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恋する金曜日のおつまみごはん~心ときめく三色餃子~  作者: 栗栖ひよ子
メニュー1 出会いの三色餃子と焼き枝豆
2/11

(2)

 隣の部屋のドアを開けて先に玄関に上がった塩見くんが、スリッパを出してくれる。


「どうぞ」

「お、おじゃまします……」


 当たり前だけど、塩見くんの部屋は私の家と同じ間取りだった。


「適当に座っていてください。あ、今ビール用のグラス出しますね」

「あ、ありがとう」


 同じ間取りだけど、インテリアが違うだけでだいぶ違う雰囲気になるんだな。


 観葉植物多めの、アイアンウッド家具で統一されたリビング。カーテンやクッションはどれもモノトーンと緑を基調にした、控えめな柄物だ。


「塩見くんは、北欧ファブリックが好きなの? 布系がどれもそうだから」


 食器棚に手を伸ばす塩見くんに声をかけると、首を傾げていた。


「え、北欧……? そうなんですか? 家具屋で好みのものを揃えていたら自然とそうなっていただけで、意識したことはありませんでした」


 なるほど、選ぶものが自然にオシャレなものになるタイプなのか。うらやましい。


 インテリアだけ見たらモデルルームのようなオシャレな部屋だけど、読みかけの本や雑誌がローテーブルにあってほどよく生活感を感じるし、なんだか落ち着く。塩見くん本人みたいに、威圧感のない部屋だからだろうか。


 ベッドはないから、リビングのほかにもうひとつある個室を寝室にしているのだろう。


 塩見くんは私にグラスを渡すと、シャツの上から黒いエプロンを身に着けた。その姿がサマになっていて、男の人のエプロン姿も清潔感があって素敵なのね、と感心する。


 ……塩見くんの部屋も装いも完璧だというのに、なぜ私はスエットのままでグラスにビールをついでいるのか。

 玄関先で待たせては悪いと、ビールだけつかんで部屋を出てきたのだが、自分がオシャレ空間に入り込んだ異物に思えてくる。


 いやいや、そんなことを気にしておいしいお酒が飲めるか。グラスに注いだビールは、我ながら泡とビールの割合が完璧だ。ひとくちめを飲み干すと、思わずぷはーっという息が出る。本日二回目のひとくちめなのに、グラスに注ぐというひと手間だけで、なんでこんなにおいしく感じるのだろうか。


「先輩、暇だったらテレビとか音楽とか、勝手につけていいですからね」

「ああ、うん」


 お言葉に甘えてテレビをつけようとリモコンに手を伸ばしたが、テレビ横のチェストに飾ってある写真立てが目に入った。


 座ったまま移動して近くまで寄ると、家族写真だということがわかる。洋風の一軒屋の玄関先で撮られた集合写真。スーツ姿の、今より少しだけ若い塩見くんと、お父さんとお母さん。そしてもうひとりの女性は、おそらくお姉さんだろう。


 美形一家に見惚れていると、コンコンコン、という小気味いい包丁の音が聞こえてきた。


「塩見くん、この写真ってご家族?」


 キッチンスペースに向けて声を張りあげる。塩見くんは穏やかな微笑みを浮かべながらカウンターで調理をしていた。


「ああ、そうです。両親と姉と、四人家族で。それは僕の大学卒業のときに記念に撮ったものですね」


 数年前だから、塩見くんの顔はあまり変わらないのか。そして凝った作りのエントランスは、プチ豪邸な全体像を想像させる。塩見くんはいかにも育ちがよさそうだから、納得だけど。

 料理中の塩見くんを観察していると、後ろを向いて、コンロで何かを炒め始めた。


 じゅうう~という油の音と、ここまで漂ってくる食欲をくすぐる香り。

 ――これは、にんにく? それと、スパイシーななにかも混じっている。


「あ、すみません先輩。確認するのを忘れていました。にんにくって、使っても大丈夫ですか? 明日って何か用事があったりしますか?」


 塩見くんが、フライパンを持ったまま背中をひねって振り返る。


 土曜日は昼まで寝て、あとは家でだらだらすることに決めている。そうすれば、金曜日はなにを食べてもどれだけ飲んでも大丈夫だから。


「じゃんじゃん使っちゃって大丈夫。外出する予定なんてなんにもないもの」


 グラスに口をつけて、ひらひらと手を振りながら答えると、塩見くんは「了解です。なら、思う存分腕をふるえますね」とうれしそうに返した。


 そうして、ジャッジャッとフライパンをふるう音が聞こえてきてすぐ、私の前に「おまちどうさまです」とお皿が出された。


「えっ、もうできたの!? 早くない?」

「あんまり時間がかかっていたら、先輩、飲み終わっちゃうでしょう。これは突き出しみたいなものです。焼き枝豆ですよ」

「焼き枝豆……」


 お皿に山盛りになった、さやつきの枝豆。その表面はみじん切りのにんにくとごま油でテカテカしていて、ところどころに鷹の爪も見える。茹で枝豆と違うのは、枝豆自体に香ばしい焼き色がついているところだ。


