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恋する金曜日のおつまみごはん~心ときめく三色餃子~  作者: 栗栖ひよ子
メニュー2 お疲れの日のみぞれ煮と変わり冷奴
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(1)

 不思議なもので、一度知り合いになると社内でも塩見くんの姿がよく目につくようになった。


 目立たない子だと思っていたけれど、誰とでもなごやかに話をしているし、気分屋の上司も塩見くん相手のときは常に笑顔だ。だれかが仕事でつまずいていれば声をかけて気分を変えてあげるし、フォローに入るタイミングがバツグンにうまい。


 ああ、この子は目立たないんじゃなくて、みんながスムーズに仕事ができるよう、裏で立ち回ってくれるタイプなんだなと気づく。


 ちょっと観察しただけでわかることなのに、今まで目に入ってなかったなんて、私は本当に自分しか見えていなかったんだな。


 そしてさらに私は知ってしまう。塩見くんと接するときは、女性社員がにわかに華やいだ雰囲気になるのを。


「塩見くんって、モテるでしょ」


 偶然一緒になった帰りの電車で、並んで吊り革につかまりながらそう尋ねる。


 アパートが同じなのに今まで帰り道で会ったことがないなと思っていたのだが、塩見くんのほうで意識して車両や時間をずらしてくれていたらしい。

『毎日、同じ時間帯に同じアパートに帰る男がいたら怖いでしょう』というのが塩見くんの言い分だ。


 つくづく気が細やかな人だなあと感心するが、今はそんな彼が気を遣わなくなったというのがうれしく感じる。


「えっ、なに言ってるんですか? そんなことありませんよ」


 謙遜ではなく正直心外だ、という口調で塩見くんが返す。


 退勤時間帯で人の多い車内。声が聞き取りづらいのでいつもより会話の距離が近めだ。私も女性にしては背が高めだけど、塩見くんはさらに高いので、首を下に傾けて顏を近づけてくれる格好になる。


「いやいや、絶対モテてるって。ここ一週間、塩見くんのこと見ていたらそう感じたんだもの」


 上品で優しそうな見た目だから男を感じない、なんてのほほんとしたことを考えていたのは私だけで、爽やかでいやらしさを感じない男の子がいたら女性は好ましいと思うものだ。普通は。


「……僕のこと、見ていてくれたんですか?」


 塩見くんが私を見下ろしながら、いたずらっぽい笑みを浮かべて尋ねる。


「えっ。ち、違う。見ていたってそういう意味じゃなくて、たまたま目についたというか、今までより目に入るようになったというか……」


 私が焦るのと、電車が揺れるタイミングが一緒で、吊り革につかまったまま塩見くんの肩に頭が触れる。


「大丈夫ですか?」


 塩見くんのシャツからは、シトラスの香りがした。自分の頭は汗臭くないだろうかと急に不安になる。


「あっ……と。ごめんなさい、服にファンデーションついちゃったかも」

「洗濯すれば落ちますし、そんなこと気にしなくていいですよ。それに先輩、あんまりファンデーションつけてないんじゃないですか?」

「そんなわけないじゃない。こんなにがっつりメイクしてるのに」


 流行りの『セミマットな人形肌』に見せるため、コンシーラーとカバー力のあるリキッドファンデを駆使しているのだ。


「そうなんですか? すっぴんのときに肌がキレイだったから、勝手にあまり塗っていないものだと思ってました」

「そっ……」


 さらっと放たれた言葉に、顔が熱くなる。ああ、この子と話している女子がみんなうれしそうにしている理由がわかった。いちいち細かいところに気づいて褒めてくれる男性はあまりいないし、実際それをされるとお世辞だとしても舞い上がってしまうものだ。


 素敵な男性に褒められて、うれしくない女子などいない。まして年下の男の子に肌を褒められるなんて、その極みだ。


「そんなこと、ないけど、ありがと」


 動揺していることを悟られないように、クールな声色を保ったままお礼を述べる。恥ずかしくて、塩見くんの顔を見ることができず、電車の窓に貼られた広告をひたすら眺めていた。


