「ああ、だからみなさん体格がいいんですね」

「いえ、これでもしぼんできたんですよ。新郎なんて、現役時代はもっとムキムキでしたから。あのときの体型だったら入る衣装がなくて大変だったんじゃないかな」


 高木さんは、明るく壁を作らない雰囲気で、話しやすかった。礼儀正しいし、きっと仕事もできる人なんだろう。


「あ、グラス空いてますね。おかわり持ってきます、なにがいいですか?」


 カクテルを飲み終わったことにも、こうして気づいてくれるし、なかなかスマートだ。


「じゃあ、シャーリーテンプルを」

「了解です」


 ふたりぶんのグラスを持って、高木さんがバーカウンターに歩いていく。こんなふうに女性扱いされて、リードしてもらうのは久しぶりなため、なんだかくすぐったかった。


「あの、敬語やめません? 千鶴と旦那さんが同い年ですし、私たちもきっとそうですよね」


 戻ってきた高木さんに、そう提案してみる。


「言われてみればそうだね。じゃあ、ここからは遠慮なく」


 さらっとそう返され、もしかしてこちらから言い出すのを待っていてくれたのかなと感じた。高木さん、行動がモテ男のそれだ。


「カクテル、ありがとうございます」とお礼を述べてグラスに口をつけると、

高木さんが私の様子をじっと見ていた。


「あの、なにか……?」

「もしかして、充希ちゃんってお酒弱い? それ、ノンアルコールカクテルでしょ。バーテンの人に教えてもらったんだ」


 私の頼んだシャーリーテンプルは、ザクロのシロップをジンジャーエールで割ったかわいらしいカクテルだ。ノンアルコールなのも間違いない。


 ただ、高木さんの質問はまったくの見当はずれだった。新郎新婦を赤い顔で出迎えるのもなんだかな、と思ったからノンアルコールカクテルを挟んだだけだ。


「そんなことなくて……」


 お酒には強いです、と言いそうになってやめる。私はお酒は好きだけれど、人並みに酔うし、強いわけではない。ザルなんて呼ばれている人種には到底追いつけない。

 もし『強い』なんて言ったら、すごくたくさん飲めるって期待させてしまうかも。こういう場合は、なんと説明したらいいのだろうか。


「えっと……」

「やっぱり。見た目がフェミニンで女性らしい感じだから、お酒に弱そうだなって思ってたんだ」


 口ごもっていたら、高木さんは勝手に解釈してしまったようだ。


「そ、そう見えるんだ……」


 私は引きつった笑みを浮かべる。あちらは私に間違ったイメージを抱いているみたいだし、『お酒大好きです!』とは打ち明けられなくなってしまった。


 まあいいか。どうせ数時間一緒に飲むだけの人だし。今後会うこともあるまい。


 それからは、自分の職業など無難な話題が続く。高木さんは予想通り、住宅メーカーの営業だった。趣味を聞かれたときは困ったが、『後輩とおいしいお店にランチに行くこと』と答えて難なきを得た。趣味というよりは勤務時間内のことだが、間違ったことは言っていない。久保田、いつもランチに誘ってくれてありがとう。