「……おいしそうね」


 ごくっと唾を飲みこむと、塩見くんがくすっと笑った。


「それをおつまみにして、もう少し待っていてくださいね。メインはもっとすごいの、作りますから」

「ちょっと。これだけでもおいしそうなのに、そんなこと言われたら待ちきれなくなっちゃうじゃない!」

「そんなに時間は取らせませんから。僕もお腹すいているので、早く食べたいし」

「そ、そうよね。……ごめんなさい、作ってもらっているのに」


 罪悪感から素直に謝ると、塩見くんは苦笑しながら口元を拳で隠した。


「いえ、それだけ楽しみにしていただけたら料理人冥利につきます」

「今さらだけど、なにか手伝う?」


 油揚げを黒コゲにする女には、キッチンに立ってもらいたくないよなあ――と思いながらもいちおう尋ねると、塩見くんはなにかを思いついたようだった。


「ああ、それだったらやってもらいたいことが。下準備が終わったら呼びますので、それまではゆっくりしていてください」


 詳しくは説明しないまま塩見くんはキッチンスペースに戻ってしまったが、私ができるような手伝いなんてあるのだろうか。いや、今はそんなことより、目の前の焼き枝豆だ。


 手に油がつくのも気にせずに、形よくふくらんだ枝豆を手に取る。そして直接さやに口をつけて、中の豆を吸い出した。


「ん、んん~っ、おいしい……!」


 さやに絡まった、にんにくとごま油の香ばしさが、口の中で枝豆と絡み合う。あとからピリリとくる辛味がアクセントになって、食べる手が止まらない。塩加減も最高。ちょっと濃いめに味付けしてあるけど、さやを食べるわけじゃないからちょうどいい。


「枝豆って、炒めるだけでこんなにビールと合うのね。今まで枝豆のこと、ほかの注文が来るまでのつなぎで頼むおつまみだと思っていたけど、これ、メインで食べたいくらいおいしいわ!」


 料理中の塩見くんに聞こえるくらいの声で感想を叫ぶと、「ありがとうございますー」という間延びした返事が返ってきた。


 なにこれ。BGMがなくてひとりでも、待っているだけでこんなに楽しいのって初めて。キッチンから聞こえてくる料理の音、香り、塩見くんの動きを追っているだけで飽きない。


 ボウルでなにかをこねていた塩見くんが、「日向先輩、こっちに来て手伝ってもらえますか?」と私を呼んだ。


「はーい、今行く」


 油でテカテカになった唇と手をティッシュで拭いて向かうと、カウンターにはボウルが三つ並んでいた。中身はどれも挽き肉みたいだけど、色がちょっとずつ違う。


「……これ、なに?」

「餃子の具です。今日は三色餃子を作ろうと思って、にんにく餃子、シソ餃子、キムチ餃子の三種類を用意してみました。シソとキムチを刻んで混ぜているんですよ」


 なるほど、こっちの緑色の葉っぱが混ざっているのがシソ餃子の具で、こっちの赤いのがキムチ餃子なのか。


「すごい。家でもいろんな種類の餃子を一度に食べられるのね。宇都宮とか、中華街に行かないと無理だと思ってた」

「そんなに手間じゃないんですよ。もとになるタネは一緒なので、それを三つに分ければいいんですから」


 簡単に言うけれど、家で餃子を作ること自体そもそも手間なのでは。


「先輩には、餃子を包むのを手伝ってほしくて。あ、エプロンは僕の予備のものを貸しますね」

「えっ。餃子なんて包んだことない……」

「大丈夫です、教えますから」


 難しそう、とか、失敗しそう、と言い訳する前に、塩見くんはエプロンを持ってきて私に手渡す。なんだか、やるしかない雰囲気。


「……わかった、やってみる。そのかわり失敗するかもしれないけどいい?」

「大丈夫です。形が歪でもちょっとくらい皮が破れても、焼けばおいしく食べられますから」


 そのフォローの仕方はどうなんだろう、と思いつつ塩見くんとおそろいのエプロンを着ける。しっかり手を洗ってから、塩見シェフのレクチャーを受けた。


「この餃子の皮の端っこに水をつけて、こうやってたたむ感じで包んでください。具はあまり入れすぎると皮が破れるのでほどほどに」

「む、難しいわね……」


 塩見くんは次々に美しい餃子を完成させていくのに、時間をかけて包んだ私の餃子のほうが不恰好だ。塩見くんのほうは折り目が細かくて並行なのに、私のは子どもの粘土細工みたい。