* * *


 それから何度か金曜日を迎え、カレンダーは八月に変わった。


 塩見くんのおつまみごはんは、毎回感激するおいしさだった。うなぎを買っていったときには〆にうな茶を作ってくれたし、夏野菜の天ぷらのときには、なんとカウンターに私を座らせて揚げたてを食べさせてくれた。塩でいただくさくさくの天ぷらは、アパートの一室が料亭に思えてくるくらい本格的な味だった。


 毎日暑くて夏バテ気味だけど、『今週のおつまみごはんはなんだろう』と想像するだけで猛暑を乗りきれそうな気がする。


「先輩、今日仕事終わったらビアガーデンに行きませんか? 毎年やってるビルの屋上で、今年も始まったみたいですよ」


 ノー残業デーの水曜日、久保田がうきうきした様子で声をかけてくる。手にはビアガーデンのチラシを持っていた。ランチに行ったときにでも、もらってきたのだろうか。


「そっか、もうそんな時期なのね。私も行きたいかも。ほかにだれか誘うの?」

「企画部の女子に声かけてみようと思ってて。まあどうせ、いつものメンバーになりそうですけど」


 こういうイベントに必ず乗ってくれるのは、独身彼氏ナシのメンバーだ。私も久保田もそこに入っているので、後半のセリフには若干の自虐が含まれる。


「しょうがないわよ。夫や子どもがいたら早く帰らなきゃって思う気持ちはわかるし」


 さすが女性中心の化粧品会社というべきか、産休・育休の制度がしっかりしているので、社内には子持ちの女性社員も多い。


「私は、結婚しても飲みには行きたいですけどね」

「そこは同感」


 唇をとがらせてそう言う久保田に、私もうなずく。すると、久保田がハッとした顔で口元を押さえた。


「もしかして私たちって、こんなこと言ってるから彼氏ができないんですかね……」

「う、それも否定できない」


 恋よりも仕事や自分の楽しみを優先しているのだから、恋愛が遠ざかっているのは当然とも言える。


「ほしいな~って思いつつも、今が楽しいからいっか、って完結しちゃう私も悪いんですけどね。先輩はどのくらいいないんでしたっけ、彼氏」

「大学時代の恋人と、就職してしばらくして別れてからだから……、五年くらいかな」

「ご、五年! それは、思っていたより長かったです……」


 久保田は唖然としていた。自分でも数えていて『こんなに長かったっけ』って驚いたくらいだから無理もない。でもこれで驚くということは久保田はそこまで独りが長くないということなので、エセ干物女確定だ。