「充希ちゃんは誰か付き合っている人、いるの?」


 私の緊張がとけてきたころ、高木さんは『ランチでお気に入りの店、あるの?』と訊くようにフランクに尋ねてきた。


「えっ、いないよ」

「じゃあ、好きな人は?」


 なぜか塩見くんの顔が思い浮かぶものだから、動揺する。ないない。私はそんな目で塩見くんを見ているわけじゃない。


「いないよ。どっちもいない。高木さんは?」

「俺は、付き合っている子は今はいないけど。でも、ほしいとは思ってるかな」

「うん、私もほしくないわけじゃないんだけど。仕事が忙しいとなかなかできないよねー」


 こんなモテそうな人にも恋人がいないとは驚きだ。まあ人生そういうタイミングもあるよね、とフォローしたのだが、高木さんはじっと自分のカクテルに目を落としている。


「あの、充希ちゃん。じゃあさ」


 高木さんが、怒ったような――眉に力を入れた表情で私に向き直った。


「……ん?」


 少しだけ緊迫した空気が私たちの間に流れたのだが、友人たちが合流したグループから手招きと共に飛んでくる声で、それが壊れた。


「おーい、高木! そろそろこっちに合流しろよ!」


 高木さんは手を振ってそれに応えたあと、「なんだよ、タイミング悪いな……」と小声でぼやく。


「じゃあ、行こうか。充希ちゃん」

「あ、うん……」


 高木さんのあとについて、みんなが集まっている場所に行くと、祐子から含みがありそうな笑顔を向けられた。京香は既婚者らしき男性と、子育ての話題で盛り上がってる。


「……なによ」

「いやいや、意外と話が弾んでたなーと思って」

「べつに、当たり障りないこと話してただけだよ」

「ええー、せっかくイケメンだったからふたりにしたのに、好みじゃないの?」


 端っこに連れていかれて、こそこそと耳打ちされる。


「そういうわけじゃないんだけど……」


 イケメンだし、礼儀正しいし、話していてもおかしな価値観のズレは感じなかった。今までだったら間違いなく、好感は持っていた相手だろうと思う。


「ただなんとなく、そういう気分にはならないというか」


 不意に男性らしさを感じてドキッとしたりとか、いつの間にか素になっていたりとか、そういうのはなかった。

 ……誰と比べているのか、という話だが。


「まあ、会ったばかりだから仕方ないか。でもさ、あんないい物件、なかなかないと思うよ。けっこう大きめの住宅メーカーにお勤めなんでしょ? まあ、バリキャリの充希からしたら物足りないのかもしれないけど」

「そんなことないよ。私も、高木さんに彼女がいないのは意外だと思ったし」

「なんだ、もうそんな話までしてるのか。私が心配する必要なかったみたいね」


 祐子のしたいことはわかる。私だって、彼氏がいない友達がいて、目の前に独身の素敵な男性がいたら、お節介を焼こうとしただろうから。

 ただ今は、その親切がありがたく感じられない。


「充希ちゃん、祐子ちゃんも。こっちでしゃべろうよ」


 話し込んでいた私たちを、高木さんが手招きする。


「だってさ。行こう、充希。なるべくたくさん話してみなよ。そのうち好みの部分が見つかるかもしれないじゃない。あ、あと、新郎友人の中では、あの一番背の高い人もまだ独身だって」

「調査が早い……」


 祐子には長年付き合っている結婚秒読みの彼氏がいるから、私のために訊いてくれたんだってわかってる。

 その気遣いを無下にするわけにもいかないから、話題に興味を持つ努力くらいはしてみよう。


 高木さん以外の新郎友人たちも、明るく盛り上げ上手で、そつなく会話が進んでいく。千鶴の旦那さんの友達がみんないい人ということは、千鶴の旦那さんもいい人ってことだよね、と安心していたときだった。