「先輩、折りたたむのは餃子の上部分だけのほうが見栄えよくできますよ。今は二枚分重ねてたたんでいるので……」

「え、どういうこと?」

「ええと、待ってくださいね。こうやって……」


 塩見くんが急に身体を寄せて、私の包んでいる餃子に手を伸ばしてきた。一瞬、手と手が触れてドキッとする。


「ゆっくりやりますんで、見ててくださいね」


 目の前でお手本実演が行われているのに、私は塩見くんの意外と大きな手のひらや、骨ばった手首にばかり目がいっていた。

 塩見くんが男を感じさせない人だから意識していなかったけれど、自分が今男性の部屋にいるんだと急に実感して、顔が熱くなってきた。


「……こんな感じです。わかりました?」

「う、うん。なんとか」


 実はあんまり頭に入っていなかったけど、正直に言えるはずもないのでうなずくしかない。


 そのあと包んだ餃子は少しは改善したものの、塩見くんの出来には到底及ばなかった。


「うん、初めてでここまでできるなら上出来ですよ」


 塩見くんはそうフォローしてくれるけれど、自分の不器用さが如実に出ている気がする。

 ただ、不思議なもので、自分で包んだ餃子は不恰好でもなんとなく愛着がわく。もくもくと包む作業はなにも考えず没頭できて、意外と楽しい……かも。

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「よし、完成です」


 トレイにずらっと並んだ焼く前の餃子は、皮からそれぞれの色が透けてとてもキレイに見えた。茶色と緑と、赤の餃子。


「先輩、どうせなら焼きたてを食べたいですよね。ホットプレートを持っていくので、テーブルで飲みながら焼きましょう」

「な、なにそれ、最高……」


 そうしてホットプレートを用意して焼く準備を整えたのだが、テーブルについた塩見くんの手元に用意されたのは、ジンジャーエールだった。


「塩見くん、お酒飲まないの?」

「僕、アルコールに弱くて飲めないんですよ。付き合えなくてすみません」

「それはいいんだけど……、自分は飲めないのに誘ってくれたの?」


 目の前にあるのは、いかにもビールのために用意された焼き枝豆と三色餃子だ。お酒を飲めない塩見くんがなぜ、こんなにも酒飲みの心をくすぐるおつまみを作れるのだろう。


 その答えはすぐに、塩見くんがくれた。


「僕のうち、父親がお酒好きな人で。母が毎晩父のために作るおつまみを、少しもらうのが子どものころ大好きだったんです。大学生になって、自分がお酒に弱いってわかってからは、お酒が飲めなくてもおいしいおつまみを研究するようになって……。だから、おつまみを作るのが得意だから飲みませんかって誘ったの、嘘じゃないんですよ」

「そうだったのね。確かに餃子はご飯にも合うものね」


 お酒が飲める人でも飲めない人でもお腹いっぱいになれる『おつまみごはん』。塩見くんの作る料理は、そんな優しさにあふれるものだと感じた。


「自分はジュースでも、飲みに参加するのは好きなので、先輩は気にせず飲んじゃってくださいね。僕も遠慮なく食べますんで」

「わかった。そういうことなら、遠慮なくいただくわね」


 ホットプレートに油をひいて、餃子を並べていく。そのあと、水を加えて蓋をし、蒸し焼きに。


「これでしばらく待ちましょう」


 蓋を外した瞬間、蒸気といっしょに餃子の食欲をそそる香りが襲ってくる。


「ここでごま油を足すと、パリッと焼けるんですよ」

「そうなのね。私、冷凍餃子をフライパンで焼いて、全部くっついちゃったことがあるんだけど……。油が足りなかったのかしら」

「その可能性はありますね。あとは、フランパンが劣化しているとくっつきやすいですよ。テフロン加工もだんだん剥げていくので」

「フライパンを使うことはほとんどないから、それはないわ」


 私が自信満々に言い切ると、塩見くんは顔を背けて噴き出しそうになったのを隠した。


「す、すみません。それならきっと油か温度ですね」

「ちょっと、なんで笑うのよ」

「ふだんの先輩の口からは出てきそうにないセリフだったので……。なんだかかわいくて」

「か、かわ……!?」


 動揺して、声が裏返ってしまった。塩見くんは赤くなった私の顔に気づきもせず、すでに餃子に集中している。この子、おとなしそうな顔して天然タラシなのだろうか……?