「そんなに申し訳なさそうな顔しなくていいわよ。私も今までは、仕事が楽しすぎて彼氏がいなくても気にしていなかったのに」

「今までは、ってことは、今は気にしてるんですか?」


 久保田がギラッと目を光らせて、私の失言に食いついてきた。


「そ、それは、言葉のあやで……」


 ずいっと顔を近づけてくる久保田から目を逸らして言い訳したとき、口うるさい男性上司が帰ってきた。煙草の匂いが漂ってきたから、喫煙室に行っていたのだろう。


「あっ、まずい。それじゃ先輩、またあとで」

「ん、じゃあまた帰りにね」


 ひそひそ声で告げて、自分のデスクに戻っていく久保田。いつもだったらうれしくない上司の帰還だけど、今は天の助けに思えた。


 そういえば塩見くんの部屋もシャツも、煙草の匂いはしなかったな、とふと思う。私は煙草の煙が得意なほうではないから、付き合うにしてもそこはポイントが高い。


 ……って、私どうして、塩見くんを彼氏にしたい前提で考えているのよ。

 無意識に塩見くんを男性としてジャッジしていたことに、焦って頭を振る。


 だいたい、四歳年上の干物女なんて恋愛対象にならないから、宅飲みに誘ってくれてるんだと思うし。

 自分に対して好意を持ちそうな相手に期待させるタイプではないと思うから、私で都合がよかったんだろうな。


 ちゃんとわきまえているから安心してくださいね、と、心の中を覗かれているわけでもないのに塩見くんに弁明している自分がいた。


 遮るものがなにもないビルの屋上に、夏の夜の生ぬるい風が吹きつける。ばさばさと顔にかかる長い髪がうっとうしいけれど、ビアガーデンの場の雰囲気は好きだ。


「じゃあ、かんぱーい!」


 全員に生ビールが行き渡ったところで、仕切り上手の久保田が音頭をとってくれる。今夜集まったのは、私たちを入れて五人。まあまあの出席率だ。


 慣れ親しんだいつものメンバーだけあって、注文する人、話を振る人、盛り上げる人の役割ができているのが楽だ。その中だと私は……、マイペースに飲む役だ。一番年上なので、あまりでしゃばらないようにしているとも言えるが、お酒が入るとつい、まわりを気にせず飲むことと食べることに集中してしまう。


「あ、おつまみも来た。お皿も少ないし、みんな好き勝手に取る感じでいいですよね」

「オッケー」


 テーブルに並べられたのは、フライドポテト、唐揚げ、アヒージョ、ピザなどビアガーデンらしい定番メニュー。


「マルゲリータおいしそー。ほかのピザも注文すればよかった」

「アヒージョ、マッシュルームが大きくていい感じ!」


 みんながオシャレフード目を奪われる中、私はまず、枝豆に手を伸ばした。


「あれ。先輩がいきなり枝豆にいくの珍しいですね。唐揚げもあるのに」


 隣に座っていた久保田が、あつあつのピザを頬張りながら首をかしげた。


「うん。最近、枝豆のおいしさに目覚めて」


 塩見くんが作ってくれた焼き枝豆がおいしかったから、最近私の中で枝豆需要が上がっていたのだけど……。

 食べた枝豆は、茹でたものを作り置きしていたらしく、冷めきっていた。


「いまいち……。というか、ぬるい」


 あつあつの焼き枝豆を、指をやけどしそうになりながら夢中で食べたあの日の記憶が、しょんぼりとしぼんでゆく。

私の感想を聞いて「えー?」と眉根を寄せた久保田が、枝豆をひとつ取って食はむ。


「別に、普通の枝豆じゃないですか。先輩、どんだけ枝豆に期待してたんですか」

「……塩見くんの作ってくれた枝豆は、もっとおいしかった」


 ぽろっと口から出てしまった本音に、言い終えてからぎょっとする。まだビール一杯目だし、酔ってもいないのに。


「え? なんの枝豆って言いました?」

「な、なんでもない」


 不注意に塩見くんとのことがバレたら面倒だから、絶対に隠しておきたいのに。気が緩むと口から出てしまうほど、塩見くんとの金曜日が私の生活の中で当たり前になってきているのだろうか。


 不審げに見つめる久保田をスルーしていると、いいタイミングで話題が変わった。


「そういえば、みなさんは最近どうですか? 恋愛方面」

「私は全然ダメです。大学を卒業したら、出会いもなくなるんですね……。OBの先輩たちに、大学生のうちに恋人を作っておけってしつこく言われた意味がやっとわかりました」


 そう、実感のこもった愚痴をこぼすのは今年入社した後輩だ。


「まだ一年目は出会いが多いほうだよ。本当に悲惨なのは二年目からだって」


 久保田がそう脅すと、後輩は「ひええ」と肩を震わせた。


「えっでも、うちの会社にもかっこいい人けっこういません?」


 フォローにまわってくれたのは、一個下の後輩だ。


「えー、います? そんな人」

「営業部の塩見くんとか、人気ですよね。友達が『かっこいー』って騒いでました」


 唐突に塩見くんの名前が出て、心臓がばくんと跳ねた。


「あ、私も知ってます。確かにいいですよね! 爽やかで」


 私と久保田以外の三人が、きゃあきゃあと騒いでいる。どうやら塩見くんは、私が思っているよりもずっと有名人だったらしい。


「久保田も知ってたの? 塩見くんのこと」


 輪には入らず、かと言って『それ、誰?』と興味津々というわけでもない久保田に尋ねる。


「だって私、同期ですもん。同期会とかけっこうやるんですけど、塩見くんが来るときは女子の出席率が高いんですよ」


 あっさりした口調で、フライドポテトをぱくつく。この様子だと、久保田自身は塩見くんに特別な感情はなさそうだ。確か以前、バリバリの肉食系が好きだと話していた気がする。