「あ、充希ちゃん。おかわり持ってくる? またノンアルコールがいいかな?」


 飲み終わったシャーリーテンプルに目を留めた高木さんが、私のグラスをさっと手に取る。


「あ、えーっと……」


 次は普通にお酒がいいんだけどな。説明するのが面倒くさいから自分で取りに行こうと思っていたのに。


「なんでノンアルコール?」

「お酒弱いんだって、充希ちゃん」


 首をかしげる新郎友人に、私のかわりに答える高木さん。

 えっ、という顔で祐子と京香が私を見てくる。何度も一緒に飲みに行っているふたりは、私がお酒好きで、弱いわけがないことを知っている。


 苦笑いを返すと、なんとなく事情を察してくれたようだ。憐みのこもった眼差しを向けられた。


「へー、女の子らしいね。高木、ノンアルコールか弱いカクテル、持ってきてやれよ」

「いいかな? 充希ちゃん」

「う、うん。ありがとう……」


 高木さんが背中を向けたあと、さきほど独身だと聞いた背の高い男性が、私を見て頬をゆるませた。


「いやあ、でも、お酒弱い子ってなんかいいよね」

「そ、そうですか?」

「うんうん。自分より先に酔ってくれるほうがね。ロマンがあるよね」


 なんのロマンなのだ、それは。女性が酔っているほうが都合がいい状況って、だいたいは……。

 ロマン、という言葉の裏に隠された男性の身勝手さに、背中がちょっと引きぎみになる。


「えー、でも、男の人って一緒に飲めたほうがいいんじゃないですか?」


 私が返事に困っていたら、京香が助け舟を出してくれた。


「でも、自分より強かったり、自分より飲むような人はちょっとね」

「わかる。女性があんまりガバガバ飲んでると、引くよな」

「そうそう。男としては、女性は自分より弱くあってほしいっていうか」

「わかるわ~。やっぱり家庭的で、料理とか家事が得意な女がいいよな。酒豪だと、そのへんも期待できなそうだし」


 その会話を聞いていると、どんどん頭の芯が冷えていくような気がした。単に好みの問題なのだから、この人たちが悪いわけじゃない。私がちゃんと『お酒好き』って告白していれば、こんなことも言わなかったと思うし。


 ただ、それが男性の本音だと思うと少し凹む。お酒が好きだから家事ができないっていうのは偏見だと思うけれど、私の場合当たっているから何も言えない。


「なあ、高木。お前も、酒飲みの女性は好きじゃないだろ? 家庭的な女性のほうがいいよな?」


 ちょうど戻ってきた高木さんに振る。高木さんは「お前、酔ってないか?」と冷静にたしなめながらも「そうだなあ」と考える。


「弱くなきゃダメってことはないけど。酒豪はちょっと、嫌かな。俺、結婚相手には専業主婦になってほしいタイプだから」


 それは控えめな主張だったけれど、困り笑いの表情の中にこの人の真意がすべて込められている気がして――私は笑顔を作れなくなった。


 きっとこの人たちは、酒豪の女性が目の前にいても、紳士的には扱ってくれる。でもあとから、『あれはないよな』『女性として見られない』と笑い話にするんだろう。高木さんは直接会話には混ざらないかもしれないけれど、否定もせずに相槌を打っていて……。


 さっきまで『いい人』と思っていた目の前の男性たちが、違う人間みたいに見えてくる。


「……充希、気にしないほうがいいよ」


 私の様子に気づいた祐子が、心配そうに私の肩に手を乗せる。


「大丈夫、ありがと」


 京香も、男性陣をちらっと見て眉を寄せた。


「そうだよ。男なんてみんな勝手にこっちをジャッジするんだから、充希がショックを受ける必要なんてない」


 そう言われてやっと、私は自分がショックを受けていることに気づく。

 そうか、この感情は、自分が否定されたことに対する悲しみなんだ。そして、お酒を飲む行為にまで女性らしさを求める人たちへの、行き場のない怒り。


「私ちょっと、お手洗いに」


 こんなモヤモヤした気持ちのまま会話を続けられないから、いったんひとりになってクールダウンする。


「はー、しんどい」


 すぐに勘違いを撤回しなかった自分が悪いのだが、こんな展開になるとは思っていなかった。


 思い返せば、大学のコンパでも、職場の忘年会でも、酔い潰れるほどは飲んでいなかったが、いつも他の女性陣よりピッチが早めだった。それを気にしたことはなかったけれど――。


「もしかして、今までも裏で言われてたのかな……」


 そんなネガティブな感情まで湧いてきて、あわてて首を振る。


 たまたまだ。たまたま、自分と合わない人に出会っただけ。道で小石につまづくのと同じようなものだ。いちいち気にしていたらきりがない。


 お手洗いから戻ると、ちょうど新郎新婦が到着したところだった。だらだらしていた会場はわっと湧き、お祝いムードに。

 私もとびっきりの笑顔を作りながら、パーティードレスに着替えた千鶴に駆け寄った。


 新郎友人のバンド演奏があったり、メッセージビデオが流されたりして、二次会は終始ほがらかな雰囲気で終わった。千鶴と写真を撮ったりしているうちに、高木さんたちのグループとはバラバラになれたのが助かった。