「あ、焼き具合、そろそろいい感じです。先輩、どうぞ」


 塩見くんが私の取り皿にごそっと餃子を載せてくれる。自分のお皿にも残りを載せ、「第二弾も焼いちゃいますね」と菜箸をてきぱき動かしている。


 取り皿にある、シソやキムチの鮮やかな色がほんのり透けている三色餃子。私は醤油と酢を混ぜたタレに、まずはニンニク餃子をつけて口に運ぶ。


 歯を立てた瞬間、表面の焼き目がパリッと音を立てた。そして口の中にジューシーな肉汁がじゅわっとあふれ出す。


「んんっ、お、おいしい……!」


 私が焼くとべちょべちょになる餃子は、焦げ目ぱりぱりの上半分もちもちで、プロが焼いたみたいだった。


「すごいわ、ラーメン屋さんで食べた餃子よりおいしいかも……! あっ、シソ餃子も風味がすごい……!」


 包んでいたときは『肉に対して量が少ないかも』と感じていたシソだったけれど、食べると爽やかな風味がふっと鼻に抜ける。


「キムチ餃子はこれ、まずいわね……。飲み始めたばっかりでもご飯がほしくなっちゃう」


 キムチが入っているぶん味も濃い目で、キムチのしゃきしゃきとした食感が楽しい。ここに白米があったらどんどんご飯が進んでしまうおいしさだ。


「おいしい、おいしい」と騒ぎながら食べる私を、塩見くんはお箸を上品に使いながらにこにこ眺めている。


「夏にニンニク、シソ、キムチの組み合わせは最強ね。こんなすごいメニュー、塩見くんが考えたの?」

「いえ、以前宇都宮に行ったときに食べた三色餃子をアレンジしたんですよ。それまで僕、シソが苦手だったんですが、餃子に入れれば食べられることがわかって。それからは、苦手な食材でも工夫して取り入れるようになったんです」

「苦手な食材でも……か」


 ビールが飲み終わって餃子も残り少なくなったころ、ご飯と汁物が〆に出てきた。


 鶏ガラスープで出汁をとったという中華スープは、仕上げにラー油がちょろっと垂らされていた。


 ご飯といっしょに餃子を食べていたら、今度はほっこりした気持ちになってきた。じっと三色餃子を見ていると、頭の中にふわふわと浮かんでくるものがある。


「今進めているクリスマスコフレの企画、最後のアイディア出しの段階なんだけど、塩見くんの餃子の話のおかげでなにかつかめたかも」


 何種類か出すコフレのひとつ、三色セットのミニリップ。私は思い切ったトレンド色も入れるように提案していたのだが、『使いづらいのでは』という反対意見もあってまとまらずにいた。


 それなら、三色どれにでも合うなじみ系のグロスをセットにしたらどうだろう。リップはそれぞれ、まったく違う系統のはっきりした色にして。それならグロスの重ね塗りでイメージをがらっと変えられるし、オンとオフで使い分けもできる。