「たしか、フリーでしたよね、彼」

「んー、でも、同じ営業部の同期が真剣に狙ってるみたいですよ」

「え!!」


 久保田の爆弾発言に、反射的に大きな声が出てしまった。


「草食系っぽくて、あんまり手ごたえないーって嘆いてましたけど。……なんで日向先輩、そんなに驚くんですか?」


 久保田の声を聞きながら、頭の中ではうぅむまずいなとひやひやしていた。今まで、塩見くんとのことがバレたらいろいろ面倒そうだから隠しておこう、くらいの気持ちだったけれど、塩見くんがこんなに有名人だとなると話は別だ。万が一バレたら、女子社員の恨みを一斉にかってしまうのでは……?


 お付き合いもしていない、しかも年上の私が、毎週塩見くん宅に上がり込んでいるなんて、塩見くんの評判さえ落としかねない。


 これは絶対にバレないよう気をつけて、塩見くんにも釘をさしておかなければなるまい。


「い、いや。社内恋愛なんてみんな若いなーって思って」

「なに言ってるんですかー! 会社に推しのイケメンがいるとうるおいが違うんですよ! 若くないからこそ、日常のときめきが必要なんです!」


 あははと笑って言い訳すると、一個下の後輩に、そう熱弁された。


「そ、そうなの?」

「日向先輩に説明してもムダですよ。五年彼氏がいなくても『仕事が恋人』って言えちゃう人なんですから」

「ちょっと久保田、私の彼氏いない歴を勝手にバラさないでよ!」


 ほとんどの後輩たちは、久保田につかみかかる私を笑って見ていた、が。


「えっ、五年彼氏がいないって、ヤバくないですか……?」


 今年入社した後輩だけが、ドン引きしている。


「ヤバいかもだけど……、別にいなくても生きていけるし、なんとかなってるし」


 自虐ネタに真剣な反応で返されると、答えに困る。というか、若干傷つく。


「美人なのにいないって……。もしかして男に興味ないんですか?」

「そんなことないわよ。彼氏だって、できるものならほしいし」

「じゃあ、好みのタイプは? あ、さっき話に出た塩見くんとか、好みですか?」


 また塩見くんの名前を出されて、鼓動が早くなる。なんでここで塩見くんを持ちだすのだろう。


「えーっと、塩見くんのことはあんまり知らないし、興味ないかな。年下だし」


 笑顔が引きつりそうだったけど、なんとか動揺をおさえて返事する。すると、後輩は「ですよねー」と言いながら苦笑した。


「先輩のほうが四つも年上だし、あり得ないですよね」


 心臓に、チクリと刺が刺さった。


「ちょっと、その言い方は失礼じゃない? あり得ないとか……。彼氏が年下の場合だって、あるでしょ」


 久保田が後輩をたしなめたが、当の本人はきょとんとしている。


「え。だって、日向先輩はきっと、年上で仕事がバリバリできる人しか眼中にないんだろうなって……。なにか悪いこと言いました?」


 本当にこの子には、悪気がないんだろう。でも、悪気がないというのが一番ショックだ。四つ年上の私と塩見くんの組み合わせは、一般的に見て『あり得ない』ことなんだ……。


 なんだか胸が痛むけれど、私と塩見くんはただの飲み友達なんだから、年齢なんて関係ないはず。


「先輩。気にしないほうがいいですよ。二十八歳はまだ若いです。あの子がまだ子どもなだけですから」

「大丈夫、気にしてないって」


 大学を卒業したばかりの子からしたら、入社六年目の先輩なんてお局よね。こんなことで傷ついていたら、この先どんどん歳を取っていくのに、仕事なんてやっていけない。


 でも、どうしてだろう。胸がむかむかする。


 そして、次の日。


「胃が気持ち悪い……」


 朝起きると体調は最悪だった。最初は『二日酔いかな。お昼くらいには治るだろう』とタカをくくっていたのだが、夕方になっても体調は良くならなかった。


 もしかしたら、もともと夏バテしていたところに飲み食いして、胃がダメージを受けてしまったのかも。


 胃腸は丈夫なほうなんだけど、最近仕事が忙しかったし、無理できない年齢になってきたということなんだろう。やっぱり二十代前半のときのようにはいかないか、と実感すると少し切ない。