 お開きになるころには、さっきの出来事は心のすみっこに追いやられていたし、いい思い出で今日一日を締めくくろうとしていた。

 だけど――。


「待って、充希ちゃん」


 引き出物とブーケで両手をいっぱいにして、ドレスにコートを羽織って会場を出たとき。駐車場で後ろから、高木さんに声をかけられた。


「高木さん……」


 外はすっかり真っ暗になって、会場から漏れる灯が逆光のように高木さんを照らしている。


「よかった、充希ちゃんが帰る前に気づいて。えーっと、さっき言えなかったことなんだけど……」


 一緒に駅に向かう予定だった祐子と京香は、少し離れて――でもちゃんと会話が聞こえる位置で待ってくれている。


「あのさ、よかったらなんだけど、連絡先を交換しない? 俺、もっと充希ちゃんと話してみたくて」


 はにかみながらスマホを取り出す高木さんに悪意は感じられなくて、本当だったら胸がときめくシーンなのだと思う。

 なのに私は、まるで第三者のような気持ちで目の前の人を眺めていた。


「高木さん。その前に、言っておきたいことがあるんです」

「え、なに?」

「私、ほんとはお酒弱くなんてないんです」

「えっ……? どういうこと?」

「あれは、たまたまノンアルコールカクテルを頼んだだけで……。誤解させたままですみません」


 思い出したのだ。塩見くんは、私がお酒好きでも引いたりしなかったし、自分は飲めないのにいつも『楽しい』と私に付き合ってくれる。油揚げを焦がした惨状を見ても、『家庭的じゃない』なんて言わなかった。


 もし、自分を隠したまま今後高木さんと会ったとしても、それは本当の私じゃないんだから意味がない。


 そして、素でいられる場所はひとつあれば、今は充分だってこと。


「私、家では干物女だし、お酒も大好きだし、料理も苦手なんです。女らしくしているのは見た目だけなんですよ。だから、高木さんの好みではないと思います。……ごめんなさい」


 頭を下げて、呆然としたままの高木さんに背中を向ける。


「お待たせ、帰ろっ!」


 待ってくれていた祐子と京香に駆け寄ると、ふたりは「よくやった、充希」「ブーケを取ったときくらい、かっこよかった」と背中を叩いて健闘を称えてくれた。


「あー、ほんと、いろいろあったけど、いい式だったな~」


 駅までの道を、ふわふわした気持ちで歩く。高木さんたちと鉢合わせしないよう裏道を選んだから街灯が少なくて、夜空もアスファルトの舗道も、同じ濃紺に染まっていた。


「ね、ブーケをキャッチできたんだからさ、次に結婚するのは私ってことだよね?」


 うきうきしながら後ろを歩いていたふたりを振り返ると、にやり、と意地悪そうな笑みを返された。


「さあ、どうだろうね。干物女のままだと、まだまだ先かもしれないよ」

「でも充希が自分からバラすなんて珍しいね。私たちにも隠してたくらいだったのに」


 ああ、そうだった、ふたりにもさっきの会話が聞かれていたんだ、という焦りと、ちょっと待て、『私たちにも隠してた』ってことは……?という驚きが同時に襲ってくる。


「まさか、ふたりとも、気づいてたの?」


 冷や汗が噴き出て、声がひっくり返る。


「当たり前じゃん。何年一緒にいると思ってるのよ」

「大学のとき、お財布なくしたーってジップロックにお金を入れてきたときから、充希が干物女なのは気づいてたよ」


「あったね、そんなこと! 私はあれかな、家で持ち寄り女子会しようってなったときに、充希がサキイカとかチータラとか、おっさんぽいものばっかり持ってきたときかな。千鶴はマカロンだったのに」

「ぎゃー!」


 忘れかけていた思い出を無理やり引き出されて、悲鳴をあげる。


「なんであれで隠せてるって思えるのか不思議だったよ」

「まあ、そこが充希だしね」


 本当に、自分でもそう思う。それだけのことをやらかしておいて、能天気でいられた自分が信じられない。


「……ってことは、千鶴も? 知ってたの?」

「当然。みんな黙っててあげただけ。充希がキラキラ女子に見られたがっているのは知ってたし、実際見た目に関しては努力してたからね」

「それで化粧品会社に就職を決めたんだから、大したもんだよ」

「祐子、京香……」


 まぶたが熱くなって、目頭がうるんできた。

 今日はいろいろあったけど、こうして友情を再確認できたことだけは、高木さんたちに感謝しないと。


 五年彼氏がいなくても、友達に恵まれたことは幸運だったなと、十月の月を見ながらそう思った。


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