 三色の中身が皮からほんのり透ける餃子と、苦手なシソを餃子に入れた話から思いついたのだ。


「えっ、餃子からアイディアですか?」


 塩見くんは、ご飯茶碗から顔を上げて驚いた声を出した。


「うん、餃子から。ありがとう、塩見くんのおかげだわ」

「お役に立てたなら光栄です。……先輩は本当に、仕事が好きなんですね」


 そうつぶやく塩見くんはまぶしそうに私を見つめていて、なんだか照れる。


「好きな仕事をやっているだけよ。楽しくなかったらやってないし」

「その、楽しいと思えるのがすごいんじゃないですか?」

「そうなの……? ずっと、楽しいと感じたことしかないから、わからないわ」


 私からすると、楽しくない仕事をずっと続けている人のほうがよっぽどすごいと思うけれど。


「やっぱり、日向先輩はすごいです」


 塩見くんが遠くを見つめるようにつぶやいたので、私はなにも返さずにその言葉を受け取っておいた。


 塩見くんは食後に桃をむいて、コーヒーも出してくれた。食べ終わったらすぐお暇いとましようと思っていたのだが、居心地がいいせいか、ついつい長居してしまう。


「先輩。そういえば、料理ができないってわかっているのに、どうして油揚げを焼こうと思ったんですか?」

「えっ」


 突然放たれた塩見くんのジャブに、口の中に入った桃が飛び出すかと思った。


「いや、なにか理由があったのかと思って。フライパンもずっと使ってないって言ってましたよね」

「そ、それは……」


 ドキドキしながら、桃をごくんと音をたてて飲みこむ。

 塩見くんは微笑みを消して、見透かすような目で見つめてくる。人畜無害な草食系だと思っていたら、意外と鋭いところがある。


 居酒屋でのひと悶着は、できれば人には打ち明けたくないことだった。そもそも、ひとり飲みが好きなことだって人には言っていない。


 でも……。塩見くんだったら、バカにしないで聞いてくれそうな気がした。私だって本当は、だれかに話してさっさと嫌な気分を消したかったのだ。


「実はね――」


 あの日のことを、ひととおり説明する。自分が毎週のひとり飲みを楽しみにしていたことまで、全部。


「……なるほど。それでお気に入りの店に行けなくなったんですね」

「そうなの。おかげで今週は仕事に身が入らなくてね。後輩には心配されるし、散々だったわ……」

「……そうですか」


 塩見くんは、なにも言わずに神妙にコーヒーを飲んでいた。同情してくれているのかなと思ったのだが、カップを置いたかと思うと、急に真剣な表情になって私の目をじっと見た。


「日向先輩。提案なんですが」

「え、なに?」


 急にそんな顔されると、緊張するんだけど。


「だったら、毎週金曜日、僕のうちで飲みませんか」

「えっ!?」


 思ってもみなかった申し出に、素っ頓狂な声が出てしまう。塩見くんは硬くなっていた表情を崩してわずかに微笑む。


「僕、おつまみを作るのは好きだけど、自分では飲めないじゃないですか。今日、先輩に『ビールに合う』って喜んでもらえてうれしかったんですよね」


 ぽかんとしながら塩見くんの言葉を聞く。


「でも、それじゃ塩見くんばっかり作ることになるでしょう。負担にならないの?」

「そんなの、自分の料理を誰かに食べてもらえることでチャラになりますよ。それに僕も、先輩と飲むの楽しかったんで」


 そりゃあ、私だって楽しかった。先週嫌な目にあったことなんてすっかり忘れて、おいしいおつまみに夢中になっていた。塩見くんのこの部屋も料理も、お気に入りだった居酒屋と同じくらい、いやそれ以上に落ち着くもので……。


「嫌、ですか? そうですよね、毎週一緒に飲むなんて――」

「い、嫌じゃ、ない」

「え?」


 もじもじと指を組みながら告げると、伏せていた塩見くんの目線がぱっと上がった。


「嫌なんかじゃ、ないわ。塩見くんのおつまみ、本当においしかったもの。毎日だって食べたいくらい。それが毎週食べられるなんて、願ったり叶ったりよ。ただ、私ばっかり得する感じなのが……」


 場所も料理も提供してもらって、それだと塩見くんの負担が大きすぎて申し訳なくなる。


「じゃあ、ルールを決めましょうか」


 話し合いの結果、お酒は私が用意すること、食材費は折半すること、塩見くんへの手間賃として、たまに私が豪華な食材やデザートを買ってくること――が決まった。


「うん、こんなものでしょうか。これで先輩も遠慮なく飲めるんじゃないですか?」

「そうね。でも、本当にいいの?」

「もちろん。来週からも、よろしくお願いします」


 お酒とおいしいおつまみ。週に一回のごほうびの時間。それがあればなんだってがんばれると思っていた。一度はそれが失われて、途方に暮れていたけれど……。


 再び私にビタミン剤を与えてくれたのは、名前も知らなかった後輩男子だった。最悪だった金曜日からこんな展開になるなんて、先週の私に予想ができただろうか。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 私が深々と頭を下げると、「先輩、かしこまりすぎです」と塩見くんが笑った。


 ここから始まる、毎週金曜日だけの特別な時間。来週はどんな『おつまみごはん』が食べられるのだろう。持ってくるお酒は、どれにしようか。


 もうすでに、次のメニューを楽しみにしている私がいた。


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