「こんなんじゃ、明日の塩見くんのおつまみ、食べられないかも……」


 夜、ゼリー飲料だけ摂ってベッドに寝転がり、ため息をつく。こんなときでも心配するのは自分の体調ではなくて、食べもののことだなんてどうかと思うけれど、欲望には逆らえない。


 明日がキャンセルになったら、次に塩見くんのおつまみを食べられるのは一週間後だ。毎食胃腸に優しい粗食でがまんして、来週までごほうびがおあずけなんて、そんなの耐えられない。


 しかし、もしかしたら明日には快復しているかも、という望みが捨てきれない。


 塩見くんには、明日の夕方までに連絡すればいいし、ギリギリまで粘ってみよう。水分をしっかり摂って、胃薬を飲むくらいしかできることはないけれど。


「朝起きたら、すっかり元気になっていますように……」


 そう祈りながらいつもより早い時間に目を閉じる。


 しかし、その祈りは届かなかったようだ。せっかくの金曜日なのに、胃はまだムカムカしていて食欲がない。昨日あった吐き気はなくなったからまだマシだけれど、『おいしいおつまみをたくさん食べるぞ!』という気分にはならない。


 朝昼と胃薬を飲んでみたけれどダメで、気分はどんどん下向きになる。そのうえ、ふだんだったらしないミスをやらかして残業するはめになった。


 もしかして、一昨日のショックが尾を引いているのでは、と思ったけれど、自分がそのくらいで仕事に支障をきたす人間だと思いたくなかった。


 定時を過ぎたころ、書類の陰に隠れて、デスクでこっそり塩見くんにメールを送る。


『ごめん、残業になっちゃった。遅くなりそうだし、ここのところ夏バテで胃腸の調子も悪かったから、今日の約束はナシでいいかな』


 送信ボタンを押すのには勇気がいった。塩見くん側の事情なら仕方ないと諦めがつくものの、目の前にぶらさがっているおいしいおつまみを自分から断らなければいけないなんて、つらすぎる。


『了解しました。残業、無理しないでくださいね』


 すぐにスマホが震えて、塩見くんからの返信が届いた。彼のイメージよりはそっけない文面だったけれど、こちらを気遣ってくれるところはやっぱり塩見くんだ。


 心配してくれる人がいることで、胸のあたりがぽかぽかするのを感じながら、私はスマホをバッグにしまってパソコンに向かった。


「はあ~……、疲れた……」


 仕事を終え、アパートに着いたときには二十二時を回っていた。外階段を上る足が重い。パンプスに突っ込んだ足がむくんで痛くて、今すぐストッキングと一緒に脱ぎたい。


 なんとかドアの前までたどり着くと、パステルブルーのメモが目に入った。


「……なにこれ?」


 メモが、テープでドアに貼りつけてある。剥がして確認すると、ボールペンで書かれた端正な文字が並んでいた。


『お帰りなさい。残業お疲れさまです。胃にやさしいものを作ってあるので、もし元気があれば来てください。塩見』


 えっ、とメモを二度見する。


 今日はナシで、って送ったのに。了解です、って返事が来たのに。もしかしてあのときそっけない返事だったのって、最初からこのことを考えていたから――?


 バタバタと部屋に上がって、荷物を置く。転びそうになりながらブラウスとフレアスカートを脱いで、適当につかんだTシャツと短パンに着替えた。そのまま外に出て、軽く息切れしながら塩見くんの部屋のチャイムを押す。


「――はい」


 遠くから返事が聞こえる。足音が近づいてきて、「日向だけど」と声をかける前にドアが開いた。


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